夜霧の怪談短編集

夜霧の筆跡

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第十六話 古いアパートの一室

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私が住んでいたアパートの話を聞いてください。

その部屋では、たびたび不気味な出来事が起こっていました。
夜中になると壁からビシッパキッと奇妙な音が聞こえてくるし、たまに人影が見えたりもしました。

そういうことがあると私は部屋の電灯を最大にして、逃げるようにベッドに潜り込むんです。
なにしろ、そのアパートはお寺の隣の敷地に建っていて、私の部屋の窓からは墓地が見えるんですから

(そんなことが起きるのも無理からぬことだ)

と思っていました。





正直引っ越してしまいたかったのですが、なにしろ当時は大学生。
親には学費を出してもらっていたので、生活費は自分のバイト代だけでまかなっていました。
新しい住居を見つけて引っ越し費用まで工面するのは難しいことだったのです。
こういう条件の悪い場所にガマンして住むくらいでなければ、生活は成り立ちません。

実際、そのアパートは一人暮らしの学生や浪人生が多く住んでいました。

ただ話を聞く限り、明確に霊体験をしているのはアパートの中で私だけだったようです。
長くアパートに住んでいる人に聞くと

『私の部屋だけ住人の入れ替わりが激しい』

のだとか……。

(どうしてこんな部屋に当たっちゃったんだろう)

って、泣きたい気分でしたよ。
最初は管理会社とか大家さんとかにクレームをつけてみたんだけど、無駄でした。

その部屋、別に事故物件でもなんでもないんですよ。
図書館まで行って昔の新聞を調べたり、近所の人に聞いて回ったりしたんですけど……
あの部屋で人が死んだという話は一切ありませんでした。

(だったらどうしてこの部屋だけこんなことが起きるの!?)

私は不思議でなりませんでした。





気味の悪いことはさらに続きました。

私宛に謎の手紙が届いていたんです。
切手が貼られていなかったので、郵便を使わずに直接郵便受けに入っていたものと思われます。
アパートの住人に尋ねても、やはりそんな手紙が届いたのは私だけでした。

恐る恐る封を開け、中を確認してみると……

『早く逃げて』

とだけ書いてありました。

(どこから? この部屋からってこと?
私だって逃げられるなら今すぐ逃げたいよ)

そう思いながら、震える手で手紙を握りつぶしました。
しかし、それで終わりではありませんでした。
それから毎日のように手紙が届くようになったのです。





手紙が届くようになって1週間ほどたった頃でしょうか、さらに恐ろしいことが起こりました。
これまでにも部屋で人影のようなものを目撃することはたびたびありました。それでも

『明かりをつけてベッドに潜り込み、眠ってさえしまえば朝になっているから大丈夫』

という、何の解決にもならないその場しのぎの対処法で乗り切っていたんです。

ところが、その日は違いました。
こうこうと照らされた明るい部屋の中で、男の霊が現れたのです。今までは

(見間違いだったのかも)

と思い込もうとすれば思い込めなくもない、漠然とした『人影』を見る程度でしたが……
男の姿は、まるで生きている人間を見るかのようにハッキリと見えました。
照明をつけた明かりの中で見えたのも初めてです。

私は恐ろしくてベッドに潜り込みますが、眠れるはずもありません。
ずっとベッドのなかで布団にくるまってガタガタ震えながら朝を待ちました。
そして朝日が部屋に差し込む頃、その男の姿は消えていました。





私はとにかく最低限の身支度を整えて部屋を飛び出しました。

講義なんて受ける気になれるわけもありません。
大学に行く途中にある、個人経営の小さな喫茶店に入りました。

そこでは店内にテレビが設置されていて、朝のニュースが流れていました。
私はコーヒーを飲みながら、ニュースに耳を傾けました。
ニュースでは、男性が転落死した事件について報道していました。

背中に冷たい汗が流れるのを感じました。
画面に映る死亡した男性の顔写真、それはまさに昨夜目撃した幽霊の男の顔だったのです。
私はニュースを最後まで見ていられず、すぐさま代金を支払って店を後にしました。

(もうアパートに帰りたくない……
だって、明るい部屋にも出るってことは昼間でも関係ないってことだよね?)

とはいえ、帰るところなど他にどこにもありませんでした。

友人に頼んで泊めてもらうことも考えましたが、それこそ一時しのぎにしかなりません。
お金がたまるまでどれだけの期間がかかるかもわからないですから……。
大学生にもなって幽霊が怖くて家に帰れないなんて、誰にも言えませんよ。





結局、私はその日から夜をネットカフェで過ごすことにしました。

でもこれは、今考えると本当に悪手でしたよ。
だって、私はなるべく早く引っ越し費用をためてあそこを出たいのに……
家賃は支払い続けながら、それとは別にネットカフェの費用までかかっちゃうんですよ。

これじゃあますます引っ越しが遠のくだけじゃないですか。
でも当時の私は、そんなことも判断できないほど追い詰められていたんです。





そんな生活が2週間ほど続いたある日、私はついに体調を崩してしまいました。
頭痛や吐き気がひどくなり、熱っぽいようなだるさもあって……
それでもなんとかバイトだけはこなしていましたが、とうとう限界が来て倒れてしまったのです。

病院で診察してもらった結果

『ただの風邪、疲労と重なって悪化しただけ。
栄養をとって安静にしていれば治る』

との診断でした。

こうなるともうネットカフェで寝泊まりはできません。

ただの風邪とはいえ、菌をまき散らしてしまうことがまず問題です。
セキが出れば周囲の目も厳しくなるでしょう。

なにより、安静が第一なのにネットカフェのレストスペースでは十分に体を休めることもできないのです。
ネットカフェで注文できるメニューが脂っこいものばかりというのも問題でした。

きちんとベッドで寝られる、キッチンでおかゆや消化の良いものを作れる場所……
アパートに戻る必要性を感じました。
数週間アパートから離れて生活したおかげで、恐怖心がだんだんと薄れてきていたというのもあったかもしれません。

私はやっとアパートへ戻る決心をしました。
熱でふらつく私を心配して、友人が一緒に来てくれたのも心強かったです。





私は友人の『なっちゃん』に付き添ってもらって、アパートの近くまでやって来ました。
そこで目撃したんです、私の郵便受けに手紙を入れている人影を。

「なっちゃんお願い、あの人捕まえて!」

とっさの事でしたが、友人は一瞬で状況を把握して動き出しました。
彼女は足が速く、運動神経も抜群。
あっという間に犯人に追いついて、後ろからタックルして取り押さえることに成功しました。

その人物は面識がありませんでしたが、近所に住む女子中学生とのことでした。

「すみません…… 本当にすみません、でも、嫌がらせをするつもりではなくて……」

女子中学生は平謝りでしたが、私は怒りよりも

『不気味に思っていた現象のうち、少なくとも手紙の件は人間の子供の仕業であった』

ことへの安堵のほうが大きかったです。

「ふーん。とにかく部屋へ帰ろう。病人をいつまでも外に立たせとくわけにいかないからね」

なっちゃんは私をアパートへと促します。さらに

「あんたも来な。じっくり話聞かせてもらうからね」

そう言って女子中学生も連れて私の部屋へ行くことになりました。
女子中学生は露骨に嫌がっていましたが、なっちゃんの迫力に圧されて従うしかなかったようです。





部屋にたどり着き、私はベッドに寝かされました。
なっちゃんはお茶を入れてくれています。
そして、部屋の隅に小さくなって立ち尽くしていた女子中学生に言いました。

「ほら、あんた、こっち来て座りな。飲みな」

なんだかんだ言ってなっちゃんは優しいんですよ。
女子中学生は恐る恐るといった様子で近づいてきて、なっちゃんと並ぶように座りました。

(え、近…… 何あの座り方……?
普通は相手と向かい合うように座るものじゃない……?)

