18 / 38
『教え子』
03
しおりを挟む
数年ぶりに来たスタジオの内装は、俺が高校生のときから変わっていなかった。
ただ、置かれている楽器は別のもので、ステージにはスタンドマイクとシンセサイザー。
一芽はマイクの前に立ち、浦瀬はシンセの前に立つ。
俺は観客として、目の前の椅子に座らせられた。
「先生って、ボクたちの『CIDER CLOWN』の曲、なにか聞いたことありますか?」
「いや、ないけど……」
そもそも、ここ数年自分から邦楽を聴くこともなかったし、音楽の話題も避けていた。一芽が歌手だと知った時も、情報だけ見て曲を聞いたりはしていない。
浦瀬はキーボードの音を調整しながら、
「じゃあ、まずはボクたちが初めて出した曲で。メジもそれでいいか?」
「もちろん!」
二人は頷き合って、そして前を向く。
そうして、二人の演奏が始まった。
「…………!」
零れ落ちる宝石のように、磨かれた音を奏でる浦瀬のピアノ。
はじけるような広音域と歌唱力、けれど耳に溶け込む透明感のある一芽の歌声。
重なっているのはその二つだけなのに、聴く人を思わずその場に立ち止まらせるような、目を冴えさせるような音楽がそこにあった。
「『ーー君の心に、取り憑いてみせる』」
一芽は、そう高らかに歌う。
その姿は、いつもの可愛い俺の恋人じゃない。人気ユニットのボーカルの『メジ』が確かにそこにいた。
そのよく通る声に、不思議と自分の鼓動が早くなる。
そうして約三分半の曲が終わったとき、俺は自然と拍手を送っていた。
「曲名、『ブルーゴースト』です。……ボクたちの音楽、どうですか?」
「……かっこいい」
素直に感想を述べると、二人は安心したように微笑んだ。
「次に出す新曲に、エレキギターの生音を入れたいんです」
浦瀬は鍵盤から手を離し、改めて俺にそう言った。
「もちろんタダでとは言いません。楽器ならこのスタジオでも借りられます。一曲だけ弾いてくれませんか?」
「……なんで俺なんだ? 俺より上手い奴だって、お前らに協力してくれる奴だっていくらでもいるだろ」
「でもボクの中では、先生のギターの音が理想なんです」
渋る俺に、浦瀬はそうはっきりと言った。
「先生の弾くギターって、全部計算されたみたいにすごく正確なのに、それでいて無機質じゃないっていうか……とにかく、もっと聴いてみたいって思ったんです」
「……褒めすぎだろ」
ていうか、何年前の話をしてるんだ。蒸し返された青春に、思わず目を逸らした。
けれど、浦瀬は一ミリも引かず、俺に言った。
「返事、今すぐじゃなくても大丈夫です。待ってますから」
「ごめんね、巻き込んじゃって」
「ううん」
スタジオからの帰り道を、一芽と歩く。
俺の家に来るわけではなく、一芽の今住んでいる家が、俺のアパートとそう遠くないらしい。なんでも、バイト先もこの辺なのだとか。
もう夕方も近くなっていて、空は少しピンクがかっている。裸の街路樹の枝が北風になびいていた。
「どうして、音楽辞めたの?」
一芽は、唐突にそう俺に聞いた。
マフラーに口元まで埋まり、気まずそうな表情でこちらをチラリと見る。
「聞かないって言ったのに、聞いてごめん。けど、今日オレたちに着いてきてくれたってことは迷ってるんでしょ? お金にならないからっていうのも、きっと本当の理由じゃないよね」
「…………」
白い息をひとつ吐いてから、俺は言った。
「『ちゃんとした大人』になりたかったんだ」
その言葉に、一芽は顔をあげた。
「大した理由じゃない。勉強して、いい大学に入って、就職して……そうやってちゃんとした大人になって、家族に認めてもらうっていう理想を叶えるのに、音楽を両立できなくて見切りをつけただけ。……だから、今更音楽しようって言われても、どう向き合ったらいいかわかんないんだ」
「……なんだ、よかった」
俺の答えに、なぜか一芽は嬉しそうに笑った。
「音楽が嫌いになったから辞めた、じゃないんだね」
「…………!」
その言葉に、思わず彼の目を見た。
一芽は瞳を細め、笑って言った。
「せーちゃんは、十分すぎるくらい『ちゃんとした大人』だよ! だから、ちょっとくらいまたギター弾いてもいいんじゃない? ってオレは思うけど」
そんな彼の笑顔を見て、自然と言葉がこぼれた。
「……好き」
「え?」
「あ、いや、音楽が」
慌てて取り繕うと、一芽は目を瞬かせ、そして思いっきり笑った。
「うん、オレも好き!」
ピックを当てると、懐かしい爆音がスタジオに反響する。
これでも五年以上毎日弦を触っていただけあって、指や体は感覚を忘れていなかった。
「ギターの音、近くで聞くとやっぱかっこいい……」
嬉しそうな一芽の言葉に、隣に立つ浦瀬も緊張気味に頷いた。
「録音の日、伸ばせますけどどうしますか?」
「年末で大丈夫だと思う、弾く時間短いし。それに、今日も明日も明後日も、一日中練習できるし」
そう言って笑うと、浦瀬もぎこちなく笑った。
「……ブランクあるし、期待通りじゃなかったらごめんな」
「先生なら期待通りに弾いてくれるって信じてるので」
「ハードル上げるなよ。けど、二人の音楽についていけるようにはする」
そう言って楽譜に目を戻し、練習を再開した。
……浦瀬にギターを担当してもいいという承諾を伝えるとき、俺はある条件を出した。
「曲が弾けるようになったら、俺も二人と合わせたい」
自分自身のことを改めて考えて、気づいたことがある。
俺は、ただギターを弾くことだけが好きなんじゃなくて、誰かとする音楽が好きなんだ。
だって、一人でギターを弾くだけが好きなら、こんなに拗らせて悩んだりしてない。
だから、ただ録音されるだけじゃなくて、せっかくならちゃんと演奏がしたいと思った。
「そんなことなら、いくらでもやりますよ。むしろやらせてください」
「オレも!せーちゃんとセッションしたい!」
俺の条件を、二人は当然のように喜んで聞いてくれた。
久しぶりに誰かと演奏ができる。そう思うと、俄然やる気が湧いてきた。
それに、浦瀬の作った新曲は本当に良くて、ギターのメロディもクソかっこいい。
あんだけ音楽をすることを謙遜していたのが笑っちゃうくらい、俺は寝食を忘れてギターを弾き鳴らした。
「……いやだめだよ、ちゃんと食べなきゃ!」
一芽はそう叫んで、俺の口に唐揚げを押し込んだ。
サクッとした衣を噛むと、肉汁が口の中に広がる。
「……うま」
「お昼も食べてなかったよね?! 集中してくれるのはオレも嬉しいけど、死なない程度にして……」
あっという間に夜になり、スタジオから出て、浦瀬とも別れ、今日はギターがあるという一芽の家に泊まることになった。
俺が一芽の部屋に来ても弦を触っていると、気がついたら横のテーブルには唐揚げ定食があった。
「豪華だな。出前取ったのか?」
「いや、オレが作った」
「……え?!」
その言葉に驚いて、改めてテーブルの上を見た。
つやつやの白米に、彩りのあるサラダ、いい匂いの湯気が立つ味噌汁。そしてメインの唐揚げ。
定食屋の飯と言われてももうし分のない夕食に、感動するとともに、急に忘れていた食欲が湧いてきた。
「うまそ……」
「結構ジュージュー音してたと思うけど、聞こえなかった?」
「いや、気づかなかった。俺も食べていいの?」
よく見たら、一芽はちゃっかりエプロンまでつけてる。
俺の疑問に一芽は笑って頷き、
「もちろん! せーちゃんが和食好きだって言ってたから、和食にしてみたんだ」
その言葉に、少女漫画ばりにときめいてしまった。
「え……好き……」
「え?」
「違っ、その、唐揚げが! いただきます!!」
ただ、置かれている楽器は別のもので、ステージにはスタンドマイクとシンセサイザー。
一芽はマイクの前に立ち、浦瀬はシンセの前に立つ。
俺は観客として、目の前の椅子に座らせられた。
「先生って、ボクたちの『CIDER CLOWN』の曲、なにか聞いたことありますか?」
「いや、ないけど……」
そもそも、ここ数年自分から邦楽を聴くこともなかったし、音楽の話題も避けていた。一芽が歌手だと知った時も、情報だけ見て曲を聞いたりはしていない。
浦瀬はキーボードの音を調整しながら、
「じゃあ、まずはボクたちが初めて出した曲で。メジもそれでいいか?」
「もちろん!」
二人は頷き合って、そして前を向く。
そうして、二人の演奏が始まった。
「…………!」
零れ落ちる宝石のように、磨かれた音を奏でる浦瀬のピアノ。
はじけるような広音域と歌唱力、けれど耳に溶け込む透明感のある一芽の歌声。
重なっているのはその二つだけなのに、聴く人を思わずその場に立ち止まらせるような、目を冴えさせるような音楽がそこにあった。
「『ーー君の心に、取り憑いてみせる』」
一芽は、そう高らかに歌う。
その姿は、いつもの可愛い俺の恋人じゃない。人気ユニットのボーカルの『メジ』が確かにそこにいた。
そのよく通る声に、不思議と自分の鼓動が早くなる。
そうして約三分半の曲が終わったとき、俺は自然と拍手を送っていた。
「曲名、『ブルーゴースト』です。……ボクたちの音楽、どうですか?」
「……かっこいい」
素直に感想を述べると、二人は安心したように微笑んだ。
「次に出す新曲に、エレキギターの生音を入れたいんです」
浦瀬は鍵盤から手を離し、改めて俺にそう言った。
「もちろんタダでとは言いません。楽器ならこのスタジオでも借りられます。一曲だけ弾いてくれませんか?」
「……なんで俺なんだ? 俺より上手い奴だって、お前らに協力してくれる奴だっていくらでもいるだろ」
「でもボクの中では、先生のギターの音が理想なんです」
渋る俺に、浦瀬はそうはっきりと言った。
「先生の弾くギターって、全部計算されたみたいにすごく正確なのに、それでいて無機質じゃないっていうか……とにかく、もっと聴いてみたいって思ったんです」
「……褒めすぎだろ」
ていうか、何年前の話をしてるんだ。蒸し返された青春に、思わず目を逸らした。
けれど、浦瀬は一ミリも引かず、俺に言った。
「返事、今すぐじゃなくても大丈夫です。待ってますから」
「ごめんね、巻き込んじゃって」
「ううん」
スタジオからの帰り道を、一芽と歩く。
俺の家に来るわけではなく、一芽の今住んでいる家が、俺のアパートとそう遠くないらしい。なんでも、バイト先もこの辺なのだとか。
もう夕方も近くなっていて、空は少しピンクがかっている。裸の街路樹の枝が北風になびいていた。
「どうして、音楽辞めたの?」
一芽は、唐突にそう俺に聞いた。
マフラーに口元まで埋まり、気まずそうな表情でこちらをチラリと見る。
「聞かないって言ったのに、聞いてごめん。けど、今日オレたちに着いてきてくれたってことは迷ってるんでしょ? お金にならないからっていうのも、きっと本当の理由じゃないよね」
「…………」
白い息をひとつ吐いてから、俺は言った。
「『ちゃんとした大人』になりたかったんだ」
その言葉に、一芽は顔をあげた。
「大した理由じゃない。勉強して、いい大学に入って、就職して……そうやってちゃんとした大人になって、家族に認めてもらうっていう理想を叶えるのに、音楽を両立できなくて見切りをつけただけ。……だから、今更音楽しようって言われても、どう向き合ったらいいかわかんないんだ」
「……なんだ、よかった」
俺の答えに、なぜか一芽は嬉しそうに笑った。
「音楽が嫌いになったから辞めた、じゃないんだね」
「…………!」
その言葉に、思わず彼の目を見た。
一芽は瞳を細め、笑って言った。
「せーちゃんは、十分すぎるくらい『ちゃんとした大人』だよ! だから、ちょっとくらいまたギター弾いてもいいんじゃない? ってオレは思うけど」
そんな彼の笑顔を見て、自然と言葉がこぼれた。
「……好き」
「え?」
「あ、いや、音楽が」
慌てて取り繕うと、一芽は目を瞬かせ、そして思いっきり笑った。
「うん、オレも好き!」
ピックを当てると、懐かしい爆音がスタジオに反響する。
これでも五年以上毎日弦を触っていただけあって、指や体は感覚を忘れていなかった。
「ギターの音、近くで聞くとやっぱかっこいい……」
嬉しそうな一芽の言葉に、隣に立つ浦瀬も緊張気味に頷いた。
「録音の日、伸ばせますけどどうしますか?」
「年末で大丈夫だと思う、弾く時間短いし。それに、今日も明日も明後日も、一日中練習できるし」
そう言って笑うと、浦瀬もぎこちなく笑った。
「……ブランクあるし、期待通りじゃなかったらごめんな」
「先生なら期待通りに弾いてくれるって信じてるので」
「ハードル上げるなよ。けど、二人の音楽についていけるようにはする」
そう言って楽譜に目を戻し、練習を再開した。
……浦瀬にギターを担当してもいいという承諾を伝えるとき、俺はある条件を出した。
「曲が弾けるようになったら、俺も二人と合わせたい」
自分自身のことを改めて考えて、気づいたことがある。
