夜霧の怪談短編集

夜霧の筆跡

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第三十六話 命繋ぎの神託

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え……っと、なにから話せばいいかな……
僕、いわゆるブラック企業に勤めてたんです。

激務に次ぐ激務で、もう体はボロボロでした。
毎日エナジードリンクをがぶ飲みして、だましだましがんばって働いてたんです。

でもある日とうとう、過労で倒れちゃったんですよね。
深夜残業中に倒れて病院に運び込まれて、そのままなし崩しに入院することになりました。

数日間入院して、退院して即職場に復帰しました。

倒れた場所が職場だったこともあり、病院は僕の意識がない間に職場に連絡を取ったみたいです。
労災の手続きもあるし、僕の診断結果が過労だったこともあって……
病院側から、注意……ってわけじゃないけど、まあ、そういう話を入れたらしいです。

『社員にあんまり無理させないように』

なので、僕ちょっとだけ期待しちゃったんですよね。
『心配した』とか『申し訳なかった』とかそういう言葉、ちょっとくらいは、なんて。

まぁ、そんなうまい話はありませんよね。
ブラックはそうだからブラックなんですよ。
普通に仕事に穴を開けたことについて怒られました。

倒れてから意識がなかった間は連絡もできなかったから無断欠勤扱い。
職務態度マイナス評価で減給処分です。

さすがにもう心も折れちゃって、退職を決意しました。
使うヒマもなかったから貯金もたまってましたから。





それで、今までできなかったことをやろうと思い立ちました。

まずは旅ですよ。
旅行ができるほどの日数の休みなんて取れるわけがありませんでしたもん。
せっかくだから、目的地もなにも決めないであてもなく放浪の旅に出ようと思ったんです。

ちょっと前提が長くなっちゃったかな、その旅で出会った不思議な老人の話です。





その老人とは、旅の途中で立ち寄った田舎の喫茶店で出会いました。

その店に入った理由は本当に『なんとなく』だった…… つもりでした。
のどかな田舎道に美しい蝶がひらひらと飛んでいました。

(きれいだな~。都会ではあんまり見かけないし……
いや、いたとしても今まで気付く余裕さえなかっただけかな)

なんてそれを目で追っていたら、喫茶店の看板が目に入ったんです。
急激に日差しが強くなって、冷たいものが飲みたいと思ってたから、ちょうどいいと思いました。

僕は店内を見回すこともなく席について、注文しようと顔を上げました。

そこで初めて、隣の席に座っている老人に気がついたんです。
その老人は全身黒ずくめで、真っ白な長い髪だけが異様に目立っていました。
老人はにっこりと笑いかけてきました。

「兄ちゃん、こっち来んしゃい」

なまりのある口調でそう言って手招きします。
一人旅の気軽さを楽しんでいたつもりでしたが、やはり寂しさもあったのかもしれません。
僕は導かれるままに席を移動して、老人と相席になりました。

老人はとてもよくしゃべる人でした。
この店のアイスコーヒーがおいしいことに始まり、最近のニュースのこと、自分の若い頃の失敗談など話題は尽きることがありません。
最初は戸惑いましたが、老人おすすめのアイスコーヒーを注文して届く頃には、すっかり老人の話に引き込まれていました。

そして『とあるブラック企業に勤めていた男の話』が語られました。

少し前まで自分もブラック企業に勤めていた立場としては、非常に興味深いテーマでした。
老人は身ぶり手ぶりを交えながら熱っぽく語り続けます。

『その会社では社員のことを家畜のように扱っていた』
『朝早くから夜遅くまで、馬車馬のごとく働かされて』
『当然、自由時間なんてほとんどなくて、友達に会うことも、遊ぶこともできない』

とても他人事とは思えませんでした、本当に、僕にもあてはまることばかりで。

(ブラック企業なんてどこも同じなんだな……)

最初はそう思っていたんです。
でも話が進むにつれて違和感を感じ始めました。
あまりにも僕の状況と一致しすぎている……。

『とうとう仕事中に過労で倒れてしまった』

そこまで聞いても、それでも、まだ僕は

(ブラック企業に勤めればみんなそうなるんだ)

という気持ちも拭えずにいました。
だって、そうでなければ説明がつかないんです。
旅先で偶然出会った初対面の老人が僕の人生をこんなに詳しく知っているわけがない。
違和感が決定的になったのが、続けて語られたエピソードでした。

『会社の対応に心底絶望し退職を決意』
『思い立って旅に出た』

その一文を聞いた瞬間に、全身に鳥肌が立ちました。

(いや、偶然だ。偶然だ。
ブラック企業なんてどこにでもある。
ブラック企業に勤めたらみんな同じようになる。
同じようになれば同じことを考える人もいるだろう)

そんな風に自分に言い聞かせていましたが、老人が語ったのは紛れもない僕の体験談そのものでした。

『ある日喫茶店で不思議な老人と出会う』

ここまで聞いた時点で、僕はもう確信していました。
これは、僕の話だと。

喉がカラカラに渇いて、僕は無意識に目の前のアイスコーヒーを一気に飲み干しました。
緊張で震えてうまくしゃべれません。
なんとか言葉を紡ぎ出そうとしているうちに、老人がまた口を開きました。

「兄ちゃん、こっから先が重要なんじゃ。よくお聞きよ。
その男はのう、その喫茶店で老人と出会って、世間話を楽しんで……」

続けて語られた言葉に僕は恐怖しました。

『その日のうちに、自殺してしまった』





僕は何も言えなくなってしまいました。
ブラック企業の話も男の話も全部実話、僕の話なんです。

でも、老人と会ったというのが『今』。
『その先』なんてまだ起きてもいない出来事です。

だから、違う、ありえない、こんなことは起こりえない。
そう思う一方で、心のどこかで納得してしまっている僕がいるのも事実でした。

(倒れたときにそのまま死んでしまったほうが楽だった)

という意識は常に頭の片隅にありました。

もう退職をして自由の身になったはずなのに、心だけが縛られ続けてるような感覚。
旅をしていてさえ、そんな日々がずっと続いていました。

あの会社は、僕の体の健康だけではなく、精神の健康さえもむしばんでいたのです。
僕は働くことでしか自分の価値を見いだせなくなっていました。
働かずに気ままな旅をしている、その状況に常に罪悪感がつきまとっていた。

「兄ちゃん、そのままだと本当に……」

老人は真剣な表情で語りかけます。

(やめてくれ。これ以上は聞きたくない)

僕は耳をふさいで立ち上がりました。

喫茶店を出ても老人の声は追いかけてきます。
僕は逃げるように走り出しました。

後ろを振り返ると老人の姿は見えませんでした。
ほっとして前を見ると、そこは崖でした。

僕は足を滑らせて、落ちてしまいました。
全身に激しい痛みを感じました。

ああ、これでやっと死ねるのか……。





次に目覚めたときには病院の一室でした。

「死ねなくて残念じゃったかのう?」

体中包帯だらけでベッドに横たえられた僕のそばには、あの老人が付き添っていました。

「人の話は最後まで聞くもんじゃよ、兄ちゃん」

驚いて飛び起きたものの、全身が痛くて動けません。
老人は相変わらずにっこりとほほえんでいます。

「兄ちゃんは本当ならあの崖から飛び降りて死ぬはずじゃった。
そういう運命がワシに見えたんじゃよ。

おせっかいと思われるじゃろうし、普段ならこんなことはせなんだが……
これから死ぬ運命を背負った若者が目の前に現れては黙っておれん。
なんとかその運命を捻じ曲げてやろうと、つい話しかけてしまったんじゃ。

じゃがのう、どう切り出したものかと思案しながら、ついつい話が回りくどくなってしもうて。
おまえさんには怖い思いをさせたかの」

老人はそう言ってゆっくりと僕の頭をなでてくれました。
成人男性の僕を、まるで子供をあやすように。

「兄ちゃんが誤って転落したときには肝が冷えたぞい。

じゃがの、死ぬつもりで飛び降りるのと、足を踏み外して落ちるのとでは勢いが変わる。
崖の途中に生えていた木の枝にひっかかって減速したのが幸いしたらしい。

ワシがすぐに救急車を呼べたのも良かった。
おまえさんは、ワシらは、運命を変えられたんじゃよ」

僕は声をあげて泣き出してしまいました。
涙が次から次へとあふれ出して止まりませんでした。

会社を辞めたことで、確かに体の負担はかなり軽くなりました。
でも、それと引き換えに、僕に残されたものはあまりにも少なかった。

僕は生きる理由をなくしていました。
心が空っぽになってしまっていたんです。

「兄ちゃん、旅もいいがの、今のおまえさんに必要なのは休息じゃよ。
まずは体と心をしっかり休めて、やりたいことはそれからじゃ。
まあどちらにせよ、そんな体では強制的に休息を取らされるのう、ワッハハ」

そう言うと老人は病室から出て行きました。
残された僕は、ただぼうぜんとすることしかできませんでした。





あれから、僕は旅をやめました。
今は実家に戻って両親と一緒に暮らしています。

結局、僕は自殺もできずにこうして生きているわけで、老人の予言通りにならずに済みました。
落ち着いてから、あらためてあの老人にお礼を言いたいと思いました。

僕はあのときの旅の道程を思い返し、あの喫茶店を探したんです。
連絡先もわからないけれど、客としてあそこにいたのだから地元の人である可能性が高い。
もしかしたら常連かもしれないし、とにかくあの喫茶店さえ見つかれば手がかりになる、そう思いました。

でも…… どうしても見つかりませんでした。

あのときの旅の道のりは全部覚えているんです。
通った道もハッキリと覚えているし、落ちた崖さえわかります。

それなのに、たしかにあそこにあったはずの喫茶店がどこにもないんです。
そこには、鳥居とほこらだけがぽつんとたたずむ、小さな小さな神社がありました。

『これから死ぬ運命を背負った若者が目の前に現れた』

そう老人は言っていました。

僕はてっきり、喫茶店でお茶をしていたら、隣の席に僕が座ったことをさしていると思っていましたが……
神社の前を死にそうな僕が通りかかったから、ということなのでしょうか?

僕は神様に化かされたのかな……
いえ『生かされた』と言うべきかもしれませんね。
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