ビターシロップ

ゆりすみれ

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“依存のシロップ”

7-2 オレなしじゃ

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 味がしない。

「……んっ、……っ」

 琉架の口唇を割って舌を侵入させても、味がはっきりとわからない。当然あまいのだが、脳がそれをうまく感知してくれないようだった。あまいはずなのに、つらさがまさって、哀しくて、苦しい。舌に一生分の琉架の味を覚えさせなければならないのにこれではまるでダメだと、焦った和唯はさらに深く激しく琉架の口内を掻き回す。

「んぁ……っ、は……まっ、て……息、くるし……」

 琉架のか細い訴えは、獰猛どうもうな獣が宿ったように躍起になっている和唯の耳には届かない。

 夜にはここを出たいと和唯が言ったので、陽が傾き始めたのをきっかけに琉架と和唯は寝室に移動した。まだうっすらと明るい部屋に光を遮る重いカーテンを引き、和唯が偽物の夜を作る。すぐベッドに乗り上げ、その中央で静かに座って待っていた琉架に近づき、和唯はいつもするように琉架を軽く抱き寄せると口に舌を差し入れた。あまい味が、ほとんどしない。うっすらとしか感じられない。ついにケーキの味すらわからなくなったのかと異様に焦り、和唯は琉架の口唇を貪欲にんだまま、手荒に琉架を押し倒した。

「んんっ……っはぁ、かずい、ちょっ……ゆ、っくり……」

 和唯のからだの重みを全身で受け止めながら、いつもよりずいぶん乱暴な和唯の舌を必死に迎え入れる。最後だからがっついているのかと思い、このセックスが終わったあとの夜を想像して琉架はまた苦しくなった。終わったら、和唯はあのスーツケースを引いて出ていってしまう。

「はっ、……んっ、ん……」

「……琉架さん、もっと、つば出して」

「んッ、……んん、……つば、だしてる……」

「足りない、……こんなんじゃ、全然足りない……もっと」

「ん、っ……んんぅっ、……も、ぜんぶ、かずい吸って、る、って……」

「……っ、足りない……」

 いつも殴ってくるように強烈なはずのあまさが、今の和唯の舌先にはうまくのってくれない。唾液を吸い尽くしてもかすみがかったようにぬるい味しかしないことに呆然とし、和唯は一度口唇を離した。組み敷いた琉架の顔を見下ろすと、小さく息を切らした琉架が和唯をじっと見上げている。作られた薄闇の中で、せつなげな瞳と瞳が控えめに交わった。

「かずい、……ホントに出てくの?」

 思わず琉架が、消え入りそうな声で訊いてしまう。離れたがっているこの男を引き留めてはいけないのに、引き留める方法を必死に探してしまう。何が足りなかった? オレがもっとあまければよかった? どんな味だったらおまえを虜にできたの? きっとそういうことじゃないと琉架にもわかってはいたので、意味のない問いは言葉にできなかった。

「……一緒にいたらダメだから」

 琉架と同じ調子の頼りない声で和唯はそれだけを精一杯告げると、話を終わらせるようにまた琉架にくちづける。

「ん……っ」

 哀しさで、さらにあまさが遠ざかる。味がしない。

 和唯は琉架と荒く舌を絡ませながら、片手でひとつずつ琉架の白いシャツのボタンを外していった。一番下まで外し終えシャツを左右に大きく割ると、まっすぐに通った美しい鎖骨と無駄のない優美な腹筋、そして脇腹には刺された大きな傷跡が見えた。傷はまだ充分に痛々しく、和唯は思わず手を止めてしまう。

「……からだ、無理させてないですか?」

 退院直後の琉架になんというお願いをしてしまったのかと、自分の非常識ぶりに気づき、今さら和唯が怖じ気づく。
 
「痛くねぇから」

「でも」

「……次、傷のこと気にしたらぶっ飛ばす」

「……」

「気ぃ遣われたくねぇんだよ」

 これ以上やさしくしないでと琉架が願った。和唯に置いていかれるみじめな自分など、もうめちゃくちゃに壊してくれたって別にいい。

「やさしく、します……」

 それでもやさしくすると言ってくれる和唯に、琉架はあきらめて目を閉じた。

「……琉架さんの気持ちいいところ、おさらいさせて……」

 和唯はそう言って、知っている琉架の敏感なところを順にたどっていこうとした。まずは左耳に口唇を寄せ、穴の中に湿った舌をねっとりと差し入れる。右耳には指を這わせ、耳朶じだと耳輪をいやらしく執拗に撫で回した。

