ビターシロップ

ゆりすみれ

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“和食は沁みる”

2-1 全部あなたの味になるんです

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【ルールその1】
和唯はオレんちの家事をすること。料理メインで、掃除、洗濯、買い出しもする。

【ルールその2】
家事の対価に、和唯はオレを好きなだけ舐めていい。ただし事前にオレに許可取ってから。いきなり舐めるのはダメ。

【ルールその3】
オレがどうしても嫌なことや、痛くて我慢できないようなことはしない。

【ルールその4】
飯作るのやっぱつらくなったら、いつでもやめていい。

【ルールその5】
和唯が新しい家と仕事見つけたらおしまい。





「琉架さん、起きてください」

 和唯は琉架の寝室に入り、セミダブルのベッドですやすやと寝息を立てている琉架に近づきながらそう言った。

「琉架さん、今日美容院行くから朝起こせって言いましたよね?」

 ベッドのすぐそばに立ち、起きる気配のない琉架に和唯が焦れる。朝に起こせと言われたのは初めてのことで、だいたい毎日夜中に帰ってくる琉架は昼まで寝ているのが常だった。

 ふかふかの羽毛布団を綺麗にかぶってあたたかそうに眠っている琉架の寝顔を見て、無防備……と今すぐにでも琉架を舐めたい衝動を和唯は覚えるが、それははがねの意志でぐっとえた。琉架の許可なく触れることはルールで禁止されている。

 あの雪の夜に琉架に拾われ、和唯は翌日にはビジネスホテルでの連泊をやめ琉架のマンションに転がり込んだ。社宅を引き払うときに大きな荷物や季節外の洋服は一旦実家へ送っていたので、和唯は大きめのスーツケースとボストンバッグひとつをここへ運び込んだだけだった。冬用の洋服と洗面道具くらいしか持ち物はなく、スーツケースとボストンバッグは必要なものを少し出しただけの状態でリビングの隅に置かせてもらい、夜はリビングのL字ソファで毛布にくるまって眠った。日中は琉架の世話と家事をこなし、夜はソファで眠る。この生活が始まってまだ一週間ほどだが、ホテルで途方に暮れていた頃よりはちゃんと生きていると和唯は感じた。

「琉架さーん、準備しないと遅れますよ」

 大きな声で呼んでも琉架は寝返りさえ打たない。昨日も夜遅くまで仕事だったことを思うとこのまま休ませてやりたい気持ちにもなるが、ちゃんと起こさないとそれはそれであとで文句を言われそうなので、和唯は仕方なく琉架の覚醒を促す。

 昨日は何人の男に舐め回されてきたのだろうかと、考えても詮無せんないことが和唯の頭に浮かんだ。払拭するように小さく頭を横に振り、さらに琉架に近づく。

 琉架の顔のすぐ横で膝をついて座り、和唯は琉架の耳元に口を近づけて言う。

「起きないと勝手にキスしますよ」

「っ!?」

 突然耳に息がかかったことに驚いたのか、琉架がぱちっと目を開けた。すぐ目の前に自分をのぞき込む和唯の顔を認めて、琉架が羽毛布団をのけて飛び起きる。

「き、きす? なんでだよ!」

 寝ぼけている琉架の口から驚いた声が出た。和唯のいる生活にまだ慣れていないのか、何故ここに……という目で和唯をじっと見てしまう。

「なんで……って、対価でしょう? 朝ごはん用意しましたから」

「あ……」

「好きなだけ舐めていいっていうのは琉架さんが言い出したことですよ? ……さ、寝ぼけてないで早くごはん食べちゃってください」

 和唯はそう言って立ち上がり、部屋のカーテンを開けに行く。シャッと勢いよく両開きのカーテンが開けられると、柔らかい冬の日差しがやさしく琉架と和唯を照らした。

「向こうで待ってますから。早くしないとホントに美容院遅刻しますよ」

「わかってるって……」

 琉架は寝癖のついた髪を掻きながら適当に返事をした。寝室を出ていく和唯の後ろ姿を見ながら、ホントに一緒に住んでんだよな……と、琉架は改めてこの生活を不思議がる。

 救済などという出過ぎた気持ちでもなく、脅迫というほどあの雪の夜を責めたいわけでもなく。ただ本当に家でまともな食事がしたいという思いつきで誘っただけだったのだが、思った以上に和唯が家のことを真面目にやってくれるので、琉架は少し複雑な気持ちになることもあった。

