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初めてとそれからと ~同棲大学生編~
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ふと、気になった。
アナログ時計がカチカチと歩みを進め、天上にて短針と長針を交えた正午過ぎ。
純白のレースカーテン越しに透き通る陽光が、
彼の耳にいくつも開いた小さな穴たちの陰影を色濃くさせるその様に、
(増えたなぁ……)
なんて、漠然とした感想が浮かんだ。
彼が初めてピアスを開けた当時、柔らかな耳たぶには左右一つずつ穴が開いているだけだった。ぽっかり開いたまだ初々しいそこにエメラルドの輝きが埋まっていたことをしっかりと記憶している。……自分があげた、あの緑の石が。
それから、気がつけば彼の耳はどんどんと色付いていった。ヘリックス、トラガス、スナッグ……開けられる部分に、どんどんと金属が突き刺さった。現に今だって耳の縁は鈍色のイヤーカフが包み込み、対耳輪とも呼ばれる内側の軟骨には小さな赤い石が二つ埋まっている。もちろん、イヤーロブにもシャラシャラと揺れ動く飾りが存在を主張していた。様々な飾りで飾り付けられた耳たぶは、されど見た目の騒がしさよりもダウナーな格好良さを感じさせている。
彼の賑やかな耳元を眺める度に、蒼乃の内側にはドロドロとした粘り気のある欲望が溢れてくる。初めて彼の耳に針を刺したのは己だ。開けたのは自分だ。彼がピアスを開けるようになったきっかけはおれだ。
あの日、針を穿ち深く刺しこんだ独占欲が主張を始める。
始まりは高校1年生の頃。付き合いたてだった当時、蒼乃が身に付けていたピアスに彼が興味を持ったことが始まりだった。何も言わないくせに事あるごとにじっとこちらを見つめ、耳に視線が集まっているのをたびたび感じていた。その無垢な瞳が大層可愛らしくて、穢れを知らなそうな雰囲気が背徳的で、彼のまっさらな柔い耳たぶに針を突き立てたくなった。
すべては善意に見せかけた独善で、厚意に見せかけた独占欲だ。
そうして、煩悩をひた隠しながら観察される日々を過ごしていたとある日。「ピアス、開けたい」とようやく彼が口にしたその日に、善は急げとピアッサーを買って耳を消毒してやった。触れた耳の温もりを今でも鮮明に覚えている。するするふかふかと撫で心地の良かった、傷ひとつない皮膚の感触も。
「……なに」
「んにゃ? 増えたな~って」
ピアスがさ。
そう付け加えながらゴツゴツとした金属の感触に指を這わせた。冷たいはずのソレは、触れた彼の体温によって程よく温もりを得ている。指が当たる度にシャラシャラと飾りが揺らめいた。
「ね、ピアス外して」
「付け直すのめんどいから却下」
「おれが付けてやるから。な?」
「めんどくせー……」
そうは言いつつも外してくれるのだから、彼は大概自分に甘い。甘やかされる優越感と愛しさに蒼乃の顔は文字通り破顔していくのを感じた。一つひとつ、輝きが耳元を離れていく。鈍色が、赤色が、揺らめく銀の流れ星が、耳を去ってローテーブルへと着地する。
全てが去ると、彼は「はい、どーぞ」とばかりに蒼乃を見た。触れる許しを与えたのだ。その事実がまた仄かな熱を帯びて胸に染みていく。
今は何もついていない彼の耳に触れる。コツコツ、ぽつぽつと、凹凸の増えた耳はあの日のような絹の滑らかさを無くしていた。されど、穴の開いていない部分は依然としてするすると手触りが良い。こうなってくると凹凸の感触すらもちょっとしたスパイスになって心地よく思えてくるのだから、人間という者は余程『愛』というモノに正直者らしい。
するり、ぽこり、するり、ぽこり、
滑らかさと窪んだ感触が異なるテイストで指先を楽しませてくれる。赤ちゃんはすぐ穴に手を入れたがる……なんて話を昔近所に住んでいた婦人から聞いたことがあるけれど、彼らもこの違いを楽しんでいたのだろうか。だとしたら、すぐに触れたくなるその気持ちも分からないでもない。この感触はずっと触れていたい。
「やめろ、くすぐったい」
「えー。だって手触り良くってさぁ」
するり、するり、指の腹で優しく耳の縁を撫ぜる。その度に彼の身体はぴくぴくと反応し、肩が揺れていた。嫌がるように身体が手から逃げていく。そして、じっとりとねめつける赤い瞳と目が合った。脳裡で猫の威嚇が彷彿とされる。これ以上は引っ掻かれても文句は言えまい。
仕方が無いので、両手を上げてサレンダーを示してやった。もう何もしない。だから、そう怒らないでくれと全面的に見せつけ主張する。本音を言えばもっと触っていたかったけれど、久しぶりの甘く優しい時間を喧嘩で終了なんてことにはしたくない。ここは大人しく引き下がって、彼が機嫌を直した後にまたもう一度触らせてもらおう。
「ごめんて。もうしないから」
「…………」
「ほんとだよ?」
「…………」
「…………いや、後で触らせてもらえたら助かる…けどね?」
じっと静かに見つめる瞳に根負けした。大切で愛おしい恋人が自身に非難の目を向けてくる、この痛みと苦しみに勝てる者など居るのだろうか。少なくとも蒼乃には無理だった。居るのだとすれば、相当口が達者かポーカーフェイスが上手いのだろう。
『触りたいです』。素直に白状にすれば渋々といった風に彼が体を少し傾けた。耳が見えやすいように体勢を変え、これで満足かと目が訴えている。これを慈悲と呼ばずして何を慈悲と呼ぶのか。
「もぉ……ほんと好き」
「変なとこで再確認すんな。気持ちわりぃ」
口の悪さは相変わらずだ。大学生になった今でも変わらない。この胸にある愛おしさも、独占欲も、決して変わらない。変わったものがあるとするなら、このピアスホールが沢山見える耳と自分たちの生活環境くらいだ。彼の耳からピアスホールが減ることは無いし、この同棲だって滅多なことでは解消されないだろう。生活リズムが変わり、会えない日々が続いたとしても。
彼の耳にピアスを開けた人間が誰かは変わらないし、
彼が誰を好きで誰と共に居るのかも変わらない。
生まれた事実は何一つ変わらないのだ。
最初に開けたピアスホールは、今では他の穴と混ざり合ってただの穴になっている。きっかけの一針は既に過去のもので、その意味の重要性は自分だけのものかもしれない。だが、それでいいのだと蒼乃は思う。
善意と厚意と独占欲。含まれた感情のバランスは彼も知らないで良い。ただの善意と思ってくれていればいいし、あの出来事をきっかけに彼がピアスというお洒落を楽しむようになった喜びだけを真実にすればいい。彼を穢したのだという事実も、彼が自分のモノだというアピールも、すべては子どもじみた我欲の果てなのだから。
「なぁ、しーちゃん」
「うん?」
ありがたく彼の耳に触れながら、ぼんやりと口を開いた。
「新しいピアス欲しくない?」
「俺の?」
「お前の」
擽ったそうに僅かに身を捩りながら、彼は何か考えるように視線を空に漂わせた。
じっと明後日を見つめ思案する。そうして、たっぷりと時間を使って、アナログ時計の中に住む一番の働き者がコツコツ半周は歩を進めたくらいで、
「……お揃いがいい」
なんて、大変愛らしい呟きを零したのだった。
撫ぜた耳が仄かに熱を持つ。見えた頬がぽおっと色づく。硬派や格好いいに分類されるだろう、かの相貌が、弱々しく口をつぐむ。真っ赤な宝石はふいとそっぽを向いてしまった。
お揃い。お揃いが良い。
口の中で、心で、何度も反芻する。
ふにゃふにゃ緩む口元が抑えられなくて、
呼応する新緑の眼は三日月を描く。
嗚呼、そうだ。確かに。
――確かに、どうせならきみとお揃いが良い。
「うん、じゃあ……次はお揃いね」
「……ん」