私はベッドの中、もうろうとする意識でそんな風に考えていました。
出されたお茶を飲み少しずつ緊張が解けてきたのか、女子中学生はぽつぽつと話し始めました。





──私、信じてもらえないかもしれないけど…… 霊感が少しあって『視える』んです。
だから、この部屋にも『出る』ってわかってました。

ずっと以前から、この部屋に住む人は長続きしなくて、すぐに出ていってしまいました。
最初は黙ってても待てばいずれ出ていくのを見守るだけだったけど……

ある時、なかなか引っ越さない住人がいて、その人はどんどんとやつれていって……
最後には、入院するかたちで部屋を出ることになりました。
そのまま退院後は実家に帰って、というか、もう一人暮らしをできる状態ではなくなっていたと風のうわさに聞きました。

それを知った時、私は『知っていた』のに傍観したことを後悔しました。
もう二度とこんな過ちは犯すまいと……

でも私は視えるだけで、何もできないんです。
霊を祓えるほどの強い霊感があるわけでもなければ、きちんと修行をしたわけでもない。

だから結局は『教える』ことしかできないんです。
それで実際に引っ越すかどうか決めるのはその人次第ということになってしまいますよね。

私は次の住人に直接お話しに行ったんですけど……
まず、気味悪がられて、そして「ひどい嫌がらせだ」として親に苦情を入れられました。

親にはこっぴどく叱られましたよ。
だって、親でも私の霊感のことは知らないし、今まで誰にも話したことはなかったんですから。

それで思い出したんです。どうして親にさえ話してないのか。

小さいころ、視えてたものをそのまま幼稚園の先生に話したところ、気味悪がられたんですよ。
先生は子供に言葉の意味なんかわからないだろうと思ったんだろうけど……
実際言っている意味はわかりませんでしたけど、先生たちがヒソヒソ言い合いながら私を見る目は、明らかに異様なものを見る目でした。

以来です、私以外の人には『視えない』ものがあり『視えている』ものを人に話してはいけないと察したのは。
それを思い出してしまっては、もうこの部屋の住人が新しくやってきても、伝えることさえできません。

だから、手紙で伝えようと思ったんです。
それだって気味悪がられてることはわかってました。

でも、それが原因で引っ越すことになったとしても、それで住人がこの部屋から逃れられるのなら結果オーライだと思ったんです。
怖がらせてしまって、本当にごめんなさい──





そう言って、女子中学生は深々と頭を下げました。

「そっか、いろいろと事情があったんだね。
正直、霊とかなんとかは私にはわからないし、信じられない気持ちはあるけど……
あんたに悪気がないことはわかった。
ウソをついて言い逃れしてる様子もないようだしね」

なっちゃんが言いました。
でも私は実際にこの部屋で何度も奇妙な体験をして、霊らしきものも目撃してるんです。
霊のことを信じられないなんてもう言えません。

(この子の言うことは全面的に信用できる)

と思いました。そして、ふとあることに気が付いたんです。

「待って、あなた…… 『視える』って言ったよね……
今でも、視えてるの? この部屋に、何かいるのを。
なっちゃんの隣に座ったのって、もしかして、まさか、そんな……」

「はい、座れる場所がここしか空いてなかったので……」

うなずく女子中学生の言葉を聞いて、私の気は遠くなっていきました。





次に気が付いたときには、女子中学生もなっちゃんもいなくなっていて、部屋にひとりきり。
スマホにメッセージが入っていました。

『あの話、私には全部は信じられないけど。
あんたがどうしてもそこに住み続けられないようなら、うちおいでよ。
とりあえず看病しなきゃだから、明日また来るからね。
それじゃ、おやすみ。あったかくして寝なよ』

私はお言葉に甘えることにして、すぐに最低限の荷作りをし、なっちゃんの家に転がり込みました。
体調はすっかり良くなったけど、引っ越しの荷作りをするためにあの部屋へ戻るのがゆううつで、いまだに居候生活を続けてます……。
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