隣の夜は青い

No.26

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『教え子』

06

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「かんぱーい!」

 カチンと、グラスが冷えた音を立てた。
 場所は移り、焼き肉屋の一室。俺の隣には一芽、向かい側には浦瀬と面谷がいる。

「セッション楽しかったね~ゾムくんのドラムもカッコよかった!」
「ぐちぐち言ってた癖に、ちゃんと叩けてたじゃないか」
「え、えへへ~二人にそう言ってもらえると嬉しいなあ」

 一芽と浦瀬に褒められて、面谷は照れて頭をかく。
 けれど一芽がニコニコしているのがなんか悔しくて、彼の顔を覗き込んで言った。

「……俺のギターは?」
「え? せーちゃんなに、急に」
「あはは、先生のギターも最高でしたよ」

 浦瀬は俺たちの反応に笑って、そして頭を下げた。

「改めて、ご協力してくださり本当にありがとうございました」
「俺こそ、久しぶりに音楽やれて楽しかったよ」

 弾いている瞬間は、忘れかけていた学生時代の瑞々しい日々が蘇った。
 けれどやっぱりブランクはあるし、練習すればもっと上手く弾ける気がする。また練習しようかな。

「先生、もしまた誘ったら、ボクたちとギター弾いてくれますか?」
「もちろん! 今回の曲も、早くみんなに聴いてもらいたいな」

 俺の弾いたメロディはめちゃくちゃかっこいいし、一芽の歌なんて初めて聴いた人はびっくりするだろう。
 そんなことをぼんやり考えていると、浦瀬はこう言った。

「ライブとか、興味ありませんか?」

 その言葉に、思わず彼の顔を見た。

「ライブ?」
「来年のお盆、ボクたちライブすることにしたんです。まだ演奏メンバー募ってないんですよね」

 ……今日みたいな演奏を、俺もステージでやれる?
 その誘いには胸が高鳴ったものの、あまりにもスラスラと出てくる浦瀬の言葉に、俺は冷静を装って笑った。

「……もしかして、最初からそのつもりで俺のこと録音に誘った?」
「そんなわけないじゃないですか。ところでS進ゼミって、ボクがいたときと変わってなければお盆は休みですよね?」
「したたかだな」
「まあ飲んで飲んで」

 浦瀬はニコニコしながら、俺のグラスにビールを追加で注いでくる。

「せ、せーちゃん、飲みすぎたらだめだよ」
「馬鹿、メジ。酔わせるんだよ」
「いいよ、酔ってなくても答え出てる。俺もバンドやりたい」

 スタジオの中で一つの音楽を作るのも、もちろん楽しい。けどあのステージの上での高揚感は、スタジオで弾いていただけじゃ味わえないから。
 俺の返答に、一芽と浦瀬は目を輝かせた。

「本当?!」
「先生のギターを世に知らしめてやりましょう」
「いやいや。そもそもキャパそんなないよな?初ライブだろ?」

 熱意のこもる浦瀬に笑ってそう言うと、彼は平然とこう言った。

「千五百人です」
「マジか」
「ライブ配信もします」
「マジで?」

 千五百人……俺が昔ステージに立った中学校全校生徒の三倍くらいか。そう考えるとまあ……いやどうなんだ?

「俺もしかして、二人がどれくらい売れてるかあんまり把握してない?」
「指標になるかわかりませんが……とりあえずSNSだとボクのフォロワーが二十万人で、メジのフォロワーが三十万人ですね。あと『サイクラ』の音楽を投稿しているチャンネル登録者数がこの前五十万人突破しました」
「キャパ足りるのかそれ」

 あまりネットを見ない俺でも、その数値がどれくらい高いのかはわかる。逆にチケット戦争が大変そうだな……。

「そう思う? オレちゃんと席埋まるかなって今から心配だよ……」
「ボクもメジも元々ライブを主に活動しているわけじゃないし、動画サイトで無料で音楽を聞いている人がみんなお金を出してライブに行くとは限らないですし。正直どのくらいくるかわからなんいですよね。初回なのでかなり少なく見積もってます」
「若いのにしっかりしてんな、二人とも……」

