夜霧の怪談短編集

夜霧の筆跡

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第三十八話 破れたストッキング

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あれは、たまたま忙しい時期のことでした。
家には寝に帰るだけのような日々も、

(この忙しい時期が落ち着くまでの辛抱だ)

そう思って耐えていました。

唯一の娯楽は、通勤電車内のスマホのみ。
匿名掲示板に投稿された心霊体験談のうち、特に怖いものを集めたまとめが好きでした。





あの日も終電近くまで残業して、自宅へ向かう電車に乗り込んだんです。
乗り込んだ、つもりでした。
あまりに疲れていたもので、乗り込んだ電車を間違えてしまったのかもしれません。

夜遅い時間帯ですから、座席はガラガラでした。
まるで貸し切りのようなシートにだらしなく座って、居眠りをしていました。

ウトウトして頭がガクンとなった瞬間、目が覚めました。
それで初めて周囲の様子を確認したんですが…… 車内の様子はいつも見るものと変わりありませんでした。

まばらに座っている他の乗客は無言のまま座っていました。
だから、違和感に気が付かなかったんです。

私はそのまま、また眠ってしまいました。
とにかく疲れていたものですから……。





異変に気付いたのは、次に目が覚めたときでした。

電車のシートに座っての数分間の居眠りですが、それなりの仮眠になったようでした。
おかげで少し眠気も覚めて、あらためて車内の様子を見渡したんです。

やはり先ほどと同じく、乗客たちは無表情で座っていました。
でも…… いつまでたっても、次の駅にたどり着かないんです。

電光掲示板に次はなんという駅なのか書かれているはずですよね。
それがバグってしまっているのか、何か文字化けしたような状態で読めませんでした。

ようやく(これはおかしいぞ)と思い始めたわけです。

慌ててスマホを取り出してみたところ、圏外になっていました。
電話もネットもつながらない状態だったんです。

居眠りで乗り過ごしたとしても、都心部の通勤電車ですよ。
そんなこと、ありえるわけがないじゃないですか。





窓の外を見てみたところで、真っ暗な闇が広がるだけで何も見えませんでした。

頭には、有名な都市伝説『異世界駅』がよぎりました。
ただ、私には既に『そういう駅で降りてはいけない』という情報があります。
どこに到着しようとも、降りる気はありませんでした。

そうなると次に気になってくるのは、他の乗客たちですよね。

さっきまでの私のように居眠りをしているのならともかく……
無表情ながらも眠ってなどいないのに、このおかしな状況に反応ひとつない。
明らかにこの世のものとは思えませんでした。

(話しかけたくもないし、話しかけられたくもない)

私は他の乗客がいない車両を探して、移動しはじめたんです。

そして気がついたんですが、窓の外は真っ暗なのにたまに何かが通り過ぎていました。
ハッキリとは見えないんですよ、本当にただの窓の外を流れる風景だったのかもしれません。
ただ(気味が悪い)と感じていたから、なんでもかんでも不気味に見えただけ…… かも。

私は不気味な乗客と関わりたくないから、なるべく人のいない車両を探して歩いていただけでした。
だけど…… それが原因でまたも不気味な状況に気がついてしまったんです。

歩いても歩いても、端にたどりつかないんですよ。
無限ループのようにどこまでも車両が続いているんです。

私は疲れ果てて、空いた座席に座り込みました。

その時、車内アナウンスが聞こえてきたんです。

『次の停車駅は…… 鮟?ウ峨?蝗ス…… 鮟?ウ峨?蝗ス……』

次に止まる駅をアナウンスしてると思うのですが、どうしても聞き取れませんでした。
放送はそれきり途絶えてしまいました。





私はもう恐怖の限界で、頭がおかしくなりそうでした。
とにかくこの状況から逃れたくて、逃れられるわけもないのに、やみくもに走り出しました。

そして、震える足で急に走り出したものだから、足がもつれて転んでしまったんです。
他の乗客たちは、誰一人反応もしていません。
こんなにも派手に思い切り転倒したのに、誰一人視線すら動かしません。

私は膝をなでながら、立ち上がりました。
血は出ていませんが、ストッキングが大きく破れてしまっていました。

ですが、膝の痛みのおかげで少し頭がさえて冷静になることができたんです。

(たしか、山でキツネやタヌキに化かされたときにたばこを吸って逃れる話があった)

そう思い出したんです。

私は喫煙者ではないのでたばこを持っていません。
だけど、ライターだけがポケットに入っていたことを思い出しました。

おかしいですか?
実は、元彼がヘビースモーカーだったんですよ。
少し前に別れちゃったんですけど…… 彼の忘れ物を手放せずにいたんです。
えへ…… 未練ですよね。

そのライターを取り出して、火をつけてみました。
もちろん、普通の電車の中でそんなことはしませんよ。

なんでもよかったんです、なんならスプリンクラーが反応しちゃうのでもよかった。
とにかく、今の状況に何らかの変化をもたらしたかったんです。

だけど車内にはなんの変化もありませんでした。

(そう都合よくはないか……)

そう考えながら、座席に座ったままでライターの火を見つめていました。
ゆらゆらと揺らめく火を見つめているうちに、だんだんと眠気が襲ってきました。

いつのまにか、私は眠ってしまっていたようなんです。
次の瞬間ハッと目を覚ますと、自宅の最寄り駅に到着したところでした。

反射的に、慌ててバッグを持って電車を飛び降りたんです。





私は、あまりにも疲れ切って電車の中で居眠りをしていた。

(今までの不思議な体験は、ただの夢だった?)

でも、夢にしてはすごくリアルで、さっきまで体験していたかのような感覚がまだ残っている気がしました。一方で、

(夢から覚めた直後というのはまだ脳が覚醒しきっていなくて、そういう感覚に陥ることはまあまあありえることだ)

そういう気持ちもありました。

でも、あれは夢ではなかった。
今の私には、ハッキリとした確証があるんです。

私の膝、ストッキングに大穴が開いていたんですよ。
家に帰ってからも膝が痛んで、すぐに湿布薬を貼り付けたんですけど、次の日にはひどいアザになってました。
こんな物理的な痕跡が残ってるんだから、あれは夢じゃなかったんだって信じるしかないですよね。

あ、あと……
未練タラタラでずっと持ち歩いていた元彼のライター、あれ以来どこを探しても見つかりませんでした。

これ、どう解釈したらいいのかな。
元彼の愛のパワーで助けられた、って思いたいところだけど…… 都合よく『あの後偶然再開して復縁することができた』なんてことはぜんぜんなくて。

ううん…… やっぱり、もう元彼のことはキッパリと忘れなさいってことなのかな……。
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