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⑯
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「おいどうなってんだよこれっー!!??」
朝のホームルームが終わり生徒たちが一限目の準備でガヤガヤやっているところへ、遅刻でホームルームに間に合わなかった郁弥が叫びながら教室に滑り込んできた。
教科書やノートを用意していたクラスメートも、教壇で出席簿を片付けていた紘夢と百瀬も、一瞬何事かと手を止めて郁弥の入ってきた前方の出入り口に視線を向けるが、郁弥の奇行は日常茶飯事だったことを思い出すとすぐに各々の準備やら片付けやらに戻っていく。
「えぇー!? そんだけ注目しといて全員で無視かよっ!」
あまりにも冷ややかなクラスの空気に若干怯みながらも、郁弥はずかずかと教卓に向かい、手にしていたスマホを思いきり百瀬の顔の前に突き付けた。強く握りしめられたそれは怒りからか恐怖からか、必要以上にぷるぷると震えている。
「百瀬! なんだよこれっ!」
「なんだ……って、おまえの携帯じゃないのか」
「そうじゃねぇだろ! ケータイの中身! 画面! 書いてある文字! これ見ろって。百瀬、おまえのしわざなのか……?」
「しわざ? なんのことだかさっぱりだな。とりあえずおまえはこんなところで騒いでないでさっさと席につけ」
教室の中でこんな風に憤怒をあらわにして携帯を突き付けても表情ひとつ揺らがない百瀬に、郁弥は自分の方がまちがっているような気分になる。百瀬のその余裕に焦り、たとえまちがっていたとしても郁弥は味方が欲しくて、教室のいちばん後ろで面倒そうに教科書を鞄から出している親友の姿を視界に捉えた。
「ちょ! 桜助こっち来い! これ見てくれよぉ……」
半分泣きそうな声を出して、郁弥が桜助を大きく手招きする。
朝から面倒なことに巻き込まれたと激しく嫌そうな顔をするものの、郁弥には以前授業中に助けてもらった借りがあるといえばあるし、なんだかんだで希少な友人には違いないので、桜助は渋々席を立って郁弥のいる教壇へ出向いた。
桜助は手招きで導かれるままに自由すぎる親友に近づき、郁弥のスマホをまじまじとのぞき込む。
「!?」
郁弥のスマホに表示されていたのは紛れもなく憎むべき『Bloody Swan』だったのだが、その画面にいとしい人の名前は見当たらない。代わりに目の前で何故か泣き崩れそうになっている神崎郁弥と、素知らぬ顔で名簿やプリントを整理している百瀬智風の名が連なっていた。
「貸して」
桜助は弱っている郁弥から携帯を奪うようにして取り上げると、自分の指で画面をスクロールさせ記事を読み進めた。
「これ……どういうことだ……?」
昨日の夕方、百瀬と屋上で話したあとにサイトを見たときは確かに紘夢と百瀬の話題のままだった。紘夢への誹謗中傷が続いているのも見紛うことなく確認したはずだった。百瀬が教育実習生としてここにやって来てからずっとその二人の噂で持ち切りだった裏サイトはたった一晩にして、女好きの郁弥と堅物そうな百瀬という予想だにしなかった二人が付き合い始めたという一大スクープにすり替わっていた。
「おい百瀬! しらばっくれてんじゃねぇよ! おまえ完全にグルだろ! 生徒会の手に落ちたか! ワイロか!」
郁弥が百瀬に向かってきゃんきゃんと無駄吠えしている隣で、桜助はじっくりとサイトに目を通していく。
《女タラシで有名なあの神崎郁弥が、ストイック代表の教育実習生・百瀬智風にまんまと掘られた!》
《今まで女にしか興味を持てなかった神崎だったが、百瀬のスーパーテクで男しか愛せないからだに!》
《最初は百瀬が神崎の顔に一目惚れで、嫌がる神崎に構わず無理やり掘ったらしいのだが、そこで百瀬のからだにすっかり魅了された神崎の方が今では彼にご執心のようで、百瀬に抱いてもらうために毎晩家まで押しかけているらしい》
