夜霧の怪談短編集

夜霧の筆跡

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第三十一話 見えない観客

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私が若い頃にアルバイトしていた映画館で起きたお話です。
その映画館には私がアルバイトを始める前から、客の間で妙なウワサがありました。
それは『見えない観客』というものです。

当時は指定席なんてものはない劇場が多くて、入場券だけ購入したら空いている席に自由に座るんです。
ところが、どんなに混み合った日でも、絶対に誰も座らない席が出るんですよ。
立ち見が出るほど混み合っていて、明らかに1席誰も利用していない様子なのに、です。

それが特定の席であるならば『そこの椅子になにか不具合でもあるのか』という予想もできるかもしれません。
でも、それは日によって変わるんです。
まるで見えない観客がその日その日で選んだ席に座っているかのように。





私の仕事は清掃でしたが、基本的に上映中は劇場の外、トイレや通路、受付付近です。
劇場の中を清掃するのは上映が終わった後、客がすべて退出してからのこと。

ここだけの話、実を言うと

(映画館でアルバイトをすれば無料で映画見放題)

なんて下心もあって始めたアルバイトだったんですけど、そうは問屋が卸しませんでしたね。

ですから、実際にその様子を目撃したことはありません。
ウワサは常連客から聞いて初めて知ったんです。





最初は信じられなかったんですけど、私も少々興味がわきましてね。
シフトのない日に行ってみたんですよ、客として。
もちろんきちんと正規の料金を支払って入場しましたよ、社員割引なんて制度はありませんでしたし。

私はあえて席には座らず、劇場の一番うしろの壁にもたれるようにして立ち見する場所を確保しました。

すべての座席を見渡せるように、です。
目的は映画ではなく『見えない観客』のほうですからね。

(もし本当に1席だけが空いていたのなら、そこに座ってやろう)

とさえ思っていました。

でも、うまくはいきませんでしたよ。
その日は満席になるほど混み合っていなかったんです。
空席は1席だけではなくあちこちにチラホラあったので、確信には至らなかったんです。

私もそうそう何度も、休みのたび映画を見れるほど余裕があったわけではありません。
そのうちに『見えない観客』のことはすっかり忘れていました。





でもある日、嫌でも思い出さずにはいられない出来事を体験したんです。

いつも通り上映が終わって客が全員退出した後、清掃のために劇場に入りました。
すると、座席に座っている人がひとりいたんです。

私はてっきり

(上映中に居眠りでもして、退出しそこねた客だな)

と思いました。

そのまま座席で眠り続けてしまう人は結構いるんですよ。
そういう人は起こして退出させなければいけません。

「お客様、当館はもう閉館して……」

言いながらその座席に歩み寄ったのですが、気がついたら誰もいないんですよ。
確かにひとり座っている後ろ姿を見たはずだし、立ち去る足音も聞いていません。

(悪質なイタズラかな?)

と思って、座席の下など隠れられそうな場所をくまなく探しました。
でも、結局どこにも人っ子ひとり見つからなかったんですよね……。

とはいえ、その時にはまだ忘れかけていた『見えない観客』とのつながりを意識するようなこともありませんでした。
だって、姿が『見えてる』んですから。





それ以降、映画館での仕事中に度々同じ経験をしました。
営業時間後の劇場に人影が現れ、私が近づくと消えてしまうのです。

座席は階段状になっていますから、足元を見ないで歩くのは危険じゃないですか。
近づこうとするときどんなに目を凝らしていても、どうしても一瞬目を離してしまうスキが生まれるんですよ。
すると次の瞬間には消えているんです。

最初は人影を目撃するだけだったんですが…… 
他にもだんだんと奇妙な体験をするようになってきました。

ある日は、床掃除をしている最中に遠くからかすかな、しかし確かに人の声が聞こえました。
掃除機を止めて耳を澄ませると何も聞こえないんです。

『なにか変なものを吸い込んでホースに詰まっているせいで、掃除機の吸い込み音が笛のように変化して、それがたまたま人の声のように聞こえてしまう』という現象も疑ったんですが……
ホースを確認しても何も詰まってないし、掃除機のゴミパックを交換しても、変わらずその現象は続きました。

ドアが開閉する音が聞こえることもありました。
人影を見たときと同じように、一応は『退出しそこねた客が残っている』可能性も考えて確認に行くんですよ。
でもいつも誰もいないんですよね……。

とっくに電源を切ったはずのポップコーンマシンから、なぜかポップコーンが製造され漏れ出るということも起きました。
あのときは大変でしたよ、館長にこっぴどく叱られて。

「どうせ電源を切り忘れたんだろう」
「夜中に勝手に製造してつまみ食いしてないよな?」
「コーンがずいぶんムダになったじゃないか」
「もう新人じゃないんだからしっかりしてくれよ」

でも、私は確かに間違いなく電源を切ったんですよ!
幽霊のせいで濡れ衣を着せられて、まったく迷惑な話です。

それ以来、閉館後はポップコーンマシンからコーンを完全に抜き、早番の人に朝イチでコーンを入れてもらうようにしたんです。

そうやって対処して日々の営業を乗り切るしかありませんでした。
まあ、この頃にはさすがに

(一連の出来事は心霊現象なのでは?)

って意識し始めてましたよ。
そりゃあ怖かったですけどね、われわれ末端の労働者にとっては幽霊よりも館長のほうが怖かったんです。





そんな苦労の日々に変化が訪れたのは、本当に突然のことでした。

例の『見えない観客』のウワサについて教えてくれた、常連客と話していたときのことです。
話の流れで、最近起きている怪現象について触れました。

常連客は私の身を案じてくれて「霊能者を紹介する」と言い出しました。
私は正直半信半疑でしたが、他に頼れる当てもないし……
なによりあまりに熱心に勧められるもので、お願いすることにしたんです。





数日後、常連客は霊能者だという人を連れて営業時間に現れ、普通に映画を見て帰りました。
そして営業時間後、清掃を終えた私がタイムカードを切って通用口から外に出ると、そこに常連客と霊能者が待っていたんです。

話をするために、24時間営業しているファミレスへ向かいました。

日中、入場券を購入して客として入った霊能者は、座席を調査したそうです。
といっても霊的な調査ですからね、ひとつひとつの座席を歩いて見て回ったわけではないそうで……
私にはそこのところよくわからないんですけど。

「上映中、確かに映画を見ている霊がいた」そうです。
そして「その席には、通常の客が座ることはなかった」とのこと。

空席の謎が本当にウワサの『見えない観客』であったと突然知らされても、戸惑いしかありませんでした。

私たちは確かに怪現象に遭遇していたのですから、心霊現象というもの自体を信じられないわけではありません。
あれだけいろいろなことが起きたのですから、信じるしかないじゃないですか。

それでもね、やっぱり目の前の『霊能者』と名乗る初対面の人間を、常連客の紹介とはいえ、急に100%信じることなんかできませんよ。

だって『見えない観客』のウワサも、私たちの体験だって常連客から話が伝わってるはずなんですから。
それに合わせて最もらしいことを言うだけなら、誰にだってできるんですよ。
霊感なんかなくたってね。

でも…… そんな風に考えていたことは、見抜かれていたみたいです。

「今日会ったばかりの私を信じられない気持ちはわかります。
でも、私はこれでお金を稼いでいるわけではありません。
謝礼金とかそういうのは一切要求しませんから、安心してください。
ひとまず『お試し期間』だとでも思って、このお守りを身につけておいてください」

霊能者は私に小さな手縫いの巾着袋を渡し、付け加えました。

「このことは他のスタッフには話さないでください。
私には、あなた一人ならともかくスタッフ全員を守り通すだけの力はありません」

こんなこと言われたらますます怪しくなるじゃないですか。
詐欺の常套句ですよ『あなただけ』なんて。

でもね、常連客が必死に弁明してくるんですよ。
『彼も最初は映画館なんて大きな規模の建物を視るのはいやがったんだ』って。
『それでも、自分がどうしてもって頼み込んで連れてきたんだ』って。

そこまで言われたら、いつまでも疑ってかかってるのも失礼かな…… でも……。

「どうして私だけにお守りを?」

そう尋ねると、霊能者は真剣な表情でまっすぐ私を見て言いました。

「あなたは『見えない観客』と何度も直接出会って、縁がつながりかかっているんです。
他のスタッフよりも数段危険だと判断しました。
『見えない観客』と出会わないために、映画館内では必ずお守りを持ってください」

「はあ……」





結局、私はその日はお守りを受け取って帰宅しました。
その夜は、なかなか寝つけませんでした。

『信じきれない』という気持ちと『怖い』という感情がせめぎ合うような……
頭の中がずっとぐるぐるしていました。

(かりに詐欺だったとしても「お金は取らない」と言っていたし……)

ひとまず言われた通りに、次の日から私はお守りを持つようになりました。
すると、驚くべきことに怪現象はぴたりと収まったんです!

『見えない観客』のウワサは相変わらずでしたが、私の勤務中に起きる現象がてきめんに収まったんです。
私のアルバイト生活はそれまでとはうってかわって快適になりました。

(お守りの効果は本物だったんだ、疑ってしまって申し訳なかった)

常連客と雑談する機会があったときに、霊能者の人によろしく伝えてくれるようにお願いしたんです。
すると、霊能者のほうからも私あてに伝言があったそうで……

「そのお守りには有効期限があって、1年が限界なんだって。
だから、1年以内にはできればアルバイト先を変えて、その後ここには立ち寄らないようにして欲しいって言ってた」

お守りの効果を体感した私ですから、霊能者のことはもう信じるしかありません。
確かに信じていたし、そう言われたときには

(そうか、1年以内に別のアルバイト先を探さなくちゃ)

って思ったはずだったんです。





でも、人間って喉元すぎれば熱さを忘れる生き物なんですよねぇ……。
お守りの効果が絶大だったこともあり、私のアルバイト生活はその後1年間、本当に安泰だったんですよ。

そうやって過ごしているうちに、危機感もなにもかもすっかり忘れてしまって……。
気がついたら1年経過していたんです。
私は事態を軽く考えて、そのままアルバイトを続けてしまいました。

1年半ぐらいが経過したころでしょうか、また徐々に私の周りで怪現象が起き始めたんです。

あんなにちょくちょく通ってくれていた常連客も、その頃にはすっかり足が遠のいていました。
もともと友達というわけではなく、客として来館してくれたときに私がシフトに入っていれば顔を合わせるだけの関係でした。
当然、連絡手段はありません。

あの霊能者とも、お守りをもらった数日後に一度効果のほどを確かめに来たとき以来一度も会っていません。
連絡先の交換もしていませんでした。

(もし何かあってもまたお守りを作ってもらえばいいや)

なんて軽く考えていて……
この時になって初めて、自分の軽率さを後悔しました。





それから慌ててアルバイト先を探してどうにか転職を試みたんですが、うまくはいきませんでした。
まるで何者かに引き止められているように。

次のアルバイト先を探しているときには、あらゆる不運が重なり、なかなか面接にさえこぎつけられなかったり。
一時的に実家からの仕送りに頼る最終手段も視野に入れて

(先にアルバイトをやめてしまおう)

とも考えましたが、それでもダメでした。

私が退職願を出そうとすると、スタッフ間で感染症が流行して一時的に人手不足になったりして、言い出せなくなるんです。

そんなことを繰り返しているうちに、私も転職活動への意欲をすっかり削がれてしまって……





こんな中年になってもいまだにその映画館でアルバイトをしているんですよ。
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