隣の夜は青い

No.26

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コンプレックスの二乗

01

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 『CIDER CLOWN』。通称サイクラ。
 最近の若者に爆発的な人気を誇る、日本の音楽ユニットだ。

 メンバーはボーカルの『メジ』と、作詞作曲とシンセサイザーを担当している『キラ』の二人。

 メジは元々、歌のカバーを動画投稿サイトにアップしていた、知る人ぞ知るネットシンガーで、そのハイトーンな透き通った声質と歌の上手さが評価されている。
 キラは一言で言えば『天才』だ。十代のころから音声合成ソフトを使った中毒性の高いポップミュージックのDTM(※パソコン上で制作する音楽のこと)クリエイターとして名を広め、動画投稿サイトに新曲をあげるたびに話題に登っていた。

 二人はユニットを組む前から個々として人気であったことで、知名度が急上昇しているらしい。俺は知らなかったが。

 そしてそのメジは、なんと先週一晩を共にした戸成一芽と同一人物だった。

 その情報を全て知った俺は……戸成と連絡を取るのをやめた。


   ☆☆☆


「……おい、メジ。聞いてるか、おい!」

 その声にはっと顔をあげると、眼鏡がオレの顔を覗き込んでいた。

「ご、ごめん、キラくん。なんて?」

 聞き返すと、目の前の眼鏡の男・キラくんは、不機嫌そうに目を細めた。

 キラくん……オレがボーカルを務める音楽ユニット、『CIDER CLOWN』の楽曲担当だ。
 『キラ』はもちろんアーティスト名で本名じゃないけど、オレは普段からキラくんと呼ぶことにしてる。
 いつも大きめのおしゃれなメガネをかけていて、前髪は真っ直ぐに切り揃えていた。
 背はオレよりも低いんだけど、それを言ったら怒られるからあまり触れないことにしている。

 今日はスタジオを借りて、朝から新曲の歌の練習をしていた。今は、その休憩中。

「なんだよ、元気なさそうだな。新しい恋を見つけたんじゃなかったのか?」
「う……それが」

 床に体育座りをしたまま、もう一度目の前のスマホに目を落とす。
 土曜日の約束を断られたきり、せーちゃんからの既読はない。
 キラくんはオレの様子を察したのか、ため息をついて、

「やれやれ、音速の失恋だな。……ん? 良いな、この単語」
「ちょっと、オレの恋愛を楽曲ネタにしないでよー。本気で悩んでるのに……」

 そう嘆くと、キラくんは椅子に座り直しながら、オレを見下ろした。

「メジは誰にでもすぐに距離を詰めすぎなんだよ。相手も引いたんじゃないか? もっと上手くやれよ」

 そう言われて、うっと言葉に詰まる。
 恋の駆け引きなんて、よくわからない。好きなものは好きだって言いたいし、好きな人にはたくさん会いたいし……。

「オレ……キラくんほど、要領よくないし」
「はあ、またそれか……」

 オレがボソボソ呟くと、キラくんは呆れたようにオレを見つめた。視線が痛い。
 そんなやりとりをしていたとき、ガチャリとスタジオのドアが開いた。

「ふ、二人とも、差し入れ持ってきたよ!」

 そうオレたちにたどたどしく声をかけるのは、くるくるした黒髪の、目隠れマッシュの男。スタバの紙バッグを大事そうに抱えている。

「臨、ありがとな」

 キラくんがそう言って紙バッグを受け取ると、彼は嬉しそうに頭をかいた。
 マッシュの男……面谷臨(おもてやのぞむ)は、キラくんの大学の同級生だ。けれど一年浪人していて、オレと同い年で二十二歳。

「ありがとう、ゾムくん!」

 オレは、彼のことを「ゾムくん」と呼んでいる。のぞむだから。漫画のキャラっぽくてかっこいい感じになるし。
 ゾムくんは、オレたちがユニットを組む前々からキラくんの作る曲が大好きだったらしく、いつも善意でオレたちの活動の手伝いをしてくれていた。
 私生活でもキラくんにこき使われているらしい……まあ二人がいいなら、オレもつっこまないけどさ。
 早速買ってきてもらった抹茶フラペチーノを一口飲む。フラペチーノなんて季節はずれだけど、スタジオは熱いからちょうどいい。

「え、えへへ。サイクラの新曲、本当に楽しみだなぁ……! いつもと少しテイスト変えるんだよね?」

 ワクワクした様子のゾムくんにそう聞かれて、キラくんは得意げにふっと笑う。

「そう、今回はロックテイストを強めにするんだ。もう少し調整して、最高な楽曲に仕上げてやる」
「わ、わあぁ…! ロック! いつか筐体にも追加されるよね?! 叩くの楽しみだなあ……!」

 そしてゾムくんは、筋金入りの音ゲーマーでもある。
 オレはキラくんに聞いた。

「そういえばオレの歌、どうだった?」
「だから、さっきその話をしようとしてたんだけど……」

 キラくんはアイスコーヒーのストローから口を離し、不服そうな目を向ける。けれど質問には答えてくれた。

「今のままでも良いけど、もっと吹っ切れたように歌えないか?」
「……吹っ切れたように?」
「いつもはもっと突き抜けたように歌ってるのに、今日は違った。なんかあるだろ、心当たり」

 そう言われて、ついせーちゃんのことが思い浮かぶ。

 オレは、せーちゃんのことはイケメンで塾の先生というスペック以外、何も知らない。
 けれど、こうして音信不通になって拒絶されても、どうしてか彼のことを諦められなかった。
 ……いや、もう一つ知っていることがあったっけ。

(せーちゃん、すごいエロかったな……)

 オレはせーちゃんとするまで、実は男相手も女相手もキス以上の本番をしたことがなかった。
 したい気持ちはあったけど、自分が入れるのも入れられるのも、なんとなく怖かったし。
 けれど、せーちゃんのリードが上手すぎて、怖いとかそういう気持ちがどっかに飛んでって、あのときはもはや自分が自分じゃなかった気がする。
 あの一晩で何回イかされたか、オレは覚えていない。……思い出しただけで顔が熱い。

 そうやって、会いたいのは単純に身体が気持ち良かったから、と思えた方がマシだったかもしれない。
 けれどせーちゃんのことを思い返すたびに、あの夜の夜明け、お互い疲れ果ててベッドに横たわった時のことを思い浮かべてしまう。

『はあ、楽しかった。……俺、本気になりそう』

 眠たそうにそう言って、オレの頬に優しくキスをしてきた、彼の表情。
 そしてそのまま寝落ちした彼が、なんていうかかっこいいのに可愛くて、それが全然忘れられなくて、頭の中でぐるぐる無限リピートしていた。
 ……オレ、本気でせーちゃんのこと……。

「逆に、ボクの曲はどうだった?」

 そうキラくんに聞かれて、はっと意識が現実に戻る。

「曲、すごくいいと思う! 歌ってて楽しかった。けどロックにするなら、もっとこう、ぎゅいんぎゅいーんみたいな音が強くても良い気がする」
「ぎゅいんぎゅいーん……リードギターか?」
「たぶんそう!」

 オレの足りない語彙力の説明でも、キラくんは思い当たる節があったらしく、少し考え込む。

「……なるほど……そうだな、ライブだし……ちょっと探してみるか」

 そして何か閃いたようで、また顔を上げた。

「よし、曲はレコーディング本番までに調整してみる。メジも、年末までまだ時間はあるし、気持ちの整理つけてきてよ」
「気持ちの整理……」

 けれど整理も何も、せーちゃんからの既読はないから、連絡できない。ラインもブロックされたかもしれないし……。
 そうして考えて、ふと良いことを思いついた。

「そうだ、こうなったら……」
「……おい、あんま問題になるようなことはやめろよ……?」
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