《百瀬は教育実習の忙しさを抱えながらも、自分を必死に求める神崎があまりにも可愛くて毎晩欠かさず抱いてやっているとか》
《神崎は女とは寝たい放題だったけど、男とは百瀬が初めて。新しい世界を教えてくれた百瀬にガチで惚れてしまった》
《おかげでもうまったく女を抱く気にならないと神崎は周りにもこぼしているらしく、校内の元カノが二桁というタラシの記録はここでストップするかと思われる》
郁弥と百瀬ができていると伝える記事には百瀬自身の証言や証拠に見えないこともないこじつけの写真までご丁寧に載せられていて、悪ふざけが大好きな閲覧者たちにとってはすでに格好の暇潰しになっているようだった。書き込みも郁弥と百瀬に対する冷やかしばかりになっていて、昨日までサイトを賑わせていたはずの紘夢の話題はまるで初めから存在していなかったかのように綺麗に抹消されていた。
桜助はぞわっと鳥肌が立つのを感じながら郁弥とやり合っている百瀬をちらっと見て、またスマホに視線を戻した。本当に全部消えているのか、もう一度よく確認する。
「グル? 賄賂? そんなことをしゃべる暇があったら早く一限の準備をしろ。ただでさえおまえは遅刻をしている」
百瀬は相変わらずの無愛想で郁弥を突き放す。
「なぁ、生徒会のやつらに騙されたか脅されたかで、無理やり言わされたんだろ!? 何おまえ証言しちゃってんの? なんで付き合ってるとか言っちゃってんの? つうか、スーパーテクって何……? とっ、とにかく、でたらめなことばっか言いやがって……これ全部今すぐ訂正しろよな!」
予想以上に郁弥が騒ぐのがおもしろくて、百瀬がそっと目元を緩ませた。
「……でたらめ? まぁ今のところはまだ、でたらめか」
「はぁ? 何言って……」
次の瞬間、百瀬は教壇から教室内をぐるりと見回し誰も自分たちに注目していないことを確認すると、突然信じられないほどに艶めいた顔を郁弥にだけ向けた。目の力だけで郁弥を喰らい尽くせるような、獣じみた強い眼。いつの間にか見慣れてしまった憎めない無愛想が、獲物を罠に導くだけの狡猾な悪になる。百瀬は郁弥の耳元に口唇をぐっと近づけると、郁弥にだけ聞こえる色欲にまみれた声で小さくささやいた。
「そこに書かれていることは、これから起こること。これから俺が起こそうとしてる未来のこと。もうすぐ全部真実になるから気にすんな」
「なっ!?」
言葉の衝撃で、郁弥の目が大きく見開かれる。
「神崎のこと、この教室に初めて入った瞬間から一目惚れだった。おまえの顔、マジで最高に好み。今まで見た男の中でいちばん好き」
ほとんど耳朶を舐められそうな近い距離でしれっとあまくそう言われ、郁弥はその告白の潔さと肉感的なささやきに不覚にも胸をときめかせてしまった。
「は!? 何!? オレ今どきんってなった!? なったよな? なんだこれ!? バカだろ! 意味わかんねぇんだけど!」
動揺のあまりわずかにあったはずの冷静というものをすっかり手放してしまった郁弥は、おそらく心に留めておかなければならない想いまで全部を口に出してしまう始末だ。
「動揺したのか? 思った以上に可愛いな。そういう顔もっと見たい」
卑怯な追撃に、郁弥の状況把握能力はどんどん狂っていく。
「バカだろおまえ! いや、オレがバカだろ! えぇー!? どきんってなんだ!? どきんって乙女かよっ!?」
郁弥はイヤイヤイヤ……と首を思い切りブンブンと横に振って邪念を払い、勝手にそばに寄ってきていた百瀬の肩を強く突き飛ばした。学校一の女好きチャラ男が男を前に微かに赤面していることは、対面で郁弥の反応を楽しんでいる百瀬にしか見えていない。
「おまえ顔赤い。まんざらでもないとか? 俺チャンスあるのか。ダメ元でも言ってみるもんだな」
「バ、バカじゃねぇの!? オ、オレは、男はダメだって言ってんだろ!? ……あれ? 百瀬じゃなくて桜助に言ったんだっけか? いやいや、でもさ! 男はダメだ、ろ……? ダメだよな!?」