俺は、ただギターを弾くことだけが好きなんじゃなくて、誰かとする音楽が好きなんだ。
だって、一人でギターを弾くだけが好きなら、こんなに拗らせて悩んだりしてない。
だから、ただ録音されるだけじゃなくて、せっかくならちゃんと演奏がしたいと思った。
「そんなことなら、いくらでもやりますよ。むしろやらせてください」
「オレも!せーちゃんとセッションしたい!」
俺の条件を、二人は当然のように喜んで聞いてくれた。
久しぶりに誰かと演奏ができる。そう思うと、俄然やる気が湧いてきた。
それに、浦瀬の作った新曲は本当に良くて、ギターのメロディもクソかっこいい。
あんだけ音楽をすることを謙遜していたのが笑っちゃうくらい、俺は寝食を忘れてギターを弾き鳴らした。
「……いやだめだよ、ちゃんと食べなきゃ!」
一芽はそう叫んで、俺の口に唐揚げを押し込んだ。
サクッとした衣を噛むと、肉汁が口の中に広がる。
「……うま」
「お昼も食べてなかったよね?! 集中してくれるのはオレも嬉しいけど、死なない程度にして……」
あっという間に夜になり、スタジオから出て、浦瀬とも別れ、今日はギターがあるという一芽の家に泊まることになった。
俺が一芽の部屋に来ても弦を触っていると、気がついたら横のテーブルには唐揚げ定食があった。
「豪華だな。出前取ったのか?」
「いや、オレが作った」
「……え?!」
その言葉に驚いて、改めてテーブルの上を見た。
つやつやの白米に、彩りのあるサラダ、いい匂いの湯気が立つ味噌汁。そしてメインの唐揚げ。
定食屋の飯と言われてももうし分のない夕食に、感動するとともに、急に忘れていた食欲が湧いてきた。
「うまそ……」
「結構ジュージュー音してたと思うけど、聞こえなかった?」
「いや、気づかなかった。俺も食べていいの?」
よく見たら、一芽はちゃっかりエプロンまでつけてる。
俺の疑問に一芽は笑って頷き、
「もちろん! せーちゃんが和食好きだって言ってたから、和食にしてみたんだ」
その言葉に、少女漫画ばりにときめいてしまった。
「え……好き……」
「え?」
「違っ、その、唐揚げが! いただきます!!」
27
お気に入りに追加
50
あなたにおすすめの小説

こども病院の日常
moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。
18歳以下の子供が通う病院、
診療科はたくさんあります。
内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc…
ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。
恋愛要素などは一切ありません。
密着病院24時!的な感じです。
人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。
※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。
歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集
あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。
こちらの短編集は
絶対支配な攻めが、
快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす
1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。
不定期更新ですが、
1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
書きかけの長編が止まってますが、
短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。
よろしくお願いします!

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。


身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる