ビターシロップ

ゆりすみれ

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“拾った男は【フォーク】だった”

1-2 コンビニ弁当に謝れ!

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「どうぞ、召し上がれ」

 琉架のマンションに連れてこられた行き倒れの男は、あれよあれよという間にダイニングチェアに座らされていた。暖房も入り、部屋はとてもあたたかい。雪で冷えていたからだがゆっくりとほぐれ始める。

 部屋に入ると、まず琉架は客用のスリッパを出して男に履かせた。そのまま玄関で雪に濡れた男のアウターを預かり、浴室乾燥機にかける。さっきコンビニで買ってきた弁当をレンジにかけ、同じ袋に入れてきたミネラルウォーターと一緒に男の前に出すと、琉架は召し上がれと言って男に笑いかけた。

 あまりの手際の良さに男が若干の居心地の悪さを感じていることには気づけず、琉架はほら食えと男に目配せする。

「でもこれ、あなたが今から食べるために買ったごはんですよね……いただくわけには……」

「遠慮すんなって、オレはあとでカップ麺とか食うし。この弁当さ、オレがいちばん好きなやつな。人気商品だからこんな時間だと滅多に残ってねぇんだよ。絶対うまいから食ってみな」

 琉架はダイニングテーブルをはさんで男の向かい側に座った。男の前に出したスタミナ牛カルビ弁当を誇らしげに見たあと、目の前の男とちゃんと顔を合わせる。

「おまえ名前は? 知らねぇと呼びにくい」

「……汐屋しおや和唯かずいと言います」

「オッケー、和唯ね。オレは咲十さとう琉架るか、26歳」

「咲十、さん……」

「琉架でいいよ、みんなそう呼んでる。和唯は何歳?」

「22です……」

「22か。ね、なんであそこで倒れてたの? 家この辺?」

「質問攻めですね……」

「あ、悪ぃ、弁当食っていいよ。食いながら話聞かせてよ、なんかおもしろそ」

 琉架は正面から改めて和唯を眺めた。ひょろっとはしているが、素材は悪くなさそうな綺麗な男である。男らしいしっかりとした眉に一重の切れ長の目がよく合い、全体を賢そうな雰囲気に仕上げている。身なりにあまり関心がないのかくたびれたグレーのニットを着ていて、短く清潔に整えられてはいるものの髪型にも無頓着むとんちゃくそうだった。自分自身を商品として大事にしている琉架にとっては対極にいるような男だったが、遠ざけたい感じは何故かしなかった。琉架の周りにいる同業者も、商品としての自分に時間や金を掛けるきらびやかな男が多いので、これは異種の男に対する単純な興味だと琉架は思う。

 和唯は本当にしばらくちゃんと食べていないのがすぐわかるくらいにげっそりと痩せた顔をしていて、瞳もどこかうつろだった。会話こそ普通にできているが、おそらく体力はもうほとんど残っていないのだろう。気力だけでそこに座っているような和唯に気づいて、琉架はいよいよ心配になった。

「ごめん、話とかやっぱいいわ。とにかくおまえそれ早く食え。腹減って倒れてたんだろ? 食わねぇと死ぬぞマジで」

「いえ、あの、お気遣いはうれしいんですが……」

 箸すら持とうとしない和唯に焦れて、琉架が少し強めに言う。

「金なくて食えてなかったんだろ? 弁当ひとつで、あとで金払えとか言わねぇから、な?」

「……えっと、お金はあるんです。ついこの間まで、結構いいホテルのレストランで、コックをしていたので……」

 コックをしていたと聞いて、琉架が呆れた声を出した。

「はぁ? じゃあなんでそんなボロボロになるまで食ってねぇんだよ? 真面目に毎食食えよ。コックが栄養管理できねぇとかアホだろ」

「すみません。……味が……」

 目を伏せて申し訳なさそうに、弱っている和唯がつぶやく。

「あー? ……おまえ、まさか、そういうこと?」

 琉架が何かに勘付いたように和唯をじっと見た。さてはおまえ……と琉架に鋭い眼を向けられた和唯が、ますます居心地悪そうに縮こまる。

 味、という単語が琉架に引っかかった。その単語だけはいつも妙に琉架を苛立たせる。

「……おまえ、コンビニの弁当は食えねぇってことか?」

「……え?」

「和唯おまえ、ホテルのコックだからって、コンビニ弁当バカにしてるってことか!? コンビニの味は食えないって? 久しぶりに買えたからオレ食うのめちゃくちゃ楽しみにしてたのに、せっかく出してやったスタ牛弁当侮辱すんのかよ!」

