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第五十六話 時を刻むのは
しおりを挟む子供の頃に体験したお話です。
いえ、大人になってからも少し…… なので、ずっと続いてる体験談になるのかな。
それは、田舎のおじいちゃんの家にあった大きな柱時計でした。
子供の頃は夏休みや冬休みのたびに、家族でおじいちゃんの家に泊まりに行きました。
そういう時に私が寝かされていた客間に、その時計があったんです。
夜中に目を覚まして「今何時だろう」なんて時計を見るじゃないですか。
あるときは、時計の針が逆回転してたんです。
またあるときは、すごい勢いでグルグル回っていることもありました。
ハトが無言で出たり入ったりしていることもありました。
ボーンボーンとずっとうるさく鳴り響き続けていることも。
あんなにうるさいのに、私以外の誰も起きてこないことも不思議でした。
さらに不可解なのは、夜中に確かにそんな狂った動きをしていたはずの時計が、朝起きて見るといつも正確に時間を示していたんです。
毎年、泊まりに行くたびにそんな怖い思いをしているのだから、夜中に時計を見なければいいと思うじゃないですか。
それなのに、どうしてかその部屋に寝て夜中に目を覚ましたとき、そのことをすっかり忘れているんですよ。
時計を見てしまい、怪現象を目撃、それからやっと時計を見たことを後悔するんです。
いつもその繰り返しでした。
相当大きな柱時計で、あんなものは学校でも、東京の時計屋さんでも見たことはありませんでした。
もちろん、東京の私の自宅にもあんな大きな時計はありません。
子供の身から見ると特に大きく感じられました。
それだけでも不気味に感じていたんです。
(もしかしたら、そのせいで怖い怖いと思っている心理が影響して、怖い夢でも見たのかもしれない。
子供の頃の記憶だから、どこまでが夢でどこまでが現実なのか曖昧になってるのかも)
少し大きくなってからは、そんな風にも思っていました。
でも、どうやらそうではなかったみたいなんです。
つい先日のこと、大人になってからその時計と再会する機会がありました。
再会というのは…… もう、おじいちゃんの家に毎年泊りがけで遊びに行くことはなくなっていましたから。
行かなくなったのは、おじいちゃんが亡くなってからです。
おばあちゃん一人で私たち家族をもてなすのは大変だろうと、両親が気遣ったのかもしれません。
一人暮らしになったおばあちゃんを心配してか、たまにお父さんだけで様子を見に行くことはあったようです。
おばあちゃんは母方なのですが、お母さんは子供の…… 私のお世話があるから家を空けることができなくて。
私は田舎に行く代わりにテーマパークなどに連れて行ってもらう機会が増え、特に気にすることもありませんでした。
毎年自然いっぱいの田舎に遊びに行けたことは確かに楽しかったけど、時計の部屋に寝かされることは嫌でしたし。
私が社会人になってすっかり仕事にも慣れたころ、おばあちゃんが「蔵を解体したいから整理を手伝って」と言ってきたそうです。
(おばあちゃんもすっかりトシだし、終活なんかも視野に入れてるのかな)
そう思えば、もうあと何度おばあちゃんの家に行けるかわかりません。
私も蔵の整理に同行することにしました。
そこで、あの時計を見たんです。
「あれ、この時計客間にあったやつだよね。
蔵にしまっちゃってたんだ?」
私がそう聞くと、おばあちゃんはモゴモゴと言葉を濁していました。
その理由はすぐにわかりました。
おばあちゃんとお母さんが休憩のためのお茶を入れに母屋に戻っていったとき、近所のウワサ好きのオババが教えてくれたんです。
「あんたのじいさんはばあさんと結婚した時、再婚だったんだよ。
ばあさんと出会う前、奥さんと死に別れたの。
あの時計は前の奥さんの忘れ形見なんだよ。
それをじいさんが後生大切にしてたこと、ばあさんとしてはモヤモヤしちゃうよね。
だからじいさんに先立たれた時、すぐあの時計を蔵にしまい込んじゃったんだろうさ」
(そうだったんだ……
おじいちゃんとおばあちゃんは歳をとってもずっと仲良しで、ドロドロがあるようには思えなかった。
きっとおじいちゃんは前の奥さんに未練があったとかじゃなくて、単純にもったいない精神で立派な時計を大切にしてたんだろうな)
そう思えるほど、大人になってからあらためて見たその時計は立派だったんです。
(それでも、おばあちゃんがモヤモヤしちゃう気持ちもわかる)
そうは思いましたが、また変なウワサを広められてはかなわないので特に反応も返さずに黙って話を聞いていました。
まあ、ほどなくしておばあちゃんたちがお盆に急須と湯飲みとそれからおまんじゅうを乗せて戻ってきたので、ウワサオババは退散していったんですけど。
お茶を飲んで一息ついてから、作業を再開する前におばあちゃんが言いました。
「蔵の中のもの、気に入ったのがあればなんでも持って行っていいよ。
こっとう屋にでも売っちゃってもいい、もしかしたらいい値段がつくかもしれないしね」
「ホント?じゃあ、探してみよっかな」
そう嬉しそうな声を上げたのは、おばあちゃんの娘であるお母さん。
それに呼応するように、お父さんも声を上げました。
「この時計もいいんですか?」
お父さんの言葉を聞いて、私はビックリしました。
だって、さっきのウワサオババの話、おばあちゃんとお母さんはいなかったけど、お父さんは一緒に聞いたんです。
(それなのに、時計をもらっちゃうの!?)
おばあちゃんはニコニコしながらうなずきました。
「ええ、ええ。持っていっておくれよ」
そして、お母さんはきれいな装飾が施された古い小箱を選びました。
私は…… 時計のことが気がかりで、もらうものを選ぶどころではありませんでした。
蔵の整理もあらかた終わって、私たち家族はもらったものを車に積み込んで帰路につきました。
帰りの車の中で、私はお父さんに訪ねてみました。
「お父さん、あの時計…… 家で使うの?」
「いや、この足でどこかリサイクルショップにでも寄って手放そう。
おばあちゃんもそうしていいって言ったろ?」
それを聞いてお母さんもうんうんうなずいていました。
「おばあちゃんも、あの時計をそういう扱いしてほしいだろうしね。
あんたたちもどうせウワサオババに聞いたんでしょ? おばあちゃんの前妻さんのこと」
なるほど……
『そういう扱いをしてほしいだろう』
それはつまり、単純にこっとう品である、立派な時計である、それだけのこと。
そういう見方をすることを指しているのだろうと思いました。
おばあちゃんから譲り受けた大切な時計だから私たちの家で大切にする……
そういう意識で見てしまえば、それはすなわちおじいちゃんの前妻さんの忘れ形見でもあるということを認めることになる。
そんな大層なものではなく、あれはただの時計であり、売り払ってしまえばそれだけのもの。
そうして手元から、眼の前から存在を消し去り、きっぱりと忘れ去ってしまいたいと、おばあちゃんは考えているのだろうと。
「お母さんは知ってたんだ……」
「当たり前でしょ、実の娘なんだから。
それに、あの口から先に生まれたようなウワサオババが、私にだけは黙っていられるなんてありえないじゃないの!
お父さんグッジョブだったね」
こうして立派な時計をそこそこの値段で換金して、おばあちゃんが過去とスッパリ決別することに手を貸した……
つもりの、私たちでしたが……
この選択が本当に正しかったのかどうかは、今でもわかっていません。
というのも、このすぐ後におばあちゃんが突然亡くなってしまったんです。
おばあちゃんが終活のための整理をはじめたのは自分の死期を悟っていたからなのか?
それとも、整理が終わって安心して思い残すことがなくなった気の緩みから?
まさか、時計に宿った前妻さんの怨念がそうさせたのか……?
今となっては、何もわからないままなんです。
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