7 / 31
7
しおりを挟む
「何ということだ…」
――北の辺境伯、ボルド・ミラーは突然舞い戻ってきた一人息子を前に唸り声をあげた。
突然、実家に戻った息子と父は向き合っていた。
ここは父の私室であった。執事や侍女もおらず、ふたりきりの親子対面にルーシェはやや気後れしたが、父はそれよりも怒りが勝っている。
『腹の中に子がいる。だけど、結婚はしない』
と一人息子に言われてしまえば、誰だって驚くだろう。
北の大地の人間らしくプラチナの髪と白い肌はしているが、その顔は厳つい。線の細さをいわれてしまうルーシェとは違い、逞しい美丈夫だがその眦は常に鋭い。蓄えた顎髭もよく似合っており、威厳のある辺境伯と言った感じだ。
父の顔と比べると、迫力の掛けるこの顔はやはり母親似らしい。
「このバカ息子が。どこぞの馬の骨とも知れぬ男にまんまと孕まされよって」
だが、ルーシェの口に悪さは父親譲りであるようだ。
「あのさ、もっと喜んでくれない?息子が8年ぶりに帰ってきたんだぜ。しかも孫っていう大事な後継ぎも…まあ、まだ腹の中だけど」
理由が理由だけに歓迎されるとは思ってはいないが、父の怒りは相当なものであった。
「わしが怒っているのは、ガルシア様の側近というお役目がありながら、自分勝手に王城を辞してきたことだ」
「まあそこは、目を瞑って。ガルのそばにいたら、いつかばれてしまうんだからさ」
ガルシアという名に、鼓動が逸る。結局、北の大地に来るまでに15日もかかってしまった。かなりゆっくりの旅になったが、体調を崩す前に休息をとることを心掛け快適な旅だったのだ。
「まあ、仕方ない。できてしまったものは仕方ない。
――アイーシャがおれば、喜んだであろう」
母のアイーシャは残念ながらルーシェが幼いころに亡くなってしまったが、母への愛は尽きぬようであった。
母が生きていてばときっと思っているのだろう。ルーシェから顔をそらした父は眦が、微かに赤くなっているのをルーシェは気づいていた。
8年も実家を離れていたこともあり、父が年老いてしまったように感じる。北の辺境伯として国中にその名が轟いている父が、なんだか小さく見えた。
子どもを孕んでしまい実家に逃げ帰ってきてしまったが、結果的には良かったのだ。
いずれ辺境伯として跡を継ぐのはルーシェだ。父の仕事を手伝い、このまま北で身を埋めてもいいのかもしれない。
ガルシアへの想いは無論ある。国を導いていくガルシアを支えたいという気持ちは強い。
だがそれが王都である必要はないのかもしれない。
「親父悪い。疲れたから、部屋に行ってもいいかな」
気が抜けた途端、なんだか体が重くなった。
「ああ、もちろんだ。ゆっくりと休むがよい。
――すまぬが、誰かルーシェの世話を」
「はい、旦那様」
ボルドの声に、まもなく扉が開き、ひとりの女性が入ってきた。
「エルサ!」
「ぼっちゃま。お久しぶりでございます」
ルーシェが生まれる前からこの屋敷に仕えているエルサだった。ふくよかな線が、更に彼女をやわらかい雰囲気にしている。
「まだ、屋敷に仕えていてくれたのか…親父の元なんて、大変だろうに」
「いえいえ、ぼっちゃま。こう見えて旦那様はお優しいご主人さまですよ」
咳ばらいをし、ボルドがエルサに向き直る。
「エルサ、暫くはルーシェの世話を中心に頼む。赤子を産むのも不安だろうから、助けてやってくれ」
「はい、お任せくださいませ」
エルサは笑顔で応じると、ルーシェの荷物を持った。
「まあ、北までの道中、これっぽっちの荷物で戻ってこられたのですか?」
「服とかは王都でもらったものが多いから置いてきたんだよ。俺の持ち物はこれ一つで収まった」
まあまあとエルサはいいながら、ルーシェを自室へ案内してくれる。生まれてから15歳で旅立つため過ごした部屋であるが、この部屋に住むのは8年ぶりになる。
「あれ、ベッド大きくなった?」
「それはもちろん。もう、お小さくはおられないのですし、いつ戻ってきてもいいようにと、旦那様のご指示で用意していたのですよ」
「そっか」
父ももしかしたら、ルーシェが北に戻ってくることを予感していたのかもしれない。
「エルサ。暫く休んでいるよ」
ベッドに腰掛けながら伝えると、エルサは頷いた。
「お夕飯は温かいものを用意しますね。ごゆっくりお休みください」
「ありがとう」
エルサが部屋をでると、ベッドに横たわったルーシェは自分の耳朶に触れる。最近どうも癖になっている。手のあたるピアスを指で弄る。