「……っ、……はぁ、……やっ」

 耳をじっくりと濡らされたりいじられたりすると、琉架の吐息が正確に比例して熱を帯びていく。

「琉架さん本当に耳弱いね、……これからも、なるべく、ピアスは外さないで……耳弱いって、他の男に教えないで……」

「……っ、」

 それは自分だけが知っていたいと、ここに来て和唯がわがままじみたことを言った。

「……もう、ピアス、やめる……っ、……他の、男に、耳さわって、もらう……あっ、ん…」

 出ていくやつの言うことなんか聞くかと、琉架が和唯の下で身悶えながら拗ねる。

「いじわるだな」

 和唯は弱々しく苦笑してみせたが、他の男が琉架の左耳を可愛がっているところを想像したら胸が張り裂けそうで、またあまい味がわからなくなってしまった。苦しい。琉架を舐めて幸せなはずなのに、苦しさだけが胸の空白を埋めてしまう。

 耳を存分に食べた舌は、そのまま琉架の肌の上を滑り下りる。首筋を舐め、鎖骨をあまく噛み、和唯はからだごと少し下方へずれて琉架の胸の辺りに顔を寄せた。

「前に教えてもらったここも、いっぱい、吸ってあげるね……」

 引き締まったからだの上で、触れられるのを待っているかのようにぴんとしている形の良い突起を、和唯は大胆に口に含んだ。吸い上げるようにきつめにんでやると、己のからだの下で自由を奪われている琉架が控えめに身をよじるのがわかる。吸いながら、もう片方は指先でいじった。

「……っ、あっ……ン、……は」

「……強く吸われるの好き? もっと、気持ちいいって声、聞かせて」

「……や、っ……もぅ、……んっ、そんなに、しなくて、いい、っ……あ、っ」

「気持ちよく、ない……?」

「ちがっ、……もぅ、オレのいいとこ、なんて……っ、覚えてなくて、いいから……さっさと、忘れろ、っ……」

 もう抱いてもらえないのなら、綺麗に忘れてもらった方がよかった。和唯の記憶に残っていた方が虚しいと、琉架は快楽に浸かりながら必死に好きな男の中から消えようとする。

「……今日の琉架さん、手厳しいな」

 ずっと機嫌の悪い琉架に困った顔をしながら、和唯は小さくつぶやいた。忘れるなんて。忘れないようにするための時間なのに。もっと琉架の感触を記憶に刻みつけたい和唯が、肌の上にのせた指を迷わせて焦れる。

 どこか気持ちが噛み合わないちぐはぐな前戯に、琉架も和唯も戸惑っていた。琉架はもう早く終わらせたいのかもしれないと、和唯は琉架の表情を確かめるために少しからだを離して見下ろす。また瞳を合わすと、琉架の目は哀しげに潤んでいた。薄暗くても、瞳が大きく揺らめいているのがわかる。

「どうしてそんな顔するの? あなたは、呪いから解放されるんだよ……?」

「……」

 呪いの意味を知らない琉架は、黙って和唯を見上げるだけだった。

「……いれてもいい?」

「ん……、さっき風呂で準備したから、すぐ、いれていい」

 和唯は着ていたロングTシャツをぱっと脱ぐと、そのまま琉架のボトムスに手を掛けた。傷に障らないようにゆっくりと下半身の衣類を全部脱がせると、琉架の起き上がった太い淫らに目を奪われる。視覚からの情報だけで、すでに充分硬くなっている己の根をさらにたくましくさせうずかせる。

「……っ」

 今はそこには触れず、和唯はずり下げた下着の中から自身の陰茎を取り出すと、乱暴にゴムの封を切った。最後かと思うと、緊張で手が震えた。

「前からいれるの、初めてですね」

「客のフォークはみんなそうしてる。……腹に垂れた精液舐めるから」

「……脚、広げて」

 和唯は琉架の膝の裏側をすくうように持つとぐっと大きく広げ、中央に現れた穴に己の欲の先端を導いた。すでに柔らかくされていた入り口に、生々しい音を立てて、たかぶった芯をずぷんと強く押し込む。挿入口は和唯の陰茎の直径まで綺麗に広がり、和唯を奥深いところまでしっかりと取り込んだ。

「……ああっ、……んっ、は、……」

 琉架が顔を歪ませて、たける和唯を容易く受け入れる。

「……っ、すご……」

 琉架と繋がっている接続部分がよく見えて、和唯はその卑猥な光景にごくんと唾を飲み込んだ。もっと奥まで先端を擦りつけたくて、琉架の腰を高く持ち上げて自分の方に強く引き寄せる。やさしくすると言ったのに、さっそく嘘になった。

