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第十八話 私の鏡
しおりを挟む私がそのアパートに入居したとき、その鏡は既にそこにありました。
最初は備え付けの家具のひとつだと思ったんですけど、収納すらないのに鏡だけっていうのもおかしな話ですよね。
管理会社に尋ねると備え付けの家具などないというので、前の住人が置いていったものだと思います。
普通は前の住人が出た後にはきちんとした清掃が入り、修理する場所があれば直し、そういう業者が入りますよね。
置き去りの荷物があっても、そのときに気付かれて返却や撤去されるものだと思います。
でも、清掃業者もリフォーム業者も、特に鏡の存在を気に留めることもなく作業を進めて、そのまま私に貸し出しすることになった……
不思議なこともあるものです、偶然に偶然が重なったのでしょうね。
ともかく、私はその鏡をとても気に入りました。
大きくて全身が映る姿見はひとつあれば何かと便利ですしね、愛用することになりました。
ちょうどダイエットしていたこともあって、毎日鏡の前に立ち、鏡の中の成果を見ては満足感に浸っていました。
そんなある日のこと、いつものように部屋でくつろいでいるときでした。
部屋の隅に置いてあるその鏡の中に女性の姿が見えた気がしました。
一瞬だったのでよくわかりませんでしたが、あれは間違いなく私の姿でした。
角度的に自分の姿が鏡に映し出されるわけはないのに、私の姿が見えたんです。
そのときは特に気にしなかったんですが、翌日にはもっと奇妙な出来事がありました。
鏡の前に立ってボディチェックしていると、何か違和感があったんです。
顔を上げてすぐにわかりました。
鏡の中の私は確かに私の顔をしているのに、表情が私と違うんです。
「ひっ」
私は思わず息を飲みました。
こんな怪談を聞いたことがあります。
『お風呂場で頭を下げて髪を洗った後、顔を上げると鏡の中自分がワンテンポ遅れて顔を上げるのを見た』
同じように、鏡の中に私の顔をした何か別のものがいる、そう感じて背筋が凍りました。
ただ……気になることもありました。
鏡の中の私は、すごく悲しそうな表情をしていたんです。
今にも泣き出しそうで、見ているこちらまで胸が締め付けられるような思いでした。
私は思わず、鏡の中の自分に声をかけてしまいました。
「どうしたの?泣いてるの?」
一瞬の後、私は自分の行動をバカらしく思い、自虐的に笑ってしまいました。
話しかけたところで返答などあるわけもない。
そう思ったのに……
『助けて』
鏡の中の私は、泣きそうな顔のままで言ったんです。
いえ、実際に声が聞こえたわけではありません。
口の動きから私が勝手に推測しただけです。
それでも、確かに彼女は私に助けを求めている、そう確信めいたものを感じました。
そんな顔を見たら、そんな言葉を聞いたら……私は無視するなんてことはできませんでした。
最初から自分の顔なのです、親近感以上のものを感じていたのかもしれません。
恐怖心よりもどうにかしてあげたいという気持ちが勝りました。
「私にどうしてほしいの?どうすればあなたは助かるの?」
そう問いかけると、鏡の中彼女は黙って右上を見上げました。
つられて見上げますが、なにもありません。
「何?何もないけど」
そう尋ねても、彼女は悲しげな顔のまま右上を見上げるのみです。
目を凝らしてそちらをじっと見ても、やはり何もありません。
「わからないよ……」
私はため息をついて目をそらし……た、その瞬間、なにかが視界のはしにチラリと見えた気がしました。
(鏡のちょうど右上あたり、背面になにか……)
何かが貼ってあって、その剥がれかけて垂れ下がった端が、ちょっとだけはみ出て見えていたのです。
「裏ね!?」
背面を見ると、御札のようなものがびっしりと貼り付けてありました。
恐る恐る震える手を伸ばし、慎重に剥がしていきます。
一枚はがせたところで、鏡の中私……『彼女』が語りかけてきました。
「ありがとう……やっとあなたと話せるようになった」
「話せるようになった? どういうこと?」
私が驚いて問い返すと、彼女は語り始めました。
──私は、この世に未練を残して死んだ霊です。
浮遊霊となってさまよっていたときに、たまたまこの部屋に住んでいた人に見つかってしまって……
その人が雇った拝み屋のような人に、この鏡に封じられてしまったんです。
私は別に何も悪いことなんかしていないのに……
ただ、成仏できなくてさまよっていただけなんです。
だけど、生きている人間からすると『霊』なんてものはひとくくりに悪いものと判断されてしまうんです。
人間だって死んだらみんな霊になるのにね……
前の住人はその経緯をすべて知っていて、わざと鏡を置いて退去しました。
鏡を所有し続けるのも、自分の手で処分するのも、気味が悪いと思ったんでしょうね。
私はずっと、裏面に貼り付けられた御札の効力で、鏡の中で身動きひとつできずにあなたを見ていました。
でも、時間がたつにつれ御札の端がちょっとだけ剥がれかけてきていて、表情だけどうにか変えることができるようになりました。
それであなたに助けを求めたんです。
あなたが一枚御札を剥がしてくれたおかげで、声を出して話すこともできるようになりました。
ありがとう、気味悪がって拝み屋を呼んだりしないでいてくれて。
私を信じて、こうして話せる機会をくれて、ありがとう──
にわかには信じがたい話でしたが、つじつまは合っています。
「つまり、全部の御札を剥がせばあなたはここから解放されるのね?」
彼女の話が本当であるなら、解放されたところで成仏はできないでしょう。
(それでも、ここに封じられたままでいるよりは、元の浮遊霊に戻ったほうが、未練を断ち切れるきっかけが得られるかもしれない。だったら……!)
私は急いで残りの御札をすべて取り去りました。
鏡の中の彼女は、憑き物が落ちたような、安心したような笑顔を浮かべました。
その表情を見て、私もつられて笑ってしまいました。
「これでもう大丈夫ね。よかった!」
私がそう言うと、彼女は少し申し訳なさそうな顔をして言いました。
「うん…… でも、ごめんなさい。
せっかく助けてもらったけど、やっぱり私はここから出られない」
「え、どうして?」
一瞬意味がわからずきょとんとして聞き返しました。
すると彼女はこう言ったのです。
「私が出ると、この部屋は『幽霊の出る部屋』になるでしょ。
あなたに迷惑がかかるもの……」
確かに、彼女を解放する前からその予兆のようなものはありました。
思い返せばあれは確かに彼女だったのでしょうけど『鏡の中にいた謎の人影』。
それを目撃したころから『ラップ音』や『電子機器の不調』など、ちょっとしたことが起こり続けていました。
(私に迷惑をかけることを懸念して自分が解放されることをためらうような彼女が、そんなイタズラをするとは思えない)
御札が剥がれかけていたことで彼女の存在が明らかになり、他の霊が気配を感じて寄ってくる、なんてこともあったのかもしれません。
つまり、彼女が解放されれば『彼女の意思とは関係なく心霊現象が起きる可能性がある』ということでしょうか?
そしてそれを懸念して、自分が鏡から解放されることをためらっている。
「そんなこと気にしなくていい!
あなたはずっと鏡に囚われてたんでしょう!?
もう何にも縛られなくていいの、解放されていいんだよ!」
それを聞いた瞬間、彼女は……鏡の中私は満面の笑みを浮かべました。
心底嬉しそうに、そんな顔は自分でも見たことがないというくらいの笑顔で。
「ありがとう……本当に、ありがとう」
そう言って鏡面に手を当て、そのままこちらがわへ手を伸ばしてきました。
(鏡から手が出てきている!彼女がついに外へ出られるんだ!)
私も思わず手を伸ばすと、彼女は私の手を取りました。
手を取り合って喜び合う…… そんな一瞬先の光景を想像しながら、私も彼女の手を握りかえしました。
でも、そうはならなかった。
彼女はものすごい力で私の腕を引っ張り、私はそのまま鏡の中に引きずり込まれてしまったのです。
そして入れ替わるように彼女が外へ出ました。
気がつくと、私は鏡の中、彼女は鏡の外。
先程までとは立場が逆転して、鏡面をはさんで向かい合っていました。
眼の前の彼女は、もう私の姿をしていませんでした。
そして……私自身も。
鏡の中に入ってしまった私は、彼女の姿になっていたようです。
外に出た彼女がニヤニヤしながら手鏡を見せてくれました。
合わせ鏡になったその中に連なるのは、私ではなく彼女のおそらく本来の顔。
(どうして)
訪ねようとしてももう声が出ません。
彼女が背面の御札を貼り直しているのが横目にチラリと見えましたが、もう顔をそちらに向けることさえできませんでした。
「ああ……本当にありがとうね。
実を言うと、御札を剥がしてもらっても自分の力じゃ外に出られなかったの。
生きている人間の言葉による『許可』がまず必要だった。
そして、からっぽになる鏡の中に自分の代わりに入ってもらう『誰か』が必要だった。
そのどちらも、あなたのおかげでそろったのよ」
彼女はあわれそうな顔をして私をだまして、利用して、そうして外に出たんです。
あれはかわいそうな浮遊霊ではなく、ただの悪霊でした。
私は悔しくて悔しくて、泣きたい気持ちでいっぱいでした。
だけど、再び封印を施された鏡の中では自由に泣くことさえできなかったのです。
以上、私の鏡にまつわる恐ろしいお話でした。
……作り話ですって?ええ、そう思うでしょうね。
怪談のラストで『そこへ行って帰ってきたものはひとりもいなかった』なんてオチ、私も嫌いですもん。
「だったら誰がその話を伝えてるんだよ」って思いますよね。
私ですか?もちろん、鏡から出してもらうことに成功したからここにいるんですよ。
ああ、お話しするにあたってひとつだけフェイクを加えてました。
私、このお話に登場する『私』ではなくて『彼女』のほうなんですよ。
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