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白椿のワルツ
参
しおりを挟む――翌日、朝食を食べた後、クライム父子は滞在しているホテルに戻っていった。朝食前も同じようにお祈りをしていたのを、雪人は不思議そうに眺めていた。
そして、1週間後、七種財閥の中核を担う人物たちが妻を伴って七種家本家に集まり、内輪だけだがそれだけで十分豪勢なパーティーを行なうことになっていた。
もともと予定されていたことであったので、準備は滞りなく行なわれており、雪人も準備の邪魔にならないようにと地下室で過ごしていた。準備に追われているようで昼食を持ってきた使用人以外は誰も訪れることはなかったが、午後になるとひとりの人物が地下室に訪れた。
コツコツという足音に、雪人が顔を上げると叔父である直倫が階段を下りてきた。
「雪人」
「直倫叔父さん」
手に鍵を持った直倫は、錠を開けると中に入ってきた。
「やっぱり、ここは暗いな…」
直倫は豪奢なソファに座っている雪人の膝の上に寝転がった。美丈夫の名に相応しい直倫が雪人を見上げる。
「準備は良いのですか?」
「そんなもん、兄貴がやってるよ。俺は邪魔みたいだから、ここで一休みだ」
継直と直倫は8つほど歳の離れた兄弟のせいか、あまり仲が良い兄弟とはいえなかった。雪人が知る限り、ふたりが親しげに話している様子も見たことがない。
直倫には双子の姉である雪子がおり、それはそれは仲睦まじい姉弟だったという。互いを片割れと呼ぶほど、お互いの存在がなくてはならないものだったのだったという。
直倫は、美しい雪人の顔を眺めながら頬や耳たぶを擽った。それを雪人が嫌がり顔を背けようとすると、直倫はソファに雪人を押し倒し、そのまま頭を包んできた。豪奢なソファは二人分の体重を受け止めても、びくともしない。
さらさらと絹の糸のようにすり抜ける髪を梳きながら、直倫は言った。
「お前も、一休みしろ」
いつにない直倫の優しい仕草に、雪人は戸惑いながらも、直倫の胸元に深く顔を埋めた。直倫の体の温かさに眠気を感じた雪人がウトウトと舟を漕ぐ。どれほどの時間、そうしていたのだろう。
直倫に起こされたときには、いつの間にか会場の準備もできたようで、雪人は昨日と同じく支度を整えることになった。
今日は、分家や支流の男たちも来るとのことで、雪人は白椿の着物を纏うことになった。
こちらも紳士らしいタキシードの装いになった直倫にエスコートされ、七種家の広間に足を踏み入れる。
広間に雪人たちが足を踏み入れた途端、いっせいに視線が集まり、雪人はぎくりと足を止めた。視線を向けた大方の者たちは、雪人の立場を恐らく知っているのだろう。躰に纏わりつく熱っぽい視線や、その反対に侮蔑を含んだ冷たい視線を同時に感じ、雪人は知らず青ざめた。
「男はみんな、お前に魅せられているぜ。お前は七種家の至宝で、奇跡だからな。少しでも七種の血を引いている男なら解る。お前から匂い立つ、特別な血が。ほら見てみろ、みんな、お前を手に入れたいって顔をしている」
直倫がひっそりと雪人の形の良い耳に囁き、視線で促すと、幾人かが雪人を凝視していた。
「そして、女はお前に嫉妬してるんだ。何せお前は、七種家の男たちの寵愛を産まれながらにして受けているのだからな。七種の血は決して女に受け継がれることはない、心から愛されることもない。…子を産んでも、七種の男は全てお前に魅せられる。それを、あいつらは知っているんだ」
直倫は如何にも楽しそうに言った。美しく着飾った女たちが、扇子で口元を覆い囁いているのを見て雪人は眉を顰め、赤い唇を噛みしめる。
そんなことは、雪人の知ったことではない。生まれながらの寵愛など、雪人は望んだことはない…。
