死ねない死者は夜に生きる

霜月透子

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サキはランコに認められたい

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 サキは恐る恐るカーテンの端をめくった。闇の深い夜だった。
 今夜が朔であることは確認済みだ。だけど念のため、ローブを羽織った。それからフードを深くかぶると、慎重に外へ足を踏み出した。

 相変わらず力が入らなくてふらつくが、月光を浴びた際の痺れのようなものはない。単なる血気不足のせいだ。ならば、血気を補充すればいい。今の体調では死せる者特有の俊敏な動きはできないが、生ける者のように歩くことならばできる。サキはもどかしい思いで左右の足を交互に前に運んだ。目指すはコンビニだ。

 近頃ランコはよく出掛けて、探し物か調べ物をしている。何をしているのか尋ねても「ちょっとな。たいしたことではない」と言ってはぐらかすが、どうやらサキのために動いているらしいことには気づいていた。この厄介な体質をどうやってヒガンに適応させるか模索してくれているのだと思う。感謝と同じくらい申し訳ない気持ちもある。

 ただ、それはもちろんサキのためではあるが、それだけではないのかもしれないとも感じている。きっとそれはランコ自身のためでもあるのだ。
 ヒガンに棲む者はすべて死せる者ではあるけれど、その中で、ランコとサキだけが異なる。死せる者の亜種のようなものだろう。
 サキがヒガンに来るまでランコは独りぼっちだったはずで、サキの想像を絶する孤独な時間を過ごしてきたことは明らかだ。そのランコが、やっと巡り合えた同類に執着しないわけがない。

 ランコに執着されているのだとしても、感謝こそすれ、負担には思わない。サキだって、既にランコが存在しているヒガンでなければ、これほど冷静にいられなかったことは想像に難くないのだから。

 ランコはサキが、サキはランコが、かけがえのない存在であることだけは確かだ。
 だからこそ、サキはランコの負担になりたくなかった。ランコの期待に応えたかった。

 自分にできることといえば、まずは狩りだ。それだけはほかの死せる者同様、やらねばならないことだ。

 もしも血気不足で「死」のような、ヒガンから消え去る道があるのなら、それもまた一つの選択肢なのかもしれない。日光も月光も躰を蝕むのであれば、不自由で苦痛に満ちたままよりも、あるいはヒガンを去る方が楽なのかもしれない。還りし者となればヒガンを去り、新たに生ける者として生を受けるという。

 だがそれは、自然の、もしくは得体のしれないなにか大きな力によってもたらされるもので、自らその道を選ぶことはできない。もしあるのならば、気の遠くなるような年月を孤独に過ごしてきたランコがその道を試していないはずがない。ランコがいまだこの満足しているようには見えないヒガンに棲んでいるということは、ここから逃れる道は閉ざされているのだ。

 だから、サキは狩りができるようにならなければならない。この身が滅ぶことなく、どこまでも苦痛を増していくのに耐えるか、狩りの不快感に耐えるか。自分のためにもランコのためにも、後者がいいに決まっている。
 サキはそう自分に言い聞かせ、また、鼓舞し、今夜もまた、いまだ一度も成し遂げていない狩りに挑む。

 狩りには満月の夜が最適とされているが、ほかの夜に狩りができないわけではなく、ただ満月だと食欲が増すということらしい。いつであろうとも生ける者に食指が動かないサキにしてみれば、満月でも朔でも変わりはない。

 コンビニの近くに辿り着いたサキは、ランコに教えられた通り、茂みに身を隠した。
 選り好みをしている場合ではない。そもそも獲物の良し悪しなどサキにはわからないのだ。最初に現れた生ける者を狩ることにする。

 国道から道を折れ、こちらに向かってくる男がいる。あれにしようと狙いを定めた。
 コンビニに入る前にしようか、出てきたところにしようかと、飛び掛かるタイミングを迷っていたが、男はコンビニを素通りして、横の路地へと入っていった。サキは慌てて後を追う。

 とはいえ、衰弱しているサキの動きは生ける者と大差ない速さでしかない。それでもどうにか男との距離を少しずつ縮めていった。

 男はふらふらと足元がおぼつかない。弱っているように見えた。獲物はどれでも変わらないと思ったが、さすがにこれはまずそうだ。ただでさえ食指が動かないというのに、わざわざ更にまずいもので試すことはないだろう。今以上に狩りが苦手になってしまう可能性もある。

 ターゲットを変更しようとしてサキが踵を変えようとしたその時、木枯らしが吹いた。
 男が寒そうに背を丸めた。そして、風に乗って男の体臭がサキの鼻先をかすめた。
 たちまちサキの口内に唾液が溢れた。口角から糸を引いて垂れていく。サキは手の甲で口元を拭い、舌なめずりをした。

 どうやって飛び掛かったのかわからない。気づけば男の首元にかじりついていた。
 じゅわりと瑞々しく滑らかな粘性のものが前歯を越えてくる。舌先で掬うように絡めとり、口内と舌の全面に行きわたらせて味わった。自分の舌の形を見失うほどに男の血気はサキの唾液に溶け込んでいく。口内の快感は鼻腔の奥を伝い、脳天まで上り詰めると、弾けるように全身に行きわたる。力がみなぎってくる。
 更に味わうために口の位置をずらそうとしたその瞬間、獲物である男がどさりと倒れた。

 サキはハッと我に返った。

 一体から摂りすぎてはだめだ。満足するまで口にすると、獲物を死せる者に呼び込むことになってしまうから一口にすることとランコから教わったではないか。狩る側が増えると自分の狩り場が狭くなるからと。

 サキは自らの失態に恐怖に似た焦りを感じて、男の傍らから飛び退いた。とっさの動作だったが、ついさっきまでの躰の重さが嘘のように軽くなっていた。

 サキの心配をよそに、男はのそりと起き上がり、なにごともなかったかのように歩き始めた。

 問題なさそうだとわかると、サキは颯爽とねぐらへと向かって走り出した。
 早くランコに知らせたかった。私にも狩りができたと。
 初めてのとろける味覚と体力の回復に心が浮きたった。なにより、ようやく一人前の死せる者になれた気がして誇らしかった。

 サキの心は、躰以上に軽やかだった。
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