自尊心のようなものを激しく傷つけられた郁弥は、血の気が引いた青ざめた顔で疲弊して、それでも必死に百瀬に噛み付いている。
そんな郁弥と百瀬を横目に、桜助はクラスメートの視線を気にしながら目立たないようにそっと紘夢に近づいた。紘夢は二人のやり合いを愉快そうに背中で聞きながら、黒板を几帳面に消している。
「どういうこと? 昨日までは何も変わってなかったのに」
小声で桜助が尋ねると、紘夢はクリーナーを大きく動かしたままさりげなく桜助に視線を流す。
「……百瀬な、パソコンが結構得意みたいでさ」
「まさか、サイトを乗っ取ったのか?」
「さぁ? どうやってやったのかは知らないけど。ま、あいつは元生徒会だから、おれたちが知らないこと知っててもおかしくないだろ」
「それにしたってさ、これはやり過ぎじゃね? さすがに同情してやるよ郁弥に」
桜助が騒がしい親友を憐れむ。
「女好きの郁弥にはちょっと刺激が強すぎたね」
昨日百瀬が任せておけと言っていたのはこういうことだったのかと、桜助は納得したような、呆れて気が抜けたような複雑な気持ちの中に心を泳がせる。紘夢との記事を抹消するだけならともかく、まさか郁弥との噂をわざわざ捏造してサイトに載せるとは思いもしなかった。
百瀬がおもしろおかしく記事をでっち上げてくれたおかげで、利用者の興味はまんまと郁弥と百瀬の異質カップルに向いている。おそらく誰もこの記事を信じてはいないだろうが、冷やかして遊ぶには充分な餌だ。紘夢と百瀬の噂はそのうち忘れ去られていくだろうと、桜助は百瀬の粋な企みにやり過ぎだと感じながらも感謝せざるを得なかった。
自分を犠牲にしてまで変に他人思いなところは郁弥と似ているのかもしれないと、桜助は表面上ではうまく混ざらない色同士のような二人を思う。
「……おまえの悪口全部消えてた。百瀬に借り作ったな……明日で実習終わるし、返せそうもねぇけど」
桜助が申し訳なさそうにつぶやく。
「うん、それなんだけどさ、別に借りとか思わなくていいかも」
「なんで?」
「あいつさ、郁弥のこと本気なんだよ」
「……は?」
桜助は紘夢の言ったことが瞬時には飲み込めなかった。ゆっくり咀嚼して噛み砕かないと、その衝撃的な発言を理解することができない。
「書いてあることは百瀬の願望っていうか夢っていうか……ま、ちょっと脚色しすぎだとは思うけど」
紘夢はあまり桜助を見過ぎないように注意しながらこっそりと教えてやる。
「昨日の帰りに突然打ち明けられてさ……びっくりしたけど、相手が郁弥なのはなんかちょっと安心した。郁弥めちゃくちゃいい子だもんな。本気だって言うんならおれは応援したい」
「本気……? 願望……? 応援……? ダメだ、頭ついていかねぇ」
想像の斜め上の展開に、桜助は深く考えるのを即座に放棄した。
「うん、だからね、百瀬としては公開告白っていうか、俺のものにする宣言っていうか、別におれの悪口とかを気にしてやったわけじゃないと思うんだ。むしろおれと噂されてることの方が嫌だったんだろ、嘘ばっかだったし」
屋上での任せとけを知らない紘夢は無邪気にそんなことを言う。実は最強の味方によってこっそりと守られていたということは、紘夢はこの先も知らなくていいと桜助は思った。
「あいつ、あんな堅物そうなツラして、やること結構タチ悪いのな」
「百瀬が堅物? あいつは天性の男タラシだよ? おれの生徒だったときからそうだった。毒牙にかかって、落ちた男いっぱいいたみたいだよ」
今より少しだけ若かった頃の百瀬の男タラシぶりを思い出したのか、楽しそうに紘夢が笑う。
百瀬の正体を聞いて桜助は一瞬驚くが、その思い出が紘夢にとってやさしく思い返せるものでよかったと心から思う。
「落ちた男いっぱいいた……って、百瀬普通にやべぇやつじゃん」
──そういう紘夢は、落ちなかった男なんだろ?
