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戦力拡充編
ナンティア領の大騒動
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少し時間を戻して、宿屋で南の工作員が放った伝書鳥に狸の使鬼がくっついて飛んで行った後の話。
そのまま追跡していった狸は、僕らの住むペリゴール領と、南隣のナンティア領との境にある町に到着した。
そこのとある屋敷が拠点になっているようだ。
アネットさんを使鬼状態で狸の側に呼び出して、その屋敷の情報を探ってもらった。
屋敷の所有者はピザン商会といって、ナンティア領で最大勢力の商会だった。
そして滞在している、手紙を受け取った人物が、某男爵家の三男らしい。
伝書を受け取った三男坊は苛立って周りの物に八つ当たりし、「貧乏くじを引かされた」とか「捨て駒になってたまるか」などと喚いていた。
つまり、こいつよりも上に指示を出している奴がいるという事だ。
アネットさんは呼びもどし、狸をこの三男坊に張り付かせておいた。
◇◆◇◆◇◆◇
そして現在。
師匠が<霊素解析>で南の工作員たちを調べた結果、やはり三男坊の実家である某男爵家からの指示で動いていた。
狙っていたのは錬金術のレシピで、若返りの化粧品に関する情報を何としても手に入れるよう命令されている。
しかも、こいつらが失敗したら、また別の工作員が送り込まれる予定らしい。
そんなのは厄介だ。ずっと警戒するのは疲れるので、何とかしたい。みんなの知恵を拝借する。
「やっぱり、こっちから攻め込むしかねぇだろ」
と暴れたいだけのジルベール隊長。
「黒幕を突き止めて、レスコー男爵と”魔法研究所を守る会”に圧力をかけてもらうのが順当かと」
とトムさん。まあそれが妥当だよね、と皆が思った。
しかし。
「偽物のレシピを持ち帰らせ、相手の自滅を誘うのはいかがでしょう」
とアネットさんから奇抜な案が出て来た。
みんな無言になる。
そこから侃侃諤諤と意見が飛び交い、結局アネットさんの案を元に発展させた作戦ができあがった。
この作戦には、ニコレットさんの協力を仰ぐ必要がある。
偽のレシピについて相談したところ、ニコレットさんが頭をひねり凄いのを考えてくれた。
使い始めは”若返り化粧品”と類似の効果が表れるが、1巡りで効果が無くなり、2巡りも経つと反動で以前よりも老け込んでしまう、と実にいやらしいものだ。
さらには、それ専用の治療薬のレシピも用意し、これはダヤン商会の錬金術工房に託された。
これを聞いたジルベール隊長が「うちの嬢ちゃんたちはおっかねぇな」と言っていた。
工作員のリーダーを洗脳して(師匠がやりました)から使鬼に加え、自給型偽生体に改良した身体を用意して、こちらの工作員として生まれ変わらせた。
その彼に”偽のレシピ”を渡し報告に向かわせる。
作戦開始だ。
先行して工作員リーダーが飛ばした伝書鳥が男爵の三男坊に届いた。
狸の<感覚公開>を通して見ていると、彼は小躍りして喜んでいる。なんとも奇妙なダンスで、思わず吹き出してしまった。
すぐに手紙を書き始め伝書鳥が準備されたので、また狸に追跡させた。
伝書鳥とともに狸が到着し、恰幅の良い中年オヤジが現れて伝書を受け取った。
中身を読んだその男は、なんと先ほどのあの奇妙なダンスを踊り始めたのだ。
間違いない、あの三男坊の父親である男爵本人だろう。
「やったぞ!これで借金が帳消しになる」とか「出世して俸給が上がるかも知れん」と言ってたので、まだ上にこいつに指示した奴がいるはずだ。
すると、またうまい具合に伝書鳥の準備を始めたので、またまた狸に追跡させた。
こんなに簡単に事が進んでいいんだろか?
『普通は伝書鳥を追いかけることなどできんからな。そこを警戒する者はなかなかおらんだろう』
師匠がそう教えてくれた。
そんな感じで報告の伝書鳥を辿っていくと、間にもう一人の貴族を挟み、最後にはナンティア領の領主であるナンティア伯爵の屋敷にまで到着した。
<感覚公開>で狸の見聞きしてるものをみんなにも共有している。
この油ぎって欲深そうな顔をした中年オヤジがナンティア伯爵らしい。
「ふふん。これでペリゴールの奴らに一泡吹かせられるぞ。我が領地まで噂が届くほどの商品だ、さぞかし売れる事だろう。
彼奴らは品薄感を出して値段を釣り上げているようだが、こっちでは大量に生産して値段を下げて売り出してやる。
顧客を奪われ悔しがる彼奴らの顔を想像するだけで胸がスカッとするわい。ガッハッハ!」
こちらでその様子を見ていたシメオンさんが。
『なるほど、ナンティアの領主がこちらの領を昔からライバル視していて、一方的に突っかかってくるというのは聞いていましたが、ここまでするとは』
とあきれていた。
『しかし、これはチャンスですぞ。作戦が上手くいけば、一気にナンティア領に食い込むことが可能です』
トムさんは早くも儲けの匂いを嗅ぎつけているようだ。
「おう、いよいよ戦争か?」
いいえ、違いますよジルベール隊長。
こっから先、偽レシピを入手した彼らがどうなっていくか、注目しておくことにしよう。
◇◆◇◆◇◆◇
工作員のリーダーは領境の街にようやくたどり着いた。
報告を受けてから首を長くして待っていた男爵家の三男坊は、奪取した錬金術のレシピをリーダーから受け取ると、リーダーに次の指示があるまで待機するよう命じて退室させ、一人きりになると狂喜乱舞した。
部屋を退出した後、工作員のリーダーは行方不明となるが、浮かれていた三男坊が気づくことは無かった。
男爵家の三男坊は、工作員が奪取してきた”例のレシピ”をすぐに頑丈な箱に入れて厳重に封をし、護衛付きで自らその箱を運び、父である男爵の元へ届けた。
男爵はその箱を上司の子爵へと届け、その子爵が領都ヌコロットの伯爵へと届けた。
既に準備万端で待っていたナンティア伯爵は早速ピザン商会の人間にレシピを渡し、化粧品の生産を開始するよう指示を出した。
レシピを微塵も疑うことは無く、伯爵と某子爵、ピザン商会が多額の私財を投入して、かき集めた大量の素材と錬金術師たち、そして新設した工房をフル稼働させて大量生産が開始された。
生産された製品はおよそ1万個。本家ペルピナルの化粧品が1期節の間に100個程しか生産できないのに比べ、こちらはたったの1巡りでこの数なのだから驚くべきことである。
伯爵らは「多額の投資をした甲斐があった」とほくそ笑んだ。
ヌコロット産の”新しい化粧品”は、ヌコロットとその周辺の上流階級の貴婦人方に試供品として配られ、評判が瞬く間に広がっていった。
そしてピザン商会は、ありとあらゆる傘下の店舗で既存の商品の販売を中止してまで、この新化粧品を販売させた。
あの噂になっている”若返り化粧品”がすぐに手に入る。しかもペルピナル産のものよりも安いと来ている。
売り出すのはナンティア領で最大のピザン商会なのだから信用もある。
となれば、これが売れないはずがない。
冬の寒空の下にもかかわらず、大勢のお客が店の前に列を作っていた。
一度使えばその効果はすぐに目に見えて分かるため、噂が噂を呼び、売れに売れた。
毎日行列は途絶えず、生産が追い付かない程に製品は瞬く間に売れていった。
ナンティア伯爵と某子爵とピザン商会の関係者は、もう笑いが止まらない。
暖炉の炎で温まった室内に、高価な酒を樽で運び込み、何度も乾杯して勝利の美酒に酔いしれたのだった。
一方その頃、ペリゴール領内では”若返り化粧品”の偽物に関する噂が急速に広まっていた。それこそ、化粧品に縁のない子供ですら知っているほどの広がりようだった。
特に上流階級の間では、お茶会における一番の話題となり、一気に広まった。
