生贄の娘と水神様〜厄介事も神とならば〜

沙耶味茜

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第二章

37 江戸へ

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 風神がナギ達と話している間、娘はというと部屋で赤い糸を使ってあやとりをしていた。暇つぶしなどもっと他にあるはずなのだが、書物を読む気にもなれないし花札もおはじきもする気になれない。もうそんな遊びは娘よりも一回り子供のする遊びなのだと思い始めるようになってきた。こんやって頭を使って形を作っていくあやとりぐらいしか最近はしていない。

「話し合いまだおわんないかな…」

 糸で橋を作っては崩してを繰り返し暇を弄んでいると突然目の前に影がさした。顔をあげてみると障子の前に誰かが立っていて、陽の光が遮断されたため部屋が少し薄暗い。しばらく障子を見つめているとゆっくりと開いてゆき隙間から赤い目がちらりと見えた。

花雨かうちゃん。少しお喋りしようよ」
「なーんだ御津羽みつはか。いいよ!丁度暇だったの」

 障子が全開に開かれると真っ黒な小袖を着た御津羽がにこにこしながら部屋に入ってきた。娘の目の前までやってくるとふわっといつもと違う香の匂いがした。

「なんかいつもと違う匂いがするけど…」
「バレた?吉原に寄ってから帰ってきたから変な香の匂いがついちゃったのかも」
「吉原って………江戸にある、あの吉原遊廓…?御津羽もしかして江戸に行ったの⁉︎」

 娘が江戸の話に食いついてくるのは想定内だったのを知っているかのように御津羽はニヤリと笑うとまた話を始める。

「ちょっと怪しい人影を追って江戸に忍び込んでたんだけど、どうやら本格的に調べないといけないかもしれなくて………行きたいでしょ?江戸の町」
「行きたい‼︎」
「そうと決まればナギに言ってくるよ。ただ、花雨ちゃんはお遊び気分でいくと命を狙われる可能性があるから行く行かないはよく考えてね?ナギは絶対反対すると思うけど」

 命を狙われるという言葉に娘は心臓がどきりと跳ねた。今はこの屋敷にいるから安心だけれどこの前みたいに矢が飛んでくるかもしれないと思うと確かに遊びに行くという感覚で行くのは良くない。

「よく考えてみる」

 御津羽はこくりと頷くと「喋り相手になってくれてありがとう」と言い、部屋を出ていった。
 ふとした時によく思い出す。江戸に出稼ぎで出ていった村人が子供を残して帰ってこなかったことを。
 親のいない子供は売られてしまうため村の者が情けで里子として預かっていたらしいが、ある日突然その子供は井戸に落ちて死んだ。原因はわからない。けれどまだ小さな子供なのに親がいないというのはやはり苦痛だったろう、自殺してしまいたくなるのもわかる気がする。
 そんな事件があった次の日、切花の行商人が「花屋で御座い」と言いはさみを鳴らしながら村にやってきた。こんな山奥の村に何故花を売りに来るのかとその時疑問に思ったが山に花を採取しに行くらしく丁度通りかかったらしい。
 娘は花を買うついでにどこから来たのか行商人に尋ねたところ「江戸からきた」と言っていたため、自殺してしまった子供の夫婦を知らないかそれとなく尋ねてみたが「江戸に夫婦で出稼ぎに来てるやつなんざ大勢いる」と返された。
 ただその行商人はぼそりと「伝馬町牢屋敷に入った夫婦はいたな…」とだけ言いまた鋏を鳴らしながら村を離れていった。
 もしかしたらと考え始めてももう遅い、子供はこの世にはいないのだから。
 江戸は生半可な覚悟で行くような場所ではない。
 未知の土地への恐怖心はどんどん募っていった。
 しばらくの間文机に向かって唸っていると軽くノックする音が襖から聞こえてきた。襖の向こうは空き部屋でそれを挟んだ隣にある部屋がナギの部屋だ、けれど国と雨の可能性もある。誰だろうと身構えていると襖はそっと開き隙間からは青い目がこちらをみていた。
 何か既視感を感じると思った娘は、先程の御津羽の登場の仕方を思い出してくすりと笑った。兄弟揃って同じことをしているのが可笑しくてしょうがない。

