上 下
19 / 19
監禁生活

七話・とば口の日③

しおりを挟む
 3時間ほど経った頃、漸く重たい体を起こす気になってベッドから這い出た。一度目覚めた時にさっくりと周囲を歩いてはいたが、やはりこの場に残されたメアの痕跡はキッチンにある洗われた後の綺麗な食器だけのようだ。開封済みの食パンの袋が棚の中で寝転んでいる。おそらくこれを食したのだろう。

「…………ぁ、」

 何ともなしに目を向けた電子レンジ、その中で皿が一つ鎮座している。そのことに気が付いて、アイネの足が止まる。レンジ内を覗く為の黒く濁った硝子越しに、ラップが皿にかけられていることが分かった。何か食品を保管しているようだ。
 レンジの蓋を開ける。仕舞いこまれて時間が経っているそこからは、もう熱気のようなものは何も感じなかった。皿の上にはレタス入りのハムサンドが二つばかり乗り、その断面はとても瑞々しい。綺麗に整えられた切断面は市販品を思わせるが、されどアイネにはこの光景に見覚えがあった。

 幼い頃、清く純潔だった頃。
 メアの家で今日のような光景を見た。寄り添うように二つ並んだサンドイッチ。具材は確かタマゴで、ハムサンドでは無かったけれど。「二人で仲良くお食べください」と家政婦の人が作ってくれたそれが、当時のアイネには嬉しくて、頬が落ちそうなほど美味しかったと覚えている。さっぱりとした塩味のタマゴにマヨネーズが絡んで、彩りに添えられたレタスがシャキシャキと食感を楽しませてくれた。

 懐かしい記憶、郷愁を誘う愛おしい思い出。
 あの頃のことを、メアも覚えているのだろうか。
 それとも、これは偶然の一致というものか。

「……いただき、ます……」

 見つけてしまったから。腐ったら勿体ないから。
 そんな言い訳を自分の中で繰り返して、ハムサンドを一口齧った。塩味のきいたハムとシャキシャキのレタス。マヨネーズの代わりにバターかマーガリンの風味を感じる。あの日のような、違うような、そんな味。戻れる訳がないのだ、過去になんて。
 昨日、メアと出会った時に食べさせられたサンドイッチでは何も思わなかったのに。今日はどこか違う味がする。

「アイツ、……帰ってきたら抱くのかな」

 思い出の味が消えていく。タマゴはハムに、マヨネーズはマーガリンに、郷愁は戸惑いに。一口齧る度に何かが変わっていく。それでも、シャキシャキと音を立てるレタスと「美味しいな」と感じる味覚だけは変わらなかった。

 メアは、何を思ってこんなことをしているのだろう。
 自己停止させられぬ疑問が数十周目の周回を始める。何度考えたって答えは出ない。逃げ場も無い。昨日の今日で考えを改めてもくれないだろう。此処に帰ってきたのなら、きっとその時はまた身体を暴かれる。嫌だと言っても、やめろと言っても、きっと彼は聞いてはくれない。

 残されていたハムサンドをすべて胃の中に収めた頃、アイネはぽつりと呟いた。

「…………お前がわかんねぇよ」

 この言葉が、ちゃんとメアに届いたのなら――。そこまで考えて頭を振る。届いたところで、その先の関係性は変わってしまっている。たとえ良い方向へと歩めたとて、起こった事実は変わらない。彼が自分を何度もレイプしたこと、自分の身が穢れきっていること、彼が自分を監禁していること。今はまだ、どれだけ好意的に捉えたくとも上手く咀嚼出来はしなかった。

 メアに犯された。
 そう認識する度、昨夜の情交が瞼の裏にこびり付く。
 胎奥に出された感覚が脳を焼く。
 彼がこれからも交わりを求めるのなら、種が芽吹くのも時間の問題だ。

 食事も摂り、しっかりと睡眠も取れたからだろうか。それとも、正常稼働を始めた脳が他人事として処理したがっているのだろうか。昨夜から起床直後にかけて味わったあの強い困惑と拒絶はあまり無く、これからどうなるのだろうと先のことを考えている。
 ……もっとも、おそらく待ち受けているのは最悪の未来願っていた未来なのだが。

――「俺はアイネを愛したい孕ませたいだけだよ」

 昨夜のメアの言葉が耳元で聞こえた気がした。


 いっぱい愛してほしかった。
 胎の底まで、満たすほど。
 溢れるほどの空っぽな情欲でいいから……――満たして、そう願ってた。
 でも、欲しいと思った現実はこんなものじゃなかったんだ。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

中華マフィア若頭の寵愛が重すぎて頭を抱えています

橋本しら子
BL
あの時、あの場所に近づかなければ、変わらない日常の中にいることができたのかもしれない。居酒屋でアルバイトをしながら学費を稼ぐ苦学生の桃瀬朱兎(ももせあやと)は、バイト終わりに自宅近くの裏路地で怪我をしていた一人の男を助けた。その男こそ、朱龍会日本支部を取り仕切っている中華マフィアの若頭【鼬瓏(ゆうろん)】その人。彼に関わったことから事件に巻き込まれてしまい、気づけば闇オークションで人身売買に掛けられていた。偶然居合わせた鼬瓏に買われたことにより普通の日常から一変、非日常へ身を置くことになってしまったが…… 想像していたような酷い扱いなどなく、ただ鼬瓏に甘やかされながら何時も通りの生活を送っていた。 ※付きのお話は18指定になります。ご注意ください。 更新は不定期です。

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜

飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。 でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。 しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。 秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。 美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。 秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

スライムパンツとスライムスーツで、イチャイチャしよう!

ミクリ21
BL
とある変態の話。

異世界転生先でアホのふりしてたら執着された俺の話

深山恐竜
BL
俺はよくあるBL魔法学園ゲームの世界に異世界転生したらしい。よりにもよって、役どころは作中最悪の悪役令息だ。何重にも張られた没落エンドフラグをへし折る日々……なんてまっぴらごめんなので、前世のスキル(引きこもり)を最大限活用して平和を勝ち取る! ……はずだったのだが、どういうわけか俺の従者が「坊ちゃんの足すべすべ~」なんて言い出して!?

【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集

あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。 こちらの短編集は 絶対支配な攻めが、 快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす 1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。 不定期更新ですが、 1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 書きかけの長編が止まってますが、 短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。 よろしくお願いします!

処理中です...