「はあっ、……おく、っ、……んッ」

「……届いて、る? ……っ」

「……あぁッ、……ふかいの、すご、……もっ、と」

「もっと? 琉架さん、よくばり……」

 和唯が限界までからだを押しつけ、奥の方を先でぐりぐりとしてやると、琉架の喘ぎが濃度を増した。

「ああッ、んッ……はぁ、ぁん、……おく、おくっ、きもちい……あぁっ」

「声、うれしい……もっと、聞かせて、……っ、」

「はぁっ、……ん、……かずい、もっと」

 さっきの、ちぐはぐだった時間が嘘のように、からだがしっくりと深く馴染んだ。回数をそんなに重ねたわけでもないのに、足りないところを的確に補い合うような求め方に、ただ二人で息を弾ませる。

「……っ、奥、突くよ……」

「っあ、あ、……ンッ、んっ、あぁ、あ、あぁ……」

 深いところを狙うように、和唯がしつこく突き続ける。いつもひとりしか乗せていないベッドが、二人の重みと、荒い突き上げによって大きく軋む。ぎしぎしと鳴るベッドと、琉架の甘い喘ぎが見事に同調し、和唯の耳は興奮と悦びで埋められた。聞きたかった琉架のいやらしい声が部屋中に響いて安堵する。突いた分だけ、琉架は顔をとろけさせ、和唯の根は琉架の窮屈な空洞の中でさらに大きく膨らんでいった。

「あぁ、あっ、……はっ、あぁ、ッ、……」

 奥ばかりを執拗に突かれ、琉架の脳は空になりかけていた。それでもこのセックスが終わったら和唯が出ていくことだけははっきりと覚えていて、無意識に脚や腕を和唯に巻きつけてしまう。やめないで、行かないで、と全身で訴える。

「……、ナカ、気持ちよすぎて、もう、いっちゃいそ……」

 和唯が余裕なく顔を歪ませながら、そうつぶやく。

「……っ、だめ、……っあん、……だめ、も、っと、……もっと」

 終わらせたくない琉架が、からっぽの頭でもっとをくり返す。

「っ、……いじわるで、よくばりな、琉架さん、……っ、あっ、……も、いきそ、……」

「……ああぁ、っ、……はぁッ、……まっ、て……ま、っ、……かずい、だめ、……っ」

「むり……るかさんっ、……いっていい?」

 和唯の打ちつけが、一層激しくなる。

「っ、あッ……ああ、……ああっ……だめ、まっ、て、……だめっ、──ああっ」

「──っ」

 いかないで──。

 そう叫びたかったのに、和唯は小さく唸って琉架の中で果てた。最後の荒ぶった突き上げにいざなわれて、琉架も一緒に射精してしまった。一度も触れていない琉架の性器からは白い蜜がたっぷりとこぼれて、そのまま腹にどろっと垂れる。

 凶暴なあまい香りを嗅いで、和唯は意識を飛ばしそうになった。今日舌の上ではうまく感じられなかったあまさが、鼻腔びこうから猛烈に殴りかかってくる。惑わせて、狂わせて、依存させる、琉架の最高にあまい蜜。

「……っ、」

 終わってしまったセックスに呆然とし、琉架は息を整えながらゆっくりと和唯を仰いだ。和唯も琉架を組み敷いたまま見下ろしている。ベッドの上で今日何度も何度も見つめ合ったのに、互いに一度も笑えなかった。全部、哀しい瞳を見せ合っただけだ。和唯と瞳が合ったら、情緒が壊れて、琉架は目のふちに涙を溜めた。

「……なんで飲まねぇの……?」

 琉架が、小さく言う。

「え……」

「おまえフォークなんだろ!? なんで飲まねぇんだよ! 飲めよ!」

 急に声を張って、琉架が責めるように叫んだ。

「ただの、フォークのくせにっ、……飲めよ、……っ、オレのいちばんあまいとこ、欲しがれよ!」

 琉架は、泣きながら怒った。もう、依存だろうと執着だろうとなんだってよかった。和唯をここに縛りつけておけるなら、気持ちなんてなくたって構わない。心が欲しいなんて贅沢は言わない。食って食われる、からだだけの関係でいい。

 あまい精液は、最後の切り札だった。まだこの蜜のあまさを知らない和唯を引き留められるかもしれない、唯一の希望。琉架にはずっとこれしかなくて、これからもこれしかない。