 あまい餌で、釣ってしまった──。

 フォークを利用しているのはいつものことだ。あまい体液を舐めさせて、大金を巻き上げて生計を立てている。生まれつきあまいことは琉架の武器で、皆何かしらの武器を活かして稼いでいることを思えば別に悪いことではない。

 それなのに和唯が誠実であればあるほど、琉架は後ろめたくなる。

「……おまえ、オレに利用されてんだぞ」

 和唯が寝室を出て行ったあとで、琉架が小さくつぶやいた。それほどまでに和唯はケーキを求めているのかと、弱味につけ込むようなやり方をしてしまったことに気がとがめる。対等な関係だとあの夜は言ったが、こんなのは価値の高いものを与える側が優位に決まっているのに。

 いくらケーキのあまいのを好きなだけやると言っても。

「オレの言うこと聞くの、嫌じゃねぇのかよ……」

 今日も律儀に丁寧な暮らしを提供してくれる和唯を不思議に思って、琉架は軽くため息をついた。





 大きなあくびをしながら琉架がリビングに入ると、和唯はもうダイニングテーブルについていた。

「おはよ」

 和唯の向かいの椅子を引き、琉架が座る。

「おはようございます。時間大丈夫ですか?」

「ん、大丈夫」

 トースト、サラダ、ボイルソーセージ、スクランブルエッグ、コーヒー。

 和唯がちゃんと調理したものはスクランブルエッグしかなかったが、綺麗に盛り付けられている朝食は琉架にとって心踊るものだった。

「朝に飯作ってもらうの初だな。たまごふわふわじゃん……いただきます」

 フォークを手に取り、琉架が食べ始める。

 自炊をまったくしたことがない琉架の家には、調理器具も炊飯器も調味料もまともな食器すらなかったので、和唯がこの家に来てすぐ二人でホームセンターに買い揃えに行った。料理のことなど何ひとつわからない琉架は、カートを押しながらいろいろ物色する和唯の後ろをついていき最後にカードで支払いをしただけだったが、いつまでいるかわかりませんし……と言って自分の分の食器を買うのをためらっていた和唯の分の食器と箸とカトラリーだけは、琉架が適当に選んでカートに放り込んでいた。

 スクランブルエッグを口に運びながら、琉架は向かいの和唯の様子をちらちら見る。無遠慮な視線に気づいた和唯が、もそもそとトーストをかじりながら眉をひそめた。

「なんですか? 俺何かおかしいところあります?」

「ちゃんと食ってるか見てた。見張ってないと、おまえ時々食うのサボるから」

 自分が家にいないときはおそらくいい加減になっている和唯の食生活を思って、せめてこうして向かい合っているときだけはと琉架が確認する。

「……ちゃんと食べてますよ。ごはんだって、いつも同じメニューで二人分用意してるでしょう?」

 和唯は琉架の過保護に呆れて、味のしない食パンをまたむ。

「体重戻った?」

「元々の体重には戻ってませんけど、いちばん最悪だったときよりはだいぶマシになりました、おかげさまで」

 出会ったとき痩せこけていた頬は徐々に回復し、和唯はゆっくりと正常な成人男性の風貌を取り戻していた。ずいぶん色つやのよくなった和唯の顔を見て安堵した琉架は、今度はフォークでソーセージを刺す。

「食パンみたいな元々味の薄いものは比較的食べやすいです。逆に味が濃いものは食べにくくて……脳が勝手に味を想像して、口に入れたときとのギャップで食べたくなくなってしまうんですよね」

「へー、じゃあなるべく食いやすいの選ばねぇとな」

「俺はまだ発症したばっかだから、単に食べるのが下手なだけかもしれないですけど」

 ボイルされたソーセージを食べながら、琉架が和唯の話を聞いてやる。店で毎日フォークの人間には会っているが、こういう生活の話はあまり聞いたことがなかった。こんな話をする暇があったら一秒でも長く琉架を舐めたい客たちばかりなので、琉架がフォークのことを本当はよく知らないのは当然だった。今まで向き合ってこなかったし、向き合う必要もなかった。

