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序章
敬愛する人の話 ~序章~
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俺の母さんは名の知れた娼婦だった。
艶のある長い髪には香りの良いオイルを塗り、柔らかな唇には鮮やかな紅を、産毛も見えない滑らかな体には背中の大きく開いたドレスを、そしてトレードマークの真っ赤な薔薇の髪飾りをいつも最後に身につけていた。
客の相手をする合間に俺とも遊んでくれた母さん。低い身分に生まれても尚、学ぶことを放棄せず知恵と知識を蓄え続けた母さん。俺は母が亡くなった今でも彼女のことを尊敬している。
――「本当は、もっと良い環境で産んであげたかったんだけどね。流石にアタシが納得のいく男とは出会えなかったよ」
――「いいかい、この世には他者を見下さないと気が済まない奴はごまんと居る。相手に汚点や落ち度が無くとも蔑める点を探そうとする奴がね。そういうものは、身分を問わず人の心に住みつく悪魔さ。もちろん、悪魔は比喩だけどね。そういう奴も多くいるんだ」
――「この仕事を良くも悪くも言う気は無いよ。そんな風に自分を悲観してもアンタ一人すら幸せに出来ないんだから。でも、そうだね。だからこそ、……あたしはアンタにはもっと別の職に就いてほしいと思うよ。…………マ、アンタが決めたことなら否定もしないけどねぇ」
俺は娼婦の子だ。遊び場は娼館の庭だったし、物心つく頃には快楽に喘ぐ男女の声を聞いていた。体が成熟するよりも前に下郎どもからは徒に性技をしこまれ、姐さんたちにはお菓子を貰って可愛がられた。
だから、俺は同性である男どもと居るよりも姐さんたちと居る方が気が楽になって好きだった。姐さんたちは俺を性的な目で見ない。むしろ、そんな男色の目から俺を守ってくれた。頭を撫でてくれる姐さんたちの手が好きだった。……たとえ、その手が夜には何処の馬の骨とも知れぬ男の太棹を握っていても。
「あっ、あぁん、ぁあ~~っ、んぁ、だ、だんな、だんなさまぁ……ッ」
「んぅぅっ、あ、はぁんっ、きもち、きもちぃっ」
「……さまぁ、そこ、そこれすぅ…んひ、あぁ~~~っっ」
今日もまた、娼館の至る所で姐さんたちの喘ぐ声が薄らと聞こえる。もはや聞き慣れた嬌声に、特に体は反応を示さなかった。
ただ、聞こえる声が演技でもなく甘く蕩けているものが多かったから、「あぁ、下手な奴の相手はさせられていないんだな」と少しばかりホッとした。下手な奴ほど行為が乱暴だから、終わった頃には姐さんたちの大事なところが酷いことになってしまうことが多かったから。
今日も怪我をせず終われば良いな、そう願うことしか出来なかった。
音を立てずその場を離れ、俺は静かに歩みを進める。そうして、とある部屋の前で立ち止まった。他の部屋の扉とは違い豪華な装飾がなされたこの扉は、遠目からでも一際目を引いた。扉の中を知ってる俺はドアノブを握ってからも数秒開くことを躊躇い、それから深く呼吸を二度三度と繰り返して、ようやく意を決しゆっくりと腕を引いた。
キィ……と僅かに軋んだ音を立てて、扉が開く。我先にと飛び出してきたのは甘く柔らかな匂い。花の香りを思わせる芳香に、思わず体が強ばった。
部屋の中には大柄な男が一人、ベッドの上に腰掛けていた。俺が入ってくるのに気が付くと、その顔は下品に歪み「さぁおいで」と手招く。
男のいやらしい目に自然と背筋にぞわっと悪寒が這った。けれど、この男は母さんの客だった男だ。無礼を働けば亡き母の面にまで泥どころか汚泥を塗ってしまう。それだけは防ぎたくて、俺は顔に笑みを貼り付ける。
「こんばんは、お初にお目にかかります旦那様。今宵のお伴を務めさせて頂きます、ルウと申します」
男の前に立ち、恭しく頭を下げた。
