生贄の娘と水神様〜厄介事も神とならば〜

沙耶味茜

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第二章

35 秋の嵐

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 少しだけ肌寒い季節になった。
 娘は肩にかけていた打掛を手繰り寄せるとそっと白い息を吐く。縁側から見える屋敷の庭は紅色に染まり、地面に紅葉の絨毯ができていた。
 風に運ばれて足元に落ちてきた紅葉を摘み上げると指先でくるくる回し間近でそれを眺める。
 紅葉の美しさに見惚れていると突然どこかから足音がしてきた。軽い足取りで、2人の足音が娘のそばまでやってくると、同じ顔がこちらを見ている。双子のくにあめだ。

花雨かうさん。早起きなのはいい事なのですが着替えてからお部屋を出てきてください。寝巻きの上に打掛を羽織っただけじゃ寒いでしょう」
「おはよう2人とも。秋の匂いに誘われて少しだけ心が早まってて…」
「じゃあ、このあと紅葉狩りでもする?」
「楽しそう!お茶を飲みながらみんなで紅葉を眺めてみたい……江戸に住んでる風流人はみんなそうしているんでしょう?どこかで聞いたことがあるの」
「全員とまではいかないと思いますが……ですが今日ではなく明日の方がいいと思います」
「どうして?」
「今日は風神ふうじん様がこの屋敷に来ます。もてなす準備で皆忙しいので落ち着いた明日あたりがいいかと…」
「風神様??」

 不思議そうに聞き返す娘に対して国は風神について詳しく話してくれた。
 名は志那都しなつといい、各地にある風神社ふうじんじゃで祀られている神様。風邪を引いてしまうから疫病神として多くの人に知られているが季節の変わり目には風を運んできてくれるそうだ。雨を降らせる水神や雷神は風神と親密な関係で、年に数回挨拶を交わすらしい。今日は秋の風を運んできたついでに水神に会いに行くとのことだった。

「か、神様ってそんなにいるんだね…」
「覚え切れないほどには」
「いちいち名前覚えてたらきりがないから重要な人だけ覚えてる感じかなぁ」

 天が怠そうにそういうと国が天のことを睨み背中を正すように小言を言う。いつもの光景なのでもう慣れてしまった。娘はふと疑問に思い国に問いかけた。

「いつ頃くるの?」
「お昼前ぐらいにはくるかと…今は礼花れいか様やナギ様が準備中です」
「じゃあ私もちゃんと着替えておもてなしの準備しなきゃね」

 そう言い残すと娘は部屋へと戻り箪笥の中から半衿が紅色の襦袢と赤橙色の小袖を取り出した。赤橙色の生地に金の刺繍で紅葉を描いた柄はとても美しい。これはナギから贈られたもので、たまにこうやって珍しいものをくれる。襦袢と小袖を着て、おはしょりの上に浅緑の薄く柄の入った腰帯を巻き、貝の口結びで結ぶとまさしく秋の小袖にぴったりの色合いになった。
まだ肌寒いので先程の打掛を羽織り部屋をでると待っていた国と天が娘を見て目を輝かせた。

「先日ナギ様が贈られていた小袖ですか!とってもお似合いです」
「すごーい、もう花雨も立派な大人だねぇ」
「褒めても何も出ないよ?……でも着れる機会を窺ってたからちょっと嬉しい。ナギに見せてくるね!」

 娘は長い縁側を小走りで走るとナギの部屋の障子の前へとたどり着く。物音がしないためいないのかとおもいそっと障子を開くと文机に何枚もの札が散らかっており筆を手にして文机に突っ伏しているナギが見えた。娘は障子を開くとナギの元へと駆け寄る。

「調子が悪いの⁉︎」
「………花雨の声か?」

 怠そうにこちらに顔を向けると眠そうな目と視線が合う。娘はナギの背中に手を置くと優しくさすってあげる。

「私よ。札を作ってたの?こんな大量に……どうして?」

 ナギは「うっ…」とうめき声をあげると文机に突っ伏してしまった。弱々しいナギを見れるのは珍しいことなので少しだけ面白い。娘はこのままナギを観察するのも悪くないと思っているとナギが話しだした。

「風神が来るのは知っているな…?」
「国と天から聞いたよ」
「風神が来る際いつも……………暴風が吹くんだ」

 ため息混じりにそう言うナギに娘は「暴風がどうしたの?」と困惑気味に言うとナギは札を一枚手に取りその上に筆を走らせる。

「防御しておかなければ屋敷が飛ぶ」
「…………は?」
「前例があるんだ。半壊しかけたから今は防御用の札を作って吹き飛ばされないように徹底して対策しているんだ。風神の挨拶などこちとら望んでなどいない」

 風神との交流を友好にするために挨拶も快く受け入れる反面、裏ではこんな重労働があったとは…。
 札を作るのには霊力を使うためナギが弱っている理由がよくわかった。しかし暴風が吹くとはいったいどういうことか、風神だからやはり暴風が吹き荒れるのだろうか。
 娘はただの人間なため霊力を持っていない。ナギを手伝ってやれないことに少しだけ悲しむと何かできないかと思考を巡らせた。するとふと目の前にナギの手が伸びてきて娘の手をそっと握った。ナギは右手では筆を持っていたが左手は娘の手を握っていて、とても忙しそうだが何か癒しを求めているかのようだった。そして文机の上が札でいっぱいになるとぱっと筆を放りなげ娘のことを抱きしめる。
 子供っぽい行動にくすくす笑っているとナギは腕の中にいる娘の耳元で囁く。

「その小袖を着れる季節になったんだな」
「縁側から綺麗な紅葉が見えたの。落ち着いたら紅葉を見に行こう?」
「もちろん。その小袖も似合ってる」
「ありがとう、ナギ」

 ナギは毎日こうやって抱きしめてくれる。屋敷の中は肌寒いがこうやって温もりを感じられるのがとても心地よかった。離れがたそうにナギが娘を離すと、怠そうに札をまとめ始めそれを抱え、娘についてくるように促す。

「屋敷全体に術をかける。せっかくの機会だから見てみるか?」
「見たい!」

 そう言ってついていき、到着したのが先程娘が見ていた庭の紅葉の木の下だった。大量の札を地面に置くとナギは水色の瞳を光らせる。瞳孔が縦になり龍のような瞳になった。
 これから大きな術を使うため、水神の霊力をとても消費する。ナギが一回深呼吸をすると屋敷全体の空気感が透き通る感じが伝わってきた。そしてゆっくりと口を開くと静かな声で術を唱える。

「屋敷を守れ」

 地面に無造作に置かれていた札は風と共にあちこちに飛んでゆき、屋敷中に張り巡らせれてゆく。風は紅葉も運び、あたり一面が紅葉の雨となった。その美しい光景に娘は固唾を飲んで目を輝かせる。いつの間にか外に出てきている双子もひらひらと落ちてくる紅葉を取り、楽しそうにしていた。
 札は貼られる場所に到着するとすっと見えなくなり姿をくらます。屋敷にたくさんの札が貼ってある光景はあまり良くないのだろう、風神が来た際に失礼になるため札は見えないようにしているらしい。
 一通り屋敷全体に術がかけ終わるとナギは先ほどよりもっと疲れた顔をしていた。瞳は縦の瞳孔からいつも通りに戻っており、霊力の消費量が多いせいか本当にお疲れのようだ。この後風神が来るとなると倒れてしまうのではと思ってしまう。
 娘はナギのそばに近寄ると労いの言葉をかけた。

「お疲れ様」
「何故あいつはいつもこの季節になると挨拶しに来るんだ……」
「水神と風神の仲を悪くしないためにも頑張らないとだよ!頑張ってナギ!」
「何百年も同じことをしてきて流石に仲などどうでもよくなってきたぞ……」

 ナギは羽織に着いた紅葉を手で払いながら縁側へと行くと腰を下ろし乱れた髪を手櫛で整えていた。霊力を消耗した後だから喋る気力も失ったと言わんばかりに疲れ切った顔をしている。娘は紅葉で遊んでいる国と天に駆け寄ると何か出来ることはないかと尋ねた。

「あと一時間もしたら風神様は来ますし何もしなくて結構ですよ」
「でもナギは大丈夫なの?」
「相当霊力を消費してたもんね~。花雨が口付けでもしてあげたら元気出るんじゃない?なんちゃってー!」
「天」

 国の表情がどんどん険しくなっていくのに対して天は「こわーい、逃げろ~」と縁側によじ登り走り去っていく。国はそれを追いかけていき、2人の姿が見えなくなると静けさが訪れた。娘はナギの方を振り返り声をかけた。

「ぼーっとしてるけど大丈夫?」

 ナギは娘の方を横目で見るとまた目を瞑ってうたた寝をしだした。今から寝て一時間後に起きれるのだろうか。娘はナギの横に腰掛けると庭に落ちる紅葉を見つめてため息をこぼす。
 天の言った言葉を思い浮かべる。口付けは、手の甲や頬、おでこにならあるが唇になど緊張でやったことがない。ましてや村にいた時、自分の両親が口付けしているところを見たこともない。けれど口付けだけで霊力が回復するのなら、手の甲で少しは元気を取り戻せるだろうか…。
 娘はナギの冷たい手を取ると温めるようにして包み込みそっと口元に寄せると優しく口付けをした。顔を上げるとナギは娘を見ていて、寒さのせいなのか少しだけ耳が赤いのが分かった。

「元気出た?」
「はぁあーーーー~~………」

 ナギは盛大なため息をこぼすと娘を抱きしめ縁側へと押し倒す。抱きしめられ苦しいが、羽織から漂う落ち着いた香の匂いが娘の心を落ち着かせていく。

「あまり可愛いことをするな………」
「可愛い…?」
「花雨にいつも振り回されてる俺の気持ちも考えろ」

 そう言ってナギは離れると立ち上がり娘の手を引っ張って起き上がらせる。秋の寒い風が火照った頬を撫でていく。
 顔を上げてナギの顔を覗くと少しだけ元気を取り戻したようだった。

「そろそろ風神が来る。もてなす準備をしないとな。……花雨はどうする?俺はあまりお前を表沙汰に出したくはないのだが…」
「大事な面会なんでしょ?大人しく部屋にいるよ」
「すまないな。事が片付いたら紅葉狩りにでも行こう」
「楽しみにしてる!」

 ナギは愛おしそうに娘の頬を撫でると縁側の奥へと歩いていってしまった。娘は大人しく自分の部屋で書物でも読んでいようと足を運ぼうとしたその時。

「人間のお嬢さんがいるじゃねぇか」

 すっと耳に入ってくる男の声。そう思ったのも束の間、屋敷が揺れるほどの嵐のような突風があたり一面に吹き荒んだ。
 娘は飛ばされそうになり、咄嗟に柱に捕まったが体が浮いてしまうほど風は強い。庭に積まれていた紅葉の落ち葉は荒れ狂って飛んでいる。

「はっはっはっ!水神の屋敷はいつ来ても丈夫だな。それよりもなぜ人間がここにいる?」

 風は一筋の細長い竜巻を作ると一瞬にして霧散した。風は止み、静寂が戻ってくる。

「死ぬかと思った………!!」

 娘は心臓が早鐘するのを抑えながら、髪や打掛についている落ち葉を払い落とす。すぐそばに風神がいることにも気づかず手櫛で髪を整えようとした時、誰かに腕を掴まれて振り返り初めてそばにいる事に気づく。

「俺の質問を全無視するなどいい度胸だなお嬢さん?風神の志那都しなつだ。ナギは何処にいる。それに何故人間がこんな場所にいるんだ?」

 あまりの情報量の多さに娘が混乱しているとどたばたと足音が近づいてくる。顔を出したのは礼花だった。

「君の登場の仕方がわかりやすくて助かるよっ!!……って志那都!その人間の娘に手を出すな!」
「礼花じゃねぇか!そんな焦るなよ。少しお喋りしてただけじゃねぇか、な?」

 娘の腕をぱっと離すと志那都はずかずかと縁側へと登ってくる。背丈は高く、短髪の黒髪に緑色の瞳が力強い、胸元からちらりと覗く筋肉が立派すぎて娘は後退りしてしまった。

「怖がられてんのか?でもまあ人間がここにいるってぇことは何かしらの事情があるらしいな。有名なあの陰気くせぇ沼から邪神が消えた話も聞きてえし」
「それじゃあ客間に案内するから。ナギが待ってる」

 礼花が去り際に「部屋に戻ってていいよ」と娘に言うと志那都と2人で客間へと行ってしまった。ちらりと風神に見つめられたが娘は気づかずに部屋へと小走りに戻っていった。



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