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第一話 呪われた亡霊の森
しおりを挟むこれは僕が若い頃に体験した話なんだけどね。
僕には学生時代から仲の良い友人がいてね、彼は森の向こうに一人暮らしをしていたんだけど、ある日
「良い肉が手に入ったから」
と夕飯に招いてくれたんだ。
ありがたく彼の厚意を受けることにしたよ。
(彼は僕と好みが似ているから、きっと美味しい料理を作ってくれるはずだ)
そう思って向かったのさ。
ただ、彼の家へ行くには森を横断する街道を通らなければいけなかったんだ。その森は小さな森だけど、ある噂があってね。……亡霊が出る、呪われた森だって。
僕は昔から怖がりでね。当然その森を通り抜けて彼の家へ行くのは恐ろしかったさ。でもね、小さな子供じゃあるまいし
「森に出るオバケが怖いから通れません」
なんて言えるわけがないだろう? だから、彼の誘いを受けたんだよ。
そんなのただの噂だと思ってたんだ。
(そう広くないとはいえ鬱蒼と生い茂る森に小さな子供が入り込んで迷子にでもなったら大変だもの、子供を寄せ付けないために大人が流した噂さ)
そんな風に思ってた、いや思い込もうとしてたのかもしれない。精一杯の強がりでね。そうでも思わないと、あの暗い雰囲気の森を通過するのは本当に恐ろしかったんだもんな。
だけど、彼が電話口で言うんだよ。
「森に入る前には必ず10分間祈りを捧げろ。そして森の中では決して走るな」
そんな得体の知れないこと言われたら怖くなっちゃうじゃないか。でも友人は毎日その森を通って仕事に行ってるし、森のすぐそばで一人暮らしをしてるんだ。そんな友人に
「森を通るのが怖いから行けない」
なんてとても言えないじゃないか。彼とは学生時代から勉強にスポーツになにかと張り合ってきたライバル同士でもあるんだ。なのにそんな情けないこと言えるわけがない。
だからね、行ったよ、僕は。歩いて1時間もかからずに通り抜けられる小さな森なんだ。
(ちょっとした自然豊かな公園みたいなもんだよ。怖いものか)
そう自分に言い聞かせてね。本当は怖かったよ。だってさ、昼間でも夕方みたいに薄暗いんだ、あの不気味な森は。木漏れ日でかすかに周囲が見える程度さ。
森の入口で、友人の言葉を思い出して祈りを捧げたよ。たっぷり20分は祈ったと思う。とにかく
「無事に通り抜けられますように、何事もなく無事に」
そう必死に祈ったんだ。それが間違いだったとわかったのは後になってからだったんだけどね……。
ともかく、彼の言う通り祈りも捧げたし、森を通り抜けようと意を決して踏み出したさ。怖かった、なんとも言えないくらいに怖かった。足を踏み入れた瞬間
(まるで僕の足は地面の中に吸い込まれていくんじゃないか)
って思ったほどだ。足の裏から恐怖が伝わってくるようだった。
小心者の僕は恐ろしくてとにかく早く通り抜けたくて、どんどん早足になっていったよ。それでも
(走ってはいけない、走ってはいけない)
って必死に自分に言い聞かせて……。
だけど、その時、僕は小枝を踏み折るかどうかしてしまったんだろうね。足元から弾けるような音が聞こえて、ただでさえ足元に神経が集中してしまって過敏になっていたんだ。心臓が飛び出るほど驚いて、とっさに駆け出した。
(しまった)
と思ったときには遅かったよ、僕はもう全力疾走していたんだ。
ひとしきり走って、息が切れて、気がついたんだ。
(別に何も起きないじゃん)
って。僕はもうてっきり
(走ったが最後、恐ろしい亡霊が目の前に現れて僕を殺してしまうに違いない)
と思っていたからね。拍子抜けさ。
少し安心して、息を整えてからまた歩き出した。だけど、恐怖はここからだったんだ。しばらくしたら、僕の背後から、パキッ、パキって音が聞こえることに気がついたんだ。足元じゃない、後ろからだよ。僕が小枝を踏んでいるんじゃないんだ。
(後ろから誰かがついてきていて、そいつが枝を踏んでいる)
としか思えない。
僕が止まればその音も止まる。走ればその音も同じ速度でついてくる。ああ、もちろん走ってはいけないってことは覚えてなかったわけじゃない、だけど
(もう、一度走ってしまっている。あとは何度走ったとて同じこと)
って。開き直りだね。
僕は怖くなってきて、とうとう振り返った。でもそこには誰もいない。ただ木があるだけだ。でも、確かに誰もいないことを確認したはずなのに、歩き出すとやっぱり音がなり始めるんだ……。
僕は怖さに耐えられなくなって、叫んだ。
「誰か助けて! 誰か!」
もちろん誰も助けになんか来ない。僕の叫びは虚しく響いただけだった。
それどころか、僕の声を聞きつけてか、動物たちが集まってきていたんだ。あれは大型の肉食獣だと思う。おかしいだろう? だって、あの森にはそんな大きな動物はいないはずなんだ。だから森の向こうと行き来するために必須な重要な街道が通っているんだもんな。それなのに……
(どこから集まってきた……?)