「え? いや、待ってください……」

 何故か急に突っかかってきた琉架に和唯が困惑する。

「いいレストランで高級な飯作ってるやつはやっぱプライドたけぇの? 腹減って死にそうになってても庶民の味は食えないわけ? さぞかし舌が肥えてるんだろうな」

「違います……俺は……」

「コンビニ弁当に謝れ! コンビニ弁当作ってるやつにも! ついでにコンビニで頑張って弁当売ってるおじさんにも謝れ!」

 さっき琉架に人生これからと言ってくれたコンビニ店主の穏やかな顔を思い出し、バカにするなと琉架が怒る。

「バカにしてるなんて……そんなこと、思ってるわけないじゃないで、す、か……」

 琉架に押しつけられた言いがかりを否定しようと和唯が思わず席を立つと、体力の限界に来ていた和唯がそのままふらっと倒れそうになった。

「! あぶね……」

 琉架は慌てて立ち上がり向かいの和唯を支えようと走り寄るが、抱きとめようと伸ばした手は一歩遅く、その場で倒れる和唯に巻き込まれる形で琉架も一緒に床に崩れた。

「イッテー……」

 和唯の重みを支えきれなかった琉架が、床に尻餅をついて痛がる。気を失っているような和唯は琉架に抱きかかえられた状態で、かろうじて細く息をしていた。

「おい、和唯!? 大丈夫か!? おまえやっぱちゃんと病院行った方が……」

 意識を引き戻そうと琉架が声を掛けながら和唯の背中を叩くと、和唯はその声に導かれるようにそっとまぶたを上げた。

 そして、また知る。

 ──むせるような、あまい香り。

 まるで鼻先に暴力を振るわれたかのように激しく、その強くあまったるい匂いは和唯の鼻腔びこうに容赦なく侵入した。初めて至近距離で嗅ぐその魅惑的でありがえない香りに、和唯は手放しかけていた意識をしっかりとたぐり寄せる。

 無になった世界で、ただひとつずっと探し求めていたもの。

 意識を取り戻す代わりに、和唯は気がふれた。

「!?」

 倒れないように自分を支えてくれていた琉架の肩を、和唯は荒々しく鷲掴わしづかみにする。

「は!? 何!?」

 抵抗する思考と暇を琉架に与えないまま、和唯はためらうことなく琉架にくちづけた。

「……ん!?」

 思考が追いついていない琉架と、正気でない和唯は、互いに大きく目を見開いたまま口唇を合わせている。合わせたまま和唯の体重で、琉架は床に押し倒された。

 和唯に乗り上げられた状態で、琉架はキスをされていた。こじ開けられた口に、和唯の舌が無理やり入ってくる。入ってきた舌は琉架の口の中を一通り暴れると、口内の唾液をすべてすするかのようにきつく吸い上げてきた。

「んんっ……!」

 これはキスなどという愛らしい行為ではなくただの搾取さくしゅ行為だと、こういう人間を数え切れないほど見てきた琉架はすぐに気づいた。次に口唇を離したら和唯がなんと言葉を発するのかも、琉架にはもうわかっている。

 息継ぎで口唇を離した和唯が、自分の体重で床に押さえつけている琉架の顔を見て、息を乱しながらうっとりと言った。

「あまっ……」

 答えを言い渡されて、琉架が小さく言う。

「……おまえ、フォークだったのか」

 そこに返事はなく、フォークの本能に身を支配されている和唯は口唇を離している数秒も惜しいというようにまた琉架にくちづけた。琉架に逃げられないように、和唯は更に体重をかけて琉架を床に固定する。横たわる琉架を夢中で食らう。

「んっ……ん……」

 あんなに夜道の背後に警戒してこうならないことを回避していたはずなのに、琉架は自らの親切でフォークを拾ってきてしまった。区別がつかねぇとはいえマジでアホじゃん……と、琉架はため息をつく隙すら与えられない和唯の欲をただ静かに受け止める。暴れて拒絶することもできるが、変に刺激してこれ以上の行為を求められたり危害を加えられたりする方が厄介だと、琉架はすぐに抵抗をあきらめた。

 気の済むまで与えてやればいつか食事は終わる。職場でも、職場ではない場所でも、ケーキの琉架はいつもこうやって目を閉じて時間が過ぎるのを待った。

 触れている部分から、まったく自制心が働いていなさそうな粗暴な熱を感じて、和唯はおそらく今初めてケーキを食らったのだろうと琉架は思った。【Vanillaヴァニラ】でも初めてケーキを舐めた客は、こんな風に理性をなくして暴走することがよくある。

 仕方がない。舌が何も感じない無の世界で生き続けなければならないフォークにとって、ケーキの極上のあまさは唯一無二の天国への引き金なのだ。

「はっ……ん、……っ」

 あまい唾液の搾取さくしゅ行為だとしても、キスはキスだった。ずいぶんと長い時間和唯に舌を入れられ続け、琉架がこぼす息も徐々に荒くなる。フォークとしてむさぼっている和唯に性的な意味はなくても、客に喜ばれるために長い年月をかけてそういう風にからだを仕上げてきた琉架は、初対面の男にくちづけられてもしっかりと下半身がうずいた。食われて興奮すれば客は喜びまた次の予約を入れてくれるからと、琉架は自分のからだにボーイとしての生き方を教え込んでいる。

「んっ、はっ……かず、い、……ちょっ、と、もう……やめ……」

 口唇をわずかに解放された隙をついて、琉架が和唯に訴える。

 やば、勃ちそ……と焦った琉架が、さすがにもう充分だろうと覆い被さっている和唯を退けるために腕を伸ばした。こんな密着状態で勃たせたらすぐにバレて変態扱いされると怖れた琉架が、ありったけの力で和唯を押し戻したとき、頬に生あたたかいしずくがぽたっと落ちてきた。

「……?」
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