「……でも」

 和唯はパンを持ったまま、琉架の顔をじっと見つめて言葉を続けた。コーヒーの入ったマグカップを手に取った琉架が、ん? と少し上目遣い気味に和唯を見返す。

「琉架さん舐めたあとだったら口の中にあまいのが濃く残るので、余韻でなんでも食べられます。白飯3杯は確実にいけます」

「!」

 飲んでいたコーヒーでちょっとむせそうになって、琉架が慌ててマグカップから口を離す。

「ちょ、……オレをおかずに飯食うみたいなこと言うのやめて……」

 言われて急に恥ずかしくなった琉架が伏し目がちになる。

「全部あなたの味になるんです」

「っ!?」 

 この世のあらゆる食べ物が、舌先に残ったケーキの味に支配される。

「俺の世界には琉架さんの味しかないんですよ」

 面と向かって言われるとそれはなんだかこそばゆくて、羞恥でうぅ……となっている琉架に和唯が畳みかける。

「だから本当は、ごはんの前に琉架さんから対価欲しいなって思ってます。ごはんの前、です。前」

「……オ、オレのあまい味で飯食うってこと……?」

「はい」

 和唯が悪びれる様子もなく、にこりと琉架に微笑みかけた。

 こいつ……と思いながら琉架が和唯から目を逸らし、再びコーヒーに口をつける。拾ったときは心身共に弱っていたせいか従順な年下という印象しかなかったのだが、一緒に暮らしてみると和唯は意外としたたかな性格をしていた。我を通したいときは、和唯は年上の琉架に対しても遠慮はしない。

 和唯の心の墜落を思えば、少しでも浮上して生意気になっているのはいい傾向だと琉架は思ったが、どうにも時々言動に振り回されることがあって悔しい気持ちもある。

「ごはんの前に舐めさせてくれる日もありますか? ありますよね?」

 わざとあおるような目つきで和唯が問う。反応をおもしろがっているだけなのは琉架にもわかったので、

「……覚えてたらな」

 と照れを悟られないよう曖昧に答えて、琉架は残りのトーストとサラダを口に放り込んだ。





 琉架が朝食を平らげても、和唯はまだトーストを手にしていた。

「あ、の……」

「ん?」

 和唯は琉架がホームセンターで選んでくれたシンプルな白い皿の上に食べかけの食パンを置き、気後れするような弱さでそっと琉架に尋ねる。先程琉架をからかったような威勢は今は身を潜めていた。

「あの、おいしかったですか……? 味わからないのが、やっぱり、怖くて……」

 和唯の不安そうな問いかけに、琉架が驚いた顔をする。この一週間で何度か食事を作ってもらったが、きちんと感想を求められたのは初めてだった。

「あ、悪い……もしかして、毎回気にしてた?」

「おいしくないものを知らずに出してたらやだなって、元料理人としては思ってました……」

 和唯は自分の前にある手を付けていないスクランブルエッグを、じっと見つめている。

 ここに住まわせてから和唯が作ってくれた料理はどれもとてもおいしかったが、家庭科の調理実習程度の簡単でシンプルな味付けのものばかりだったことを思い出し、和唯なりに怖れていたのだと琉架が気づく。

「琉架さんいつも、黙々と食べるだけですし……」

 味覚をなくしたのと同時に自信をなくしているこのフォークを、ただ安心させてやりたいと琉架は思った。この家では別に怖がる必要はないと強く言ってやりたかったが、和唯の苦悩に寄り添うにはまだ琉架はこの男のことを知らなすぎる。

「めちゃくちゃうまかった! 今日のも、今まで作ってくれたやつも全部な。和唯天才! どれも店に出せるわ」

 代わりに特大の笑顔で和唯を褒め称えると、

「……店で出してたんですよ」

 と言って和唯もつられて、ほっとしたように笑った。リハビリのようなものだと琉架はこの生活を捉えている。失敗しても、前進できなくても、琉架はいつだって笑って和唯を許してやるだけだ。

「あ、琉架さんそろそろ支度した方がいいんじゃないですか? 美容院の予約何時ですか?」

 壁掛け時計を確認し、和唯がずいぶんとのんびりしている琉架を急かす。

「ん……準備してくる」

 琉架が席を立ち、着替えのために寝室のクローゼットに向かった。先に琉架の分の食器だけでも下げようかと和唯が立ち上がったとき、寝室の方から和唯に向けて琉架が大きな声を上げた。

「和唯ー、ちょっと、ソファ座って待ってて」
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