見せつけるようにゆっくりとした仕草で雪人をエスコートした直倫が、窓際に置いてあるロココ調のソファに座るように促す。促されたまま雪人は座るが、その間も、纏わり着くような視線は離れなかった。
ようやくその視線が外れたのは、本日の主役であるクライム父子が継直と共に現れた時だった。
コウキ・クライムの美丈夫ぶりに、女たちからは感嘆のため息が漏れた。華やかな顔立ちと、日本では滅多にお目にかかることはできない金髪と澄んだ蒼眼はそれだけで、魅惑的だった。
ごくごく内輪のパーティーということで、継直の音頭で乾杯をした後は、人々は閑談を始めた。
豪勢な料理が運ばれ、生演奏も奏でられた室内は、間も無く賑やかな歓声が上がる。
七種家の主要な人間が集まっているということで、男たちは挨拶に余念がなく、女たちも同時に輪を広げていた。
楽器の生演奏が、クラシック曲からワルツに変わり、ダンスを踊り始める人々が多くなる頃、雪人も自然と一人になっていた。
七種財閥のポストを預かっているわけではない雪人には、誰も話しかけてはこなかった。執事が料理を運んだり、用はないかと尋ねることはあったが、それ以外は七種本家の男たちが話しかける以外は、遠巻きに眺めてくるだけだった。
雪人はあずかり知らぬことだが、白椿の着物を纏うということは、認められた人間以外近づくことは許さないという七種本家の男たちの無言の圧力だった。話しかけたくても、話しかけてはいけない状況だったのだ。
そう、ただ一人を除いて…。
「踊りませんか?」
雪人は差し出された手に、伏せていた顔を上げた。シャンデリアに反射した金の髪が光り、その眩しさに雪人は目を眇める。
「コウキさん?」
「ユキト、わたしと踊りませんか?」
戸惑いの表情でコウキを見上げる雪人にコウキは笑った。その蒼い目は温かみにあふれていた。
「それともわたしとは踊ることはできませんか?」
長身を屈めて首を傾げるコウキは、哀し気に眉を潜めた。
「い、いえ…違います、ダンスは得意じゃなくて…」
コウキにそんな表情をすることが不可思議で、何か言い返さなければと雪人が慌てて返すと、コウキは膝の上にある左手を取った。
「大丈夫です、わたしがリードします、さあ行きましょう」
「コウキさん…!」
コウキは雪人の手を取ったまま、広間の中央へと導いていった。雪人の左手を己の腕に乗せると、そのままその手で雪人の腰を抱いた。雪人はリードされるまま、ワルツを踊り始めた。
「まあ…本家の雪人さんと、Mr.クライムのご子息が…」
誰かの囁きが広がり、程好い歓声があがっていた広間が徐々に静かになっていく。踊っていた人々の視線もコウキと雪人に吸い寄せられていった。
二人は、見るものを魅了する優雅さで踊った。
「お上手で」
悪戯っぽい顔でコウキは腕の中の雪人を見下ろした。雪人は苦笑いする。ダンスの手ほどきを幼い頃からされており、祖父の手元を離れてからも社交界に出席することが年々多くなっていく兄弟たちの相手役を務めていた。
だが、他人と踊ったことはこれが初めてだった。
「…兄弟の相手をしていたものですから」
「そうでしたか。仲の良い、ご兄弟ですね」
「はい、本当の兄弟でもない俺を3人とも、大切にしてくれます…」
幼い頃は仲の良い兄弟だった…と思う。兄の継晴には可愛がられ、数か月違いで生まれた継貴とは遊んで育ち、弟である継保は慕ってくれた。いつからその均衡が崩れたかは、もう覚えていなかった。
「羨ましい。一人っ子であることに不満はないのですが、やっぱり兄弟が欲しかった」
コウキの優雅な立ち居振る舞いには、敬虔な心が表れている。コウキと言葉を交わしていると、汚れているはずの己まで綺麗に洗われていくようで雪人は心の底から安堵した。
「ツグナオ、君も見てごらん。我々の子が踊っている」
――主賓であるアルバートが継直に告げた。
継直はアルバートに言われるまま広間を見、眉を潜めた。誰にも変えがたい…雪人という至宝が、そこにいたのだ。全ての人々を魅了するようなたおやかな笑みで、優雅に踊っている。
しかも、七種家以外の男にリードされてだ。意識せず、眉を潜めてしまうのは仕方がなかった。そんな継直を横目に、アルバートは問いかける。
「ツグナオ、ユキトはいったいどういう病気なのだろう?」
「アル。それはいったいどういう意味だ?」
友人から放たれた言葉に、継直はさらに眉を潜める。継直の硬くなる声に、アルバートは肩を竦めた。
「気を悪くしないで聞いて欲しいのだが。君のことだから、病弱のユキトを名医に見せたのだろうが、それでもなかなか丈夫にはならないのだろう?一生の病でもなさそうだし、いったいどういうものなのだろう」
案じる声色に、継直は幾分か気を取り直す。雪人に引き寄せられていた視線を、アルバートに返す。
「わたしにも解らないのだ。ただ、小さい頃から体が弱く、余り屋敷を出てはいけないと医者に言われている」
勿論、これは嘘だ。
生まれた時から雪人が屋敷に閉じ込められているという事実を隠す、愚かな嘘。
「そうか、ではどうだろう、国外のドクターに診せるというのは」
「それは、英国に雪人を連れて行くということか?」
「ユキトが行きたいといい、君が了承したらの話だが。先天的なものならば仕方がないが、ヨーロッパの医術は流行り日本よりは進んでいるし、薬も開発されてきている。診てもらう価値はあるのではないだろうか」
アルバートは親切心で言ってくれているのだろう。継直は長年の友に、朗らかに返した。
「ありがとうアル。君が雪人を我が子のように案じてくれていること、本当に感謝している。
――だが、雪人は近頃、目も悪くしていてね。日中は、余り出歩かないほうが良いと、言われているのだ」
雪人が目を悪くしたのは、地下室で過ごすことが多くなったせいだ。今宵のように抑えられたライトの中ならば歩くことに支障があまりないが、昼間屋敷を歩くのでも、何度も躓いているのを見かけたことがある。その姿が愛妹の雪子を彷彿とさせたが、それでも、雪人を地下室から出そうとは思わなかった。
手を緩めれば、きっと雪人は離れていく。自由であることに憧れを持つ雪人は、いつか七種家から逃げようとする。予測ではなく、確信だった。
一族の者が不文律として隠し通す雪人という存在は、継直にはもう己の一部となっている…愛する雪子の忘れ形見であり、己の実の息子であるかもしれない雪人をどうして手放せるだろう。
七種家の男たちが恐れているのは、雪人が己等から離れていこうとすることだ。それを止めるためならば、何だってするだろう。
――もし雪人の体の一部が手に入るならば、己は雪人の美しい瞳を奪おう。光を奪ってしまえば、生きていくのに困難をきたす。この屋敷で父と兄、そして弟に寵愛されて生き、ひっそりと死んでいった雪子のように…。
そんな雪人を、愛せるのは我が七種家の男たちだけだ。
瞳を奪って誰も映すことなく、自由を奪って誰にも見られることもなく、ただこの屋敷で寵愛の日々を生涯送らせる。それは、七種家を背負う継直のただひとつの、切望だ。
おそらく己は雪人より先にあの世にいくだろう。
継直は、雪人とともに心中をするつもりはない。最期は雪人を腕に抱いて息絶えたいと願うが、雪人はこの世に遺していく。死の間際にさえ、あの子の顔をこの眼に映して息絶えられれば、後はよい。
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継直が見つめる中、雪人が穏やかな顔でコウキに微笑んでいる。滅多なことでは見ることがなくなったその表情に、継直は一人、目を伏せるのだった。
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