4 / 16
4.
しおりを挟む「ひゃっ!」
「む」
驚いていたら頭上から低音の声が降ってきた。
目の前に真っ赤に熟れた色のワインが入ったグラスが通り過ぎて、おもわず動きを止めた。
ワイングラスを持つ手はぶつかった男とゾフィアとの間を遮るように差し出されていて、ゾフィアは己が庇われたのだと悟った。
「す、すみません」
2人に同時に謝る。
ぶつかった男――赤い前髪を押さえて奇妙な視線を送ってくる偉丈夫と、ワインを持ってきてくれたらしい金髪の騎士に、深々と頭を下げた。
赤毛の騎士は――鍛え上げられた浅黒い体躯から察するに、恐らくはこの方も王立騎士だろう――ゾフィアには軽く頷いて謝罪を受理し、そのあと金髪の騎士に顔を向けた。
視線にからかいの色が浮かぶ。
「お前が女連れとはな。堅物の名は返上か」
「もともと堅物ではありません、ヴォルフ上官こそお一人とは珍しいですね。――さては振られましたね」
「この俺を振る女などいるものか」
自信満々な言葉とは逆に、顔は皮肉気に歪められていた。
――振られたんだろうか。
ゾフィアはヴォルフと呼ばれた男をまじまじと見る。
そして、あれっ?と思った。
なんとなくだが、この人は見たことがあるような気がする。
だけどいったいどこでだろう。思い出せない。
気のせいだと首を振ると、改めてヴォルフを見た。
赤く剛そうな髪になんとも野性味あふれる顔立ち、とくに目が印象的だった。射竦められそうな切れ長の目は、深い藍色を静かに湛えている。
男性的だが粗野な印象はない。背はゾフィアよりも頭1個分ほど高いので相当長身の部類に入るだろう。ゾフィアより背の高い金髪の騎士よりもさらに上背があった。
歳はおそらく27~30あたりで、どことなく落ち着いた雰囲気の男の色香を感じさせる人である。上官だというのだから騎士団の中でも恐らくは上位に位置しているのだろう、身分も申し分なさそうだ。
――客観的に見て、どこからどう見ても良い男である。振られるとは信じがたい。
金髪の騎士も同じ感想だったようで、ブフッと噴き出すと口元に手を添えた。
「上官は本当に振られたんですね」
「俺と踊るのは疲れそうだなどと……。はっ!昨今の令嬢は軟弱なことだ」
「ああ、なるほど。その理由は納得ですね」
あごを押さえてうんと頷く金髪の騎士をヴォルフは低く唸って黙らせると、ゾフィアに向きなおり、金髪の騎士の頭を軽く小突く。
「――紹介は?」
金髪の騎士の顔にサッと陰りが広がった。
金髪の騎士が物言いたげな視線を寄越すので、ゾフィアは自分から名乗るべきなのかなと回らない頭でそう考える。
社交は苦手で、こんなときにすぐ答えられない。
「……あ、すみません。私はヴァルトハウゼ」
「嫌ですよ!ダメです!」
自己紹介を強い口調で遮られ、面食らった。
あれ違う?自ら名乗るべきじゃなかったのかしら、と慌てて金髪の騎士に問うような視線を送ると、金髪の騎士はまるで挑むような視線をヴォルフに向けている。
ヴォルフはそれを、さも面白いものを見たという顔で見やった。
「アルフレート、ただ名前を聞くののなにがダメだと?」
「……っこの!わかって言っているでしょう、本当に人が悪いんだから。ついでに俺の名前を言うのもダメだっていうのに、この人は本当に本っ当にもう!!」
今にもヴォルフの額に頭突きでもかましそうな剣幕で怒るアルフレートを、ゾフィアは不思議な気分で見やった。
そういえば私、この方の名前も知らなかったのだわ。
1年も前から声をかけられ続けているのに、今まで一度も尋ねたことがない。尋ねられた記憶もなかった。
「アルフレート、さま?」
ヴォルフに食ってかかっていたアルフレートはゾフィアの囁きにピタッと動作を止めた。
数秒してヴォルフから一歩引くと、小さな小さな声で、
「はい」
と返事が返ってくる。
後頭部から見える耳たぶが赤い。
それをゾフィアとヴォルフは見て、ゾフィアはギョッとしヴォルフは豪快に噴き出した。
そのままたっぷり1分ほどゲラゲラと笑われ続けて、決まり悪そうに振り返ったアルフレートと呼ばれた金髪の騎士の顔は、額から首のあたりまで真っ赤だ。それを自分でも恥ずかしく思っているのか、片手で顔を覆い隠して表情を悟られないようにしている。
「……だから、その、貴方がダンスに誘うと逃げるって噂と、名前を尋ねると逃げるって噂があってですね……」
――そ、そんな噂があったなんて、全く知らない!
ゾフィアは目を見張る。
もしや貴公子等から逃げ回っているのが噂になっていた?
そう思うと頬が火照って赤くなってしまう。確かに彼女は今までダンスに誘われれば間髪入れず断り、それでも引かない相手には逃げの一手を打っていた。
逃げの一手とは、文字通りその場から逃げ出すことだ。適当な言い訳でその場を離れ、密かに別の場所へと移動する。元の場所へは戻らない。
名前を聞かれ、それに答えることも同様だった。
相手に家と身分を知られてしまえば、その後、共通の知人の話題を持ちだされて話が長くなるばかりでなく、後日になって実家宛てに突如、求婚の手紙が来たりする。親戚と連れ立ってやってきて仲を取り持たせようとする例も、数回ほどではあるが経験していた。
ようは外堀を埋められるのを避けるために、ひたすら逃げ回っていたのだ。
適当に『花摘みに』とでも言えば付いて回られることもないし口下手なゾフィアにとっては便利な手だったわけだが、まさかそんな細かなことまで噂になっていようとは思いもしなかった。
は、恥ずかしい……。淑女にあるまじき行為よね。いったいいつからそんな不名誉な噂が出回って……ああ多分アルフレート様がかたくなに名前を聞かなかったのだから、お声をかけていただいた1年前にはもうとっくに社交界では私の不名誉な噂が周知されていたんだわ。
だから父上はあんなに怒っていらした。
知らぬは本人ばかりなり、顔から火が出そうとは、まさにこのことだ。
陶磁器のように白くきめ細やかな肌をバラ色に染め上げ、ただただ恥じ入るゾフィアを2人の騎士は眺める。
「に、逃げていたのは事実ですから大丈夫です。でも人に指摘されるのは、は、恥ずかしいです、ね……」
最後はもう消え入りそうな声しか出なかった。
「貴方のお耳には入れないつもりだったんですが、ああもう上官のせいですよ。淑女に恥をかかせるようなことを言わせるから!」
口調こそ怒っている風をよそおってはいるが、アルフレートの顔はだらしなくヤニ下がっている。鉄面皮のゾフィアがめずらしく照れたので嬉しそうだ。
顔を伏せてしまったゾフィアの頭にポンと手を置き、綺麗な銀髪をやさしい手つきで労わるように撫ですいている。
ヴォルフはそんな部下に鼻白んだ視線をむけ、
「阿呆は見てられん」
と心底あきれたような声でこぼし、アルフレートの左手に握られっぱなしだった赤ワインの入ったグラスをひったくると、グイっと煽って飲み干した。
「あっ、それはゾフィア嬢のために用意したワイン!」
「もう飲んだ」
――アルフレートの顔色が険しいものに変わり、さっとヴォルフを避けるかのように顔を背ける。
飲み干したワイングラスの底を、ヴォルフは眼光鋭く睨みつけていた。
0
お気に入りに追加
78
あなたにおすすめの小説
神様の手違いで、おまけの転生?!お詫びにチートと無口な騎士団長もらっちゃいました?!
カヨワイさつき
恋愛
最初は、日本人で受験の日に何かにぶつかり死亡。次は、何かの討伐中に、死亡。次に目覚めたら、見知らぬ聖女のそばに、ポツンとおまけの召喚?あまりにも、不細工な為にその場から追い出されてしまった。
前世の記憶はあるものの、どれをとっても短命、不幸な出来事ばかりだった。
全てはドジで少し変なナルシストの神様の手違いだっ。おまけの転生?お詫びにチートと無口で不器用な騎士団長もらっちゃいました。今度こそ、幸せになるかもしれません?!
戦いに行ったはずの騎士様は、女騎士を連れて帰ってきました。
新野乃花(大舟)
恋愛
健気にカサルの帰りを待ち続けていた、彼の婚約者のルミア。しかし帰還の日にカサルの隣にいたのは、同じ騎士であるミーナだった。親し気な様子をアピールしてくるミーナに加え、カサルもまた満更でもないような様子を見せ、ついにカサルはルミアに婚約破棄を告げてしまう。これで騎士としての真実の愛を手にすることができたと豪語するカサルであったものの、彼はその後すぐにあるきっかけから今夜破棄を大きく後悔することとなり…。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛
らがまふぃん
恋愛
こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。
*らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?
石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。
ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。
ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。
「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。
扉絵は汐の音さまに描いていただきました。
身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~
湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。
「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」
夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。
公爵である夫とから啖呵を切られたが。
翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。
地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。
「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。
一度、言った言葉を撤回するのは難しい。
そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。
徐々に距離を詰めていきましょう。
全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。
第二章から口説きまくり。
第四章で完結です。
第五章に番外編を追加しました。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる