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第一章 また蓋がなくなりました
2 蓋の代わりは内密に
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たまには蓋の一つや二つがなくなることもあるかもしれない。蓋を開けたところで誰かに呼ばれたりしたら、どこかその辺に置き忘れてもおかしくないし、その蓋を見つけた誰かがもとに戻すこともあるだろう。
だけど、一斉に蓋という蓋がなくなって、また一斉に戻されるというのはそう何度もあるとは思えない。何度もどころか、ただの一度あっただけでも不可解だ。
「それ、誰かが蓋を外しているってことですよね?」
「もちろんそうでしょうね」
大塚さんは、だからなに、と続けた。
「なにって、その人を突き止めてやめさせないと!」
「その日のうちに元に戻っているんだし、いいんじゃないの? まあ、茶葉とかが湿気ないようにラップかけなきゃならないのが面倒だけど」
「いやいや、だめでしょ。上の人間に言わないと。とりあえず、今村課長かな」
僕の本来所属する営業課ではなく、大塚さんの上司にあたる庶務課長の名前を上げると、大塚さんは心底嫌そうに鼻にしわを寄せた。
「あの人に言うのだけはやめてよ。ラップの消費量を知ったらなんて言われるか!」
「ああ。それもそうか……」
僕らはそろってゴミ箱に目をやった。蓋が戻ってきたことで剥がされたラップが山盛りになっている。今村課長に見つかったらお説教が始まること間違いない。
入社したてのころは、すこしばかり今村課長に憧れていたりもした。なかなかお得意様の情報が頭に入らなくて苦戦していたときも、今村課長の姿を見ると元気が出たものだ。既婚者だろうが、小学生の母親だろうが、ただ憧れる分には支障ない。テレビの中の女優を見ているようなものだ。
だけど、それも束の間のことだった。
今村課長は、なんというか、その、エコに熱心な人だったのだ。
もちろん、いいことだと思う。僕だって地球を破壊する手助けよりは大切にしていきたい。だけど、いきなり徹底的にやれと言われてもなかなか難しい。それに、だいたいにおいて手間がかかることだったりする。
以前、今村課長は、昼食にコンビニ弁当を買ってきた従業員に対し、割り箸をもらうなと言ったことがあった。
「お箸くらい持ってこられるでしょう」
「まあそうですけど、割り箸って間伐材ですよね。そういうのを利用するのって、むしろエコなんじゃないんですか?」
「製造過程でたくさんのものが消費されているのよ。個別包装されているその袋だって石油だし」
「ちゃんと分別して……」
「廃棄する際には、小さいからってきちんと分別していないでしょ」
「……」
「そもそも、その割り箸が間伐材で作られているとは限らないのよ。本来は間伐材を使っていたけど、需要が上回ったせいで、割り箸用に伐採することもあるの」
なんて言われ続け、ついには誰も事務所で昼食を取らなくなった。
飲み物を買ってくることに関してもその調子だった。ペットボトルだの缶だのはリサイクルすればいいと思っているんでしょうけど、そのリサイクルにもエネルギーが……云々。そして渋々こうしてマイマグカップが給湯室に並ぶようになったわけだ。
今村課長の言うことはもっともだ、でも、そこまでやりたくはない。きっと誰もがそう思っているのだろう、今村課長の目があるときだけ消耗品の使用を控えるようになった。
それでもかなり資源の無駄遣いを抑えた職場になっていると思う。結果的に今村課長のエコ活動は成功しているといえる。
ただ、そんな今村課長にこのラップの大量消費が見つかったら、どれほどの小言が待っていることか。
証拠隠滅とばかりにゴミをまとめようとしていると、当の今村課長がバインダーを抱えて廊下を通り過ぎていった。
「うっわー。あぶねー」
「戻ってくる前に片付けちゃいましょ」
大塚さんとゴミ箱を挟んで向かい合った瞬間、背後から声がかかった。
「なにが戻ってくるんですか?」
通り過ぎたはずの今村課長が給湯室の入口に立っていた。大塚さんがゴミ箱に覆いかぶさり、ごほごほと咳込んでいる。そして、今村課長から見えない角度で僕のことをバシバシ叩く。取り繕えということらしい。
「えっと、いや、あっ、大塚さんが……そ、そう! ランチの食べ過ぎで『戻しそう』になって……いてっ!」
バシッと大塚さんに尻を叩かれた。
「まあ。大塚さん、大丈夫? トイレに行く?」
今村課長はツカツカと給湯室に入ってきて、大塚さんの背中に手を置いた。
「あ! いや、僕が連れていくので大丈夫です!」
「石井くんは男性だから女子トイレの中まで入れないでしょ」
「じゃあ男子トイレに連れていきます!」
「なに言ってるのよ。大塚さんは女性なんだから、男子トイレに連れてったらだめでしょ。さ、大塚さん……」
誤魔化しようがなくなり、大塚さんがゆっくり振り向く。僕の方からはゴミ箱の丸められたラップが丸見えだ。今村課長のはっと息を吸う音が聞こえた。
「ちょっと、あなたたちっ……」
やべっ。
大塚さんと顔を見合わせる。
「レジ袋は断りなさいって言ってるでしょ!」
「へ?」「は?」
今村課長は、磯貝専務がラップを買ってきた際のレジ袋を握り締めていた。
「あ……すみません……」
反射的に謝ってしまう。
「……まあいいわ。次から気を付けてよね」
寛大にも、今村課長はそのまま給湯室を出て行った。
大塚さんと顔を見合わせる。
「大塚さんをトイレに連れていくんじゃなかったでしたっけ?」
「そうよねぇ。てっきり連れていかれるかと思ったけど」
「レジ袋に気を取られて忘れちゃったってことですか?」
「そうなんだろうねぇ」
おそらく罪状としてはラップの大量消費の方が重いだろうから、うまいこと逃げおおせたと言える。僕たちは、はあ、と声に出して大きく息を吐いた。
だけど、一斉に蓋という蓋がなくなって、また一斉に戻されるというのはそう何度もあるとは思えない。何度もどころか、ただの一度あっただけでも不可解だ。
「それ、誰かが蓋を外しているってことですよね?」
「もちろんそうでしょうね」
大塚さんは、だからなに、と続けた。
「なにって、その人を突き止めてやめさせないと!」
「その日のうちに元に戻っているんだし、いいんじゃないの? まあ、茶葉とかが湿気ないようにラップかけなきゃならないのが面倒だけど」
「いやいや、だめでしょ。上の人間に言わないと。とりあえず、今村課長かな」
僕の本来所属する営業課ではなく、大塚さんの上司にあたる庶務課長の名前を上げると、大塚さんは心底嫌そうに鼻にしわを寄せた。
「あの人に言うのだけはやめてよ。ラップの消費量を知ったらなんて言われるか!」
「ああ。それもそうか……」
僕らはそろってゴミ箱に目をやった。蓋が戻ってきたことで剥がされたラップが山盛りになっている。今村課長に見つかったらお説教が始まること間違いない。
入社したてのころは、すこしばかり今村課長に憧れていたりもした。なかなかお得意様の情報が頭に入らなくて苦戦していたときも、今村課長の姿を見ると元気が出たものだ。既婚者だろうが、小学生の母親だろうが、ただ憧れる分には支障ない。テレビの中の女優を見ているようなものだ。
だけど、それも束の間のことだった。
今村課長は、なんというか、その、エコに熱心な人だったのだ。
もちろん、いいことだと思う。僕だって地球を破壊する手助けよりは大切にしていきたい。だけど、いきなり徹底的にやれと言われてもなかなか難しい。それに、だいたいにおいて手間がかかることだったりする。
以前、今村課長は、昼食にコンビニ弁当を買ってきた従業員に対し、割り箸をもらうなと言ったことがあった。
「お箸くらい持ってこられるでしょう」
「まあそうですけど、割り箸って間伐材ですよね。そういうのを利用するのって、むしろエコなんじゃないんですか?」
「製造過程でたくさんのものが消費されているのよ。個別包装されているその袋だって石油だし」
「ちゃんと分別して……」
「廃棄する際には、小さいからってきちんと分別していないでしょ」
「……」
「そもそも、その割り箸が間伐材で作られているとは限らないのよ。本来は間伐材を使っていたけど、需要が上回ったせいで、割り箸用に伐採することもあるの」
なんて言われ続け、ついには誰も事務所で昼食を取らなくなった。
飲み物を買ってくることに関してもその調子だった。ペットボトルだの缶だのはリサイクルすればいいと思っているんでしょうけど、そのリサイクルにもエネルギーが……云々。そして渋々こうしてマイマグカップが給湯室に並ぶようになったわけだ。
今村課長の言うことはもっともだ、でも、そこまでやりたくはない。きっと誰もがそう思っているのだろう、今村課長の目があるときだけ消耗品の使用を控えるようになった。
それでもかなり資源の無駄遣いを抑えた職場になっていると思う。結果的に今村課長のエコ活動は成功しているといえる。
ただ、そんな今村課長にこのラップの大量消費が見つかったら、どれほどの小言が待っていることか。
証拠隠滅とばかりにゴミをまとめようとしていると、当の今村課長がバインダーを抱えて廊下を通り過ぎていった。
「うっわー。あぶねー」
「戻ってくる前に片付けちゃいましょ」
大塚さんとゴミ箱を挟んで向かい合った瞬間、背後から声がかかった。
「なにが戻ってくるんですか?」
通り過ぎたはずの今村課長が給湯室の入口に立っていた。大塚さんがゴミ箱に覆いかぶさり、ごほごほと咳込んでいる。そして、今村課長から見えない角度で僕のことをバシバシ叩く。取り繕えということらしい。
「えっと、いや、あっ、大塚さんが……そ、そう! ランチの食べ過ぎで『戻しそう』になって……いてっ!」
バシッと大塚さんに尻を叩かれた。
「まあ。大塚さん、大丈夫? トイレに行く?」
今村課長はツカツカと給湯室に入ってきて、大塚さんの背中に手を置いた。
「あ! いや、僕が連れていくので大丈夫です!」
「石井くんは男性だから女子トイレの中まで入れないでしょ」
「じゃあ男子トイレに連れていきます!」
「なに言ってるのよ。大塚さんは女性なんだから、男子トイレに連れてったらだめでしょ。さ、大塚さん……」
誤魔化しようがなくなり、大塚さんがゆっくり振り向く。僕の方からはゴミ箱の丸められたラップが丸見えだ。今村課長のはっと息を吸う音が聞こえた。
「ちょっと、あなたたちっ……」
やべっ。
大塚さんと顔を見合わせる。
「レジ袋は断りなさいって言ってるでしょ!」
「へ?」「は?」
今村課長は、磯貝専務がラップを買ってきた際のレジ袋を握り締めていた。
「あ……すみません……」
反射的に謝ってしまう。
「……まあいいわ。次から気を付けてよね」
寛大にも、今村課長はそのまま給湯室を出て行った。
大塚さんと顔を見合わせる。
「大塚さんをトイレに連れていくんじゃなかったでしたっけ?」
「そうよねぇ。てっきり連れていかれるかと思ったけど」
「レジ袋に気を取られて忘れちゃったってことですか?」
「そうなんだろうねぇ」
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