「どうしたの?ナギ」
 
 襖が完全に開くとナギの姿が見えた。表情に若干疲れが滲み出ていたが風神との挨拶で相当疲れたのだろう、座布団を持ってくるとそこに座るように促した。
 ナギは綺麗に正座すると言いづらそうに話を持ち出した。

「数分前御津羽が来なかったか?」
「来たよ。江戸の話もついさっき」
「そうか……なら話は早いな。行くか行かないかどちらがいい?」
「行く」

 即決だった。
 けれど娘は水神達にとって守らなければいけない対象が増えて、お荷物になるかもしれない。でも確かめたいことが一つあった。水神達にもまだ言ったことがない事。

「江戸に行きたいっていう憧れは山々なんだけどもう1つの理由があって、まだ誰にも話してないんだけど…」
「言ってみろ」
「私が住んでいた村の家は農家だから多少なりとも広いんだけど、年末の煤払いの時に変な書物を見つけたの。随分と年季が入ってて読めそうになかったんだけど、辛うじて読める文字を追ってみたら、江戸、仮似声使こわいろつかい、水神…………蛇って書かれてあった。こんな辺鄙な書物が何故この家に?って思ってそのまま火の中に入れて燃やしちゃったのだけど、今思うと燃やさなければよかった……」
「仮似声使い?大道芸人の名前が何故その書物に書かれているんだ……?」
「わからないの、でも江戸にいるとしたら探して見る価値はあるかなって思って、もしかしたら先祖が何かあったのかもしれないから。それに水神と蛇って書かれていたらそれはもう関わりがあったってことでしょ?だから確かめに行きたいから私も行く」

 ナギは少しだけ頭が痛そうにこめかみを抑えていたが決心したように娘の目を見て言った。

「……分かった。その情報も今回の目的に関わってきそうだからな。俺たちの目的は邪神信仰の人間を探す事だ。それともう一つ、梗夏の両親の行方がどうなったのか知りたい。いや………もう何年も前の話だからきっとなんの手がかりも見つからないだろうがな」

 梗夏というと前当主の奥方様の名前だ。今はもういないが娘にとっては先祖にあたいする方。そんな昔のことを何故今調べたがるのか尋ねようと思ったが、ナギが立ち上がって部屋へと戻ろうと襖に手をかけたのでぐっと堪える。

「話は終わった。明後日にこの屋敷を出るから準備しておくように」

 手短にそう言うとナギは部屋へと戻っていった。

 風神が来てから日が過ぎていき、とうとう江戸へと行く日になった。娘は布に最低限の衣類と小物を入れるとそれを首にかけて縛った。菅笠を被り丁度いい杖を持ったら誰から見ても女の旅装束にみえるだろう。
 秋草柄の小袖に菅笠がいい感じに合っていて少しだけ気分があがった。

「準備できた?花雨ちゃん」

 礼花が娘の様子を見にひょっこり部屋に顔を出してきた。今回行く水神はナギ、礼花、比売の3人らしい。比売に関しては少し苦言をいられたくらいで全く面識がないため少しだけ怖い。
 娘は一度深呼吸をして気合を入れてから振り返った。

「準備できたよ!」
「よし、じゃあ玄関に行こっか。現世に行く術をかけないとだから」

 そう言うと礼花が玄関の方に歩いて行くので娘はその後ろについて行った。玄関に着くとすでにナギと比売が立っていて、挨拶ついでにお辞儀をして顔を上げると比売の琥珀色の瞳と目があった。どこか誰かに似ていると思ったがそれよりも男装をしている姿にぎょっとする。

「だ、男装?」
「ジロジロ見て何よ。その貧相な小袖よりもよっぽどいいでしょお?」
「花雨ちゃんを守りたくて強く見せるために男装してるだけだから安心してね」

 礼花が冷や汗をダラダラ流して札を懐から出している。そういえば礼花は比売の話がでるとやたらとにこにこしているの何故なのだろうか……。
 礼花が「現世に繋げよ」と言い札に息を吹きかけると札は鳥の形となって扉をすり抜けて行った。小さな所作でも礼花の横顔は美しかった。
 
 ナギが前に出て扉を開けるとそこは遠くの方で人の喋り声が聞こえる誰一人としていない路地だった。
 けれど遠くから聞こえる賑わいの声はそうなのだろう。
 
 娘達がきたのは浅草だった。





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