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 ――パパパパーンパー
 この世界の一日は雄大な音楽で始まる。
 たとえ、雪山であろうが火山であろうが、海の上であろうが、砂漠であろうが、全世界のどこででも聞くことができる。誰がこの音楽を誰が奏で、そしてなぜ全世界に同じように響いているのかは、誰も知らない。
 この世界の不思議であり、不文律である。
 何はともあれ、共に人々はその日の活動を始め、そして一日が営まれていくのであった。

「おはよう、ルー」
 ――瞼にふわりとキスを落とされて、ルーシェは目を開けた。ルーシェの双眸には紫紺の色が広がった。
「どうしたガル?目が赤いけど?」
 ルーシェは手を伸ばし、ガルシアの頬を掌で包む。
「興奮で眠れなかった」
 そのルーシェの手を取り、ガルシアは手首の内側にチュッと口づけた。
「俺、ガルの顔が好きなのに。折角の男前が台無しじゃないか」
「ルー…」
 その台詞に感極まったようで、ガルシアに抱きしめられる。息も荒くなっているし、押し付けられる下肢も硬くなって…。
「ルー、ああ、ルー。俺の可愛い奥さん」
「んん…」
 思いっきり激しく口づけられる。舌を遠慮なく差し込み、ぬちゃぬちゃと舌を絡められ、ルーシェも翻弄されそうになる。
「まっ…て、ガル…」
「待たない、抱きたい」
 いよいよガルシアの欲望が抑えきれなくなったところで、音を立てて扉が開いた。
「まあまあ。いつまで眠っておいでですか、ガルシア様、ルーシェ様。今日は忙しいのですから、さっさとお食事を召し上がってくださいませね」
 朝食の乗った台車をもってエルサが入ってくる。
「あ、萎えた」
 流石にいきなり乱入されては、ガルシアの欲望も収まってしまったようである。
「ほらほら起きてください。時間は待ってはくれませんよ」
 エルサの声にふたりで苦笑いする。そう今日は、自分たちにとって大切な日なのだ。
 ――ガルシアが北の大地に訪れてから4日後、今日、ガルシアとルーシェは結婚式を迎える。次期皇帝として本来ならば王都での式が望ましいが、それは後ほどでよいと皇帝から許しを得ていた。そして、出産を終えるまでは北の大地にとどまるようにとのことであった。妊娠した状況で旅をするのはそもそも危険がある。皇帝の孫を危険な目に合わシュリわけにはいかないとのことであった。
 ルーシェの故郷である北で人々に見守られながら、式を挙げたいと言い出したのはガルシアだったのだ。
 急ごしらえになるため、礼服などはどうするかという話になったが、そこはガルシアが用意していた。玄関にあった頑丈な箱はどうやらガルシアが王都から送ったものなのだ。
 中はガルシアの服や、ルーシェの服がはいっていたが、奥底に張ったのは式用の衣装だったのだ。
 朝食を終えたガルシアは別室に案内され、ルーシェは自室で着替えをすませた。ジャケットとスラックスはガルシアのものと同じデザインである。ガルシアは深い光沢のある紫で襟や手首には同じ色合いで刺繍がなされていた。ルーシェは白い光沢のある生地で作られて、金糸により細かく美しい刺繍がなされていた。
 襟と裾にはフリルがなされている。裾のフリルは長く足首近くまであった。
「髪も少し結いましょうね」
 エルサの手によって横髪も三つ編みに結われ、小さな花を象った飾りをつけられた。
「さあ、できましたよ。参りましょうか」
 式は屋敷の広間で行われることになっていた。
 広間の扉の前で待っているのは父だ。
「ルーシェ…」
 ルーシェの姿を見た途端、ボルドは絶句し、目元を潤ませた。
「アイーシャに似てきよって…」
 母の名をつぶやき、掌で目元を覆った。
「親父、泣くなよ」
 思わずルーシェも涙ぐみそうになる。
「ほらほらおふたりとも。お客様もお待ちですから、今は泣いてはいけませんよ」
「ああ、そうだな。――ルーシェ、これを」
 ボルドの大きな硬い掌にあったのは、三日月が象られたピアスだった。極東の国でとれたという真珠という宝石を使っている。ゴールドで象られた三日月に、小さい物から大きいものが配置をされていた。
「アイーシャがわしと結婚するとき、これをつけておった。これからはお前が持っているといい」
「いいの?」
 これは母の遺品ともいうべきものだ。2歳の時亡くなった母を、ルーシェは朧気にしか覚えていない。しかし、いつも父から語られる母は、眩い光にあふれていた。
「いつかアイーシャはお前にやりたいと言っていたからな。その願いをかなえただけだ」
 ルーシェは自らの手で、耳たぶにピアスをつけた。最後の支度を終えたルーシェは父と向き直った。ボルドの掌がルーシェの頬に添えられる。
「このバカ息子が。幸せになれ」
「親父こそ、元気でいろよ」
「おふたりともよろしいですか。扉を開きますよ」
 ベンの呼びかけによって、ルーシェはボルドの腕に手をかける。まもなく扉が開き、ボルドの先導によってルーシェは歩きだした。