南の方からヌコロット産の安価な”若返り化粧品”が行商人によって持ち込まれたこともあったが、誰もが「ああ、偽物ね」と言って見向きもしなかったので、行商人たちは頭を抱えることになった。
しかし、快進撃もそこまでだった。
ピザン商会が未曽有の売り上げに沸いて1巡り(8日間)が過ぎた頃、化粧品を買ったお客が苦情を言いに訪れるようになった。
「若返りの効果が無くなった」というのだ。商会側は「そんなはずはない。気のせいだから様子を見るように」と言って追い返す。
それからはピザン商会の全店舗が苦情への対応で、てんやわんやになってしまった。
当然商売にならないので売り上げは一気に落ち込んだ。倉庫には売れ残った新化粧品が山と積まれていた。
そして、さらに1巡りが過ぎた頃、地獄が訪れる。
ピザン商会に、急に老け込んだ、しわが増えた、等と叫び、半狂乱になった客が殺到し始めたのだ。
騒ぎは店舗だけでなく従業員の家にまで拡大し、負傷者まで出る始末。
ナンティア伯爵や某子爵の下にも、試供品を使用した貴婦人方から怨嗟の声が殺到する。
数日のうちに領内のほぼすべての貴族がナンティア伯爵の敵に回ってしまった。
粗悪品を販売したピザン商会を罰するように、またナンティア伯爵と某子爵は被害者全てに賠償金を支払うようにと、一致団結して糾弾し始めたのだった。
暖炉の火が消えた寒々しい執務室でだみ声が響いた。
「な、なぜだ!なぜこんなことに!おいピザン、どうなってるんだ!」
ナンティア伯爵は頭を掻きむしりながら叫ぶ。
「分かりません!渡されたレシピ通りに生産しただけなのです、間違いはありません!」
ピザン商会の会頭もそう答える事しかできない。
「ヌコロット近辺の貴族からは、武力行使も辞さないと脅されているんだ。なんとかしろ!」
伯爵は領都ヌコロットを含む周囲全てが敵になり、命の危険も感じている。
その後も不毛なやり取りが続いたが、打てる手は何もなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
僕らは、狸の<感覚公開>越しにその様子を見聞きしていた。
『いやぁ、見事にハマりましたね』
『全くです。さすがは元工作員ですな。情報操作で周辺貴族をまとめ上げる手腕はお見事でした』
トムさんとシメオンさんが拍手喝采を送る。
そうなのだ。
実は、あの研究所防衛戦で捕まえた工作員の死霊は全て洗脳で使鬼にしたうえで、この作戦に投入していたのだ。
工作員リーダーと3名の工作員を合流させ、偽化粧品への伯爵らの関与を周辺貴族へ噂として流したのもそうだし、こっちのペリゴール領で暗躍し、偽物で被害が出ないよう噂を流して回ったのも、2名の工作員たちだった。
他にもいろいろと動いてくれたようで、これだけの騒ぎに発展したのだ。
『治療薬は既に十分な数を用意しています。ペリゴール伯爵に有効利用していただければ、レスコー男爵の株もますます上がるでしょう』
トムさんが言うと。
『ええ。あとはタイミングですね。賠償金をきっちりと支払わせて弱体化したところで、支援を申し出ればより一層効果的です』
シメオンさんも容赦ない。
『ピザン商会も終わりですね。彼らの商圏はうちが責任をもって引き継ぐとしましょう』
トムさんもしっかりと美味しい所をいただいていくようです。
「せ、戦争は?」
そんなのはありませんよ、ジルベール隊長。
◇◆
その後、多額の賠償金の支払いによって、ピザン商会は倒産し、ナンティア伯爵と某子爵は資産の大半を差し押さえられて破産寸前まで追い込まれた。
そのタイミングを見計らったかのように、北の隣領の領主であるペリゴール伯爵から治療薬を無償で提供すると申し出があり、被害に遭った人々は多大な感謝とともに薬を手に入れ、無事に元の姿に戻ることができた。
当然、民たちのペリゴール領に対する心証は良くなり、貴族たちもナンティア伯爵を見放して、ペリゴール伯爵に擦り寄っていった。
また、破産したピザン商会の店舗や取引先はそっくりそのままダヤン商会の手に渡り、即座に営業を開始したため、民衆は諸手を挙げて歓迎した。
この後、ナンティア伯爵家は没落し、王家から監理官が送り込まれ、厳しい監督を受けることになる。