――旅の途中、ガルシアとの思い出が残るモノを、ルーシェは身に着けていることに気づいた。
ルーシェの目の色であるミントブルーの宝石が飾られたピアスだ。
当たり前のように耳にあったので、すっかり忘れていた。
あの南のカサンドラ領で露店を見て回っていた時、原石をガルシアが見つけたのだ。
『ルーの瞳の色だ』
ごつごつとした鉱石にしかルーシェには見えなかったのだが、ガルシアは嬉々として安くない金額を払った。
その街で職人を見つけたガルシアはわざわざピアスに加工し、ルーシェに贈ってくれた。その頃にガルシアへの恋を自覚し、ルーシェは飛び上がらんばかりに喜んだ。
ルーシェは起き上がり、リュックの底を探る。ガルシアの手紙を手にし、サイドテーブルの引き出しを開けた。
ピアスも左右の穴から抜き取ってしまい、手紙と共に仕舞う。
(しばらくは何もつけないでおこう…)
何も飾られていないのは、物心ついてから初めてかもしれない。ルーシェはどこか物足りなさを感じる耳たぶを弄っていた。
――北の辺境伯、ボルド・ミラーは突然舞い戻ってきた一人息子を前に唸り声をあげた。
突然、実家に戻った息子と父は向き合っていた。
ここは父の私室であった。執事や侍女もおらず、ふたりきりの親子対面にルーシェはやや気後れしたが、父はそれよりも怒りが勝っている。
『腹の中に子がいる。だけど、結婚はしない』
と一人息子に言われてしまえば、誰だって驚くだろう。
北の大地の人間らしくプラチナの髪と白い肌はしているが、その顔は厳つい。線の細さをいわれてしまうルーシェとは違い、逞しい美丈夫だがその眦は常に鋭い。蓄えた顎髭もよく似合っており、威厳のある辺境伯と言った感じだ。
父の顔と比べると、迫力の掛けるこの顔はやはり母親似らしい。
「このバカ息子が。どこぞの馬の骨とも知れぬ男にまんまと孕まされよって」
だが、ルーシェの口に悪さは父親譲りであるようだ。
「あのさ、もっと喜んでくれない?息子が8年ぶりに帰ってきたんだぜ。しかも孫っていう大事な後継ぎも…まあ、まだ腹の中だけど」
理由が理由だけに歓迎されるとは思ってはいないが、父の怒りは相当なものであった。
「わしが怒っているのは、ガルシア様の側近というお役目がありながら、自分勝手に王城を辞してきたことだ」
「まあそこは、目を瞑って。ガルのそばにいたら、いつかばれてしまうんだからさ」
ガルシアという名に、鼓動が逸る。結局、北の大地に来るまでに15日もかかってしまった。かなりゆっくりの旅になったが、体調を崩す前に休息をとることを心掛け快適な旅だったのだ。
「まあ、仕方ない。できてしまったものは仕方ない。
――アイーシャがおれば、喜んだであろう」
母のアイーシャは残念ながらルーシェが幼いころに亡くなってしまったが、母への愛は尽きぬようであった。
母が生きていてばときっと思っているのだろう。ルーシェから顔をそらした父は眦が、微かに赤くなっているのをルーシェは気づいていた。
8年も実家を離れていたこともあり、父が年老いてしまったように感じる。北の辺境伯として国中にその名が轟いている父が、なんだか小さく見えた。
子どもを孕んでしまい実家に逃げ帰ってきてしまったが、結果的には良かったのだ。
いずれ辺境伯として跡を継ぐのはルーシェだ。父の仕事を手伝い、このまま北で身を埋めてもいいのかもしれない。
ガルシアへの想いは無論ある。国を導いていくガルシアを支えたいという気持ちは強い。
だがそれが王都である必要はないのかもしれない。
「親父悪い。疲れたから、部屋に行ってもいいかな」
気が抜けた途端、なんだか体が重くなった。
「ああ、もちろんだ。ゆっくりと休むがよい。
――すまぬが、誰かルーシェの世話を」
「はい、旦那様」
ボルドの声に、まもなく扉が開き、ひとりの女性が入ってきた。
「エルサ!」
「ぼっちゃま。お久しぶりでございます」
ルーシェが生まれる前からこの屋敷に仕えているエルサだった。ふくよかな線が、更に彼女をやわらかい雰囲気にしている。
「まだ、屋敷に仕えていてくれたのか…親父の元なんて、大変だろうに」
「いえいえ、ぼっちゃま。こう見えて旦那様はお優しいご主人さまですよ」
咳ばらいをし、ボルドがエルサに向き直る。
「エルサ、暫くはルーシェの世話を中心に頼む。赤子を産むのも不安だろうから、助けてやってくれ」
「はい、お任せくださいませ」
エルサは笑顔で応じると、ルーシェの荷物を持った。
