生贄の娘と水神様〜厄介事も神とならば〜

沙耶味茜

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日の当たる長い縁側を足早に歩く。先程の出来事を払底するようにナギは無駄に大きいこの屋敷の長い縁側を黙々と歩いていた。今も抱きしめた時の温もりが残っている。心臓の音がやけに大きく聞こえ、深いため息を吐きながらも動機を整える。

『ナギもこれから先、色んな人物と関わって、色んな感情に陥ると思うよ………。僕は自分でも自覚している程に好奇心旺盛だっていう自信があるからね。ナギ達を困らせてるかもしれない』
『毎日のように現世に行くのは控えてほしい』
『あはは…そうだよね。でも愛しい人に会いに行くためだから仕方ない』

そう言って笑う兄弟の顔が今でも鮮明に思い出せる。愛しい人など絶対にできないと思っていた。水神すいじんは人間から崇拝される神であり、そんな水神の中で当主候補として過ごしてきたナギは恋愛など無関係に何百年も生きてきた。
兄弟揃って人間に恋をするとは血は抗えない…。
ナギは土間へと行くと、柄杓ひしゃくを手に取り水瓶から水を掬った。湯呑ゆの茶碗ちゃわんに水を入れるとまた花雨かうが寝ている部屋へと行こうとするが、襖の前に立っている人物に気づき足を止める。

泣沢女なきさわめか……。どうした」
「ナギ様…………」

泣沢女は顔を俯かせ、口を開いては閉じてを繰り返している。逡巡したのちにナギに話しかける。

「人間の命は儚いものです」
「…………聞いていたのか」
「す、少しだけ。盗み聞きとかではなく、耳に入ってきて……」
「いや……構わない。御津羽みつは礼花れいかに聞かれなかっただけまだマシだ。あまり2人にこのことは話すな」
「…………後悔は身を蝕みます。本当にいいのですか?」
「お互いそれを望んでいる」

ナギは多くは語らず、泣沢女の横を通りすぎる。髪の隙間から見えた彼女の表情は少しだけ悲しそうに見えた。泣沢女も人間が好きだった。ただ別れが突然すぎたのだ。人間の醜い争いに巻き込まれたあの巫女の死を未だに引きずっているのかもしれない。梗夏でさえも愛しい人を失うことに取り乱す程なのだ。
ナギはそんなことを考えながらもまた長い縁側を歩いていく。部屋の前に来ると、不安な気持ちを抑え込み、障子を開けた。

「おかえり」

落ち着いた声音が耳に届いてくる。花雨は若い少女さながらの可愛らしい笑みを浮かべていた。ナギは湯呑み茶碗を花雨に渡すと傍に座り、水を飲む花雨のことを見つめる。
村に行ってわかったことがあった。梗夏きょうかの血を引いているのは父方の方だ。霊力を微かに感じたのと、やけに男前な父親だったのが印象的だった。
ナギは艶のある長い黒髪から一房手に取ると指先で遊ぶ。花雨は湯呑み茶碗を床に置くと頬を赤らめながらもナギの瞳を見つめてきた。

「そ、そんなに見つめられると飲みづらい…」
「…すまない。自分でも戸惑う程に浮かれているみたいだ」
「ナ、ナギってちょっと天然なところあるよね?まぁ、そこも可愛げがあって好きなんだけど…」
「可愛いのはあまり良くないな」

かっこいいと言われる方が嬉しい。というのは流石に言わなかったが、ナギは髪に口付けをすると花雨に寝るよう促す。一応怪我人なのだから不用意に触るのはよくない。ナギの理性にも関わる。

「起きたらナギはこの部屋にはいないよね」
「……寂しそうな声でそう言われると戸惑う…」
「ごめん!…水神のお仕事も暇じゃないもんね。が、頑張って!」
「いや、丁度過去の書物を読んでいたところだからこの部屋に居る。だから起きたら俺はここにいるから安心して寝ろ」
「うん。じゃあ…おやすみナギ」

花雨は夜着よぎをかぶるとナギに背を向けて寝てしまう。しばらく様子を見ていると寝息が聞こえてきたため、もう寝たのだと気づく。
ナギは文机に戻ると過去にこの屋敷に何が起きたのか書かれている書物ともう一つ、前当主が書いていた日記を開く。
前半は毎日のように村に行き想いを馳せていた梗夏のことについて書かれている。後半になるとお互い愛し合うようになったため更に重い愛が綴られていた。ナギはげんなりすると何か変化がないか読み進めていく。

『今日も梗夏は美しくて、可愛くて、照れてるところが本当たまらなく可愛い。とっても平和』
『昨日もあんなに可愛かったのに今日は更に可愛くなっていて僕の心臓が止まりそう。朝顔の花畑に行った時、花の冠を作ってくれた。どうしたらこの冠を枯らさずに保管できるのか考えなきゃならない。とっても平和』

ナギはため息をつきながら書物を閉じた。ここまでくると恐怖心しか感じない。
毎日のように僕の妻可愛いでしょオーラを感じていたが、日記ぐらいはふざけないでいて欲しかった。ナギはもう一度開くととある一文に目がいく。

『梗夏が危ないところだった。どうやら賊に攫われたようだ。現世に遊びに行っていたら少し目を離した隙に居なくなっていた。水神に喧嘩を売るなんていい度胸をお持ちの人間達だ。僕がすぐに助けたからいいものの汚い手で梗夏に触れないで欲しかったな』

山賊だろう。若い美しい娘が山道を歩いていれば目立ってしまうのは当たり前だ。けれど次の文を読んだ時、ナギは眉間に皺を寄せた。

『梗夏の腕に奇妙な術がかけられていた。霊力の気配からすぐに邪神じゃしんの仕業だと分かった。術を解いたはいいものの、邪神と接触した覚えがないため、人間がなんらかの経由で邪神の術をつかっていると思われる。山賊の中にきっと紛れていたのだろう。用心しなければ』

奇妙な術。
ナギは後ろを振り向くと寝ている花雨の腕を見つめた。いまは包帯が巻かれて処置をしているがもし飛んできた矢にこれと同じ奇妙な術がかけられていたとすれば花雨に危険が及ぶかもしれない。
邪神に肩入れする人間がいることもこの日記から読み取れる。早めに処罰しなければまた争いが起きるだろう。ナギは気を取り直すとまた日記に目を移し邪神と人間の関係性を調べ始めた。
不穏な気配がまた徐々に水神と娘に近づいている。邪神は今や弱体化していて水神達の手中に収まっている。しかし邪神を信仰している人間が、取り戻すために動き始めようとしていた。







第二章始まります。







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