焼けたモスリンビークの森から

takataka

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序章

過去

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夜半、モスリンビークの森は轟々と燃えていた。
今はただ、森の中を走っている。
眼前には赤く照らされる木々が次々と迫り、自身はその隙間を延々と縫い続けていた。背後から赤獅子の紋章を掲げた死神どもがこちらの命を刈り取らんと追い立てているのだ。
それが放つ猛火が木々や草花を焼き払い、そこに住まうあらゆる生命を黒々しく浄火していった。
あたりは人間の悲鳴や獣の遠吠えで狂乱としている。
こちらは死の恐怖に逃げ惑いながらも、ただ反撃の機会を伺う。しかし火焔は周囲の木々を包み、非情にも逃げ場が無くなってしまっていた。目をギョロギョロと動かし、必死に逃げ場を探す。
すると突如背後から凄まじい咆哮のような衝撃が波動し、足をすくませみっともなく倒れ込んだ。その後は何かが折れるような音が幾たびもして、数多の悲鳴が重なり合う。轟音が、天を貫いた。
……地面に寝そべりながらゆっくりと振り返る。木々は倒壊し、巨大な獣道のようなものが出来ていた。そして赤獅子の者達は忽然と姿を消してしまっている。おもむろに立ち上がった。
地を見れば飛び散った赤獅子の者達の残骸がある。また別の何かが通り過ぎたのか。

「ひっひぃ……人狼だ……。」
その情けない声をあげた一人の赤獅子の者を見下す。腰を抜かしたその姿は、よく見れば歳の近い青年のようだ。その手から武器を放り落としていて、戦意喪失している。
今いるのは目の前に佇むこの男のみ。
こちらはゆっくりと青年に近づき、その胸ぐらを掴む。そしてこの凄まじい憎悪と共に彼の首元にナイフを突きつけた。

「不運だったな、孤独な赤獅子。……お前達のリーダーは誰だ?誰がこのモスリンの地を焼き尽くそうとしている?」

「だ、黙れ狼め、言うものか!」
そう言って青年は暴れようとする。しかしこちらはモスリンの人々に対して狼という侮蔑の言葉を使う青年を力任せに押し倒した。

「正直に言えば見逃してやる。……見ろ、周りはお前達が放った火で包まれ始めている。早くしないと俺たちは焼け死ぬぞ。」
そう言って青年に向かってナイフをギラリとちらつかせる。

「ま、待て……貴族様……の指示だ。赤獅子の紋章を掲げた貴族だ……。」

「その赤獅子の貴族、彼の者の名は?」

「知らない、本当だ……。頼む、殺さないでくれ……。」

「はぁ……誰もその名を知らないんだな。」
そう言って力を緩める。そして怯えている青年の方を憐れむ目で見下ろす。

「なぁ……もう一年近く前に、お前ら赤獅子共に俺の友人や、大切な妹が焼き殺されたんだ。そして俺は今も逃げ惑っている。それでもお前を許さなきゃいけないのか?」

「俺はやってない……まさかこんな事やらされるなんて思わなかったんだ……。俺も家族をこの手で燃やさせられたんだ……。もうこんな事やめるから、頼む……。」
青年はただただ懇願する。

「お前一人やめて何になるんだ……畜生!」
そう言ってこちらは青年の顔を一発殴り、その場を走り去った。

――

広大なモスリンの地は、やがて全土が焼き尽くされることになる。
その少し前に僕は故郷モスリンを脱出した。


◾️数ヶ月後

酒場のバックヤードで酒を準備していると、後ろから誰か近寄ってくる。

「ルキ。お前と話したい事があるんだが、仕事終わりにちょっといいか?」
それはこの酒場の店長だった。

ここで働かせてもらって、はや2週間が経とうとしていた。
素性も知らぬ自分を快く受け入れてくれた店長には感謝をしている。
彼はそんなこちらの、心の奥に秘めた闇を見透かしていたように見えたが、今まで何も聞いてこなかった。
しかし今日という日に、彼は話したい事があるのだという。

「仕事終わりですか?はぁ、分かりました。」

――

仕事が終わり、酒場の薄暗い照明だけが一室を照らしていた。そんな中テーブルの椅子に、二人向かい合って座っている。
店長は頬杖をつき、重いため息をついてこちらに語りかける。

「ルキ、お前の働きっぷりは目を見張るものがあるな。感心感心。」
店長はそう言うが、それが話の本質でない事は想像に難くない。

「いえいえ、店長のおかげで頑張れています。それで……話ってなんでしょうか?」
そう言うと店長は蓄えた髭を指でさすりながら目を伏せる。
その様子はいつものおだやかな雰囲気とは違っていた。

しかし意を決したのか店長はようやく話し始めた。

「お前、モスリンから来た若者だって聞いたけど、本当か?」
いきなり図星を突かれた事に動揺する。……しかしその事は隠していた。

「いえ……違います。」
そう答えると店長はこちらの目をじっと見る。

「悪いが、お前が嘘をついている時の顔は分かる。これでもお前のような若者を見るのは得意なんだ。せめて俺には真実を教えてくれないか?」
店長にそう頼まれると弱かった。

「……」
目を逸らし、押し黙る。この沈黙は肯定だった。
それを察したのか店長は続ける。

「お前は、モスリンから何か目的を持ってここまで来たんじゃないのか?それはこの酒場で働く事じゃなくて、もっと何かこう、大きな目的だ。」
彼は言いにくそうにしながらも続ける。

「その……使命ってやつがあるはずだよな?モスリンから携えてきた。」

「……はい。」
事実だ。もはや嘘をついて否定する事も出来そうになかった。

「この乗車券を受け取ってくれ。」
そう言うと店長はチケットのような物を取り出して、テーブルに置く。
促されるままにそのチケットを手に取る。それはすぐそこの駅から4日後に出発する、首都シフォン行きの乗車券だ。
……その乗車券に、――赤い獅子の紋章が小さく刻まれていた。

「この乗車券は、旅客鉄道ジョーゼットのものじゃないですか。こんな高い乗車券、どこで手に入れたんですか?」

「客から貰った。お前宛にな。協力者を求めているそうだ。そして……この列車にとある貴族が乗車するんだとか。それがお前の目的の人間だと言うが……俺にはわからん。お前はその意味がわかるか?」

「……はい。僕にはわかりますよ。でも、その客ってのは一体どんな人間だったんですか?」

「今日来た客だったんだが、怪しい風態ではあったな。身なりを隠すような厚いコートを羽織っていた。……お前の事を聞いてきたよ。でもお前も心当たりがあるんだな。」
その怪しげな男とやらは全く分からなかった。

「ありがとうございます。……それで唐突なんですが、この為に少しお休みを頂いてもいいでしょうか?」

「まぁ、仕方ないな。……なぁルキ、ちゃんと帰ってこいよ?」
店長のその言葉にゆっくりと頷いて、その日は終わった。

ジョーゼットの乗車券を携えて、4日後を待つ。
胸のざわめきがおさまらない毎日だった。
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