「まあ、北までの道中、これっぽっちの荷物で戻ってこられたのですか?」
「服とかは王都でもらったものが多いから置いてきたんだよ。俺の持ち物はこれ一つで収まった」
まあまあとエルサはいいながら、ルーシェを自室へ案内してくれる。生まれてから15歳で旅立つため過ごした部屋であるが、この部屋に住むのは8年ぶりになる。
「あれ、ベッド大きくなった?」
「それはもちろん。もう、お小さくはおられないのですし、いつ戻ってきてもいいようにと、旦那様のご指示で用意していたのですよ」
「そっか」
父ももしかしたら、ルーシェが北に戻ってくることを予感していたのかもしれない。
「エルサ。暫く休んでいるよ」
ベッドに腰掛けながら伝えると、エルサは頷いた。
「お夕飯は温かいものを用意しますね。ごゆっくりお休みください」
「ありがとう」
エルサが部屋をでると、ベッドに横たわったルーシェは自分の耳朶に触れる。最近どうも癖になっている。手のあたるピアスを指で弄る。
――旅の途中、ガルシアとの思い出が残るモノを、ルーシェは身に着けていることに気づいた。
ルーシェの目の色であるミントブルーの宝石が飾られたピアスだ。
当たり前のように耳にあったので、すっかり忘れていた。
あの南のカサンドラ領で露店を見て回っていた時、原石をガルシアが見つけたのだ。
『ルーの瞳の色だ』
ごつごつとした鉱石にしかルーシェには見えなかったのだが、ガルシアは嬉々として安くない金額を払った。
その街で職人を見つけたガルシアはわざわざピアスに加工し、ルーシェに贈ってくれた。その頃にガルシアへの恋を自覚し、ルーシェは飛び上がらんばかりに喜んだ。
ルーシェは起き上がり、リュックの底を探る。ガルシアの手紙を手にし、サイドテーブルの引き出しを開けた。
ピアスも左右の穴から抜き取ってしまい、手紙と共に仕舞う。
(しばらくは何もつけないでおこう…)
何も飾られていないのは、物心ついてから初めてかもしれない。ルーシェはどこか物足りなさを感じる耳たぶを弄っていた。
10
お気に入りに追加
57
あなたにおすすめの小説
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
完結·助けた犬は騎士団長でした
禅
BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。
ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。
しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。
強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ……
※完結まで毎日投稿します
【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。
白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。
最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。
(同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!)
(勘違いだよな? そうに決まってる!)
気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
ギルド職員は高ランク冒険者の執愛に気づかない
Ayari(橋本彩里)
BL
王都東支部の冒険者ギルド職員として働いているノアは、本部ギルドの嫌がらせに腹を立て飲みすぎ、酔った勢いで見知らぬ男性と夜をともにしてしまう。
かなり戸惑ったが、一夜限りだし相手もそう望んでいるだろうと挨拶もせずその場を後にした。
後日、一夜の相手が有名な高ランク冒険者パーティの一人、美貌の魔剣士ブラムウェルだと知る。
群れることを嫌い他者を寄せ付けないと噂されるブラムウェルだがノアには態度が違って……
冷淡冒険者(ノア限定で世話焼き甘えた)とマイペースギルド職員、周囲の思惑や過去が交差する。
表紙は友人絵師kouma.作です♪
目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる