上 下
10 / 31

10

しおりを挟む
 ――パパパパーンパー
 この世界の一日は雄大な音楽で始まる。
 たとえ、雪山であろうが火山であろうが、海の上であろうが、砂漠であろうが、全世界のどこででも聞くことができる。誰がこの音楽を誰が奏で、そしてなぜ全世界に同じように響いているのかは、誰も知らない。
 この世界の不思議であり、不文律である。
 何はともあれ、共に人々はその日の活動を始め、そして一日が営まれていくのであった。

「おはよう、ルー」
 ――瞼にふわりとキスを落とされて、ルーシェは目を開けた。ルーシェの双眸には紫紺の色が広がった。
「どうしたガル?目が赤いけど?」
 ルーシェは手を伸ばし、ガルシアの頬を掌で包む。
「興奮で眠れなかった」
 そのルーシェの手を取り、ガルシアは手首の内側にチュッと口づけた。
「俺、ガルの顔が好きなのに。折角の男前が台無しじゃないか」
「ルー…」
 その台詞に感極まったようで、ガルシアに抱きしめられる。息も荒くなっているし、押し付けられる下肢も硬くなって…。
「ルー、ああ、ルー。俺の可愛い奥さん」
「んん…」
 思いっきり激しく口づけられる。舌を遠慮なく差し込み、ぬちゃぬちゃと舌を絡められ、ルーシェも翻弄されそうになる。
「まっ…て、ガル…」
「待たない、抱きたい」
 いよいよガルシアの欲望が抑えきれなくなったところで、音を立てて扉が開いた。
「まあまあ。いつまで眠っておいでですか、ガルシア様、ルーシェ様。今日は忙しいのですから、さっさとお食事を召し上がってくださいませね」
 朝食の乗った台車をもってエルサが入ってくる。
「あ、萎えた」
 流石にいきなり乱入されては、ガルシアの欲望も収まってしまったようである。
「ほらほら起きてください。時間は待ってはくれませんよ」
 エルサの声にふたりで苦笑いする。そう今日は、自分たちにとって大切な日なのだ。
 ――ガルシアが北の大地に訪れてから4日後、今日、ガルシアとルーシェは結婚式を迎える。次期皇帝として本来ならば王都での式が望ましいが、それは後ほどでよいと皇帝から許しを得ていた。そして、出産を終えるまでは北の大地にとどまるようにとのことであった。妊娠した状況で旅をするのはそもそも危険がある。皇帝の孫を危険な目に合わシュリわけにはいかないとのことであった。
 ルーシェの故郷である北で人々に見守られながら、式を挙げたいと言い出したのはガルシアだったのだ。
 急ごしらえになるため、礼服などはどうするかという話になったが、そこはガルシアが用意していた。玄関にあった頑丈な箱はどうやらガルシアが王都から送ったものなのだ。
 中はガルシアの服や、ルーシェの服がはいっていたが、奥底に張ったのは式用の衣装だったのだ。
 朝食を終えたガルシアは別室に案内され、ルーシェは自室で着替えをすませた。ジャケットとスラックスはガルシアのものと同じデザインである。ガルシアは深い光沢のある紫で襟や手首には同じ色合いで刺繍がなされていた。ルーシェは白い光沢のある生地で作られて、金糸により細かく美しい刺繍がなされていた。
 襟と裾にはフリルがなされている。裾のフリルは長く足首近くまであった。
「髪も少し結いましょうね」
 エルサの手によって横髪も三つ編みに結われ、小さな花を象った飾りをつけられた。
「さあ、できましたよ。参りましょうか」
 式は屋敷の広間で行われることになっていた。
 広間の扉の前で待っているのは父だ。
「ルーシェ…」
 ルーシェの姿を見た途端、ボルドは絶句し、目元を潤ませた。
「アイーシャに似てきよって…」
 母の名をつぶやき、掌で目元を覆った。
「親父、泣くなよ」
 思わずルーシェも涙ぐみそうになる。
「ほらほらおふたりとも。お客様もお待ちですから、今は泣いてはいけませんよ」
「ああ、そうだな。――ルーシェ、これを」
 ボルドの大きな硬い掌にあったのは、三日月が象られたピアスだった。極東の国でとれたという真珠という宝石を使っている。ゴールドで象られた三日月に、小さい物から大きいものが配置をされていた。
「アイーシャがわしと結婚するとき、これをつけておった。これからはお前が持っているといい」
「いいの?」
 これは母の遺品ともいうべきものだ。2歳の時亡くなった母を、ルーシェは朧気にしか覚えていない。しかし、いつも父から語られる母は、眩い光にあふれていた。
「いつかアイーシャはお前にやりたいと言っていたからな。その願いをかなえただけだ」
 ルーシェは自らの手で、耳たぶにピアスをつけた。最後の支度を終えたルーシェは父と向き直った。ボルドの掌がルーシェの頬に添えられる。
「このバカ息子が。幸せになれ」
「親父こそ、元気でいろよ」
「おふたりともよろしいですか。扉を開きますよ」
 ベンの呼びかけによって、ルーシェはボルドの腕に手をかける。まもなく扉が開き、ボルドの先導によってルーシェは歩きだした。
 ――広間にルーシェが足を踏み入れた途端、人々から歓声が上がった。