すっかり朱に染まった頬に額に口付けて、最後に薄く柔らかな果実へ唇を落とした。
熱くて、甘くて、愛おしかった。
アナログ時計がカチカチと歩みを進め、天上にて短針と長針を交えた正午過ぎ。
純白のレースカーテン越しに透き通る陽光が、
彼の耳にいくつも開いた小さな穴たちの陰影を色濃くさせるその様に、
(増えたなぁ……)
なんて、漠然とした感想が浮かんだ。
彼が初めてピアスを開けた当時、柔らかな耳たぶには左右一つずつ穴が開いているだけだった。ぽっかり開いたまだ初々しいそこにエメラルドの輝きが埋まっていたことをしっかりと記憶している。……自分があげた、あの緑の石が。
それから、気がつけば彼の耳はどんどんと色付いていった。ヘリックス、トラガス、スナッグ……開けられる部分に、どんどんと金属が突き刺さった。現に今だって耳の縁は鈍色のイヤーカフが包み込み、対耳輪とも呼ばれる内側の軟骨には小さな赤い石が二つ埋まっている。もちろん、イヤーロブにもシャラシャラと揺れ動く飾りが存在を主張していた。様々な飾りで飾り付けられた耳たぶは、されど見た目の騒がしさよりもダウナーな格好良さを感じさせている。
彼の賑やかな耳元を眺める度に、蒼乃の内側にはドロドロとした粘り気のある欲望が溢れてくる。初めて彼の耳に針を刺したのは己だ。開けたのは自分だ。彼がピアスを開けるようになったきっかけはおれだ。
あの日、針を穿ち深く刺しこんだ独占欲が主張を始める。
始まりは高校1年生の頃。付き合いたてだった当時、蒼乃が身に付けていたピアスに彼が興味を持ったことが始まりだった。何も言わないくせに事あるごとにじっとこちらを見つめ、耳に視線が集まっているのをたびたび感じていた。その無垢な瞳が大層可愛らしくて、穢れを知らなそうな雰囲気が背徳的で、彼のまっさらな柔い耳たぶに針を突き立てたくなった。
すべては善意に見せかけた独善で、厚意に見せかけた独占欲だ。
そうして、煩悩をひた隠しながら観察される日々を過ごしていたとある日。「ピアス、開けたい」とようやく彼が口にしたその日に、善は急げとピアッサーを買って耳を消毒してやった。触れた耳の温もりを今でも鮮明に覚えている。するするふかふかと撫で心地の良かった、傷ひとつない皮膚の感触も。
「……なに」
「んにゃ? 増えたな~って」
ピアスがさ。
そう付け加えながらゴツゴツとした金属の感触に指を這わせた。冷たいはずのソレは、触れた彼の体温によって程よく温もりを得ている。指が当たる度にシャラシャラと飾りが揺らめいた。
「ね、ピアス外して」
「付け直すのめんどいから却下」
「おれが付けてやるから。な?」
「めんどくせー……」
そうは言いつつも外してくれるのだから、彼は大概自分に甘い。甘やかされる優越感と愛しさに蒼乃の顔は文字通り破顔していくのを感じた。一つひとつ、輝きが耳元を離れていく。鈍色が、赤色が、揺らめく銀の流れ星が、耳を去ってローテーブルへと着地する。
全てが去ると、彼は「はい、どーぞ」とばかりに蒼乃を見た。触れる許しを与えたのだ。その事実がまた仄かな熱を帯びて胸に染みていく。
今は何もついていない彼の耳に触れる。コツコツ、ぽつぽつと、凹凸の増えた耳はあの日のような絹の滑らかさを無くしていた。されど、穴の開いていない部分は依然としてするすると手触りが良い。こうなってくると凹凸の感触すらもちょっとしたスパイスになって心地よく思えてくるのだから、人間という者は余程『愛』というモノに正直者らしい。
するり、ぽこり、するり、ぽこり、
滑らかさと窪んだ感触が異なるテイストで指先を楽しませてくれる。赤ちゃんはすぐ穴に手を入れたがる……なんて話を昔近所に住んでいた婦人から聞いたことがあるけれど、彼らもこの違いを楽しんでいたのだろうか。だとしたら、すぐに触れたくなるその気持ちも分からないでもない。この感触はずっと触れていたい。
「やめろ、くすぐったい」
「えー。だって手触り良くってさぁ」
するり、するり、指の腹で優しく耳の縁を撫ぜる。その度に彼の身体はぴくぴくと反応し、肩が揺れていた。嫌がるように身体が手から逃げていく。そして、じっとりとねめつける赤い瞳と目が合った。脳裡で猫の威嚇が彷彿とされる。これ以上は引っ掻かれても文句は言えまい。
仕方が無いので、両手を上げてサレンダーを示してやった。もう何もしない。だから、そう怒らないでくれと全面的に見せつけ主張する。本音を言えばもっと触っていたかったけれど、久しぶりの甘く優しい時間を喧嘩で終了なんてことにはしたくない。ここは大人しく引き下がって、彼が機嫌を直した後にまたもう一度触らせてもらおう。
「ごめんて。もうしないから」
「…………」
「ほんとだよ?」
「…………」
「…………いや、後で触らせてもらえたら助かる…けどね?」
じっと静かに見つめる瞳に根負けした。大切で愛おしい恋人が自身に非難の目を向けてくる、この痛みと苦しみに勝てる者など居るのだろうか。少なくとも蒼乃には無理だった。居るのだとすれば、相当口が達者かポーカーフェイスが上手いのだろう。
『触りたいです』。素直に白状にすれば渋々といった風に彼が体を少し傾けた。耳が見えやすいように体勢を変え、これで満足かと目が訴えている。これを慈悲と呼ばずして何を慈悲と呼ぶのか。
「もぉ……ほんと好き」
「変なとこで再確認すんな。気持ちわりぃ」
口の悪さは相変わらずだ。大学生になった今でも変わらない。この胸にある愛おしさも、独占欲も、決して変わらない。変わったものがあるとするなら、このピアスホールが沢山見える耳と自分たちの生活環境くらいだ。彼の耳からピアスホールが減ることは無いし、この同棲だって滅多なことでは解消されないだろう。生活リズムが変わり、会えない日々が続いたとしても。
彼の耳にピアスを開けた人間が誰かは変わらないし、
彼が誰を好きで誰と共に居るのかも変わらない。
生まれた事実は何一つ変わらないのだ。
最初に開けたピアスホールは、今では他の穴と混ざり合ってただの穴になっている。きっかけの一針は既に過去のもので、その意味の重要性は自分だけのものかもしれない。だが、それでいいのだと蒼乃は思う。
善意と厚意と独占欲。含まれた感情のバランスは彼も知らないで良い。ただの善意と思ってくれていればいいし、あの出来事をきっかけに彼がピアスというお洒落を楽しむようになった喜びだけを真実にすればいい。彼を穢したのだという事実も、彼が自分のモノだというアピールも、すべては子どもじみた我欲の果てなのだから。
「なぁ、しーちゃん」
「うん?」
ありがたく彼の耳に触れながら、ぼんやりと口を開いた。
「新しいピアス欲しくない?」
「俺の?」
「お前の」
擽ったそうに僅かに身を捩りながら、彼は何か考えるように視線を空に漂わせた。
じっと明後日を見つめ思案する。そうして、たっぷりと時間を使って、アナログ時計の中に住む一番の働き者がコツコツ半周は歩を進めたくらいで、
「……お揃いがいい」
なんて、大変愛らしい呟きを零したのだった。
撫ぜた耳が仄かに熱を持つ。見えた頬がぽおっと色づく。硬派や格好いいに分類されるだろう、かの相貌が、弱々しく口をつぐむ。真っ赤な宝石はふいとそっぽを向いてしまった。
お揃い。お揃いが良い。
口の中で、心で、何度も反芻する。
ふにゃふにゃ緩む口元が抑えられなくて、
呼応する新緑の眼は三日月を描く。
嗚呼、そうだ。確かに。
――確かに、どうせならきみとお揃いが良い。
「うん、じゃあ……次はお揃いね」
「……ん」
すっかり朱に染まった頬に額に口付けて、最後に薄く柔らかな果実へ唇を落とした。
熱くて、甘くて、愛おしかった。
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