◇◆◇◆◇◆◇◆
こうして僕らは、くだらない理由でちょっかいを出してきた奴らを、完膚なきまでに叩きのめしたのだった。
僕らは降りかかった火の粉を払った程度に思ってたのだが、周囲は違ったらしい。
”魔法研究所を守る会”に所属するお貴族様方は今回の顛末を見て「研究所に手を出させてはならん(=巻き込まれてはたまらない)」という認識で一致し、社交界の場で研究所に興味を示す輩がいるとそっと耳打ちで警告する、という光景がちらほらと見られるようになったそうだ。
あの事件以降、魔法研究所やそこから生み出された製品にちょっかいを出す者は現れなくなった。
めでたしめでたし。
そのまま追跡していった狸は、僕らの住むペリゴール領と、南隣のナンティア領との境にある町に到着した。
そこのとある屋敷が拠点になっているようだ。
アネットさんを使鬼状態で狸の側に呼び出して、その屋敷の情報を探ってもらった。
屋敷の所有者はピザン商会といって、ナンティア領で最大勢力の商会だった。
そして滞在している、手紙を受け取った人物が、某男爵家の三男らしい。
伝書を受け取った三男坊は苛立って周りの物に八つ当たりし、「貧乏くじを引かされた」とか「捨て駒になってたまるか」などと喚いていた。
つまり、こいつよりも上に指示を出している奴がいるという事だ。
アネットさんは呼びもどし、狸をこの三男坊に張り付かせておいた。
◇◆◇◆◇◆◇
そして現在。
師匠が<霊素解析>で南の工作員たちを調べた結果、やはり三男坊の実家である某男爵家からの指示で動いていた。
狙っていたのは錬金術のレシピで、若返りの化粧品に関する情報を何としても手に入れるよう命令されている。
しかも、こいつらが失敗したら、また別の工作員が送り込まれる予定らしい。
そんなのは厄介だ。ずっと警戒するのは疲れるので、何とかしたい。みんなの知恵を拝借する。
「やっぱり、こっちから攻め込むしかねぇだろ」
と暴れたいだけのジルベール隊長。
「黒幕を突き止めて、レスコー男爵と”魔法研究所を守る会”に圧力をかけてもらうのが順当かと」
とトムさん。まあそれが妥当だよね、と皆が思った。
しかし。
「偽物のレシピを持ち帰らせ、相手の自滅を誘うのはいかがでしょう」
とアネットさんから奇抜な案が出て来た。
みんな無言になる。
そこから侃侃諤諤と意見が飛び交い、結局アネットさんの案を元に発展させた作戦ができあがった。
この作戦には、ニコレットさんの協力を仰ぐ必要がある。
偽のレシピについて相談したところ、ニコレットさんが頭をひねり凄いのを考えてくれた。
使い始めは”若返り化粧品”と類似の効果が表れるが、1巡りで効果が無くなり、2巡りも経つと反動で以前よりも老け込んでしまう、と実にいやらしいものだ。
さらには、それ専用の治療薬のレシピも用意し、これはダヤン商会の錬金術工房に託された。
これを聞いたジルベール隊長が「うちの嬢ちゃんたちはおっかねぇな」と言っていた。
工作員のリーダーを洗脳して(師匠がやりました)から使鬼に加え、自給型偽生体に改良した身体を用意して、こちらの工作員として生まれ変わらせた。
その彼に”偽のレシピ”を渡し報告に向かわせる。
作戦開始だ。
先行して工作員リーダーが飛ばした伝書鳥が男爵の三男坊に届いた。
狸の<感覚公開>を通して見ていると、彼は小躍りして喜んでいる。なんとも奇妙なダンスで、思わず吹き出してしまった。
すぐに手紙を書き始め伝書鳥が準備されたので、また狸に追跡させた。
伝書鳥とともに狸が到着し、恰幅の良い中年オヤジが現れて伝書を受け取った。
中身を読んだその男は、なんと先ほどのあの奇妙なダンスを踊り始めたのだ。
間違いない、あの三男坊の父親である男爵本人だろう。
「やったぞ!これで借金が帳消しになる」とか「出世して俸給が上がるかも知れん」と言ってたので、まだ上にこいつに指示した奴がいるはずだ。
すると、またうまい具合に伝書鳥の準備を始めたので、またまた狸に追跡させた。
こんなに簡単に事が進んでいいんだろか?
『普通は伝書鳥を追いかけることなどできんからな。そこを警戒する者はなかなかおらんだろう』
師匠がそう教えてくれた。
そんな感じで報告の伝書鳥を辿っていくと、間にもう一人の貴族を挟み、最後にはナンティア領の領主であるナンティア伯爵の屋敷にまで到着した。
<感覚公開>で狸の見聞きしてるものをみんなにも共有している。
この油ぎって欲深そうな顔をした中年オヤジがナンティア伯爵らしい。
「ふふん。これでペリゴールの奴らに一泡吹かせられるぞ。我が領地まで噂が届くほどの商品だ、さぞかし売れる事だろう。
彼奴らは品薄感を出して値段を釣り上げているようだが、こっちでは大量に生産して値段を下げて売り出してやる。
顧客を奪われ悔しがる彼奴らの顔を想像するだけで胸がスカッとするわい。ガッハッハ!」
こちらでその様子を見ていたシメオンさんが。
『なるほど、ナンティアの領主がこちらの領を昔からライバル視していて、一方的に突っかかってくるというのは聞いていましたが、ここまでするとは』
とあきれていた。
『しかし、これはチャンスですぞ。作戦が上手くいけば、一気にナンティア領に食い込むことが可能です』
トムさんは早くも儲けの匂いを嗅ぎつけているようだ。
「おう、いよいよ戦争か?」
いいえ、違いますよジルベール隊長。
こっから先、偽レシピを入手した彼らがどうなっていくか、注目しておくことにしよう。
◇◆◇◆◇◆◇
工作員のリーダーは領境の街にようやくたどり着いた。
報告を受けてから首を長くして待っていた男爵家の三男坊は、奪取した錬金術のレシピをリーダーから受け取ると、リーダーに次の指示があるまで待機するよう命じて退室させ、一人きりになると狂喜乱舞した。
部屋を退出した後、工作員のリーダーは行方不明となるが、浮かれていた三男坊が気づくことは無かった。
男爵家の三男坊は、工作員が奪取してきた”例のレシピ”をすぐに頑丈な箱に入れて厳重に封をし、護衛付きで自らその箱を運び、父である男爵の元へ届けた。
男爵はその箱を上司の子爵へと届け、その子爵が領都ヌコロットの伯爵へと届けた。
既に準備万端で待っていたナンティア伯爵は早速ピザン商会の人間にレシピを渡し、化粧品の生産を開始するよう指示を出した。
レシピを微塵も疑うことは無く、伯爵と某子爵、ピザン商会が多額の私財を投入して、かき集めた大量の素材と錬金術師たち、そして新設した工房をフル稼働させて大量生産が開始された。
生産された製品はおよそ1万個。本家ペルピナルの化粧品が1期節の間に100個程しか生産できないのに比べ、こちらはたったの1巡りでこの数なのだから驚くべきことである。
伯爵らは「多額の投資をした甲斐があった」とほくそ笑んだ。
ヌコロット産の”新しい化粧品”は、ヌコロットとその周辺の上流階級の貴婦人方に試供品として配られ、評判が瞬く間に広がっていった。
そしてピザン商会は、ありとあらゆる傘下の店舗で既存の商品の販売を中止してまで、この新化粧品を販売させた。
あの噂になっている”若返り化粧品”がすぐに手に入る。しかもペルピナル産のものよりも安いと来ている。
売り出すのはナンティア領で最大のピザン商会なのだから信用もある。
となれば、これが売れないはずがない。
冬の寒空の下にもかかわらず、大勢のお客が店の前に列を作っていた。
一度使えばその効果はすぐに目に見えて分かるため、噂が噂を呼び、売れに売れた。
毎日行列は途絶えず、生産が追い付かない程に製品は瞬く間に売れていった。
ナンティア伯爵と某子爵とピザン商会の関係者は、もう笑いが止まらない。
暖炉の炎で温まった室内に、高価な酒を樽で運び込み、何度も乾杯して勝利の美酒に酔いしれたのだった。
一方その頃、ペリゴール領内では”若返り化粧品”の偽物に関する噂が急速に広まっていた。それこそ、化粧品に縁のない子供ですら知っているほどの広がりようだった。
特に上流階級の間では、お茶会における一番の話題となり、一気に広まった。
南の方からヌコロット産の安価な”若返り化粧品”が行商人によって持ち込まれたこともあったが、誰もが「ああ、偽物ね」と言って見向きもしなかったので、行商人たちは頭を抱えることになった。
しかし、快進撃もそこまでだった。
ピザン商会が未曽有の売り上げに沸いて1巡り(8日間)が過ぎた頃、化粧品を買ったお客が苦情を言いに訪れるようになった。
「若返りの効果が無くなった」というのだ。商会側は「そんなはずはない。気のせいだから様子を見るように」と言って追い返す。
それからはピザン商会の全店舗が苦情への対応で、てんやわんやになってしまった。
当然商売にならないので売り上げは一気に落ち込んだ。倉庫には売れ残った新化粧品が山と積まれていた。
そして、さらに1巡りが過ぎた頃、地獄が訪れる。
ピザン商会に、急に老け込んだ、しわが増えた、等と叫び、半狂乱になった客が殺到し始めたのだ。
騒ぎは店舗だけでなく従業員の家にまで拡大し、負傷者まで出る始末。
ナンティア伯爵や某子爵の下にも、試供品を使用した貴婦人方から怨嗟の声が殺到する。
数日のうちに領内のほぼすべての貴族がナンティア伯爵の敵に回ってしまった。
粗悪品を販売したピザン商会を罰するように、またナンティア伯爵と某子爵は被害者全てに賠償金を支払うようにと、一致団結して糾弾し始めたのだった。
暖炉の火が消えた寒々しい執務室でだみ声が響いた。
「な、なぜだ!なぜこんなことに!おいピザン、どうなってるんだ!」
ナンティア伯爵は頭を掻きむしりながら叫ぶ。
「分かりません!渡されたレシピ通りに生産しただけなのです、間違いはありません!」
ピザン商会の会頭もそう答える事しかできない。
「ヌコロット近辺の貴族からは、武力行使も辞さないと脅されているんだ。なんとかしろ!」
伯爵は領都ヌコロットを含む周囲全てが敵になり、命の危険も感じている。
その後も不毛なやり取りが続いたが、打てる手は何もなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
僕らは、狸の<感覚公開>越しにその様子を見聞きしていた。
『いやぁ、見事にハマりましたね』
『全くです。さすがは元工作員ですな。情報操作で周辺貴族をまとめ上げる手腕はお見事でした』
トムさんとシメオンさんが拍手喝采を送る。
そうなのだ。
実は、あの研究所防衛戦で捕まえた工作員の死霊は全て洗脳で使鬼にしたうえで、この作戦に投入していたのだ。
工作員リーダーと3名の工作員を合流させ、偽化粧品への伯爵らの関与を周辺貴族へ噂として流したのもそうだし、こっちのペリゴール領で暗躍し、偽物で被害が出ないよう噂を流して回ったのも、2名の工作員たちだった。
他にもいろいろと動いてくれたようで、これだけの騒ぎに発展したのだ。
『治療薬は既に十分な数を用意しています。ペリゴール伯爵に有効利用していただければ、レスコー男爵の株もますます上がるでしょう』
トムさんが言うと。
『ええ。あとはタイミングですね。賠償金をきっちりと支払わせて弱体化したところで、支援を申し出ればより一層効果的です』
シメオンさんも容赦ない。
『ピザン商会も終わりですね。彼らの商圏はうちが責任をもって引き継ぐとしましょう』
トムさんもしっかりと美味しい所をいただいていくようです。
「せ、戦争は?」
そんなのはありませんよ、ジルベール隊長。
◇◆
その後、多額の賠償金の支払いによって、ピザン商会は倒産し、ナンティア伯爵と某子爵は資産の大半を差し押さえられて破産寸前まで追い込まれた。
そのタイミングを見計らったかのように、北の隣領の領主であるペリゴール伯爵から治療薬を無償で提供すると申し出があり、被害に遭った人々は多大な感謝とともに薬を手に入れ、無事に元の姿に戻ることができた。
当然、民たちのペリゴール領に対する心証は良くなり、貴族たちもナンティア伯爵を見放して、ペリゴール伯爵に擦り寄っていった。
また、破産したピザン商会の店舗や取引先はそっくりそのままダヤン商会の手に渡り、即座に営業を開始したため、民衆は諸手を挙げて歓迎した。
この後、ナンティア伯爵家は没落し、王家から監理官が送り込まれ、厳しい監督を受けることになる。
◇◆◇◆◇◆◇◆
こうして僕らは、くだらない理由でちょっかいを出してきた奴らを、完膚なきまでに叩きのめしたのだった。
僕らは降りかかった火の粉を払った程度に思ってたのだが、周囲は違ったらしい。
”魔法研究所を守る会”に所属するお貴族様方は今回の顛末を見て「研究所に手を出させてはならん(=巻き込まれてはたまらない)」という認識で一致し、社交界の場で研究所に興味を示す輩がいるとそっと耳打ちで警告する、という光景がちらほらと見られるようになったそうだ。
あの事件以降、魔法研究所やそこから生み出された製品にちょっかいを出す者は現れなくなった。
めでたしめでたし。
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