「嫌です」

「っ!?」

 琉架の怒りに、和唯ははっきりと拒絶を示した。

「……だって、これ飲んだら、俺琉架さんの客になるだろ!? 家事の対価にこれをもらってしまったら、お金を払って飲みにくる客と同じです……!」

 声を張り上げた琉架につられて、和唯も強い口調になる。

「俺はそんなの嫌です。……俺は琉架さんの客じゃない!」

「……っ」

 涙で潤む琉架の瞳を見ていたら、和唯の想いが抑えきれずにあふれた。隠し通して、琉架の前からいなくなるはずだったのに。どうしようもなく大きく育ってしまった想いだけここに置いていこうと、今、決める。

「対価じゃなくて、報酬じゃなくて、琉架さんが心から俺にあげたいって思える日が来るまで、それは、口にしたくなくて。……そんな日が来るかもわからないですけど、いつか、そうなったらいいなって、ずっと願ってて……」

 精液を避けていた理由は、愚かなプライドだった。琉架に群がるフォークたちと同じにはなりたくなかった。いつか琉架の特別になれる日を、甘く夢見ていた。

 和唯が、琉架を熱く見つめる。互いに情交の余韻が消えない肌を無防備にさらけ出したまま、時を止めて見つめ合った。

「好きなんです。……あなたがケーキだからじゃなくて、……ただ、琉架さんが好きなんです、っ……」

「え……」

「ごめんなさい……、俺みたいなフォークが好きになったらダメなのに……好きになったらダメな人だったのに……、出会って、やさしくしてもらった日からずっと、あなたが、好きなんです」

 あのせつない涙を琉架に親指でぬぐってもらった雪の夜から、全部、はじまってしまった。

「……っ!?」

 驚いて、感情がぶわっと込み上げて、琉架の瞳は勝手にどんどん潤んでしまう。

「なんだよそれ……」

 琉架が小さくつぶやくと、瞳のふちに溜まっていた涙が、すうっと耳の方へ落ちていった。耳朶じだを濡らす涙がひどくあたたかくて、ただ胸が熱い。

「……なんだよ……、ただの、両想いじゃねぇか」

「え……」

 和唯も驚いて、聞き返そうとしたところで、琉架が伸ばした手に頬をさらわれ、あまくくちづけられた。

「──っ!?」

 琉架からの濃厚なキスに、和唯は目が閉じられない。あまいのか、あまくないのか、何もわからなくなった。

「和唯、オレを欲しがれよ……」

 キスを解いた琉架が、瞳をたっぷりと濡らしながら、とろけそうな顔でそう言う。

「あまくておいしいオレなしじゃもう生きてけないって、そう言えよ!」

 依存でいい。その恋に溺れて、求めてほしい──。

「……っ、それって……」

「オレもおまえと同じ気持ちってことだよ。……オレ置いて、出ていくなんて言うな……ばか」

 もう、気の済むまで引き留める理由ができたと、琉架が和唯の背中にぎゅっとしがみついた。どこにも行かせない、誰にもやらない、オレが拾ったんだからオレのものだと、激しい主張で強く抱きしめる。

「俺たち、……両、想い……なんですか?」

「オレたち、バカだな」

「っ、……琉架さんっ、」

 今度は和唯からくちづけた。琉架の腹に垂れた贅沢な精液は、抱き合う肌と肌にはさまれて、二人の間でぐちゃぐちゃになった。しあわせだった。

「琉架さん……好きです、大好きです」

「オレも、和唯が好き……すっげぇ好き……」

 ようやく解放された想いは、とどまることを知らずに、いつまでも互いを喜ばす言葉になりたがる。好きです、好きだ、を飽くことなくくり返し、しばらく琉架と和唯はベッドの上で絡まり合った。





 今まで言えなかった反動は凄まじく、好きだ好きだと何度伝えても足りる気がしない。好きとキスを存分に浴びせた和唯が、自分のからだの下でとろんとしている琉架に問いかける。

「琉架さんのここ、俺が欲しがっていいの?」

 和唯は右手をそっと下方へずらし、まだいくらでも達することのできそうな琉架の硬い根に触れた。先端の割れ目に沿って指を這わせると、琉架が小さくびくっとする。そこにあるものを和唯がやっと欲しがってくれて、琉架はやさしく目を細めた。

「ん……、オレがあげたいの」

 極上の、あまい蜜を。

「それで、おまえにあまいって言ってほしい……」

 幾多の客にあまいと褒められても何も感じなかったのに、たったひとりの男の感想を琉架は心待ちにしている。

「口でしてもいい?」

「ん、して……」

 琉架に許されると、和唯はからだを琉架の下半身に移動させた。少し広げた脚の間に入り、勃ち上がっている琉架の性器に顔を寄せる。てのひらでやさしく包み、軽く裏筋を撫でてやったあと、ゆっくりと口に含んだ。

「っ……あ……」

 鼠径部そけいぶを左手で愛撫しながら、根元から咥えた琉架の杭を唾液でたっぷりと濡らす。滑りのよくなった茎に右手を添え、頭を大きく上下に動かし、口の中で琉架をさらに肥大させていく。

「は……きもちい……」

 大きくしゃぶられたり、亀頭をやさしく吸われたり、舌で筋を器用に舐められたりするたびに、琉架の欲は爆ぜる瞬間を待ちわびて強く張った。早く和唯にあげたい気持ちと、この快感にずっと溺れていたい気持ちがせめぎ合う。口の中も舌先もすべてが心から気持ちよくて、想いがつながったことがうれしくて、奇跡みたいで、またまつげが少し濡れる。

「……ん、っ……かずい、すき……」

 かすれた甘い声が頭上から降ってきて、たまらなくなった和唯が頭を振り動かす速度を上げた。琉架を、追い詰める。

 ……っ、ください、琉架さんのいちばん、あまい──。

「は、……もぅ、いく……んっ、……イ、クッ、」

 ──!

 与えられたものの凶暴なあまさに、和唯は意識を保てないかと思った。皮膚や唾液の比ではない。比較すらできない、これは別物だ。

 まったく新しい未知の、特別な、──シロップ。

 もう何もわからなくなってしまったこの舌が、まだ新しいものを感じ取ることができるのだと、和唯の胸がいっぱいになる。

「琉架さん、っ、……あまいです……とっても、あまいです……」 

 琉架の蜜を飲み干した和唯から、ふっと大粒の涙がこぼれた。こぼれた涙が頬を伝い、口に入ったとき。

「──!?」

 涙の味がした。

 正確にはおそらく涙の味は感じられていないのだが、覚えている涙の味を、脳が再現してくれた。涙のしょっぱくてどこか苦い味を、和唯はちゃんと思い出せた。

 口の中が、苦くて、あまい。

「琉架さん、好きです。琉架さんなしじゃ、もう生きていけない……あなたを味わえるフォークになれて、うれしい……」

 和唯は琉架の脚の間に入ったまま座り、琉架もからだを起こして和唯の前に座った。

「大事な味覚なくしたのに? フォークになれてうれしいの?」

 和唯が泣いているのに気づいて、琉架がそっと和唯にからだを寄せる。

「俺、琉架さんに出会うためにフォークになったのかな。それが神様の気まぐれだったなら、もうその気まぐれ……うれしい」

 泣きながら笑って、和唯が琉架を見つめた。

「じゃあオレは、おまえに出会うためにケーキとして生まれたんだな。だったら、神様にめちゃくちゃ感謝しねぇと」

 ケーキとして生まれたことを感謝する日が来るなど、琉架の今までの人生では考えられないことだった。和唯の存在が、琉架の生き方をどんどん変えていく。

「……俺はいつか、あなたを傷つけてしまうかもしれない」

 ふと真剣なまなざしで、和唯が琉架に告げる。フォークの暴走は本人にさえ予知できない。未来の保証はどうやったってできない。

「そんな俺で、本当にいいんですか?」

「あのな? フォークじゃなくても、人傷つけたり暴れたりするやつなんかいっぱいいるだろ」

 和唯の黒髪に触れて、やさしく撫でつけながら琉架が教えた。

「世の中のやつ、みんな主語おかしいんだよ。そんなの、フォークだからじゃねぇっつうの」

「……」

「……ま、そんときは、オレが殴って目ぇ覚ましてやるから」

 たとえいつか、そのときが来たとしても。

「俺のこと、殴れないくせに?」

 いつかそう言っていたことを思い出し、信用ないですよと和唯が笑う。

「うっ、……ちゃんと殴るよ、そんときは。……だから心配すんな」

 琉架が懐っこくくしゃっと笑った。その愛らしくも頼もしい笑顔だけで、些細な悩みは一気に吹き飛ぶ。

「……出ていかねぇだろ?」

 まだ少し泣いている和唯の瞳に手を伸ばし、琉架が親指で涙を拭った。琉架が泣けば和唯が瞳を舐めるし、和唯が泣けば琉架が親指で拭ってやる。これからもそういう二人でいたいと、互いに思えた。

「……はい、これからもずっとここに……琉架さんのそばにいたいです」

 琉架のあまさに、めまいがした。

 しあわせな、めまい。
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