そいつらは、よだれをダラダラと垂れ流しながら、僕に迫ってきた。もう恐怖のあまり腰が抜けて、走って逃げることさえできなくなっていたよ。
そうして僕は猛獣たちの爪で切り裂かれ、牙で噛み砕かれて…… 痛くて苦しくて、血が流れ出ていく感触も体温が下がっていくのもリアルに感じられた。やがてだんだんと痛みを感じなくなるんだ。目も霞んで何も見えなくなる。何も感じられない暗闇の中で、猛獣が僕の体を貪り食っている音だけが耳に響いてきた。それもそのうち聞こえなくなる。
(僕は死ぬんだ)
と思った。
だけど…… 不思議なことに、気が付けば僕の体は無傷だった。服も破れていない。
(恐怖のあまり夢でも見たのだろうか?)
と思ってね、わけがわからないまま、また歩き出すんだよ。
(どうやら僕は居眠りをしてしまっていたらしい。
森の中にいるとどれだけ時間が経過したかもわからないな。
ゆっくりはしていられない。
何より、森を早く抜け出たい)
それで歩き出したらどうなったと思う? またね、後ろでパキパキと枝を踏みながらついてくる足音が聞こえるんだよ。もちろん振り返ったさ! だけど何もいない。そして猛獣の唸り声も近づいてくる。
流石に二度目だからね、僕も今度は走って逃げようとした。でも結局追いつかれるんだよ。当たり前だよね、人間の脚力で肉食獣から逃げ切れるわけがない。
そうしてやっぱり僕は切り裂かれ、噛み砕かれて、死んだ。いや
『死んでいく感触を味わわされた』
といったほうが正しいのかな。結局僕は死んでないんだからね。
何度繰り返しただろう。文字通り死ぬほどの痛み苦しみを何度も何度も味わうんだ。絶望しかなかった、気が狂いそうだったよ。いや
(狂ってしまえたほうがいっそ幸せかもしれない)
とさえ思った。
(僕はこのまま死ぬことさえできずに、死の苦しみのみを与えられながら、永遠にこの森に囚われ続けるんだ)
って。
だけど何度も繰り返すうち、猛獣に食われながらあることに気が付いた。
(遠くの方で、かすかに人間の声と足音が聞こえる)
だから僕は必死に助けを求めたんだよ、力の限り声を振り絞って。
「助けて! 行かないで! 僕はここにいる!」
でも誰も助けになんて来てくれなかった。僕を見捨てて、というよりも僕を囮にして自分たちだけが逃げ去る、そんな空気を感じた。一度希望を持っちゃった分だけ余計に辛かったなあ……。
痛さ苦しさだけじゃなくてなんか悲しさとか悔しさとかそんな感情も入り混じって、泣きじゃくりながら死ぬ。それを何度も繰り返した。
ああ、そんな顔しないでよ。実際僕はちゃんと生きてここにいる。
『実はその時死んでて、今君に語ってる僕は幽霊だった』
なんてオチじゃないからさ。あ、それともグロい話が苦手だった? まあそういう描写は控えめにしておこうかね。
ともかく、それを繰り返していくなかで、僕は死ぬこともできない。
(両親を早くに亡くした僕を、年老いた女手ひとつで育ててくれた祖母は、きっと僕が行方不明になって悲しむだろうな)
とか
(いつか祖母があの世へ旅立ってもそこで再会することさえかなわない……)
そんな風に考え始めていた。
そこで急に思い出したんだよ、祖母が言っていた昔話を。
──おや、お前の親友はあの森の向こうへ引っ越すことになったのかい。
まあねえ、あの森も今では小動物ぐらいしかいなくなってしまったからねえ……
昔は猛獣が住み着いていて、とても近くになんて住めるものじゃなかったし、森を横断して行き来するなんてとんでもないことだったそうだよ。
ばあちゃんのばあちゃんから聞いた話だけどね。
あるとき、事件が起きたんだ。
どうしても森を通過する必要に迫られた女性がいた。
仕方がないので、猟師を雇って同行してもらったとか。
でもね、猛獣に襲われたとき、雇った猟師たちは女性を見捨てて逃げ出したんだ。
残された女性は哀れ猛獣の餌食ってわけ。
それ以来なんだよ、森から猛獣の姿が消えたのは。
近隣の住人は口々に噂したらしいよ。
犠牲になった女性が恨みをはらすために自分を死に追いやった猛獣を呪い殺したって。
だってね、逃げ帰った猟師たちも全員謎の死を遂げたっていうんだもん。
それから、あの森は『恐ろしい猛獣の森』ではなく『呪われた亡霊の森』と呼ばれるようになったのさ。
ばあちゃんが物心ついたときにはもうあそこは亡霊の森って呼ばれてたからね。
その話が本当だとしたら長年ずっとさまよい続けてるんだろうねえ、その亡霊は。
ねえ、よくお聞きよ。
亡霊は確かに自分を死に追いやったものに復讐をしたかもしれない。
でもね、恨みを抱いて死んでいったものはどうしてもそういう感情に囚われてしまうものなんだ。
彼女だって被害者だった。
かわいそうな存在だったんだよ。
人は思いやりの心を持つことが大切だ。
お前も忘れてはいけないよ──
(この、僕が体験させられている死の記憶は、その女性が最期に見た光景なのではないか?)
ふとそう考えた。
(遠くに感じた人の気配…… あれは女性が雇った猟師だったのか。
女性が死の間際まで縋って、そして裏切られたのは、あいつらが走り去る足音だった。
だからか、森で走ってはいけないというのは!)
すべてが繋がっていくのを感じたよ。
(祖母から聞いた話をなぜ今まで忘れていたのか)
自分の記憶力を恨んだね。とはいえ、学校を卒業して就職したばかりの若い頃にそんな話を聞かされたってね
(老人の語るおとぎ話の類だ)
と思うじゃないか。現実にあった話とも思えなくて話半分で聞いてたからね。
話のしめくくりの
「思いやりの心を持つことが大切」
これは祖母の口癖でね、ことあるごとに語っていたから流石にそれは覚えていたよ。亡霊の正体がわかって
『女性がこうして死んでいったんだ』
って体験をいやってほど見せられて、僕は確かに女性に同情した。
(彼女は死んでからもなおこの森に囚われ続けている。
祖母の祖母が語った話だからそれよりも前の時代から。
ということはとっくに彼女の親族も亡くなっているだろう。
でも、彼女はきっと再会することもできずにここでさまよい続けている)
そう思った瞬間、森に入る前の僕の行動が思い出された。僕は、森に入る前にこう祈っていたんだ。
「無事に森を通り抜けられますように」
……でも、そうじゃなかった。それじゃダメだったんだ。改めて僕は心から祈った。
「かわいそうな女性が安らかに眠れる日が来ますように」
と。
祈り続けて、どれだけ経過しただろう。ほんの10分ほどだったかもしれないし、10時間かもしれない。やがて、猛獣が襲ってこなくなった。後ろからついてくる足音も消えた。森はあまりに静かだった。
(死ぬ間際に聴覚を失ったまま、戻っていないのかも)
とも思えた。でも、鳥のさえずりを合図に、一斉に僕の世界に音が戻ってきた気がした。
(ああ、森よ、ありがとう!)
そんな気持ちにさえなった。
振り返ると、そこにいたのは美しい女性。彼女は微笑んで、そして一方を指さした。僕は女性に深々と頭を下げ、その方角をまっすぐに目指した。
そしてやがて友人の家にたどり着いたのさ。驚いたよ。僕は森の中で何時間も、もしかしたら何日も過ごしていたような気がしていたんだけど、友人宅についたのは約束の日の約束の時間ぴったりだったんだ。
本当は自分の体験を友人に語って聞かせたかったが、信じてもらえる気がしなかったし、なにより
「怖い怖いと思っているからそんな幻覚を見るんだ」
なんて言われるのがいやでね…… 話せなかったよ。
実を言うとね、この話を人に聞かせるのは今日が初めてさ。え、
「帰り道は無事だったのか」
って? もちろん平気だったよ。
(僕はもう森の亡霊の正体を知った。怖いことなんてあるものか)
そう、女性のために祈りを捧げて、ゆっくりと景色を楽しみながら帰ったよ。
ただね、ひとつ気になることがあって……。
あの体験以来、一人でお店に入っても必ず
「二名様ですか?」
って尋ねられるんだよねぇ……。
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