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 この世界の神は、まだ死んでいない。


 ◇◇◇


「――なんと美しい!」

 ステンドグラスの窓から光の溢れる、王城の大広間。
 輝く冠を頭にのせた国王は、オレの持つ一枚のキャンバスを見て、一際大きな声を上げた。

 描かれているのは、桃の木の側に立つ美しい女の姿。
 白い透き通った肌や、美しい白金の髪や、桃色の瞳が、油彩によって鮮やかに描かれている。

 ……いや、描かれている、とオレが言うのもおかしい。
 この絵は、オレが描いたから。

「こんなにも美しい女神・フラルーナ様の絵画は、今まで見たことがない……」

 国王はそう言って、オレに笑いかける。壁際に並ぶ従者たちも、国王の言葉に頷き同意を示していた。
 オレはマントを翻し、頭を下げた。

「お褒めに与り光栄です、国王様」
「おお、なんて謙虚な若者だ。頭を上げておくれ」

 国王様は大げさに腕を振り、再び顔を上げたオレに言った。

「セキ、と言ったな。そなたの実力は確かだ。我が国『ヴェルメーリ』の宮廷画家として迎えたい」
「……もちろん、喜んでお引き受けいたします」

 オレはまた、深々と頭を下げた。


 ――オレの名前は、セキ。
 田舎の村から画家を志して、この王都に来た若者……という『設定』。

 そう、『設定』だった。

 本名は篠宮積(しのみやせき)。本当はごく普通の日本人で、都内在住の美大生だった。

 けれど、地球にいたオレは、わずか十九歳という若さで死んだ。
 そして、ほぼ死ぬ前と同じ姿と能力のままで、地球とよく似た別世界――『アルコステラ』に転生したのだ。


 新しい宮廷画家を迎える拍手喝さいの中、オレは静かに頭を下げたまま、ニヤリと笑った。
 そして、心の中で叫ぶ。

(よっしゃあーーー!!! 宮廷画家!?! このオレが!!!)

 この世界の芸術のレベルは、地球の歴史でいう十四世紀頃。まだ遠近法なんかがはっきり確立されていない時代。
 つまり、約七百年先の未来の世界で培われたオレの画力は……この世界において最強ってワケだ!!!

(見える、このままこの画力で超人気宮廷画家に成り上がり大金を手にし海の近くの別荘で美少女ハーレムとキャッキャウフフする未来が見える……!)


 ――そう、このときのオレは思い込んでいた。
 この世界に転生した現代人は、オレ一人しかいないんだって。


 ましてや、オレが側になることなんて、一ミリも想定していなかった。



 ◇◇◇



 転生した、といっても、欲望と気合で転生できたわけじゃない。
 オレがこのキャンバスに描いたこの女神「フラルーナ」に、このアルコステラという異世界へ招待されたんだ。


 遡ること一ヶ月前。そのときのオレは、目を覚ますと冷たい床に寝ていた。

「なっ……なんだ、ここ?!」

 そして信じられない景色に、思わず声を上げた。
 オレの周りには、星空があった。横を見ても、下を見ても、どこまでも星空が続いている。自分のいるところには確かに床のようなものはあるんだけど、スケスケすぎて目で見ることができない。
 まるで、宇宙空間の中に透明なガラスがあって、その上に寝ているみたいな……。
 どこだよここ。どうなってんだ? 何なんだ!

「た、助けてぇー! 助けてええ!!」
「大丈夫、落ちたりはしないわ」

 情けない声をあげたそのとき、知らない声が上から降ってきた。
 首を動かし顔だけ上げる。そこには、美しい女の人がいた。

 シルバーブロンドの髪に、桃色の瞳。陶器のような真っ白な肌で、とても整った顔立ちをしている。
 そのふくよかな身体を包むのは、ローブのような、もしくは羽衣のような、ひらひらとした白い服。
 まるで、美術史の授業で死ぬほど見た、西洋の宗教画や彫刻に出てきそうな、若い女性。
 その姿は、正に。

「女神様……?」

 無信仰者のオレでも思わず、そう呟いてしまうくらいには。
 女神のようなその女性は、その血色の良い桃色の唇を開き、美しい声でこう言った。

「貴方、天の使いにならない?」
「……は?」

 天の、使い? 何言ってんだ、この人……。
 っていうか、そもそもここ何だ。夢の中? 感覚がやけにリアルだけど……。

「ああ、そうよね。いきなり言っても、混乱するわよね。順を追って話すわ」

 ぐるぐる考えていると、その女性はそう付け加えた。
 ……もしかして、この人、オレの心の中が読める?

「だって、神様だもの」

 女性は、にっこりと笑った。

「私は、フラルーナ。アルコステラの月の女神よ」

 ……『アルコステラ』?『月の女神』?
 聞き覚えのない単語に再び頭を抱えそうになるオレに、フラルーナは「立てる?」と、手を差し伸べた。

 ――アルコステラ。
 そこは、水があり、月があり、酸素がある、地球とほぼ同じ環境の惑星。
 フラルーナはその惑星で、月の女神として、人類に信仰されている神である。

 ……と、フラルーナは説明してくれた。

「そしてここは、貴方の魂と話すため、私が作った仮の世界よ。夢ではないわ」
「うーん、設定がファンタジー過ぎて、夢か何かとしか思えないけど……仮に本当だとして、その別の星の神様が、わざわざオレに何の用なの?」

 聞くと、フラルーナはオレの目を真っ直ぐ見て、言った。

「貴方に、アルコステラの危機を救ってほしいの」
「…………は?」

 壮大な提案に、絶句する。
 いや、いや。星の危機を救うって、そんなSF映画かアメコミみたいな話?!

「驚くかもしれないけれど、条件的に、貴方に……地球人の篠宮積さんにしか頼めないことなの」

 唖然とするオレに、フラルーナが言ったのはこうだ。

 アルコステラには、地球と全く同じ種類の知的生命体――人間が生きている。
 文明は、分野によって差があるものの、地球でいう西洋の中世後期頃まで進んでいる。

 そしてアルコステラの人間の間でも、地球にキリスト教や仏教があるのと同じように、“月の女神フラルーナ”を信仰する、『月教(げっきょう)』という宗教が存在した。

 人類史が始まって以降、アルコステラには月教を信じる者しかいなかった。
 そのおかげもあり、国同士は友好的な関係を保ち続け、大きな戦争も起きず、平和そのものであった。

 ところが最近、ある別のものが出回り、人間がそちらに心変わりしてしまっている。

「……別のもの?」
「そう。『魔術』よ」

 聞き返すと、フラルーナは真面目な顔でそう答えた。
 魔術。つまり魔法ってこと? へえ、RPGみたい。
 魔術を信じることの、何がいけないんだ? 面白そうじゃん。
 しかし、フラルーナは首を横に振った。

「貴方の想像しているものとは、少し違うわ。『魔を喚ぶ術』……とてつもなく恐ろしい、星一つを滅ぼすのも容易な『魔』を、降臨させてしまう術よ」
「魔?……って何? 化け物?」
「それに近いわ。それも、一種類じゃないの。人の気を狂わせるものもいれば、島一つを沈ませるものもいる……形もそれぞれで、人に擬態するものも、星より大きなものもいるそうよ」

 わくわくしない話だった。SAN値チェックや未知との遭遇展開があり得るってこと? そっちのRPGかよ。

「それ、もう終末じゃん、勝てないじゃん! そんなとこ行きたくないんだけど」
「安心して、未だ召喚に成功した人はいないわ。けれどこのまま信者が増えると、魔術の力が強まって、魔の召喚が成功してしまう……アルコステラが滅亡するかもってことなの」

 つまり、今は平和だけど、このまま魔術が広まれば終末になるってこと?

「そう。信仰の力が強くなると、実現の力も強くなるの」
「けど……オレにどうしてほしいの? 魔術を封印するの?」
「もちろんそれができたら一番良いのだけど、セキさんに頼みたいのは、間接的に魔術に対抗すること……つまり、私フラルーナの信仰を広めることよ」

 『信仰の力が、実現の力に』――それは、月の女神にも同じことが言えるのか。

「私の存在は、アルコステラの加護そのものなの。私の加護が強まれば、魔術の存在を消すことができる。だから、セキさんの技術を借りたいの」
「……なるほど、そういうことか」

 やっと、『オレ』に頼んできたその意味が、理解できた。

「つまり、オレにその別世界で、フラルーナの宗教画を描いてほしいってこと?」

 ――昔。地球では、文字の読めない市民に、司教はどうやって教えを広めたか?
 それは『絵』だ。
 宗教画家に、ステンドグラスや壁画に神の絵を描かせることで、市民に神の姿や教えを分かりやすく伝えていた。

 そしてオレ――篠宮積という十九歳の男は、小学校の子供絵画教室から始まり、この人生ずっと絵を描き続けて、今は美大の二年生。しかも絵画専攻で油絵を描いている。

「そうよ」

 フラルーナは、力強く頷いた。動く度に、美しい髪がきらきら光る。

「アルコステラの芸術は、地球に比べて成長が停滞しているの。それには、私が原因になっているところもあるのだけど……。セキさんは死んでしまったけれど、絵の技術は確かだわ。それに救うのは、住んでいる星は違っても、地球人と同じ種族の人類よ」
「うん……うん? 待って、今聞き捨てならない単語が聞こえた気がするんだけど」

 セキさんは、何だって???
 フラルーナは、心底不思議そうな顔をして首をかしげた。

「あら、もしかして覚えてないの? 自分が死んだこと」

 死んだ。
 ……死んだ? オレが?

「は……はああああ?!?!?!」

 喉が壊れそうなくらい、叫んだ。
 いやいや、いつ? 何で?!
 だって、オレ、めっちゃ健康だし、交通ルールだって守るし、そもそも家からバイト先も学校も全部徒歩圏内だし!

