儚く堕ちる白椿かな

椿木ガラシャ

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白椿のワルツ

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 ――幼馴染である清一が目の前で殺害され、1年近くが立つ。雪人のおかれている状況は、以前よりもより窮屈となった。
 雪人の住まいは、今まで屋敷の一角とされていたが、雪人の脱走に怯えた男たちによって地下に移されることとなった。牢屋だったが改造され、そこで生活ができる空間に作り変えられたのだ。昼間は、そこで過ごすように命じられている。

 自然の光は、天井の小さな出窓だけ…人工的な光しか、地下室にはない。
 しかも地下は格子戸が作られ重い鍵が掛けられるのだ。鍵は七種家の男たちと、当主妻の百合子だけが番号を知っている金庫の中にいれられ、鍵が開かれるのは、一族の男たちが家にいる間だけ…雪人は真の牢獄に囚われているのだった。
 滅多に太陽を浴びることはなくなった雪人の肌は、更に白く滑らかになった。屋敷中を歩けなくなったことで体力が落ち痩せた体は、体調を崩しやすくなった。徐々に目も悪くなっているのか、階段をあがるのに注意をしなくてはならなかった。
 病を得ることはなかったが、それもいつまでのことか…雪人は徐々に蝕まれそうになっていた。

「さあ、客人も着いたようだし、玄関に行こう」

 雪人は継晴に手を引かれ、衣裳部屋を後にした。
 伝統的な日本家屋である七種家の縁側は、あたたかな光りが差している。1年前まで暖かな日差しを浴びて転寝をするのが好きだったが、今の雪人にはその光は目を眇めるほど眩しい。
 玄関からは、出迎えた人々と客人から賑やかな声が上がっている。声から察するに、当主・継直と当主の妻・百合子が出迎えたらしい。客人は長身ぞろいの七種家の男たちに劣らぬほど背の高い人らしい。雪人はぼんやりとする視界の中、玄関に踏み入れた。

「お前たち、遅いではないか。さあ、早くこちらに来なさい」

 七種家当主・継直が言葉ほどのきつさはない口調で、息子たちを呼び寄せる。

「アルバート。これが私の長男・継晴と四男の継保だ。次男の継貴は不在だが、帰ってきたら紹介しよう」

「お会いするのは二度めですね。お久しぶりです、Mr.クライム。お元気そうで何よりです」

「四男の継保です。次の機会には、俺も父に同行しますので、どうぞよろしくお願いします」

 クライムという名は、雪人にも覚えがある。英国の貿易会社の名だ。どうやら、七種財閥の資金源の一つになっている貿易会社のその最大の取引相手であるクライム氏が日本に来日し、七種家に招かれたらしい。

「アル。そして、これが三男の雪人だ。」

 継晴と継保の後ろに控えていた雪人は、継直に手を引かれ、クライム氏の前に立たされる。
 アルバート・クライムは恰幅の良い男だった。雪人が思わず目を眇めた髪色は金髪で所々白髪が混じって、綺麗な模様となっていた。人好きのする風貌の男が、雪人を見下ろした。

「おやおやこれは、なんとも可愛らしい男の子だ。ごきげんよう。わたしは、アルバート・クライムです」

「初めまして、七種雪人と申します」

 握手を求められ差し出した手を、アルバートは軽く握り締めた。雪人ににこやかな笑みを見せたまま、アルバートは誰かを呼んだ。

「お前も、こちらにきてご挨拶なさい」

 アルバートが呼んだ男は、荷物を持ってちょうど玄関に足を踏み入れたところだった。アルバートに呼ばれ前に立った人物を雪人は見上げた。アルバートよりも高い背の、美しい金髪の男がそこにいた。

「初めまして、息子のコウキ・クライムといいます」

 顔立ちも整ったその男は、容姿にそぐわぬ日本名を口にした。手を差し出してきたので、雪人もつられるまま握手をする。厚い掌と、長い指は、雪人の手を包み込んでしまえるほど大きい。

「母が日本人なのですよ。コウキは煌きの樹と書きます」

 コウキの説明に納得したのは、雪人だけではなった。継直もアルバートに話しかける。

「あんなに小さかったあの子が、こんなの大きくなったのか。しかも日本語もこんなに上手に」

「ツグナオ、君が我が家に来たのは15年も前のことじゃないか。15年もたてば、誰だって成長するさ」

 ファーストネームで呼び合うほど、アルバートと継直は親交が深いらしい。普段は財閥家の当主として威厳を見せている継直が、アルバートの言葉に頷いている。

「それより、わたしは君の子どもの多さに驚いたよ。息子が多いとは聞いていたが、4人もいるとは。わたしのところはコウキ一人だから、なんとも羨ましい」

 アルバートは、雪人たちを見回して笑った。

「アル。実は雪人は、本当の我が子ではないのだよ。ここにいる百合子が生んだのは、この二人の他に、二男の継貴だけなのだ」

 慎ましく継直の後ろに控えていた百合子が、小さく微笑んだ。当主夫人として、慎ましくその役目を務めている。

「雪人は、我が妹・雪子の遺児だ。妹は美しい女だったんだが、雪人を生んだと同時に儚くなってしまった」

 百合子の表情が微かに歪む。雪子という因縁の名を耳にし、感情が抑えられないようだったが、すっと貞淑な妻の顔に戻る。誰も、その一連の表情に気づくことはなかった。

「父親を誰にも告げず死んでしまってね。不憫に思った我が父が、私の養子として育てるよう、雪人を私に預けたのだ。――以降、手元で養育している」

「ユキトは学生ですか?」

  継直が雪人の生い立ちを話していると、コウキが雪人に尋ねた。

「いえ、俺は…」

「雪人は病弱でしてね、家からは出られないんです」

 まさか屋敷に閉じ込められていると言えず、言いよどんだ雪人の代わりに、継晴が言った。雪人は内心ほっとした。己の立場を何といえばよいか、分からないのだ。
 継晴が応えたことに、不思議そうに眉を上げたコウキだったが、握った雪人の手をそのままに雪人に話しかけた。

「それは残念です。わたしはあちらの大学で日本文学を学んでいまして、ぜひ、日本の大学に足を運びたいと思っていたので」

 コウキはにこりと笑い雪人の手を離した。

「クライムさん、お夕飯をご一緒にいかがですか?」

 百合子がクライム父子に対して、夕食の誘いをする。

「それはいい。アルバート、コウキ。今宵は何もないのだろう?ぜひ、食べていってくれ。ワインも用意しよう。久しぶりにゆっくりと語らおうではないか」

 継直が誘うと、アルバートは笑顔を見せた。

「コウキ、ぜひそうさせてもらおう」

「はい、父さん」

 クライム父子を迎えた七種家の人々は、玄関の隣にあるサンルームに移り、閑談を始めた。
雪人は地下室に返されるかと思っていたが、客人の手前、そういうわけにも行かないようで、そのまま留め置かれることになった。
 継晴の妻である早苗も身重の体をおして、サンルームにやってきた。名家の出身である彼女が好きだというアフタヌーンティーセットをもってやってきたのだ。
 スコーンやクッキーの他にも、カップケーキがあり、窓際の小さなテーブル席に座った雪人も継保が皿で運んできたものを口にしていた。

「本場の方の、お口には合わないかもしれませんが…」

 令嬢らしい立ち振る舞いで、客人を持て成す早苗にアルバートは微笑みかけた。

「いえいえとんでもない。とても美味しいですよ。ツグハルは、幸せ者だね。こんなにすばらしい奥様がいて」

 早苗は頬を染めて顔を伏せるが、当の継晴はただ微笑むだけだった。弐刻ほどすると、出掛けていた継貴も帰ってきて、より賑やかになった。コウキはどうやら、継貴や雪人より1歳だけ年長らしい。
 一等歳の近い継貴とは直ぐに打ち解けたようで、ふたりは日本文学について論争を始めたのだった。

 今は小泉八雲について語り合っている。
 七種家の人々がクライム父子と歓談する中、雪人は己の立場を改めて鑑みた。兄弟たちは父の手伝いをし、将来は七種財閥の中枢を担う男たちになるだろう。義母や義姉は、男たちを支える妻として一生を全うし、輝かしい一生を手に入れるのだろう。
 ならば、己は何だろう…。
 自由になりたいと願い屋敷を抜け出した1年前、結局、手元に残ったのは幼馴染の死と抜け出せない監獄に閉じ込められる日々だ。

 七種の慰め者として生きて、それも容姿が衰えれば、きっと、捨てられるのだろう。いつまでも閉じ込めておくと常々男たちは言っているが、その言葉にどれほどの信憑性があるのか…。
 己が社会にとって何も役に立たない存在なのだと感じると、そんな事を考えてしまう。雪人はひとり瞳を伏せ、己の境遇の愚かさを恨むのだった。
 夕食の時間となり、一堂は食堂に移ることになった。食堂は既に準備がされており、間も無く食事が開始された。
 今日は、クライム父子を持て成すために、日本料理をコースとして出すらしい。
 雪人も食前酒である梅酒を口にしたのだが、ふとクライム父子がそれぞれ手を合わせ、何かを呟いているのに気付いた。
 不思議そうに雪人がしているのに気付いた隣の席に継直が教えてくれた。

「アルとコウキは、唯一の神を信じているキリスト教信者なのだ。だからああやって食事前は、お祈りしているのだよ」

「キリスト教って、隠れキリシタンの?」

 本の中の知識しかない雪人には、その程度の知識しかない。継直は雪人の可愛らしい応えに微笑むとそっと垂れている前髪をかき上げて、耳にかけた。

「そうそれだ。英国では日曜日は、教会でお祈りをしているらしい」

 アルバートとコウキは最後に十字を切り、他の者たちと同じように食事を始めた。十字を切る時に微かに『アーメン』と聞こえ、雪人は無性にその意味が知りたかった。しかし、皆の手前勝手な振る舞いはできず、雪人は食事を再開したのだった。
 何事もなく食事は進み、七種家の人々とすっかり打ち解けたクライム父子が泊まる事になった。アルバートは継直と思い出話に花が咲いたようで継直の書斎と移動し、コウキは兄弟たちと再び飲むことになった。

 雪人以外の兄弟3人とコウキがビリヤードをしながら酒を飲んでいる側で、雪人も本を読んでいた。
 キューが玉に当たる、抜けるような音が雪人の耳にも届く。アルバートの腕は、七種家でも一番ビリヤードが上手い継保と張るものらしい。
 騒がしい兄弟たちの姿を横目に執事が用意してくれたシャンパンを飲んだ。小さい泡が綺麗に弾け、喉を通り抜ける感覚に、雪人は一気に煽った。
 しかし、一気に飲み干したせいか暫くすると酔いが回り、あくびをかみ殺した。

「雪人、眠いのかい?」

「あ、ごめんなさい…一気に飲み過ぎたみたい」

 それを継晴に見つけられ、雪人は小さく誤った。

「誤ることはないよ、もう日が変わる。我々も明日があるのだし、今日はお開きにしよう」

 継晴の声に三人も頷き、それぞれの部屋に戻ることになった。コウキが去ると、継保が近づき耳打ちした。

「今晩は俺の部屋で寝るといいよ、雪人。父さんももう休んだみたいだし、今日は何もしないから。
 ――いいよね?兄さんたち」

「まあ、今日は仕方ないだろ。な、兄さん。継保、本当に手を出すなよ」

「解ってるって、じゃあ、おやすみ」

「おやすみ雪人」

「おやすみなさい」

 雪人は継保に伴われ、部屋を後にした。入浴を済ませ、寝巻きに着替えて継保のベッドに入ると、こちらも入浴を済ませた継保が入ってきた。継保は雪人の細い体を包むと、雪人の平たい胸に顔を寄せた。

「何か、子どもの頃に戻ったみたいだね」

 顔をすり寄せてくるだけの継保に雪人もため息を吐き短く切り揃えられた硬い髪を撫でた。暫くく
すぐっていると、安らかな寝息が聞こえてきた。
 継保は他の兄弟と違って、雪人にとって守らなければならない存在だった。己よりも小さい身体で雪人と遊ぶでほしいとせがる継保の手を引いて、守ってきたつもりだった。それがいつの間にか、身体は雪人より大きくなり、雪人が庇護されるようになってしまった。
 純粋な子ども時代は過ぎ、継保も大人になってしまった。雪人は継保の髪を弄るのをやめ、瞳を閉じた。
 明日こそは何かが変わればいい…そんな儚い願を込めて。


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