顔を上げた拍子、俺の胸元を彩る赤い薔薇のコサージュが見つめ返した男の瞳に反射して瑞々しく輝いていた。
艶のある長い髪には香りの良いオイルを塗り、柔らかな唇には鮮やかな紅を、産毛も見えない滑らかな体には背中の大きく開いたドレスを、そしてトレードマークの真っ赤な薔薇の髪飾りをいつも最後に身につけていた。
客の相手をする合間に俺とも遊んでくれた母さん。低い身分に生まれても尚、学ぶことを放棄せず知恵と知識を蓄え続けた母さん。俺は母が亡くなった今でも彼女のことを尊敬している。
――「本当は、もっと良い環境で産んであげたかったんだけどね。流石にアタシが納得のいく男とは出会えなかったよ」
――「いいかい、この世には他者を見下さないと気が済まない奴はごまんと居る。相手に汚点や落ち度が無くとも蔑める点を探そうとする奴がね。そういうものは、身分を問わず人の心に住みつく悪魔さ。もちろん、悪魔は比喩だけどね。そういう奴も多くいるんだ」
――「この仕事を良くも悪くも言う気は無いよ。そんな風に自分を悲観してもアンタ一人すら幸せに出来ないんだから。でも、そうだね。だからこそ、……あたしはアンタにはもっと別の職に就いてほしいと思うよ。…………マ、アンタが決めたことなら否定もしないけどねぇ」
俺は娼婦の子だ。遊び場は娼館の庭だったし、物心つく頃には快楽に喘ぐ男女の声を聞いていた。体が成熟するよりも前に下郎どもからは徒に性技をしこまれ、姐さんたちにはお菓子を貰って可愛がられた。
だから、俺は同性である男どもと居るよりも姐さんたちと居る方が気が楽になって好きだった。姐さんたちは俺を性的な目で見ない。むしろ、そんな男色の目から俺を守ってくれた。頭を撫でてくれる姐さんたちの手が好きだった。……たとえ、その手が夜には何処の馬の骨とも知れぬ男の太棹を握っていても。
「あっ、あぁん、ぁあ~~っ、んぁ、だ、だんな、だんなさまぁ……ッ」
「んぅぅっ、あ、はぁんっ、きもち、きもちぃっ」
「……さまぁ、そこ、そこれすぅ…んひ、あぁ~~~っっ」
今日もまた、娼館の至る所で姐さんたちの喘ぐ声が薄らと聞こえる。もはや聞き慣れた嬌声に、特に体は反応を示さなかった。
ただ、聞こえる声が演技でもなく甘く蕩けているものが多かったから、「あぁ、下手な奴の相手はさせられていないんだな」と少しばかりホッとした。下手な奴ほど行為が乱暴だから、終わった頃には姐さんたちの大事なところが酷いことになってしまうことが多かったから。
今日も怪我をせず終われば良いな、そう願うことしか出来なかった。
音を立てずその場を離れ、俺は静かに歩みを進める。そうして、とある部屋の前で立ち止まった。他の部屋の扉とは違い豪華な装飾がなされたこの扉は、遠目からでも一際目を引いた。扉の中を知ってる俺はドアノブを握ってからも数秒開くことを躊躇い、それから深く呼吸を二度三度と繰り返して、ようやく意を決しゆっくりと腕を引いた。
キィ……と僅かに軋んだ音を立てて、扉が開く。我先にと飛び出してきたのは甘く柔らかな匂い。花の香りを思わせる芳香に、思わず体が強ばった。
部屋の中には大柄な男が一人、ベッドの上に腰掛けていた。俺が入ってくるのに気が付くと、その顔は下品に歪み「さぁおいで」と手招く。
男のいやらしい目に自然と背筋にぞわっと悪寒が這った。けれど、この男は母さんの客だった男だ。無礼を働けば亡き母の面にまで泥どころか汚泥を塗ってしまう。それだけは防ぎたくて、俺は顔に笑みを貼り付ける。
「こんばんは、お初にお目にかかります旦那様。今宵のお伴を務めさせて頂きます、ルウと申します」
男の前に立ち、恭しく頭を下げた。
顔を上げた拍子、俺の胸元を彩る赤い薔薇のコサージュが見つめ返した男の瞳に反射して瑞々しく輝いていた。
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