「もしかして……ショックで、直前の記憶が精神からもなくなっているのかしら」

 フラルーナは、心配そうにオレを見つめる。

「思い出せないのなら教えるわ。貴方が最後にいたのは、学校の近くの交差点。死因は、出血性ショック――」
「いや、いい。それ以上言わないで。オレ、グロいの無理だから」

 親切に話し始めたフラルーナを、遮った。
 交差点で、出血性ショック死って……それもう、事故か通り魔じゃん。トラウマレベルじゃん。
 知らぬが花。思い出してイヤな気になりたくない。

「とりあえず、オレが死んだってことにしとくけど……で、つまりなんだ、どうせ死んだなら別の星でちょっと手伝えって?」
「まあ、すごく簡潔に言えばそうね」

 フラルーナは、オレの言い方に少し笑ってから、

「セキさんは、無信仰者でしょう? 死んでも天国に行けないし、輪廻転生もできないわ。こんな類い稀な才能と技術を持っているのに、このまま無に還ってしまうのは、とても勿体ないと思うの」
「そ……そうかなあ~?」

 うわ、真面目な顔でめっちゃ褒められた。何? 全肯定女神? ちょっと満更でもないけど。
 うーん……これ、やっぱり夢なのかな? 都合良すぎじゃん。けどこんなの、オレの頭で想像できるスケールじゃないぞ。
 それに、仮に本当だとしても、新しい星なんかで上手く生きられる自信ないしなあ。
 悩んでいると、フラルーナはオレを見て、にっこり笑った。

「なに? なんで笑ってるの?」
「私の勝手な頼みですもの。セキさんが新しい場所に馴染めるように、補助は全力でするわ。それに……」

 女神が瞬きをした、次の瞬間。

 そこは、春の山だった。

「なッ……?!」

 足元には、黄緑の柔らかい芝の地面。側には、底まで透ける青く澄みきった小川。周りの木には桃が実っていて、甘い良いにおいがする。
 桃源郷、と呼ぶのが相応しいと思った。
 それに、あまりにもはっきりとした景色や音や香りに、わかってしまった。これが、夢じゃないんだって。
 なら、天国? いや、オレは天国には行けないってさっき言ってたし……。

 フラルーナは、側の桃の木の側に寄り添った。

「ここは、私がいるとされている場所。『桃月郷』っていうの」

 そよ風に、髪と服がたなびく。
 少し見惚れていたが、ふと、隣の切り株の上に画材一式が置いてあることに気がついた。

「アルコステラで、貴方は画家として重宝されるはずよ。……それでも嫌なら、残念だけど、セキさんの魂は無に還すわ」

 フラルーナは、少し悲しそうに微笑む。そんな笑みを浮かべていても、彼女は綺麗だった。

 けど、そっか、拒否したら、このまま死んだことになって消えるかもしれないのか……。
 それなら、新しい世界をちょっと試してから、っていうのも悪くない気がしてきた。

 …………ていうか、別世界の芸術が遅れてるなら、高校から芸術専攻行ってるオレ、無敵じゃね?

 すげーちやほやされて、絵がアホみたいに高い値段で売れて、めっちゃ金持ちになれるんじゃね?

 なんかうまい具合に権力行使できて、可愛い女の子そそのかして深夜のエロアニメみたいなハーレム作れるんじゃね?

 決めた。

「フラルーナさん、オレ、星の未来のためにがんばります!」
「貴方、その見た目のわりに結構欲深いし性格汚いわね」
「心の中読めるの忘れてたあああああ」

 膝をついて挫折のポーズをとる。畜生、良い子ぶれねぇ……!
 フラルーナにすんごい冷めた目で見られている気配がわかる。

「そういうとこまでは手助けできないけど、まあしたいなら好きにやりなさい。……話は変わるけど、その髪色気に入っている?」
「え?」

 また違った質問に、顔を上げる。オレの髪のこと?
 今は染めて、ミルクティーみたいな色にしてる。まあ、似合ってると思うし、わりと好きだけど。

「そう、私も好きよ」

 フラルーナは、ちょっと子供っぽく笑った。


 ◇◇◇


 ――オレが石橋を渡ろうとすると、両端に立つ二人の男が、こちらに槍を向けた。

 二人は、厳つい顔でこちらを見下ろしている。
 男たちは、オレよりずっと背が高いく、筋骨隆々だ。

「貴様、見ない顔だな。ここは王城の入り口である。庶民が気軽に通れる場所ではない」
「何者だ、身分と名を述べよ」
「ただの村人のセキです。ニホンという、遠いところから来ました」

 オレの答えに、門番の二人は目配せをした。

「ニホン? 聞いたことないな……」
「その田舎者が王城にどんな要件だ?」

 オレは、布に包んだキャンバスを背中から下ろし、石畳の上に立てた。

「国王様に絵を見てもらいたいんです。宮廷画家にしてもらいたくて」

 そうはっきり答えると、二人の男は飽きれたように嘲笑った。

「国王様はお忙しい。お前のような子供を相手にしているお暇はない」
「遥々来てもらったところ悪いが、お引き取り願おう」
「………………」

 子供、と呼ばれてキレそうになるのを抑えてから、オレは余裕の笑みを浮かべた。

「そうですか、せっかく描いたんだけどなあ……じゃあ、門番さんだけでも見てくださいよ?」

 そう言って、絵にかけられた布を取る。

 二人の門番は、目を丸くした。

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