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 ――ガランは、村の大通りをジェラルドに横抱きにされたまま、運ばれていた。自分が荷物か何かになった気分だ。
 やや細身とはいえ、ガランは村の平均以上の身長はある。重い筈なのに、それも大柄で筋肉が鍛えられているジェラルドからすれば事も無げなことかもしれない。
 男のプライドが微かに傷つきながらも、ガランは暴れたりはしなかった。公衆の面前で、これ以上、噂の的になりたくなかった。
 暫くジェラルドに横抱きに運ばれ、足が地に着いた時、目の前にあったのはガランがひとり暮らしをしている家の扉であった。
「入れてくれないのか?」
「あ、はい…」
 ガランはジェラルドに促されるまま、鍵を開ける。両親が若い頃に購入した家のため、決して綺麗とは言えないが、ガランにとっては心地の良い家だ。
 玄関に入り、ランプに灯をともしていく。
「どうぞ、ソファに」
「ああ。鎧は脱いでも良いか」
「ええ、ご自由に」
 使い読まれた鎧は、ゴトッと音を立てて床におかれた。ジェラルドの身の丈もある、太刀も壁に立てかけられる。
 あんなものを着てこんな太刀を使いクエストをこなせるなど、やはり歴戦の狩人というべきなのだろう。
 大柄なジェラルドがソファに座ると、ソファが小さくなったような気がする。それほど存在感もあった。
 お客に対し、何も出さないわけにもいかず、ヤカンで湯を沸かし始める。
 間を取り繕うため、コーヒー豆をひく。ミルの中でゴリゴリと音を立てて豆が削れていくのを感じながら、ガランは現状を整理する。
 この家に今いるのは、ガランとジェラルドだけだ。ジェラルドは『どうか、その身を俺に捧げてくれ』といっていたが、本当にワイバーンを倒したかどうかは、定かではない。
 もし、倒していたとしてもまだ正式に認められたわけではない。夕霧亭のクエスト受付時間はとっくに過ぎていたし、クエスト成功とは現時点では認められていない。
 ということは、少なくとも今日は、ガランの貞操は守られる。その事実に気づいたガランは、心の安定を取り戻した。
 挽いた豆でコーヒーを淹れる。香ばしいこの匂いが広がっていく。
 この豆はわざわざ首都から取り寄せているほど気に入っていた。首都で、中央クエスト委員会に勤めていた時に気に入ったものだ。
 ジェラルドの前にカップを置いたガランは、疑問を投げかける。
「何で俺の家、知ってるんですか?」
 ジェラルドは何でもないことのように答えを返してくる。
「お前のことなら何でも知っている。血液型、趣味、勤務時間、家族構成…初恋の相手さえもな」
「あ、そうですか…」
 これは聞いてはいけないことだった気がする。ジェラルドとは数日前に出会ったばかりの筈なのに、なぜしっているのか。
 いわゆる付き纏いではないか…容姿の点でも凡庸なガランに付き纏いをするなど、よっぽど暇なのだろうか。
「これは、グランデスの豆か?」
「ご存知ですか?」
「ああ、もちろん…。まさか、またお前と飲めるとは」
 後の方の呟きはガランには聞こえなかったが、ジェラルドは感動しているようだ。匂いを味わい、味を確かめ、ゆっくりとため息を吐いた。
「お前と結婚すれば、毎朝このコーヒーを味わえるということだな」
「ん?んん?」
 聞き捨てならない言葉が耳に届いた気もするが、ここは聞き捨てよう。ガランは話題を変えた。
「ワイバーンは強かったですか?」
 このあたりでは最強といわれるワイバーンだ。村に訪れる狩人たち、あのクラウスでも叶わないS級だった。
「いや、一振りで仕留めることができた」
「…さすが、SSS級ですね」
 生ける伝説だけはある。あのワイバーンを簡単に仕留めたのだろう。そんな力のある男が、なぜクエストをこなしたのか、ますます疑問だ。
「俺、明日休みなんです。クエストの受付も必然的に休みになると思うので。他の村で、報酬をもらうことをお勧めします」
 他の村ならばもっといいオプションがあると言外に告げると、ジェラルドは大きく頷いた。
「それならば問題ない。倒した時点で、この村のクエストでワイバーンを倒したと、中央クエスト委員会に直接、伝聞を送った。村についた時点で、受理をしたと連絡があった」
「そ、そうですか…」
 さすがにSSS級。そんな特典が使えるとは…。本来ならば、中央クエスト委員会と狩人の橋渡しは、クエスト管理人が行うのだ。
 沈黙が落ちる。ガランは気まずさを感じているが、ジェラルドはコーヒーを堪能している。
「ところで、ガラン」
「は、はい」
 先に飲み終えたジェラルドは、ガランを呼ぶ。
「俺のことを覚えていないのか?」
「どこかで、お会いしましたか?」
 ガランは焦る。もし、ジェラルドと以前に会っているというならば、忘れるなど失礼なことだ。
「ああ。3年前のことだ」
 3年前といわれ、ガランはあることを思い出す。
「もしかして、サラマンダー事変の時ですか?」
「ああ。その時に俺たちは会っている」
 サラマンダー事変とは、首都がサラマンダーに襲われた3年前の事件だった。

 ――3年前、ガランは首都で行われたクエスト管理人試験を受けて合格し、故郷の村に帰るための準備をしていた時だった。
 南の島の火山地帯から、数頭のサラマンダーが首都に向かっていると一報が入った。
 サラマンダーは賢い生き物だ。人間よりも余程…。そんな魔獣が、集団で首都を襲うとなれば、とんでもない被害が出るのは必須だった。
 首都を囲う壁の外で立ち向かわんと、すぐさま名だたる狩人たちが集められた。首都は騒然となった。民たちは地下に作られたシェルターに逃げ込んだ。
 シェルターの分厚い扉越しにもわかる、耳障りな鳴き声はサラマンダーたちのものだ。
 ガランはクエスト管理人として、地上で裏方としてサポートにあたっていた。逃げ遅れた人や、家々に火が燃えうつれば、すぐに対処できるよう持ち場についていた。
 幸いにもというべきか、早朝から始まったサラマンダー事変は日が暮れる前に決着がついた。
 狩人たちがサラマンダーを追い返し、首都は禍にまみれることはなかったのだ。
 民たちがそれぞれの家に戻った頃には深夜になっていたが、ガラン達クエスト管理人たちはサラマンダーの報復をしにこないか、夜通し城壁の上で見張りをすることになった。
 ガランが担当した城壁は、北地区のエリアだった。
 下宿をしていた部屋で数時間の仮眠をとったガランは、夜間の見張りの備え、食料などをもって北地区の担当エリアに向かった。
 持ち時間は一人3時間…今は、午前2時であるので、次の交代は朝方5時になる。担当者同士で軽い打ち合わせをして交代だ。
 静かな夜だった。あれ程、恐慌としていた首都が静まり返っていた。
 そんな中、コツコツという足音がし、ガランは振り返った。まだ後退して30分も経っていない。誰が来たのだろうか…。
 ガランが目を凝らすと、そこにいたのは大柄な体躯をした男だった。
 恐らくサラマンダー事変に参加した狩人だろう。全身が煤けていた。立派な装具も、大きな太刀の鞘も、狩人自身の髪さえもだ。
「どうしました、お怪我でもされているのですか?」
 狩人はガランが見張りとして立っている場所からやや離れた壁に、背をつけて腰を折った。ガランは監視の目を向けたまま、狩人に近寄る。
「どこか、お怪我でも」
「ない。気にするな』
 気遣うガランに狩人は冷たく返す。
「なら、食事でも」
 明らかに狩人は疲労していた。全身から、漲っている筈の覇気が、どこか弱々しい。
 ガランは持っていた夜食を狩人の前に出す。
「いらん」
「では飲み物はどうですか?コーヒーしかありませんが、とてもおいしいですよ」
 自前の水筒に入れてきたコーヒーをコップに注ぎ、狩人の前に差し出す。
 ガランに差し出され、渋々といった成りでカップを男は受け取る。ふとガランを見上げた男の目の色は紫紺色をしていた。松明の火に照らされていても、その色は深さをたたえていた。
 男の傍に立ち、ガランも直接水筒からコーヒーを飲む。まだ熱いと言っていいほどの温度で、微かに舌がひりついた。
 このコーヒーはグランデスという店のものだ。父母のつてで、ガランはこのコーヒー店の2階に下宿をさせてもらっていた。
 コーヒーを口にしたことで、で喉が潤ったのか、男はぽつぽつと呟き始めた。
「サラマンダーたちが襲来したのは、俺のせいだ」
 思わぬ告白に、ガランは微かに男を見る。男は変わらずうつむいたままであったが、生気が漂っていた。
「俺がサラマンダーの卵を持ちかえった。サラマンダーたちはただ、卵を取り返しに来ただけだ」
 確かにサラマンダーの卵は、狩人たちにとって魅力的な物だった。武器への転用もできるので、高額で取引されていた。狩人たちは、魔獣たちにとっては厄介な存在だ。自分たちの巣を蹂躙し、大切なものを奪う。
 そんな人間に、魔獣は時として牙をむく。
「こうやって奴らが恨みでやってくると分かっていながら、何も策を取らなかった。結果、仲間である狩人たちや、民たちを危険に晒してしまった」
 双眸の、その奥にある悲しみや怒りに声が震えている。
「俺の驕りのせいだ」
 深い慟哭だった。
 ガランにできたのは、その狩人に寄り添うだけだった。慰めの言葉もなく、深い慟哭に更なる叱責をするわけにもいかず、ただガランは側にいた。
 夜明け近くになり、狩人は無言で立ち上がり、ひとりで歩きだした。煤けた髪がきらりと銀色に光り、ただガランはそれを見ていただけだ。
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