百瀬の誘惑に流されることなく、数年後に出逢う自分の手を取ってくれた奇跡を桜助はまっすぐに信じる。
「……ありがと」
──俺を、選んでくれて。
「ん?」
クリーナーを置き、紘夢がきょとんとしているところへ、蒼白な顔で現実から目を背けたがっている郁弥が飛び込んでくる。
「ちょっと何二人で和んでんの! オレを助けろって! 徳ちゃん、百瀬にこれ全部撤回するように言ってくれよ!」
そう言って郁弥は紘夢にもスマホの画面を突き付けて、最後の頼みの綱のように助けを求めた。
「えー、やだよ。……郁弥、悪あがきはみっともないよ、あきらめなさい。百瀬いい男だし、よくない?」
「よくねぇよ! 何言っちゃってんの徳ちゃん!? じゃあ桜助! おまえがなんとかしろ!」
矛先が自分に向くと、ふと桜助は借りを返すならここかと思ってちょうどよく加勢する。
「いいじゃん、ホントに付き合ってみれば? 女タラシのおまえが男タラシに落とされるのもおもしれぇわ」
「はぁ? 誰が男タラシ……? つうか二人してなんなの!? オレ味方いねぇの!?」
騒ぎ疲れてボロボロになっている郁弥と、まったく悪びれる様子もなく偉そうに郁弥を見つめている百瀬と。
おそらく自分たちの頼もしい味方であろう二人を見守りながら、桜助と紘夢は顔を見合わせてこっそりと微笑み合った。
朝のホームルームが終わり生徒たちが一限目の準備でガヤガヤやっているところへ、遅刻でホームルームに間に合わなかった郁弥が叫びながら教室に滑り込んできた。
教科書やノートを用意していたクラスメートも、教壇で出席簿を片付けていた紘夢と百瀬も、一瞬何事かと手を止めて郁弥の入ってきた前方の出入り口に視線を向けるが、郁弥の奇行は日常茶飯事だったことを思い出すとすぐに各々の準備やら片付けやらに戻っていく。
「えぇー!? そんだけ注目しといて全員で無視かよっ!」
あまりにも冷ややかなクラスの空気に若干怯みながらも、郁弥はずかずかと教卓に向かい、手にしていたスマホを思いきり百瀬の顔の前に突き付けた。強く握りしめられたそれは怒りからか恐怖からか、必要以上にぷるぷると震えている。
「百瀬! なんだよこれっ!」
「なんだ……って、おまえの携帯じゃないのか」
「そうじゃねぇだろ! ケータイの中身! 画面! 書いてある文字! これ見ろって。百瀬、おまえのしわざなのか……?」
「しわざ? なんのことだかさっぱりだな。とりあえずおまえはこんなところで騒いでないでさっさと席につけ」
教室の中でこんな風に憤怒をあらわにして携帯を突き付けても表情ひとつ揺らがない百瀬に、郁弥は自分の方がまちがっているような気分になる。百瀬のその余裕に焦り、たとえまちがっていたとしても郁弥は味方が欲しくて、教室のいちばん後ろで面倒そうに教科書を鞄から出している親友の姿を視界に捉えた。
「ちょ! 桜助こっち来い! これ見てくれよぉ……」
半分泣きそうな声を出して、郁弥が桜助を大きく手招きする。
朝から面倒なことに巻き込まれたと激しく嫌そうな顔をするものの、郁弥には以前授業中に助けてもらった借りがあるといえばあるし、なんだかんだで希少な友人には違いないので、桜助は渋々席を立って郁弥のいる教壇へ出向いた。
桜助は手招きで導かれるままに自由すぎる親友に近づき、郁弥のスマホをまじまじとのぞき込む。
「!?」
郁弥のスマホに表示されていたのは紛れもなく憎むべき『Bloody Swan』だったのだが、その画面にいとしい人の名前は見当たらない。代わりに目の前で何故か泣き崩れそうになっている神崎郁弥と、素知らぬ顔で名簿やプリントを整理している百瀬智風の名が連なっていた。
「貸して」
桜助は弱っている郁弥から携帯を奪うようにして取り上げると、自分の指で画面をスクロールさせ記事を読み進めた。
「これ……どういうことだ……?」
昨日の夕方、百瀬と屋上で話したあとにサイトを見たときは確かに紘夢と百瀬の話題のままだった。紘夢への誹謗中傷が続いているのも見紛うことなく確認したはずだった。百瀬が教育実習生としてここにやって来てからずっとその二人の噂で持ち切りだった裏サイトはたった一晩にして、女好きの郁弥と堅物そうな百瀬という予想だにしなかった二人が付き合い始めたという一大スクープにすり替わっていた。
