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過去編:秘密2
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雨の日のことだった。現世にいる妖怪共がある噂話をしているのを御津羽は聞く。
「邪神が子どもを育ててるらしいぜ」
「おっかねぇなぁ、今度はなんだ?育てて食べるのか?」
「あの邪神……ほんと恐ろしい」
どうやら妖怪の間でも邪神は酷く恐れられてるらしい。実際、強い妖怪でもあそこの邪神に立ち向かうことはできない。できるとするならば神ぐらいだろう。
御津羽は現世に来てから約4年が経とうとしていた。邪神と当主様との関連性を調べてわかったことは…………全くもってなかった。なんの因果関係も2人の間にはないのかもしれない。部外者がいるのではと調べてはいるものの手掛かりは見つからずじまいだ。
「子供を育ててるだなんて、何を企んでいるんだか」
御津羽は水車小屋から出ると川沿いの砂利道をひたすらに歩いた。あの水車小屋には水神の祠が置かれている。ごく稀に供物がしてあったりするが人間が来る気配はこれといってあまりない。
川沿いを1日かけて歩くと邪神を土地神だと言って崇めている村の近くに出る。そこから少し山奥に入っていくと例の妖怪どもは誰も近寄らない生贄の沼が見えてくるのだ。御津羽は1日かけて川沿いを歩き沼へと辿り着く。生贄達の怨念が濃い沼の周辺は、息苦しさがある。長時間ここにいると精神が参ってしまいそうになるため、自我を保つのに精一杯だ。
「おい邪神。いるなら顔を出せ」
御津羽は沼へと語りかけた。すると黒い靄と共に邪神が現れた。全身に黒を纏った存在。けれどいつも雪のように白い手に何故か血がついていた。
「最近よく会いにくるけどなぁに?俺はそんなに暇じゃないんだけど。殺されたいの?」
「お前に会いにきてるんじゃない、僕は娘達の怨念に会いにきてるだけだよ。でも今日は違う。ちょっと確かめたいことがあったんだけど、もう用は済んだからまたね」
「…………」
邪神はどこか腑に落ちない表情をして御津羽の後ろ姿を見ていた。そして手についた血をぺろりと舐めると少しだけ嬉しそうな顔をして黒い靄と共に消えていった。
御津羽はあの血の匂いに少しだけ違和感を感じていた。当主様に似た強い霊力を感じたのだ。御津羽はやっと手がかりが出てきたと思い嬉しく思う反面、あまり考えたくもない可能性が浮かび上がってきたことに顔を顰める。
子供を育てている噂が本当ならばその子供というのは梗夏と当主様とのあいだに生まれた子供ではないだろうかと。
「………嘘でしょお……」
御津羽はその可能性のために作戦を立てなければならなかった。邪神の領域にいる子供をどうやって助け出せばいいのだろうか。現世に来る際、礼花とナギから邪神避けの札をもらったため邪神は御津羽に手を出そうとはしない。先程も話すだけで何もしてこなかった。けれど邪神の領域となると縄張りに入ってしまえば邪神の方が有利である。
とりあえず何日か様子を見て、邪神が領域外に子どもを連れ出すことがあるのかどうか見てみよう。
御津羽は札をいくつか沼の周辺に貼っていくとその場を離れた。監視するための目である。そして沼から少し離れた岩場で様子を見る。
1日目は変化なし。
2日目も変化なし。暇そうにしている御津羽に妖怪達が酒を持ってきた。
3日目も変化なし。目の前にある雑草が可愛く見えてきた。
4日目も5日目も沼は静かであった。
6日目は………
「何をしてんのか知らないけど、諦めたら?」
岩場で寝っ転がっていると目の前に邪神の顔が現れた。邪神の長い髪が御津羽の顔に垂れ下がる。御津羽は飛び起きると盛大に後退りした。
「は?お、お前いつから……」
「ずっと術を使っていたら霊力もすり減ってくるんじゃない?こんなあからさまな目を仕掛けといて……」