 どの顔もよく知っている。幼いころからこの北の地でルーシェを見守って、育ててくれた人々だ。
 身分や出自、職業に関係なく、広間には人々があふれかえっていた。
 人々の間を拭い、ボルドとともに進むと、中央で待っていたのはガルシアだった。見事な体格をルーシェと色違いの襟詰めの礼服で包み、背には光沢のある紫の長いマントを靡かせていた。
 父の腕から離れ、ルーシェはガルシアと手を取りあう。お互い緊張しているのがわかり、ルーシェは微かに笑う。その笑みに同じくふっと笑ったガルシアはその場で片膝をついた。マントが床につくのもいとわず、屈みこんだガルシアは、ルーシェの甲に唇を寄せる。
 人々が静まり返る中、ガルシアは張りのある声でしゃべりだす。
「生涯、ルーシェだけを愛する。どんな時も、いかなる時も、ルーシェに愛を誓う。この誓いは永久に解けることはない。喩え死がふたりを別ち合おうと、俺の心は、ルーシェのものだ」
 ちゅっとルーシェの指先に口づけたガルシアは立ち上がる。お前は?と問いかけるように首をかしげるガルシアにルーシェも返した。
「俺も、ガルシアを愛している。ずっと、どんな時も…。俺の心も、永遠にガルシアのものだ」
 ルーシェは伸びあがって、そっとガルシアの頬に口づける。顔が離れると、泣きそうな顔したガルシアがルーシェの唇に口づけた。
 まもなく、拍手が沸き上がる。歓喜に満ち溢れたやわらかな音だ。
「おめでとうございます、ルーシェ様」
「ガルシア様の治世を楽しみにしてます」
 人々に祝福され、面はゆい気持ちになりながら、ガルシアと頬を寄せ合う。満面の笑みで、幸福を噛みしめながら…。
 ――ドン!
 突如、幸福に満ち溢れている広間の扉が開かれた。いきなりの会場に驚き、人々は顔を向けるがそこにいたのは、ふたりの男だった。
 人々は不審げに眉を顰めるが、ルーシェは誰かわかり驚きの声を上げた。
「あれ、セルドア!?」
「ああ、宰相もいるな」
 そこにいたのは王城の医師であるセルドアと宰相であるオスカーだったのだ。
 ふたりとも這う這うの体であるのは、汚れた服でわかった。
「ガルシアお前…」
 皆があっけにとられる中、セルドアはずんずんと進み、ガルシアとルーシェに近づいた。
「俺たちを置いていくなよっ。お前と違って俺たちは医師と文官だぞ!?その俺たちを振り切って6日間で北にたどり着くなんて…お前化け物か!?」
「え、どういうこと?」
 セルドアとガルシアを交互に見るルーシェに声がかけられる。
「ルーシェ」
 よく知っている声だ。セルドアを押しのけて、一歩進み出たオスカーがルーシェの前に跪く。
「ルーシェ、美しい…。こんなに美しく光り輝いた花嫁は見たことがない。
 ――こんなことなら、さっさと手籠めにすればよかった…」
 不穏な一言にルーシェの顔が引きつる。そのオスカーの視線から隠すように、ガルシアは腕を回す。
 周りの視線が訝し気に4人に集まる中、咳ばらいをしたボルドが言い放った。
「皆の者、これで式は終わりだ。食事や酒を用意した故、ゆっくり楽しむがよい」
 その声に、ようやく人々は動き出す。使用人たちが、料理をもって広間の隅に置かれていた机に次々と乗せていく。
 美味そうな匂いに人々の意識はそちらへと向いた。
「そなたたちは、私の執務室へ」
 ボルドに促され、ガルシアとルーシェ、セルドアとオスカーは移動する。執務室のソファにそれぞれ座った。
「実は、北に勅命を持ってくるのは俺だけでなく、セルドアと宰相も同行することになっていたんだ」
「ガルシアは腐っても次期皇帝だからな。そんな身分の者をひとりで北に行かシュリことはできない。皇帝の命によって、俺たちも同行を仰せつかったわけだが…」
「ガルシア様は城を出た途端、文官と医師である我々のことなど忘れたように馬を走らせたわけです。こっちは荷台もありましたので、10日をかけてたどり着きましたが、途中から雪が降ったり、崖に落ちかけたりと大変でした」
 苦労が忍ばれるが、ガルシアは何食わぬ顔で言い放った。
「ルーに会いたい一心で、お前たちのことなど忘れていた」
「お前は…そういうやつだよな」
 はあとセルドアは溜息をつき、オスカーもあきれ返る。
「ガル、だめだろ?ちゃんと、陛下のご命令は聞かないと」
 めっとルーシェが言うと、繋がれていた指先がきゅっと握られた。
「これからは、気を付ける」
 式を終えたばかり伴侶からの諫めも、今のガルシアにとっては愛おしいものなのだろう。ルーシェの指を自分の口元に持っていき、ちゅっちゅと口づけている。
「もう、本当にわかってるのかな、こいつは」
 そういいながらも、ガルシアからの愛撫を留めず、空いた手で夫の髪をすく。
 夫夫となり箍が外れたように人前でいちゃつくふたりに、あきれ帰った視線が向けられたが、ふたりは意に返さなかった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!? 溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。

【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集

あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。 こちらの短編集は 絶対支配な攻めが、 快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす 1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。 不定期更新ですが、 1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 書きかけの長編が止まってますが、 短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。 よろしくお願いします!

執着男に勤務先を特定された上に、なんなら後輩として入社して来られちゃった

パイ生地製作委員会
BL
【登場人物】 陰原 月夜(カゲハラ ツキヤ):受け 社会人として気丈に頑張っているが、恋愛面に関しては後ろ暗い過去を持つ。晴陽とは過去に高校で出会い、恋に落ちて付き合っていた。しかし、晴陽からの度重なる縛り付けが苦しくなり、大学入学を機に逃げ、遠距離を理由に自然消滅で晴陽と別れた。 太陽 晴陽(タイヨウ ハルヒ):攻め 明るく元気な性格で、周囲からの人気が高い。しかしその実、月夜との関係を大切にするあまり、執着してしまう面もある。大学卒業後、月夜と同じ会社に入社した。 【あらすじ】  晴陽と月夜は、高校時代に出会い、互いに深い愛情を育んだ。しかし、海が大学進学のため遠くに引っ越すことになり、二人の間には別れが訪れた。遠距離恋愛は困難を伴い、やがて二人は別れることを決断した。  それから数年後、月夜は大学を卒業し、有名企業に就職した。ある日、偶然の再会があった。晴陽が新入社員として月夜の勤務先を訪れ、再び二人の心は交わる。時間が経ち、お互いが成長し変わったことを認識しながらも、彼らの愛は再燃する。しかし、遠距離恋愛の過去の痛みが未だに彼らの心に影を落としていた。 更新報告用のX(Twitter)をフォローすると作品更新に早く気づけて便利です X(旧Twitter): https://twitter.com/piedough_bl 制作秘話ブログ: https://piedough.fanbox.cc/ メッセージもらえると泣いて喜びます:https://marshmallow-qa.com/8wk9xo87onpix02?t=dlOeZc&utm_medium=url_text&utm_source=promotion

転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい

翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。 それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん? 「え、俺何か、犬になってない?」 豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。 ※どんどん年齢は上がっていきます。 ※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。

【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。

白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。 最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。 (同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!) (勘違いだよな? そうに決まってる!) 気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

強制悪役令息と4人の聖騎士ー乙女ハーレムエンドー

チョコミント
BL
落ちこぼれ魔法使いと4人の聖騎士とのハーレム物語が始まる。 生まれてから病院から出た事がない少年は生涯を終えた。 生まれ変わったら人並みの幸せを夢見て… そして生前友人にもらってやっていた乙女ゲームの悪役双子の兄に転生していた。 死亡フラグはハーレムエンドだけだし悪い事をしなきゃ大丈夫だと思っていた。 まさか無意識に悪事を誘発してしまう強制悪役の呪いにかかっているなんて… それになんでヒロインの個性である共魔術が使えるんですか? 魔力階級が全てを決める魔法の世界で4人の攻略キャラクターである最上級魔法使いの聖戦士達にポンコツ魔法使いが愛されています。 「俺なんてほっといてヒロインに構ってあげてください」 執着溺愛騎士達からは逃げられない。 性描写ページには※があります。

処理中です...