「おい百瀬! しらばっくれてんじゃねぇよ! おまえ完全にグルだろ! 生徒会の手に落ちたか! ワイロか!」
郁弥が百瀬に向かってきゃんきゃんと無駄吠えしている隣で、桜助はじっくりとサイトに目を通していく。
《女タラシで有名なあの神崎郁弥が、ストイック代表の教育実習生・百瀬智風にまんまと掘られた!》
《今まで女にしか興味を持てなかった神崎だったが、百瀬のスーパーテクで男しか愛せないからだに!》
《最初は百瀬が神崎の顔に一目惚れで、嫌がる神崎に構わず無理やり掘ったらしいのだが、そこで百瀬のからだにすっかり魅了された神崎の方が今では彼にご執心のようで、百瀬に抱いてもらうために毎晩家まで押しかけているらしい》
《百瀬は教育実習の忙しさを抱えながらも、自分を必死に求める神崎があまりにも可愛くて毎晩欠かさず抱いてやっているとか》
《神崎は女とは寝たい放題だったけど、男とは百瀬が初めて。新しい世界を教えてくれた百瀬にガチで惚れてしまった》
《おかげでもうまったく女を抱く気にならないと神崎は周りにもこぼしているらしく、校内の元カノが二桁というタラシの記録はここでストップするかと思われる》
郁弥と百瀬ができていると伝える記事には百瀬自身の証言や証拠に見えないこともないこじつけの写真までご丁寧に載せられていて、悪ふざけが大好きな閲覧者たちにとってはすでに格好の暇潰しになっているようだった。書き込みも郁弥と百瀬に対する冷やかしばかりになっていて、昨日までサイトを賑わせていたはずの紘夢の話題はまるで初めから存在していなかったかのように綺麗に抹消されていた。
桜助はぞわっと鳥肌が立つのを感じながら郁弥とやり合っている百瀬をちらっと見て、またスマホに視線を戻した。本当に全部消えているのか、もう一度よく確認する。
「グル? 賄賂? そんなことをしゃべる暇があったら早く一限の準備をしろ。ただでさえおまえは遅刻をしている」
百瀬は相変わらずの無愛想で郁弥を突き放す。
「なぁ、生徒会のやつらに騙されたか脅されたかで、無理やり言わされたんだろ!? 何おまえ証言しちゃってんの? なんで付き合ってるとか言っちゃってんの? つうか、スーパーテクって何……? とっ、とにかく、でたらめなことばっか言いやがって……これ全部今すぐ訂正しろよな!」
予想以上に郁弥が騒ぐのがおもしろくて、百瀬がそっと目元を緩ませた。
「……でたらめ? まぁ今のところはまだ、でたらめか」
「はぁ? 何言って……」
次の瞬間、百瀬は教壇から教室内をぐるりと見回し誰も自分たちに注目していないことを確認すると、突然信じられないほどに艶めいた顔を郁弥にだけ向けた。目の力だけで郁弥を喰らい尽くせるような、獣じみた強い眼。いつの間にか見慣れてしまった憎めない無愛想が、獲物を罠に導くだけの狡猾な悪になる。百瀬は郁弥の耳元に口唇をぐっと近づけると、郁弥にだけ聞こえる色欲にまみれた声で小さくささやいた。
「そこに書かれていることは、これから起こること。これから俺が起こそうとしてる未来のこと。もうすぐ全部真実になるから気にすんな」
「なっ!?」
言葉の衝撃で、郁弥の目が大きく見開かれる。
「神崎のこと、この教室に初めて入った瞬間から一目惚れだった。おまえの顔、マジで最高に好み。今まで見た男の中でいちばん好き」
ほとんど耳朶を舐められそうな近い距離でしれっとあまくそう言われ、郁弥はその告白の潔さと肉感的なささやきに不覚にも胸をときめかせてしまった。
「は!? 何!? オレ今どきんってなった!? なったよな? なんだこれ!? バカだろ! 意味わかんねぇんだけど!」
動揺のあまりわずかにあったはずの冷静というものをすっかり手放してしまった郁弥は、おそらく心に留めておかなければならない想いまで全部を口に出してしまう始末だ。
「動揺したのか? 思った以上に可愛いな。そういう顔もっと見たい」
卑怯な追撃に、郁弥の状況把握能力はどんどん狂っていく。
「バカだろおまえ! いや、オレがバカだろ! えぇー!? どきんってなんだ!? どきんって乙女かよっ!?」
郁弥はイヤイヤイヤ……と首を思い切りブンブンと横に振って邪念を払い、勝手にそばに寄ってきていた百瀬の肩を強く突き飛ばした。学校一の女好きチャラ男が男を前に微かに赤面していることは、対面で郁弥の反応を楽しんでいる百瀬にしか見えていない。
「おまえ顔赤い。まんざらでもないとか? 俺チャンスあるのか。ダメ元でも言ってみるもんだな」
「バ、バカじゃねぇの!? オ、オレは、男はダメだって言ってんだろ!? ……あれ? 百瀬じゃなくて桜助に言ったんだっけか? いやいや、でもさ! 男はダメだ、ろ……? ダメだよな!?」
自尊心のようなものを激しく傷つけられた郁弥は、血の気が引いた青ざめた顔で疲弊して、それでも必死に百瀬に噛み付いている。
そんな郁弥と百瀬を横目に、桜助はクラスメートの視線を気にしながら目立たないようにそっと紘夢に近づいた。紘夢は二人のやり合いを愉快そうに背中で聞きながら、黒板を几帳面に消している。
「どういうこと? 昨日までは何も変わってなかったのに」
小声で桜助が尋ねると、紘夢はクリーナーを大きく動かしたままさりげなく桜助に視線を流す。
「……百瀬な、パソコンが結構得意みたいでさ」
「まさか、サイトを乗っ取ったのか?」
「さぁ? どうやってやったのかは知らないけど。ま、あいつは元生徒会だから、おれたちが知らないこと知っててもおかしくないだろ」
「それにしたってさ、これはやり過ぎじゃね? さすがに同情してやるよ郁弥に」
桜助が騒がしい親友を憐れむ。
「女好きの郁弥にはちょっと刺激が強すぎたね」
昨日百瀬が任せておけと言っていたのはこういうことだったのかと、桜助は納得したような、呆れて気が抜けたような複雑な気持ちの中に心を泳がせる。紘夢との記事を抹消するだけならともかく、まさか郁弥との噂をわざわざ捏造してサイトに載せるとは思いもしなかった。
百瀬がおもしろおかしく記事をでっち上げてくれたおかげで、利用者の興味はまんまと郁弥と百瀬の異質カップルに向いている。おそらく誰もこの記事を信じてはいないだろうが、冷やかして遊ぶには充分な餌だ。紘夢と百瀬の噂はそのうち忘れ去られていくだろうと、桜助は百瀬の粋な企みにやり過ぎだと感じながらも感謝せざるを得なかった。
自分を犠牲にしてまで変に他人思いなところは郁弥と似ているのかもしれないと、桜助は表面上ではうまく混ざらない色同士のような二人を思う。
「……おまえの悪口全部消えてた。百瀬に借り作ったな……明日で実習終わるし、返せそうもねぇけど」
桜助が申し訳なさそうにつぶやく。
「うん、それなんだけどさ、別に借りとか思わなくていいかも」
「なんで?」
「あいつさ、郁弥のこと本気なんだよ」
「……は?」
桜助は紘夢の言ったことが瞬時には飲み込めなかった。ゆっくり咀嚼して噛み砕かないと、その衝撃的な発言を理解することができない。
「書いてあることは百瀬の願望っていうか夢っていうか……ま、ちょっと脚色しすぎだとは思うけど」
紘夢はあまり桜助を見過ぎないように注意しながらこっそりと教えてやる。
「昨日の帰りに突然打ち明けられてさ……びっくりしたけど、相手が郁弥なのはなんかちょっと安心した。郁弥めちゃくちゃいい子だもんな。本気だって言うんならおれは応援したい」
「本気……? 願望……? 応援……? ダメだ、頭ついていかねぇ」
想像の斜め上の展開に、桜助は深く考えるのを即座に放棄した。
「うん、だからね、百瀬としては公開告白っていうか、俺のものにする宣言っていうか、別におれの悪口とかを気にしてやったわけじゃないと思うんだ。むしろおれと噂されてることの方が嫌だったんだろ、嘘ばっかだったし」
屋上での任せとけを知らない紘夢は無邪気にそんなことを言う。実は最強の味方によってこっそりと守られていたということは、紘夢はこの先も知らなくていいと桜助は思った。
「あいつ、あんな堅物そうなツラして、やること結構タチ悪いのな」
「百瀬が堅物? あいつは天性の男タラシだよ? おれの生徒だったときからそうだった。毒牙にかかって、落ちた男いっぱいいたみたいだよ」
今より少しだけ若かった頃の百瀬の男タラシぶりを思い出したのか、楽しそうに紘夢が笑う。
百瀬の正体を聞いて桜助は一瞬驚くが、その思い出が紘夢にとってやさしく思い返せるものでよかったと心から思う。
「落ちた男いっぱいいた……って、百瀬普通にやべぇやつじゃん」
──そういう紘夢は、落ちなかった男なんだろ?
百瀬の誘惑に流されることなく、数年後に出逢う自分の手を取ってくれた奇跡を桜助はまっすぐに信じる。
「……ありがと」
──俺を、選んでくれて。
「ん?」
クリーナーを置き、紘夢がきょとんとしているところへ、蒼白な顔で現実から目を背けたがっている郁弥が飛び込んでくる。
「ちょっと何二人で和んでんの! オレを助けろって! 徳ちゃん、百瀬にこれ全部撤回するように言ってくれよ!」
そう言って郁弥は紘夢にもスマホの画面を突き付けて、最後の頼みの綱のように助けを求めた。
「えー、やだよ。……郁弥、悪あがきはみっともないよ、あきらめなさい。百瀬いい男だし、よくない?」
「よくねぇよ! 何言っちゃってんの徳ちゃん!? じゃあ桜助! おまえがなんとかしろ!」
矛先が自分に向くと、ふと桜助は借りを返すならここかと思ってちょうどよく加勢する。
「いいじゃん、ホントに付き合ってみれば? 女タラシのおまえが男タラシに落とされるのもおもしれぇわ」
「はぁ? 誰が男タラシ……? つうか二人してなんなの!? オレ味方いねぇの!?」
騒ぎ疲れてボロボロになっている郁弥と、まったく悪びれる様子もなく偉そうに郁弥を見つめている百瀬と。
おそらく自分たちの頼もしい味方であろう二人を見守りながら、桜助と紘夢は顔を見合わせてこっそりと微笑み合った。
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・話の流れが遅い
・本格的に嫌われ始めるのは2章から
αが離してくれない
雪兎
BL
運命の番じゃないのに、αの彼は僕を離さない――。
Ωとして生まれた僕は、発情期を抑える薬を使いながら、普通の生活を目指していた。
でもある日、隣の席の無口なαが、僕の香りに気づいてしまって……。
これは、番じゃないふたりの、近すぎる距離で始まる、運命から少しはずれた恋の話。
俺、転生したら社畜メンタルのまま超絶イケメンになってた件~転生したのに、恋愛難易度はなぜかハードモード
中岡 始
BL
ブラック企業の激務で過労死した40歳の社畜・藤堂悠真。
目を覚ますと、高校2年生の自分に転生していた。
しかも、鏡に映ったのは芸能人レベルの超絶イケメン。
転入初日から女子たちに囲まれ、学園中の話題の的に。
だが、社畜思考が抜けず**「これはマーケティング施策か?」**と疑うばかり。
そして、モテすぎて業務過多状態に陥る。
弁当争奪戦、放課後のデート攻勢…悠真の平穏は完全に崩壊。
そんな中、唯一冷静な男・藤崎颯斗の存在に救われる。
颯斗はやたらと落ち着いていて、悠真をさりげなくフォローする。
「お前といると、楽だ」
次第に悠真の中で、彼の存在が大きくなっていき――。
「お前、俺から逃げるな」
颯斗の言葉に、悠真の心は大きく揺れ動く。
転生×学園ラブコメ×じわじわ迫る恋。
これは、悠真が「本当に選ぶべきもの」を見つける物語。
続編『元社畜の俺、大学生になってまたモテすぎてるけど、今度は恋人がいるので無理です』
かつてブラック企業で心を擦り減らし、過労死した元社畜の男・藤堂悠真は、
転生した高校時代を経て、無事に大学生になった――
恋人である藤崎颯斗と共に。
だが、大学という“自由すぎる”世界は、ふたりの関係を少しずつ揺らがせていく。
「付き合ってるけど、誰にも言っていない」
その選択が、予想以上のすれ違いを生んでいった。
モテ地獄の再来、空気を読み続ける日々、
そして自分で自分を苦しめていた“頑張る癖”。
甘えたくても甘えられない――
そんな悠真の隣で、颯斗はずっと静かに手を差し伸べ続ける。
過去に縛られていた悠真が、未来を見つめ直すまでの
じれ甘・再構築・すれ違いと回復のキャンパス・ラブストーリー。
今度こそ、言葉にする。
「好きだよ」って、ちゃんと。

見ぃつけた。
茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは…
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