 そんなにファンいたら、俺だったらすぐ天狗になっちゃいそうだけど。
 感心をしていたところで、浦瀬は唐突に隣の面谷の肩を叩いた。

「そういうことで、臨もよろしくな」

 それまで黙々とみんなの肉を焼いていた面谷は、顔を上げた。

「え?なにが?」
「ライブでのドラム」
「……………聞いてないよ?!?!?!」
「今初めて言ったからな」

 そうして俺たちは来年の夏、ライブをすることになった。



「せーちゃん大丈夫?酔ってない?」
「今回はそんなに飲んでないから、酔ってないよ」

 浦瀬と面谷と別れたあと、すっかり暗くなった帰り道。心配してくる一芽を笑う。

「それとも、酔っ払ってまた襲ってほしかった?」
「え?!そ、そんなこと……みんなの前だし……」
「……ふーん?」

 モゴモゴ言ってはっきりと否定はしない一芽に、思わずにやつく。……やっぱり、そういう性癖はあるっぽいな。

「……ありがとな、一芽」

 けれどそれをいじる前に、改めて一芽に礼を言った。

「お前の一言がなかったら、またギター弾こうって踏み切れてなかった」
「ううん。せーちゃんが横でギター弾いてくれたおかげで、オレもすげーノって歌えたよ!」

 一芽は楽しそうに言ってから、そして少し言葉に迷ったように目を泳がせ、呟くように言った。

「その……かっこよかった。すごく」

 そんな彼の顔を覗き込み、俺も言った。

「俺も、一芽の歌好きだよ」

 再びぱちりと目が合って、笑い合う。お互いの白い息がふわりと冬の空気に溶け込んだ。

「一芽、めちゃくちゃ歌上手いし……なんか、たまにエロいよな」
「エッ……?!どこが?!」
「喘いでるみたいな声の出し方してるときあるだろ」
「し、してないと思うけど……?!えっ、どうしよ、みんなオレの歌そう思ってるのかな?!」
「あー、俺がよく一芽の喘ぎ声聞いてるからか」

 そうわざと言ったら、無言で腰をどつかれる。相変わらず反応が面白い。

「けど、本当にライブ参加してくれることになって良かったの? 先生の仕事もあるのに……いや、オレはめちゃくちゃ嬉しいけど」
「そりゃあ両立は大変かもしれないけど、また初めから諦めて後悔するより良いなって思ってさ。全力でやってやるよ」
「……そっか」

 そう俺が明るく言うと、何故か一芽は反応を薄くする。
 一体どうしたのか、様子を伺おうと思ったとき、彼は急に足を止めた。

「あのさ」

 振り返ると、一芽はいつになく真剣な眼差しを俺に向けていた。

「せーちゃんに相談したいことがあるんだ」



 冬の夜十時の公園は、ひとっ子一人の姿もない。
 夜空は澄んでいて、冬の星座がよく見えた。

「歌手の活動は楽しいし、もちろん続けられるかぎり続けたいけど……なんていうか、できることが歌だけってずっと不安でさ」

 一芽はブランコを軽く漕ぎながら、そうポツポツと語り始めた。

「けど、オレ作曲とか楽器弾くセンスもあんまないし、そもそもそこまで本格的にやりたいって思えなくて……。それで、方向性は全然違うんだけど、料理が好きだから調理の専門学校に行こうと思って」
「へえ!いいじゃないか」
「ありがと。けど、行けないんだよね」

 今でさえあんな料理を作れる一芽なら、きっと調理師や栄養士も向いてるだろう。そう思って明るくそう返すけど、一芽は対照的に俯いた。

「オレ、高校で勉強嫌になったって言ったじゃん。……結局やめてるんだ。だから、最終学歴が中卒なんだよね」

 その一言で、一芽が進学を躊躇する理由と、これまでなんとなく感じていた違和感が全て繋がった。

「そうか。その手の専門学校は高卒じゃないと入れないから……」
「だから、高卒認定試験を受けようと思って」

 高卒認定試験。
 職業柄、もちろん知っている。高校を卒業していない人を、高卒程度の学力があるかどうか認定するための試験だ。
 つまり……その試験に合格すれば、高校を卒業していなくても専門学校を受験できる。

「一回自分でも勉強してみたんだけど、やっぱ一人でやるの難しくて。もう、本当にちゃんと高校卒業しとけばよかったなーって、今になってめっちゃ後悔してる。勉強は嫌いだったけど、そういうところで不利になるんだったら、意地でも通っとけばよかったなーって……」

 一芽は顔を上げ、すっとまっすぐに俺を見た。

「オレは、せーちゃんに初めて会ったとき、別の世界の人だ、って思った。オレができない勉強ができて、先生っていう大変な仕事もやってて……かっこよくて大好きだけど、どんなに触れ合っても、オレの手には届かない存在だって思い込んでた」

 そこまで言って、彼は照れたようにへらりと笑った。

「けど、せーちゃんが音楽が好きだって知って、もう一回ギターやり始めたのを見て、なんだか他人事だって思えなくて、やっぱりオレもがんばろうって気になったんだ。前話したこと覚えてる? ご飯のお礼がどうとか言ってたやつ。オレ、せーちゃんにご飯作るからさ……だから……その」
「まかせろ」

 一芽が言い終わる前に、俺はブランコから降りて彼に笑った。

「俺を誰だと思ってるんだ」



 塾教師と、歌手。
 全く住む世界の違う俺たちの夜は、こうしてさらに深く交わることになる。



「……けど、先生するのは来年からな」
「え?」
「今日、うち来るだろ?」

 そう言ってにやりと笑うと、一芽は動揺したように目を泳がせる。
 そしてマフラーに顔を埋め、こくりと頷いた。
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