 ――広間にルーシェが足を踏み入れた途端、人々から歓声が上がった。
 どの顔もよく知っている。幼いころからこの北の地でルーシェを見守って、育ててくれた人々だ。
 身分や出自、職業に関係なく、広間には人々があふれかえっていた。
 人々の間を拭い、ボルドとともに進むと、中央で待っていたのはガルシアだった。見事な体格をルーシェと色違いの襟詰めの礼服で包み、背には光沢のある紫の長いマントを靡かせていた。
 父の腕から離れ、ルーシェはガルシアと手を取りあう。お互い緊張しているのがわかり、ルーシェは微かに笑う。その笑みに同じくふっと笑ったガルシアはその場で片膝をついた。マントが床につくのもいとわず、屈みこんだガルシアは、ルーシェの甲に唇を寄せる。
 人々が静まり返る中、ガルシアは張りのある声でしゃべりだす。
「生涯、ルーシェだけを愛する。どんな時も、いかなる時も、ルーシェに愛を誓う。この誓いは永久に解けることはない。喩え死がふたりを別ち合おうと、俺の心は、ルーシェのものだ」
 ちゅっとルーシェの指先に口づけたガルシアは立ち上がる。お前は?と問いかけるように首をかしげるガルシアにルーシェも返した。
「俺も、ガルシアを愛している。ずっと、どんな時も…。俺の心も、永遠にガルシアのものだ」
 ルーシェは伸びあがって、そっとガルシアの頬に口づける。顔が離れると、泣きそうな顔したガルシアがルーシェの唇に口づけた。
 まもなく、拍手が沸き上がる。歓喜に満ち溢れたやわらかな音だ。
「おめでとうございます、ルーシェ様」
「ガルシア様の治世を楽しみにしてます」
 人々に祝福され、面はゆい気持ちになりながら、ガルシアと頬を寄せ合う。満面の笑みで、幸福を噛みしめながら…。
 ――ドン!
 突如、幸福に満ち溢れている広間の扉が開かれた。いきなりの会場に驚き、人々は顔を向けるがそこにいたのは、ふたりの男だった。
 人々は不審げに眉を顰めるが、ルーシェは誰かわかり驚きの声を上げた。
「あれ、セルドア!?」
「ああ、宰相もいるな」
 そこにいたのは王城の医師であるセルドアと宰相であるオスカーだったのだ。
 ふたりとも這う這うの体であるのは、汚れた服でわかった。
「ガルシアお前…」
 皆があっけにとられる中、セルドアはずんずんと進み、ガルシアとルーシェに近づいた。
「俺たちを置いていくなよっ。お前と違って俺たちは医師と文官だぞ!?その俺たちを振り切って6日間で北にたどり着くなんて…お前化け物か!?」
「え、どういうこと?」
 セルドアとガルシアを交互に見るルーシェに声がかけられる。
「ルーシェ」
 よく知っている声だ。セルドアを押しのけて、一歩進み出たオスカーがルーシェの前に跪く。
「ルーシェ、美しい…。こんなに美しく光り輝いた花嫁は見たことがない。
 ――こんなことなら、さっさと手籠めにすればよかった…」
 不穏な一言にルーシェの顔が引きつる。そのオスカーの視線から隠すように、ガルシアは腕を回す。
 周りの視線が訝し気に4人に集まる中、咳ばらいをしたボルドが言い放った。
「皆の者、これで式は終わりだ。食事や酒を用意した故、ゆっくり楽しむがよい」
 その声に、ようやく人々は動き出す。使用人たちが、料理をもって広間の隅に置かれていた机に次々と乗せていく。
 美味そうな匂いに人々の意識はそちらへと向いた。
「そなたたちは、私の執務室へ」
 ボルドに促され、ガルシアとルーシェ、セルドアとオスカーは移動する。執務室のソファにそれぞれ座った。
「実は、北に勅命を持ってくるのは俺だけでなく、セルドアと宰相も同行することになっていたんだ」
「ガルシアは腐っても次期皇帝だからな。そんな身分の者をひとりで北に行かシュリことはできない。皇帝の命によって、俺たちも同行を仰せつかったわけだが…」
「ガルシア様は城を出た途端、文官と医師である我々のことなど忘れたように馬を走らせたわけです。こっちは荷台もありましたので、10日をかけてたどり着きましたが、途中から雪が降ったり、崖に落ちかけたりと大変でした」
 苦労が忍ばれるが、ガルシアは何食わぬ顔で言い放った。
「ルーに会いたい一心で、お前たちのことなど忘れていた」
「お前は…そういうやつだよな」
 はあとセルドアは溜息をつき、オスカーもあきれ返る。
「ガル、だめだろ?ちゃんと、陛下のご命令は聞かないと」
 めっとルーシェが言うと、繋がれていた指先がきゅっと握られた。
「これからは、気を付ける」
 式を終えたばかり伴侶からの諫めも、今のガルシアにとっては愛おしいものなのだろう。ルーシェの指を自分の口元に持っていき、ちゅっちゅと口づけている。
「もう、本当にわかってるのかな、こいつは」
 そういいながらも、ガルシアからの愛撫を留めず、空いた手で夫の髪をすく。
 夫夫となり箍が外れたように人前でいちゃつくふたりに、あきれ帰った視線が向けられたが、ふたりは意に返さなかった。
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