夜霧の怪談短編集

夜霧の筆跡

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第十七話 バターチキンカレー

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僕、フリーターであまり稼ぎがなかったころ、空き時間を利用してウーバーでお小遣い稼ぎしてたんですけど…… その時に体験した話です。





ある日、僕はいつも通り配達の注文を受け付けました。
指定のネパールカレーのお店からバターチキンカレーを受け取り、走り出しました。

ところがアプリの地図によると目的地は近いはずなのに、どうしても配達先が見つかりません。
よくよく調べてみると、その住所の番地は存在しないものだったのです。
それに気が付いた僕は、注文主に連絡を入れて住所の記入ミスについて確認しようとしました。

アプリ内メッセージを送っても、一向に返事がありません。

(僕が悪いわけじゃないのに、到着時間がどんどん遅くなってしまう……)

焦りを感じた僕は、次に注文主へ電話をかける選択をしました。
ところが、どれだけコールしても電話にも出てくれないんです。

通行人に道を尋ねても、近所の住人だという人はやっぱり「こんな番地はない」と言います。
いよいよ交番に道を訪ねに行きましたが、結果は同じ。

僕は仕方がないので、アプリ運営に連絡を入れて『住所が存在しないこと』と『注文主と連絡がつかないこと』を伝え、この注文自体をキャンセル扱いとしてもらいました。





かなり長い時間をロスしてしまい、僕は落ち込みました。

(この注文さえ受けなければ、この時間を他のまともな注文をこなすことに使えていれば、もっと稼げてたはずなのに……)

結局その日はもうやる気も失って、諦めて早めに帰宅しました。
配達を受け付けるボタンをタップしようとしてもタッチの差で他の配達員に取られてしまう。
そんなことの繰り返しですっかり調子を崩されてしまったんです。





翌日は朝から土砂降りの雨でした。

(でも、こういう日はライバルが減るから稼ぎやすい!)

僕は気持ちを切り替えて、昨日の分を取り返すべく意気込んでいました。
しかし、アプリに昨日と同じ注文が表示されました。
僕は(またか)と思いましたが、なんだかすごく気になってしまって、その注文を受けることにしたんです。

でも、やっぱり昨日と同じ展開にしかなりませんでした。
指定された住所は存在しない、注文主と連絡もつかない。

(これは今日もキャンセルか~)

僕は最初からうすうすわかってはいたので、昨日よりは落ち着いた気持ちでキャンセルの処理をしようとしました。





すると、道路をはさんで向かい側の廃ビルから手をふる女性の姿が目に留まりました。
白いワンピースを着た女性が手招きをしているのです。
僕は周囲を見渡し、他に人がいないことを確認しました。

(明らかに『僕を』呼んでいる)

そう感じて、車が途切れたスキに道路を渡り、女性に近付きました。

「申し訳ありません、それを注文した者です」

女性は頭を下げて謝りました。
しかし、不思議な感覚は残ります。

(外から見て、僕が何を運んでいるかわかるわけはないのに、どうして……)

とはいえ、本人がそう言うのですから渡すしかないじゃないですか。
持ち手つきのビニール袋に入っているので、お渡しに問題はありません。

「この場でお渡ししても?」

そう確認するとこくりとうなずくので、専用のバッグから取り出してバターチキンカレーを渡し、その場を後にしました。

『キャンセルになると思っていた配達がきちんと成立した』

それだけで気分が良くなり、昨日の不快感もすっかり忘れました。





そして…… 翌日から、同じ注文がたびたび入るようになりました。
毎回同じ廃ビルまでバターチキンカレーを運び、直接女性に手渡しするのです。

そんなことを続けているうちに、だんだんと女性のことが気になり始めました。

白いワンピース姿に、白い肌、黒く長い髪。
まるで幽霊のような…… だけど、接してみれば生きている人間にしか見えないんです。
足もあるし、顔もはっきりと見えるし、声もはっきり聞こえ会話も成立します。

最初は、あの廃ビルで何をしていたのかを聞いてみたりもしたんですけど

「ここでバターチキンカレーと待ち合わせをしているの」

なんてはぐらかされて、詳しいことは教えてくれませんでした。
彼女はいつもニコニコしていて、とても嬉しそうでした。
彼女からお礼の言葉を聞くたびに、僕の心には奇妙な満足感が広がっていきました。





ある日、いつものように注文を受け、バターチキンカレーを受け取って配達へ向かいました。
ところが、いつもの廃ビルの前に女性がいないんです。
僕は(おかしいな)と思いつつも、恐る恐る廃ビルへ入ってみました。

「あの~…… カレーお届けにきました~……」

声を上げてみると思ったよりも反響して、やまびこのように自分の声が帰ってくることにもビビってしまいましたよ。
しばらくビルの一階をあちこち探してみたけど、女性は見当たらないんです。

(上の階まで上ってみようか)

とも思いましたが、今は使われていない廃ビルでエレベーターも動いてませんし……
注文主への連絡にもまったく反応は返ってこず、僕は最初にこの注文を受けた日の戸惑いがよみがえった思いでした。

仕方がないので、一階のわかりやすそうな場所に置き配をして、写真を撮影して配達完了としました。





それ以来、その注文がまったく入らなくなったんです。
僕はごく普通の配達に集中できるようになったから、万々歳のはずだったんですけど……
気になるじゃないですか、毎日のようにあった注文が突然途切れるだなんて。

(もしかしたら、あの置き配の対処が原因で、嫌われたのかもしれない)

だから、あの廃ビルへ行ってみたんです。
注文が入ったわけでもないし、なんの用事があるわけでもないのに。





内部はシーンとしていて、僕の足音だけが響き渡り、相変わらずの不気味さでした。
一階をあらかた探したけど、やっぱり女性の姿はありません。

僕が『置き配を完了させた』と思っていたバターチキンカレーが、置いたその場所に手つかずのまま置いてありました。

(あの配達は成立したはずなのに……)

僕はとうとう思い切って上の階まで上がってみることにしました。

階段に近づくと、上の方からなにか異様な匂いが漂ってくる気がしました。
ゆっくりと上っていくにつれ、次第に鼻をつく異様な匂いが強くなってきました。
そのまま帰ってしまいたい気持ちとはうらはらに、僕は何かに突き動かされるように足を進めました。

二階に足を踏み入れると、廊下の奥に大量のバターチキンカレーが山積みになっていました。
ビニール袋から漏れ出す腐敗したカレーは、もはやカレーの色をしていませんでした。
色とりどりのカビがフサフサに生えているのも見えました。

その様子に、思わず吐き気を催してしまいました。
悪臭を放つその塊に背を向け、一目散に走り去りました。





それ以来、僕はウーバーをやめました。
置き配した日を最後に、同じ注文は入らなくなっていましたが……

(またいつ突然同じ注文が入ったら)

と思うと恐ろしくて、アプリを開くことができなくなったんです。
今では、あの廃ビルの前を通るのも怖くて、遠回りになるとしても絶対に避けています。

特に何かすごい心霊体験をしたとかそういうわけではないんだけど、とにかく不可解で納得できなくて、モヤモヤした気持ちでした。





これで僕の体験談は終わり……
ですが、後日談があります。





その後たまたま見たニュースで知りました。

結論から言うと、あの女性は『幽霊』ではありませんでした。
ずっと入院していて意識不明の状態だったそうです。

それが、先日奇跡的に意識を取り戻したとのことなんですが……
そうです、僕が置き配をしたあの注文の最後の日です。

彼女はインタビューにこう答えていました。

「今はまだ回復食しか食べられませんが、元気になったら大好きなバターチキンカレーを食べたいです。
夢の中で食べたのがすごくおいしくて、目が覚めた時からそればっかり考えてるんですよ」

だから僕もずっと考えてるんです。
彼女が回復したら、バターチキンカレーを持ってお見舞いに行こうかな。なんて。
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