ビターシロップ

ゆりすみれ

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“拾った男は【フォーク】だった”

1-1 腹減ってんの?

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 拾った男は【フォーク】だった──。



「おつかれー」

 事務所のドアを開けながら、咲十さとう琉架るかはまだ残っている後輩たちに向けて上がりの挨拶をする。

「琉架さん、おつかれっしたー」

「おつかれさまです」

 後輩たちの声を背中で聞きながら、琉架は事務所を出た。エレベーターに乗って1階まで行き、照明がやたら少ない薄暗いビルを出ると、外は雪がちらついていた。人の足が入らないような場所にはすでにうっすらと雪が積もり始めている。

「げっ、雪……」

 一人なのに琉架は思わずそう口に出してしまい、どうりで寒いわけだとモカブラウンのチェスターコートの前をしっかりと閉めた。マフラーを忘れたことを激しく後悔し、仕方なくポケットに両手を突っ込んで帰路を歩き出す。

 ちょうど日付が変わる頃の時間だった。琉架のマンションと職場は徒歩圏内にあって歩いて15分程度だが、深夜帯に歩くこの15分は琉架にとっていつもあまり穏やかではなかった。とにかく背後に気を配り、誰にもつけられていないことを常に確認する。襲われるときはいつも必ず背後からだ。

 男のくせに夜道でびくびくしなきゃなんねぇなんてアホくさ……と思って、もう13年である。いつの間にか人生の半分をそういう気持ちで生きてきたことに琉架は呆れ、そしてあきらめた。

 琉架は己が【ケーキ】であることを知った13の時から、ずっとそうやって生きている。そういう生き方しかないのだと、琉架はもうあきらめていた。

 この世界には三種類の人間が存在する。【ケーキ】と呼ばれる食われる人間と、【フォーク】と呼ばれる食う人間、そしてそのどちらでもない【その他の人間】だ。ケーキもフォークもその他の人間も、見た目は何も変わらない普通の人間である。違うのは【味】だ。

 雪が少し強くなってきた。琉架は変わらず背後を気にしながら、帰路の途中にあるコンビニに入った。帰り道でここのコンビニに入るのは琉架のルーティンで、明かりも人も存在するここは家までの暗い夜道の中で唯一警戒を解ける場所だった。

 奇跡的に売れ残っていたお気に入りの弁当とミネラルウォーターを選んで、琉架はレジに向かう。 

「今日これ残っててラッキー。遅いとだいたい残ってねぇのに」

 レジに商品を置きながら、琉架は店主の男に話しかけた。

「おぅ、琉架ちゃんおつかれ。今夜は一段と冷えるねぇ。雪、積もんないといいけど」

 琉架をちゃん付けで呼ぶ年配のコンビニ店主は、店の外を眺めながら心配そうにそう言った。この古いコンビニは琉架がこの街にやって来た10年前から変わらずここにあって、自炊をまったくしない琉架にとってその頃からずっと大きな冷蔵庫だった。10代の頃から琉架を知っている店主は、孫のように思っている琉架を親愛を込めてそう呼んでいる。

「だね。雪だと客減るし、あんま降ってほしくねぇわ」

 スマホを出して決済しながら、琉架が淡々と言う。

「琉架ちゃんは少しくらい客減ったって痛くも痒くもないだろ、売れっ子なんだから」

「まぁね。オレはいいけど、あんま稼げてねぇ若い子たちは可哀想じゃん?」

 さっき店に残してきた後輩たちを思い浮かべて、琉架が雪を心配する。みんなそれぞれの事情でまとまった金が必要だったり、生きるためにここで働くしかないようなやつばかりだ。

「いつの間にか琉架ちゃんもすっかりいい先輩だねぇ」

「オレももういい歳だよ」

「まだ26だろう? 何言ってんだよ、これからこれから」

 人生の大先輩にこれからと言われて、琉架が小さく苦笑する。

 これからの人生に何があるのだろう? からだを売ることしかできないのに。

「じゃね。寒いから、おじさんもあったかくしなよ」

 レジ袋に入れてもらった商品を手に取り、琉架はコンビニを出た。油断が許されない夜道にまた戻る。

 【ケーキ】は生まれながらにして極上のあまさを持つ人間だ。肉も、皮膚も、髪も、唾液や血液などの体液に至るまですべてがあまい。そしてケーキのそのあまさを感じることができるのは、【フォーク】と呼ばれる人間だけだ。ケーキが生まれつきのものであるのに対し、フォークはなんらかの理由で後天的に発症し、一切の味覚を失う。

 味覚を失ったフォークは、唯一【味】を感じられるケーキを激しく求める。味覚を失ってはいるものの通常の食事で腹を満たすことはできるので、ケーキを食べなければ死ぬということはないのだが、その極上のあまさの誘惑にあらがえず、ケーキを前にすると自制がきかなくなり襲ってくるフォークもいる。

「マジで寒っ……」

 あまりの寒さにまたひとりごとを言ってしまったが、琉架は警戒を怠ることなくマンションまでの夜道を歩き続ける。両手をこすり合わせて息を吹きかけるが、まったくあたたかくならない。

 ケーキやフォークは見た目では判別できない。ケーキ自身にも自覚はなく、フォークに出会って初めて自分がケーキであることを知る。フォークは唯一、香りや味でケーキを見つけられる。フォークはケーキの出すあまい香りに吸い寄せられてケーキを見つけ、それを食べたがる。誰がフォークなのかこちらからはまるでわからない世界で、琉架は今日も背後を気にしながら家に帰る。琉架はそういう世界の、ケーキとして生きていた。

 今日は五人。琉架は雪の中を歩きながら、今日相手した客の人数を数えた。客の顔は思い出さずに、単純な数字だけを思い浮かべる。

 琉架はフォーク専用のウリ専【Vanillaヴァニラ】という店のボーイとして働いていた。フォークの人間しか利用できないそこで働いているボーイは全員がケーキの人間で、フォークは金を払ってケーキを食べに来る。ケーキもフォークも希少な部類の人間なので、日常的に偶然出会う確率はあまり高くはない。ケーキを食べたいが身近に食べさせてくれるケーキがいないフォークは、極上のあまい味を高値で買うことをまったくいとわない。よくできた商売だと、琉架は店に入った当初ひどく感心したものだ。

 琉架は五人に提供したサービスを思い返す。唾液、唾液、汗、涙、そして精液。

 通常のウリ専と違って【Vanillaヴァニラ】では、ボーイであるケーキが提供する体液の種類で料金が変わる。提供するのが比較的楽な汗や涙は低料金、血液や精液になると価格はぐっと上がってくる。フォークの客は、店内の個室でケーキとのプレイ中に、あまい体液を思う存分舐めたり飲んだりできるというシステムだ。

 今日もまぁよくからだ中を舐め回されたなと、琉架は少し他人事のように思う。精液に金を払った本日最後の客は琉架の昔からの固定客で、琉架を激しく突いたあと、触れてもない琉架の勃起した芯からどくどくとあふれるあまい蜜を一滴残らず舐めるのが好きだった。

 凍えるからだを抱くようにしながらそんなことを考えていると、道の真ん中に何か大きなものが存在しているのを琉架は捉えた。暗くて何かはよくわからないが、とにかく何かがそこにある。ここはすでに琉架のマンションの前の道だった。

「え……何?」

 琉架はその大きな物体におそるおそる近づいた。

「人……?」

 そっと近づいて確認すると、それはうつ伏せで倒れている人間の男だった。動いていない。

「お、おい、大丈夫か? え? 生きてる……?」

 黒いアウターに茶系のボトムスという格好の黒髪の男が、道でうつ伏せになっている。倒れてから時間が経っているのか、全身にはほんのりと雪が積もり始めていた。

「何……? 酔っぱらい……? と、とりあえず救急車……」

 琉架が慌ててスマホを取り出そうともたついていると、

「……救急車は、大丈夫、です……」

 と、消え入りそうな細い声でうつ伏せたままの男が言った。

「お、生きてた、よかった……。おまえ大丈夫? 酔ってんの?」

 とりあえず生きていたことに安堵し、琉架がしゃがんで男に話しかける。

「……酔って、ないです」

「体調悪ぃ? やっぱ救急車呼んだ方がよくない?」

 どのみち自分の手には負えないと、琉架はやはり助けを呼ぶべきだと提案する。

「……ちが、あの……お腹、空いてて……」

「え?」

 予想外の男の言葉に、琉架が拍子抜けした。

「おまえ、腹減ってんの? 腹減って、道で倒れてたの?」

「……すみません、いろいろあって、しばらく食べられてなくて……」

 倒れてはいるが会話はしっかりとできる男に、琉架は笑ってはいけないと思いつつ少しだけ笑った。このご時世に飢えで倒れる人が本当にいるのかと驚き、それでもよく考えたら自分も若い頃に貧困で食えなくて行き倒れたことがあったのだと記憶を呼び戻す。笑っている場合じゃなかった。16のとき風俗店が集まる路地裏で行き倒れていたところを拾ってくれたのが、今の勤め先である【Vanillaヴァニラ】の店長だった。

「腹減ってるだけならうち来る? すぐそこのマンションだし、たいしたもんは出せねぇけど……ほら、コンビニの弁当食わせてやろっか」

 琉架はほがらかにそう言って、さっき買ったコンビニの袋を掲げてみせる。

「……でもそれ、あなたのごはんでは……?」

 家に来るかと言われ驚いた男が、弱っているからだを無理やり動かし顔を上げた。親切に話しかけてきてくれた人の顔をじっと見る。そして、知った。

「……!?」

 ──あまい香り。

「ん? どした? とにかくここで倒れてても雪で凍え死ぬだけだから。立てる?」

 琉架は倒れている男を抱きかかえるようにして起こしてやり、なんとか立たせた。雪が積もった服も丁寧に払ってやり、男に肩を貸す。

「歩ける?」

「……ありがとう、ございます……。あなた、ちょっと、お人好し過ぎませんか……?」

 琉架に支えられてゆっくりと歩きながら、男が怪訝けげんそうに言った。男の方が琉架よりも少し大きいので、琉架はとても歩きにくそうにしている。

「え? そう? オレもガキの頃行き倒れたことあって、そんとき親切な人に助けてもらったから。親切ってそうやって連鎖させてくもんだろ?」

 別におかしなことではないと、琉架は明るく笑った。

「それに、おまえが救急車イヤって言ったんじゃん。さすがにこの雪の中倒れてる人置いて一人だけ帰る勇気ねぇわオレ。おまえが死んだらあとで呪われそう」

 支えてもらいながら琉架のそのやさしい言葉を聞き、男は顔を曇らせる。

「……警戒心、なさすぎ、です」

 男が弱々しくつぶやいたのを、大きな男を支えて歩くのに必死な琉架は聞いていなかった。

「え? なんか言った?」

「……いえ、何も」

 雪がはらはらと舞い落ちる真冬の深い夜、コンビニのレジ袋をガサガサと鳴らしながら、琉架は道に落ちていた男を拾って家に連れ帰った。
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