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伍
しおりを挟む――百合子が七種家の女主人として使用人を完全に纏めるようになった頃、雪子は、19歳になっていた。いよいよ美貌は比類無く、春先に咲く、真っ赤な椿のように花開いていた。
ほっそりとした背と柔らかに膨らんだ胸、張りのある尻は腰の細さと程好いバランスを保っていた。
性とは懸け離れた存在のように感じるのに、男たちが求めるのは雪子という女だった。
――雪子が其処にいるだけで、男たちは勿論のこと、女たちも落ち着かなかった。
――雪子が微笑むとそれだけで、男たちは笑い、女たちは眉を潜める。
――雪子が言葉を紡ぐたびに、男たちは耳を澄ませ、女たちは耳を塞ぎたくなった。
大輪の花びらが落ちんばかりにその色香を漂わせていた。
その花開いた雪子はここ数ヶ月ほど、気分が優れないようで、部屋に篭っている事が多かった。
目は見えないものの大病はしたことが無い雪子を心配し、直倫はよく雪子の部屋に出入りをしていた。
直倫も雪子が美しくなるのと比例するように、美丈夫になっていた。幼い頃、大財閥に産まれた世にも美しい双子として婦人雑誌に取材された2人は、やはり、寄り添うように育っていた。
未だにお互いの耳に囁きあい笑い合う2人の姿に、百合子は汚らわしいモノをみるように見ていた。
継直や敬一郎も、仕事に出掛ける前や、帰ってきた後、必ず雪子の様子を見に行く。
時には雪子の部屋に篭って朝まで看病をしていたほどだったが、淫猥な行為が行なわれているだろうことが予想され百合子にはそれが癪にさわって仕方が無かった。
百合子の機嫌は七種家の侍女たちにも伝染していた。大財閥とはいえ、人の入れ替わりはある。屋敷に使える人間の選定も女主人である百合子が行っているため、徐々に百合子の手となり足となる侍女たちが増えて行った。
侍女たちが目撃した雪子と男たちの睦まじい姿は、全て百合子の知るところとなった。
その報告を百合子はせり出た腹を撫でながら聞いていた。余りにも厭わしく、汚らわしい報告は百合子の気分を悪くさせた。
百合子は臨月となり実家に帰っていた。一人目の子である『継晴』は6歳となっており、七種家においてきた。
世話は使用人たちがしてくれる。百合子は七種家に戻ることなく実家で、二人目を出産した。
元気な男の子だ。七種家には男児が生まれやすく、女児は何らかの疾患を持って生まれてくる。百合子はほっとした。もし女の子が生まれてしまったら、その子は七種家の宝として奉られ、雪子と同じ道を歩むのだろう。
己の腹を痛めて産んだ子がそんなことになってしまったら…その嫌悪は常にあった。
継直は忙しいながらも、子どもが生まれた次の日には実家に訪れ、生まれた男児に『継貴』という名を付けた。
「継晴はどうしてます?さびしがっていませんか?」
実家に残してきた子を想い、継貴を抱き上げている継直に尋ねた。
「ああ、男手だけでは、どうしようもなくてね。雪子が世話を焼いている。継貴も雪子に懐いてね。まるで本当の母子のようだよ」
百合子の心は凍りついた。継直が来てくれた事に至福を感じていたのに、雪子の名を聞いた瞬間、心に冷たいものが通り抜けた。
「体が回復したら、帰ってきなさい」
継直はそれだけ告げると、さっさと帰ってしまった。雪子の傍に早く帰りたいのだろうと、涙を流しながら百合子は見送った。
一か月後、百合子は継貴を連れて七種家に帰ってきた。実家では、七種家にはお前が必要なのだからと言い包められ、早々に帰るように説得されたのだった。両親は、長い間実家に帰っていた百合子と継直が不仲ではないかと案じているようだった。
玄関に出迎えてくれたのは、使用人たちだけだった。
「継直さんは?継晴はどこにいます?」
問いかける百合子にも曖昧に使用人たちは返す。百合子は、実家から七種家に連れてきた乳母に継貴を預けると、継直を探して七種家を歩いた。
百合子が歩いていると、子どもの甲高い声が聞こえてきた。七種家に子どもはひとりしかいない。愛する我が子継晴であった。
声がしてくるのは西洋風に飾られた中庭だった。百合子は、中庭に向かい足を向けた。
中庭には継晴はいた。しかし継晴の相手をしているのは雪子だったのだ。継晴は芝が生え揃えられている中庭に座り、器用にシロツメグサの細い茎を束ね、輪を作っていた。
出来上がったものを、座っている雪子の膝に載せる。
「これ、なあに?」
雪子の声は、滑らかで柔らかかった。
「花の輪だよ。雪子叔母さまにあげる」
雪子はそれに手で触れると、自ら被った。
「どうかしら?」
「とってもきれいだよ、雪子叔母さま」
美しい叔母の姿に継晴は嬉しそうだった。継晴は膝の上にのっている雪子のほっそりとした手に自らの手を載せると、そっと告げたのだ。
「雪子叔母さま、お願いがあります」
「はい、何でしょう?」
幼子のお願いを雪子は柔らかく尋ねる。
「僕が大きくなったら、僕を雪子叔母さまの旦那様にしてください」
「まあ」
雪子は嬉しそうな声を上げる。可愛い甥にそんなことを言われ、喜ばないものはいないだろう。
「継晴それはだめだよ、雪子は誰のものでもないのだからね」
中庭にいたのは雪子と継晴だけではなかった。百合子の死角に継直はいたのだ。
継晴は椅子に座っている雪子に近づくと、ほっそりとした肩を抱いた。
「雪子、いくら継晴が幼いからといって嘘を言ってはいけない。お前は、誰のものにもならない、七種家の男たちのものだ」
「はい、お兄様…」
雪子は哀しそうに笑った。どうにもならない事実を告げられ、雪子は美しい瞳を悲しみの色に染めたのだった。
その夜のことだった、雪子が妊娠していると継直から告げられたのは…。
百合子が実家に帰っている間に、医者に見てもらったとのことだった。雪子は中絶を申し出たのだが、継一郎と継直は許さなかったのだという。
――七種家の奇跡の子が子を宿したのだ。奇跡から生まれてくる物は奇跡なのだと、七種家の人々は疑わなかった。
具合が悪かったのはつまりは悪阻であったのだ。百合子が妊娠している間、確かに継直との行為はなかった。
すべてを受け止めたのは、雪子だったのだ。
蝶よ花よと屋敷の中だけで育てられた雪子は、元々が体力もなく、子を孕むには頼りない体だったのだろう。起き上がることもままらない日もあり、時には一晩中医師が付き添うこともあった。
徐々に胎の大きくなる雪子を、百合子は恐ろしいものをみるようであった。あの中にいるのは、間違いなく、禁忌の子なのだ。父や兄、弟と交わり、子を宿した女の禁忌の証なのだ。
胎が膨らむ度に雪子は、どこか憔悴を見せていた。生まれなければいい…百合子が願っていることを、雪子も願っているようにさえ見た。
やせ細っていく雪子を何とかしようと、継一郎も継直も、そして直倫も躍起になっていた。何人もの医者に見せたり、少しでも雪子の気持ちが紛れるようにと、莫大な金を使った。
しかし、雪子の顔に以前の様な笑顔が戻ることはなかった。
頼りなく笑う雪子の微笑が、いよいよ儚さを漂わせたころ、陣痛が始まった。早朝、呻きだし、苦しみだした雪子の気づいたのは、片割れである直倫だった。
すぐに医者が呼ばれ、雪子はそのまま、自室で出産をすることになった。
長い長い、陣痛であった。三日三晩苦しんでも、中々降りてこない赤子に、雪子の顔に焦燥の色が濃くなっていった。
医者の判断で陣痛促進剤が打たれ、痛みがさらに酷いものになると、雪子は泣きながらこのまま赤子と共に死なせてほしいと父に訴えたほどだった。
しかし、雪子の願いは届けられなかった。
雪がちらつく夜のこと、雪子は男児を産んだ。七種家にはこの吉事を見届けようと、分家・支流からも男たちが集まっていた。
男たちが待ち侘びる中、雪子は子を産んだ。長い長い苦しみの末、雪子は産み落としたのだ。
微かに啼き声をあげただけの男児であったが、健康には問題なく、すぐさま継一郎によって『雪人』と名づけられた。
雪子は一度も雪人を抱くことが無かった。雪人を産んだ途端、精根を着き果たしたのだろう、男たちが吉事に喜ぶ中でひっそりと息を引き取った。
出産に付き添っていた継直は腕の中で冷たくなっていく雪子に気づき、医者を呼んだものの、蘇生は叶わなかった。
吉事と同時に、男たちには絶望が広がった。愛する雪子が、美しい雪子が、この世を去ったのだ。
雪子の葬儀は、盛大に行なわれた。場所は、9年前、溺死した昌江と同じく菩提寺だったが、質と量がまるで違った。
美しい雪子が好んだ真紅の椿で寺を囲み、どこもかしこも美しい人を送るのに相応しい装いに寺の造りを変えたのだ。
喪主は父の継一郎だった。生まれたばかりの雪人は継直の腕に抱かれて臨席した。
葬儀は、悲愴な空気が流れていた。かつて雪子に魅せられ、縁談を申しこんだ男たちもいた。『死に顔も美しい…』と誰かが呟き、涙した。
人々の心を打ったのは、あどけなく継直に腕の中で眠る雪人だ。美しい女が残した美しい赤子…。
百合子は継直に抱かれるあどけない赤子を見ながら、ようやく終わったのだと思った。雪子に対する愛憎は、ようやく感じなくなるのだと…。
雪人は男児だ。七種家の男児と言うことは、当然のように他の七種家の男児と同じ扱いをされるのだろうと思った。
継一郎は雪人を継直の養子とし、三男として庇護することを命じた。継直に異論はない。愛する雪子の子を庇護するのは当たり前だった。
それに異論を唱えたのは直倫だった。直倫は、己が引き取りたいと強く父に申し出たが、許されなかった。逆に縁談を命じられたが、それに反発した直倫は家を出たのだった。
――奇しくも、憎んだ女が生んだ赤子を、百合子は自分の息子とすることになった。それは構わなかった。長男の継春や次男の継貴と同じ扱いをすればいいだけだ。
しかし、百合子が雪人の養育に関わることはなかった。継直が、誰にも触れさせず自ら養育をしたからだ。己の子の世話さえ、百合子に任せっきりだったのに、雪人に関しては夜泣きをするのさえ愛おしいと毎晩のように寄り添っていたのだ。
雪子の変わりは、雪人になっただけだった。雪子の美しさ、雪子以上の芳醇な匂いを持つ雪人を、七種の男たちは寵愛した。
男児であったことは問題ではなかったのだ。七種家にとって吉事であった奇跡の女・雪子の胎から出でたことが、雪人が奇跡である証拠だった。
幼い雪人は、雪子の面影を色濃く継いだ、美童であった。その愛らしさに、雪人の兄弟となった、継晴、継貴、のちに生まれた継保も虜にした。
百合子は己が腹を痛めて産んだ子さえ、雪子の子に奪われていったのだ。
――それから20年、奇跡の子『雪人』は七種家の寵愛を受け続け、生きていたのだった。
終焉
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