邪神は黒曜石のような瞳を細めると御津羽が仕掛けた一枚の札を燃やす。仕掛けた目が取られた事に気づかないほど疲弊していたらしい。御津羽は盛大なため息をつくと邪神を睨んだ。
「なんでここに来た」
「そんな睨まないでよ。5日間もずっと監視してる君が面白くてからかいにきただけ」
「生憎お前と仲良くする趣味はない」
「俺にもそんな趣味はないから安心して」
邪神は手をひらひらとさせると御津羽に詰め寄った。そして目の前で立ち止まると口の端をにっとあげる。
「この手についてる血が気になる?」
目の前に手のひらを差し出してきた。そこには赤い血がべっとりとついている。そして微かに当主様に似た霊力も感じた。御津羽はその手を勢いよく掴むと血を舐めとった。邪神は心底嫌そうな顔をして御津羽を睨み手を振り払う。
「汚い。この血は俺のものなんだから勝手に舐めないでよ」
「……やっぱりか」
口の中に広がった血の味を確かめて御津羽は苦笑する。そしてナギと礼花から貰った札を懐から取り出すとそれを御津羽の術と共に邪神に押しつけた。
「拘束せよ」
邪神の周りに透き通った空気が漂った。穢れを愛する邪神にとって水神の浄化は息苦しい。そして術で拘束もしていれば邪神は多少なりとも動けないだろう。このわずかな時間を利用して御津羽は沼へと素早い速度で走る。ナギと礼花からもらった札の霊力を使い邪神を抑え込んだ。御津羽1人だけの霊力では到底勝てない。
沼に辿り着くと御津羽は結界を破る。沼へと飛び込み、次に目を開けるとどんよりした空気の薄暗い洞窟のような場所に出る。壁も天井も石でできており、外からの光が一切入って来ない。押しつぶされそうな怨念の気配の中、御津羽は当主様の霊力を辿り濃い方へと走っていく。近づくにつれて道中あちこちに血痕が見えてきた。
そして辿り着いた先には石でできた格子があった。
その中に横たわる小さな影。
「…………もう大丈夫。僕と一緒に逃げよう」
御津羽は格子を力任せに蹴ると中からまだ小さな子供を抱き上げた。
全身傷だらけ、出血の量が多く意識を失っている。呼吸は微かに感じられるが今にも死んでしまいそうだ。
優しく抱き抱えると御津羽は領域の外へと出る。外はいつの間にか雨が降っていて子供の体温を奪ってしまわないように自らの羽織を脱ぎ子供を包む。そして邪神が術を解き動き回る気配を感じた、自分の術を破られたのは何となく分かる。御津羽は得意の空間の歪みを生み出しそこに足を踏み入れた。
雨の音は遠くなっていた。聞こえてくるのは水の流れる音と水車が回る音、草木が風で揺れる音だけだ。
今ので全霊力を使い果たした気がした。龍になったわけではないのにどっと眠気が襲ってくる。御津羽は子どもを抱えて水車小屋に入ると眠気に襲われながらも子供を床に寝かせ、小袖の袖で血のついた体を拭ってゆく。痩せ細った体すぎて上半身だけ見ても女か男か区別がつかない。しかし下半身をみて御津羽は顔を伏せた。
「生まれたのは女の子かぁ~…………」
無造作に切られた真っ黒な髪は艶がなく、未だに瞳は閉じたままだ。御津羽は祠から霊力を貰うとその霊力を子供に注ぐ。これで少しだけだが命は繋ぎとめれる。元々当主様の霊力を持っているためそう簡単には死なないはずだ、それをいい事に邪神はこの子供を育て、痛めつけ、そして自分の餌にしようとする。
「君は生贄の娘なんかじゃないのに、あんなヘビのところにいちゃ駄目だよ……」
そう言い残すと御津羽は眠気に抗えずプツンと意識を失ってしまった。
話し声が聞こえてきた。
「水神様がまだお眠りになっているから俺たちでなんとかしなきゃなぁ」
「人間の子だけれどこの有様は流石に酷いわぁ」
「おい、喋れるか?………いや、あの邪神の所にずっといたんだもんな。そもそも言葉を知らないのかもしれない」
「困ったわ。それよりも傷が痛々しい、傷口をちゃんと洗って布で巻いてあげないと、人間は弱いからすぐ死んじゃうわよ」
「それもそうだな」
「みてみてこの小袖、あそこの村から盗んできたわ」
「おいおいこれじゃあ体に全然あってねぇ」
「子供が着る物が無かったのよ!でも色が可愛らしいからいいでしょう?髪も綺麗に切り揃えたし、見てみなさいよこの目!綺麗な青色だわぁ」
「そりゃあ水神と人間の間にできた子供だからよぉ、そうなるわな」
声がずっと聞こえていた、この声は妖怪達だろう。御津羽が倒れた後、子供の面倒を見てくれている妖怪達がとても心強かった。
眠ってなどいられないのだ。御津羽は早くその子供の目を開けている姿が見たい。
「すいじん、さま」
「よっし、言えた‼︎これで水神様が目覚めたら驚くだろうよ」
「可愛いわねぇ」
御津羽はその声を聞きながら静かに目を開く。眠りから覚めたのだ。
軽く身を起こすと妖怪達がぎょっとした目でこちらを見た。そして子供の方へと視線を向ける。子供は青い瞳で御津羽を見つめ、そして一言こう言った。
「すいじんさま」
片言な発音で僕を呼んだ。
一目見て思ったことといえば、容姿が梗夏に似ている。似すぎている。当主様の面影があるとしたら大きく見開かれた青い瞳の色だけだろう。
「…………そう、僕は水神。でもねちゃんと名前があるんだ、御津羽っていうね。…………ほら、言ってみて。み・つ・は」
「みつは」
思わずにやけそうになる。梗夏と当主様の子供がこうやって生まれてきてくれたことへの安心感と遺伝子が受け継がれていることに内心、大いに喜んでいる。子供はまだ顔にも腕にも傷が残っていて治りそうにない。けれどこれは梗夏よりの超絶美人になることは目に見えている。
「御津羽って言えるようになったのなら次はこの子の名前を決めないとね。それと…僕が眠っている間、この子の世話をしてくれてありがとう」
「いえいえっ!水神様のお役に立てるのならなんなりとっ‼︎」
「人間の子供は好きなものでしてっ!」
妖怪達は御津羽に礼を言われおどおどとする。人間を好む妖怪は珍しい。
「そっか。じゃあこれからしばらくこの子の世話係を任せてもいいかな?僕も手伝うよ」
「い、いいんですか⁉︎」
「僕1人じゃあ人間の子供をどうやって育てるのか分からないからね」
そう言って子供の頭を撫でる。子供はとても目を見開いて驚いている様子だった。まるで初めて撫でられるような顔をしている。
そして子供のままでは呼びずらいなと思った御津羽は名前をつけることにした。
「よし、名前をつけようか。そうだなぁ……」
梗夏の「梗」を借りよう。
御津羽は立ち上がると水車小屋の外に出た、後ろから子供がついてくる。少し歩くと桜の木が見えてくる。春に向けて蕾が出来ていた。御津羽は後ろを振り返ると子供に向かって新しい名を呼んだ。
「梗桜」
子供は新しい言葉に首を傾げている。言葉ではない、これは名前だ。これから美しい桜のように開花していく事を願うように、御津羽は名を呼んだ。
「君は梗桜っていう名前を持ったんだよ。今はわからないかもしれないけど、これから言葉も覚えていこうね」
「ぁ…………」
返事なのだろうか。拙い声でそう返事したような気がした。御津羽は微笑みを見せると子供の手を取り水車小屋に戻る。
まだ少し肌寒い冬の話。
ーーーー月日は回り、7年が経った。
水車小屋の周りを駆け回る1人の娘の姿が見えた。長い艶のある髪を一つにまとめ、下げ髪にしている。淡紅藤の小袖に鶯色の裳袴を着た娘は、下駄でかたかたと音を鳴らしながら妖怪達と走り回っている。
ふとこちらを向いた。長いまつ毛から見える瞳は晴天の空のような色をしている。そして美しい笑みを浮かべて僕の名前を呼んだ。
「御津羽‼︎」
桜が咲き誇る春の季節。娘は御津羽の方に駆け寄ると背中に頭突きしてきた。
「いたっ」
「名前を呼んでも何も返事しないのがいけないのよ!」
「いちいち反応してるのも面倒だから…」
「年寄り!そんなんだから水神様が廃れるのよ」
あれから7年経った梗桜は齢12歳になっていた。そして元気旺盛、生意気な娘に育っていた。親の顔が知りたい、いや、親代わりは御津羽である。けれどここまで生意気に育てた覚えはない……。
「はいはい、心配してくれてありがとね」
「はぁ~、私ちょっとそこら辺歩いてくる」
「沼の方まで行かないように」
「行くわけないじゃない!あんなとこ‼︎」
そして娘はどこかへと行ってしまった。最近よくどこかへ行くことが多いと感じた御津羽は一度尾行したことがあった。妖怪達に遠い目をされたが親が子供の行くところを把握しておくのは当然のこと…。
どうやら娘には気になる少年がいるらしい。気になる少年ができるのはとてもいいことだ、成長を感じる。
そう、御津羽は自身が自覚していないだけで周りから見たらとても過保護な親になっていた。
「またあそこの男の所に行ったのか~…」
「水神様、いいじゃないですか!梗桜にも春が訪れたんですよ!」
「最近年寄りって言われて結構響いてるんだよねぇ…僕って何百年も生きてるから人間からしてみたら超絶おじいちゃんなのは知ってるし……でもさ、さほど容姿とか変わってないと思うんだけど…?」
「水神様はいつでもお美しいです」
「お世辞かな?」
妖怪達と話す会話も大分じじ臭くなってきている。御津羽は小川に水浴びしに行こうと立ち上がると歩き出した。
小川に着くと下駄を脱ぎ足を水につける。水の冷たさが心地よく、目を瞑るとうたた寝してしまいそうだ。水神は水を好む、小川は御津羽に取ってはご褒美のようなものだ。
「あ~……」
「間抜けな声出さないでよ!かっこ悪い」
急に視界が暗くなった、手のひらで目を隠されている。梗桜の声が後ろから聞こえるため彼女だとすぐに分かる。
「あれ、男のところに行ってるんじゃ……」
「げっ、あ、あんた私があいつのところに行ってるの知ってたの⁉︎」
「し、知らないなぁ?いや、違う妖怪達でそういう話があって…」
「ふ、ふーん…まぁどうだっていいわ。それよりも私がこの手を離したらいいよっていうまで後ろを振り返っちゃ駄目だからね!」
「えぇ…今度は何」
そう言うと梗桜の手が離れた。視界が明るくなり、ぼーっとしていると「いいよ」と言う声が聞こえる。御津羽は後ろを振り返ると梗桜が持っている花束に目がいく。
「何それ」
「あげる」
「え?」
「あげるって言ってるの‼︎さっき摘んできたのよ!いつもありがとうの気持ちよ」
梗桜は花束を御津羽に押し付けるとそれを押し潰す勢いで抱きついてきた。
「うわっ、ちょ、せっかくの花が!」
「いいのよこんなの、妖怪達が摘めっていうから摘んだだけだもん」
梗桜は御津羽の心臓の音を確かめるように顔を押し付ける。
「あの時助けに来てくれた時からずっと……」
御津羽はその言葉を聞いて抱きしめ返した。あの時とはきっと邪神の元から救い出した時からだろう。
ありがとうなんて普段は言わない梗桜がとても愛おしかった。御津羽は愛おしい娘の耳元で囁いた。
「長生きしてね」
「誰に言ってるのよ、父さん」
梗桜は照れ臭そうに「父さん」と言った。親代わりの御津羽は少し複雑な感情が渦巻いたがそれを振り払う。………この言葉を当主様に聞かせたかった。
「さーて、じゃあ今日はいっぱい梗桜の事を可愛がってあげよーう」
「ちょっ、降ろしなさいよ‼︎」
御津羽は梗桜の膝と背中に手をまわすと抱っこする。そして水車小屋まで走った。
水神と人間の間に生まれた子は梗桜という娘だった。その娘を育てた水神の名は御津羽という。
それから何年か経ち、梗桜はとある人間の男と添い遂げ、赤子を授かった。赤子もみるみると成長し、立派な娘になると思い人をみつけ、赤子を授かる。
そうやって血は繋がってゆき、現在。人間と水神はまた恋で結ばれようとしている。
娘の名前は花雨。水神の名前はナギ。生贄の娘、花雨は水神に助けられ、昔の当主と梗夏のようにお互いの愛を確かめていくだろう。
2人の恋が報われるのはまだまだ先の話…。
「邪神が子どもを育ててるらしいぜ」
「おっかねぇなぁ、今度はなんだ?育てて食べるのか?」
「あの邪神……ほんと恐ろしい」
どうやら妖怪の間でも邪神は酷く恐れられてるらしい。実際、強い妖怪でもあそこの邪神に立ち向かうことはできない。できるとするならば神ぐらいだろう。
御津羽は現世に来てから約4年が経とうとしていた。邪神と当主様との関連性を調べてわかったことは…………全くもってなかった。なんの因果関係も2人の間にはないのかもしれない。部外者がいるのではと調べてはいるものの手掛かりは見つからずじまいだ。
「子供を育ててるだなんて、何を企んでいるんだか」
御津羽は水車小屋から出ると川沿いの砂利道をひたすらに歩いた。あの水車小屋には水神の祠が置かれている。ごく稀に供物がしてあったりするが人間が来る気配はこれといってあまりない。
川沿いを1日かけて歩くと邪神を土地神だと言って崇めている村の近くに出る。そこから少し山奥に入っていくと例の妖怪どもは誰も近寄らない生贄の沼が見えてくるのだ。御津羽は1日かけて川沿いを歩き沼へと辿り着く。生贄達の怨念が濃い沼の周辺は、息苦しさがある。長時間ここにいると精神が参ってしまいそうになるため、自我を保つのに精一杯だ。
「おい邪神。いるなら顔を出せ」
御津羽は沼へと語りかけた。すると黒い靄と共に邪神が現れた。全身に黒を纏った存在。けれどいつも雪のように白い手に何故か血がついていた。
「最近よく会いにくるけどなぁに?俺はそんなに暇じゃないんだけど。殺されたいの?」
「お前に会いにきてるんじゃない、僕は娘達の怨念に会いにきてるだけだよ。でも今日は違う。ちょっと確かめたいことがあったんだけど、もう用は済んだからまたね」
「…………」
邪神はどこか腑に落ちない表情をして御津羽の後ろ姿を見ていた。そして手についた血をぺろりと舐めると少しだけ嬉しそうな顔をして黒い靄と共に消えていった。
御津羽はあの血の匂いに少しだけ違和感を感じていた。当主様に似た強い霊力を感じたのだ。御津羽はやっと手がかりが出てきたと思い嬉しく思う反面、あまり考えたくもない可能性が浮かび上がってきたことに顔を顰める。
子供を育てている噂が本当ならばその子供というのは梗夏と当主様とのあいだに生まれた子供ではないだろうかと。
「………嘘でしょお……」
御津羽はその可能性のために作戦を立てなければならなかった。邪神の領域にいる子供をどうやって助け出せばいいのだろうか。現世に来る際、礼花とナギから邪神避けの札をもらったため邪神は御津羽に手を出そうとはしない。先程も話すだけで何もしてこなかった。けれど邪神の領域となると縄張りに入ってしまえば邪神の方が有利である。
とりあえず何日か様子を見て、邪神が領域外に子どもを連れ出すことがあるのかどうか見てみよう。
御津羽は札をいくつか沼の周辺に貼っていくとその場を離れた。監視するための目である。そして沼から少し離れた岩場で様子を見る。
1日目は変化なし。
2日目も変化なし。暇そうにしている御津羽に妖怪達が酒を持ってきた。
3日目も変化なし。目の前にある雑草が可愛く見えてきた。
4日目も5日目も沼は静かであった。
6日目は………
「何をしてんのか知らないけど、諦めたら?」
岩場で寝っ転がっていると目の前に邪神の顔が現れた。邪神の長い髪が御津羽の顔に垂れ下がる。御津羽は飛び起きると盛大に後退りした。
「は?お、お前いつから……」
「ずっと術を使っていたら霊力もすり減ってくるんじゃない?こんなあからさまな目を仕掛けといて……」
邪神は黒曜石のような瞳を細めると御津羽が仕掛けた一枚の札を燃やす。仕掛けた目が取られた事に気づかないほど疲弊していたらしい。御津羽は盛大なため息をつくと邪神を睨んだ。
「なんでここに来た」
「そんな睨まないでよ。5日間もずっと監視してる君が面白くてからかいにきただけ」
「生憎お前と仲良くする趣味はない」
「俺にもそんな趣味はないから安心して」
邪神は手をひらひらとさせると御津羽に詰め寄った。そして目の前で立ち止まると口の端をにっとあげる。
「この手についてる血が気になる?」
目の前に手のひらを差し出してきた。そこには赤い血がべっとりとついている。そして微かに当主様に似た霊力も感じた。御津羽はその手を勢いよく掴むと血を舐めとった。邪神は心底嫌そうな顔をして御津羽を睨み手を振り払う。
「汚い。この血は俺のものなんだから勝手に舐めないでよ」
「……やっぱりか」
口の中に広がった血の味を確かめて御津羽は苦笑する。そしてナギと礼花から貰った札を懐から取り出すとそれを御津羽の術と共に邪神に押しつけた。
「拘束せよ」
邪神の周りに透き通った空気が漂った。穢れを愛する邪神にとって水神の浄化は息苦しい。そして術で拘束もしていれば邪神は多少なりとも動けないだろう。このわずかな時間を利用して御津羽は沼へと素早い速度で走る。ナギと礼花からもらった札の霊力を使い邪神を抑え込んだ。御津羽1人だけの霊力では到底勝てない。
沼に辿り着くと御津羽は結界を破る。沼へと飛び込み、次に目を開けるとどんよりした空気の薄暗い洞窟のような場所に出る。壁も天井も石でできており、外からの光が一切入って来ない。押しつぶされそうな怨念の気配の中、御津羽は当主様の霊力を辿り濃い方へと走っていく。近づくにつれて道中あちこちに血痕が見えてきた。
そして辿り着いた先には石でできた格子があった。
その中に横たわる小さな影。
「…………もう大丈夫。僕と一緒に逃げよう」
御津羽は格子を力任せに蹴ると中からまだ小さな子供を抱き上げた。
全身傷だらけ、出血の量が多く意識を失っている。呼吸は微かに感じられるが今にも死んでしまいそうだ。
優しく抱き抱えると御津羽は領域の外へと出る。外はいつの間にか雨が降っていて子供の体温を奪ってしまわないように自らの羽織を脱ぎ子供を包む。そして邪神が術を解き動き回る気配を感じた、自分の術を破られたのは何となく分かる。御津羽は得意の空間の歪みを生み出しそこに足を踏み入れた。
雨の音は遠くなっていた。聞こえてくるのは水の流れる音と水車が回る音、草木が風で揺れる音だけだ。
今ので全霊力を使い果たした気がした。龍になったわけではないのにどっと眠気が襲ってくる。御津羽は子どもを抱えて水車小屋に入ると眠気に襲われながらも子供を床に寝かせ、小袖の袖で血のついた体を拭ってゆく。痩せ細った体すぎて上半身だけ見ても女か男か区別がつかない。しかし下半身をみて御津羽は顔を伏せた。
「生まれたのは女の子かぁ~…………」
無造作に切られた真っ黒な髪は艶がなく、未だに瞳は閉じたままだ。御津羽は祠から霊力を貰うとその霊力を子供に注ぐ。これで少しだけだが命は繋ぎとめれる。元々当主様の霊力を持っているためそう簡単には死なないはずだ、それをいい事に邪神はこの子供を育て、痛めつけ、そして自分の餌にしようとする。
「君は生贄の娘なんかじゃないのに、あんなヘビのところにいちゃ駄目だよ……」
そう言い残すと御津羽は眠気に抗えずプツンと意識を失ってしまった。
話し声が聞こえてきた。
「水神様がまだお眠りになっているから俺たちでなんとかしなきゃなぁ」
「人間の子だけれどこの有様は流石に酷いわぁ」
「おい、喋れるか?………いや、あの邪神の所にずっといたんだもんな。そもそも言葉を知らないのかもしれない」
「困ったわ。それよりも傷が痛々しい、傷口をちゃんと洗って布で巻いてあげないと、人間は弱いからすぐ死んじゃうわよ」
「それもそうだな」
「みてみてこの小袖、あそこの村から盗んできたわ」
「おいおいこれじゃあ体に全然あってねぇ」
「子供が着る物が無かったのよ!でも色が可愛らしいからいいでしょう?髪も綺麗に切り揃えたし、見てみなさいよこの目!綺麗な青色だわぁ」
「そりゃあ水神と人間の間にできた子供だからよぉ、そうなるわな」
声がずっと聞こえていた、この声は妖怪達だろう。御津羽が倒れた後、子供の面倒を見てくれている妖怪達がとても心強かった。
眠ってなどいられないのだ。御津羽は早くその子供の目を開けている姿が見たい。
「すいじん、さま」
「よっし、言えた‼︎これで水神様が目覚めたら驚くだろうよ」
「可愛いわねぇ」
御津羽はその声を聞きながら静かに目を開く。眠りから覚めたのだ。
軽く身を起こすと妖怪達がぎょっとした目でこちらを見た。そして子供の方へと視線を向ける。子供は青い瞳で御津羽を見つめ、そして一言こう言った。
「すいじんさま」
片言な発音で僕を呼んだ。
一目見て思ったことといえば、容姿が梗夏に似ている。似すぎている。当主様の面影があるとしたら大きく見開かれた青い瞳の色だけだろう。
「…………そう、僕は水神。でもねちゃんと名前があるんだ、御津羽っていうね。…………ほら、言ってみて。み・つ・は」
「みつは」
思わずにやけそうになる。梗夏と当主様の子供がこうやって生まれてきてくれたことへの安心感と遺伝子が受け継がれていることに内心、大いに喜んでいる。子供はまだ顔にも腕にも傷が残っていて治りそうにない。けれどこれは梗夏よりの超絶美人になることは目に見えている。
「御津羽って言えるようになったのなら次はこの子の名前を決めないとね。それと…僕が眠っている間、この子の世話をしてくれてありがとう」
「いえいえっ!水神様のお役に立てるのならなんなりとっ‼︎」
「人間の子供は好きなものでしてっ!」
妖怪達は御津羽に礼を言われおどおどとする。人間を好む妖怪は珍しい。
「そっか。じゃあこれからしばらくこの子の世話係を任せてもいいかな?僕も手伝うよ」
「い、いいんですか⁉︎」
「僕1人じゃあ人間の子供をどうやって育てるのか分からないからね」
そう言って子供の頭を撫でる。子供はとても目を見開いて驚いている様子だった。まるで初めて撫でられるような顔をしている。
そして子供のままでは呼びずらいなと思った御津羽は名前をつけることにした。
「よし、名前をつけようか。そうだなぁ……」
梗夏の「梗」を借りよう。
御津羽は立ち上がると水車小屋の外に出た、後ろから子供がついてくる。少し歩くと桜の木が見えてくる。春に向けて蕾が出来ていた。御津羽は後ろを振り返ると子供に向かって新しい名を呼んだ。
「梗桜」
子供は新しい言葉に首を傾げている。言葉ではない、これは名前だ。これから美しい桜のように開花していく事を願うように、御津羽は名を呼んだ。
「君は梗桜っていう名前を持ったんだよ。今はわからないかもしれないけど、これから言葉も覚えていこうね」
「ぁ…………」
返事なのだろうか。拙い声でそう返事したような気がした。御津羽は微笑みを見せると子供の手を取り水車小屋に戻る。
まだ少し肌寒い冬の話。
ーーーー月日は回り、7年が経った。
水車小屋の周りを駆け回る1人の娘の姿が見えた。長い艶のある髪を一つにまとめ、下げ髪にしている。淡紅藤の小袖に鶯色の裳袴を着た娘は、下駄でかたかたと音を鳴らしながら妖怪達と走り回っている。
ふとこちらを向いた。長いまつ毛から見える瞳は晴天の空のような色をしている。そして美しい笑みを浮かべて僕の名前を呼んだ。
「御津羽‼︎」
桜が咲き誇る春の季節。娘は御津羽の方に駆け寄ると背中に頭突きしてきた。
「いたっ」
「名前を呼んでも何も返事しないのがいけないのよ!」
「いちいち反応してるのも面倒だから…」
「年寄り!そんなんだから水神様が廃れるのよ」
あれから7年経った梗桜は齢12歳になっていた。そして元気旺盛、生意気な娘に育っていた。親の顔が知りたい、いや、親代わりは御津羽である。けれどここまで生意気に育てた覚えはない……。
「はいはい、心配してくれてありがとね」
「はぁ~、私ちょっとそこら辺歩いてくる」
「沼の方まで行かないように」
「行くわけないじゃない!あんなとこ‼︎」
そして娘はどこかへと行ってしまった。最近よくどこかへ行くことが多いと感じた御津羽は一度尾行したことがあった。妖怪達に遠い目をされたが親が子供の行くところを把握しておくのは当然のこと…。
どうやら娘には気になる少年がいるらしい。気になる少年ができるのはとてもいいことだ、成長を感じる。
そう、御津羽は自身が自覚していないだけで周りから見たらとても過保護な親になっていた。
「またあそこの男の所に行ったのか~…」
「水神様、いいじゃないですか!梗桜にも春が訪れたんですよ!」
「最近年寄りって言われて結構響いてるんだよねぇ…僕って何百年も生きてるから人間からしてみたら超絶おじいちゃんなのは知ってるし……でもさ、さほど容姿とか変わってないと思うんだけど…?」
「水神様はいつでもお美しいです」
「お世辞かな?」
妖怪達と話す会話も大分じじ臭くなってきている。御津羽は小川に水浴びしに行こうと立ち上がると歩き出した。
小川に着くと下駄を脱ぎ足を水につける。水の冷たさが心地よく、目を瞑るとうたた寝してしまいそうだ。水神は水を好む、小川は御津羽に取ってはご褒美のようなものだ。
「あ~……」
「間抜けな声出さないでよ!かっこ悪い」
急に視界が暗くなった、手のひらで目を隠されている。梗桜の声が後ろから聞こえるため彼女だとすぐに分かる。
「あれ、男のところに行ってるんじゃ……」
「げっ、あ、あんた私があいつのところに行ってるの知ってたの⁉︎」
「し、知らないなぁ?いや、違う妖怪達でそういう話があって…」
「ふ、ふーん…まぁどうだっていいわ。それよりも私がこの手を離したらいいよっていうまで後ろを振り返っちゃ駄目だからね!」
「えぇ…今度は何」
そう言うと梗桜の手が離れた。視界が明るくなり、ぼーっとしていると「いいよ」と言う声が聞こえる。御津羽は後ろを振り返ると梗桜が持っている花束に目がいく。
「何それ」
「あげる」
「え?」
「あげるって言ってるの‼︎さっき摘んできたのよ!いつもありがとうの気持ちよ」
梗桜は花束を御津羽に押し付けるとそれを押し潰す勢いで抱きついてきた。
「うわっ、ちょ、せっかくの花が!」
「いいのよこんなの、妖怪達が摘めっていうから摘んだだけだもん」
梗桜は御津羽の心臓の音を確かめるように顔を押し付ける。
「あの時助けに来てくれた時からずっと……」
御津羽はその言葉を聞いて抱きしめ返した。あの時とはきっと邪神の元から救い出した時からだろう。
ありがとうなんて普段は言わない梗桜がとても愛おしかった。御津羽は愛おしい娘の耳元で囁いた。
「長生きしてね」
「誰に言ってるのよ、父さん」
梗桜は照れ臭そうに「父さん」と言った。親代わりの御津羽は少し複雑な感情が渦巻いたがそれを振り払う。………この言葉を当主様に聞かせたかった。
「さーて、じゃあ今日はいっぱい梗桜の事を可愛がってあげよーう」
「ちょっ、降ろしなさいよ‼︎」
御津羽は梗桜の膝と背中に手をまわすと抱っこする。そして水車小屋まで走った。
水神と人間の間に生まれた子は梗桜という娘だった。その娘を育てた水神の名は御津羽という。
それから何年か経ち、梗桜はとある人間の男と添い遂げ、赤子を授かった。赤子もみるみると成長し、立派な娘になると思い人をみつけ、赤子を授かる。
そうやって血は繋がってゆき、現在。人間と水神はまた恋で結ばれようとしている。
娘の名前は花雨。水神の名前はナギ。生贄の娘、花雨は水神に助けられ、昔の当主と梗夏のようにお互いの愛を確かめていくだろう。
2人の恋が報われるのはまだまだ先の話…。
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