劇中劇とエンドロール

nishina

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炎に消えた魔女

三話

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 抵抗虚しく暁は男に連行された。暁がどんなに泣こうが喚こうがそもそも男にとってはただ煩わしく面倒なだけであるのは暁にもわかった。半べそかきながらも男の力に叶う筈も気力もない。訳のわからない状況下で、男に従う事でなにかしら現状の手がかりが掴めるかもしれないと思う程の余裕はなかった。
「ぐずぐずするな、早く来い!全く、姫様はのろまのお前をどうして……」
 姫様って何よ、と肩をびくつかせながらもついて歩く。ついて歩きながら心労とともに何かの情報が頭の中にうっすらと浮かび上がる。

 それは勿論芝居の事だ。かわいそうなお姫様の話。あの物語。自分にあてられた役割はお姫様の従者である女、リリィ。
「やっぱり、これ」
「何か言ったか?」
 力なく首を振る。男に逆らってはろくな事はないし多分騒いで人目を集めたところで暁の味方になってくれる人間も現れないだろうも。想像があっていれば。
 この状況は、葵の書いた小説に酷似している。男の顔は知らないが、劇中にも示唆されてもいない(登場しないその世界の住人)であるならば、学生である演劇部員の誰一人とも似ていないのも、高校生ではないだろう年齢が垣間見える雰囲気なのもわからないでもない。
 でも何故だ。あれはあくまで空想の世界なのだ。葵の想像が産み出した実態のない架空の絵空事。それを現実に再生するのが、演劇というものだ。
 それが今確かな現実味と立体感をもって、ここにある。否。
 自分が、空想の中にいる?葵の想像した実態のない世界に?
 少し涙を残した瞳を擦る。これが夢だという一番可能性と期待の大きい可能性がもしも打ち砕かれたらどうしよう。少しでも心の抵抗力をつけておかなければ。万が一を想定して、暁は唇を引き結び、眉をつり上げる。気合いが入ったような気がした。

 ここは牢獄のように冷たい城だった。堅牢な石の建築物は広く冷たい。その上設けられた窓は軒並み閉めきられた状態で空気が澱んでいるように感じる。タペストリーなのだろうか。豪華な布や、仰々しい額縁に入った絵画が飾られ、足元も厚みのある絨毯が敷き詰められている。あらゆる場所の重そうな扉が並んでいた。一体間取りはどうなっているんだろうなどと余裕もない筈なのに暁は考えていた。
 城だと判断した理由だって、暁の事を姫様の元へと連れていくと男が言ったからに他ならない。お姫様は時代を問わずお城にいるものだと暁は思っている。
 それにしても足が重い。どうしてだろうとは敢えて考えてはいない。靴が固い。ちらとスカートからはみ出る足元を確認したら、知らない汚い茶色い靴を履いていた。視界に映っただけの判断だが、恐らく革靴のようにみえたがデザインが何と言うか、武骨で、やたら固い。足が痛くなりそうだと思った。
 いつの間に靴や肌着を取り替えられたのか。自分は誘拐でもされたのかなどと新たな可能性を模索してもみるが有り得ない妄想なのも分かっていた。こんな本格的な城に、ファンタジー映画の登場人物になりきった誘拐犯など、実行するだけの財力と暇を持て余していたらその辺の高校生をわざわざ誘拐してドッキリ的に趣味に巻き込む理由もない。
 考えれば考える程この現状が分からなくなる。
 自分は何事に巻き込まれているというのだろうか。

 長く疲れる階段を何度上っただろう。学校の踊り場などではあり得ない広いホールを抜ける。度々人とすれ違ったが、知った顔は無かった。やがて、一つの扉の前に辿り着いた。大きな扉だ。通り過ぎたどの扉もそうだったが、何故こうも大きいのか。結婚式の新郎新婦入場する時でもなければお目にかかる事はなさそうだ。その迫力に、暁は内心立ち竦む。
 しかし逃げる事は叶わないようだ。男は暁をひと睨みすると、声を張り上げた。
「良いか、きちんと姫様にお詫びしろ!これ以上の無礼を働けば貴様を召し抱えるよう進言したわたしの責任になるのだ!
折角姫様の厚意を得たのだからそれなりの態度を考えろ
 失礼致します。リリィを連れてまいりました」
 高圧的にそこまで一気に言うと、男は扉を開けた。
 男の声が聞こえたが、暁の耳には入らなかった。
 間近で大きな、ふわりと明るく透き通るような声が跳ねたからだ。
「リリィ……!!」
「え」
 見覚えのある、癖の強い色素の薄い髪は奇麗に纏め、フリルで飾られたドレスが視界を舞う。細い、華奢と呼ぶには余りにも細い子供のような小さな手が暁の頬にのばされる。
 反応が出来ない。もしかして、と最悪の可能性としてずっと頭にあったのにいざそれが眼前に広がる世界の中に存在しているのを見てしまうと信じられなかった。
「部長?」
 間違いなかった。舞台から落ちた筈の光が全くの無傷と思える元気そうな姿で暁の胸に飛び込んできたのだ。
「部長、怪我してないんですか、それに姫様って。部長も劇の儘の恰好だし、一体なんで」
「リリィ!!」
 怒声ではなかった。純粋に彼女の声の大きさに驚いて暁は口を噤む。
 目の前にいる花色光にそっくりで、花色光と同じようなお姫様らしいドレスに身を包んだ少女は、常に俯きがちに、話しかけられても何の言葉も返さなかった少女とは思えぬ無邪気な、そして不満げな感情を訴えるような声で言ったのだ。

「部長って何よ?早く来なさいよ。リリィ、あなたがいなくてわたしとても寂しかったんだから」

 唖然として言葉のない暁の耳に、暁をここまで連行してきた男の仰々しい言葉遣いが何かの進行をつつがなく進めるだけの機械的な音声のように、言葉を届けた。


「エリザーベト様。お気を害してしまい、大変申し訳ありませんでした」

 エリザーベト。かわいそうなお姫様も名前。
 全ての人間を不幸の渦に陥れ、自らもまた己が招いた悲劇に呑まれ怨嗟の声をあげる、己の愚かしさを最後まで理解しなかったお姫様の名前―加百葵が作り上げた、想像上の。
「良かった。しんぱいしたの。ね、リリィ」
 そこにいたのは、想像上の人間の筈のエリザーべトそのものだったのだ。

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