生贄の娘と水神様〜厄介事も神とならば〜

沙耶味茜

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27 村

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しばらく草木が生い茂る森の中を歩いていると見覚えのある小川が見えてきた。聞いているだけで涼しくなるような水の流れる音にゴツゴツとした石がたくさんある。走るのには少々不安定な川に娘は村人達から必死に逃げていた時のことを思い出す。生贄の儀式から逃げ出すために気付かれぬよう早朝に家を出てこの川に沿って逃げていた、不安と恐怖でいっぱいだったあの時のこと。

「怖いのか?」
「……いいえ。全然」

娘は少しだけ笑みを浮かべると手元を見つめる。先程繋がれた手は今でも離れていない。ナギの手のひらはとても冷たくて夏の暑さには丁度よかった。顔を上げるとナギと目線が合い、心配性なナギに微笑むと娘は今までの感謝を少しだけ照れくさくなりながらも言った。

「怖くなんてない。こんなに近くに頼もしい人がいるんだもの。いつもありがとう」
「…………そうか」

会話は淡々としているが2人の間には見えない何かで結ばれているような絶対的信頼があった。
心地よい夏風が娘の髪を揺らし、ナギの髪を揺らす。忙しなく鳴いている蝉の音と共に、2人の影が徐々に村へと近づいていた。ふと歩いていて娘は足を止めて目の前を見つめる。茅葺き屋根が木々の隙間から見えてきて、所々綺麗に手入れされた稲が生えている田んぼが見える。その光景を見て少しだけ懐かしさが湧き出る。今すぐ両親に会って、村の仲良くしていた人達にも会って、生きてるよ、大好きだよと言いたい。けれどそんな事を言って許されるような立場ではないのだ、娘は生贄の儀式から逃げ出した。この事実は一生娘の自由を縛っていくような気がした。
歩みを止めてしまった娘にナギは声をかける。

「やめておくか?」
「行く。ここまできたからには後戻りはしないよ。それに、ナギは私のこと甘やかしすぎだと思うのよ」
「いや……そんなことは…」

少し困ったような表情をするナギを見て娘は思わず笑ってしまった。どこまでも感情を表に出すのが下手くそな水神だと娘は思っている。そこが愛らしくもあるのだか…。
娘は止めていた足を一歩踏み出すとナギの手を引いて村の方へと行く。昼間ということもありチラチラと村人達が歩いているのが見えた。懐かしい光景に思わず唾を飲み込むと見知った人がいないかつい探してしまう。踏みしめられた土の感触、人がいる温もり、子供達の遊んでいる姿、全てが娘の記憶を鮮明にさせてゆき、思わずナギの手を離して前へ前へと走っていた。
ひらけた場所に出ると娘はとある一軒家を見て動きを止めた。小さな縁側に子供達が座り美味しそうなすいかを食べている。家の主がその光景を微笑ましそうに見ていた。村の子供達はきっとこの家の主の娘が生贄に差し出されたなんて知らないであろう。あの家は娘が住んでいた場所。主というのは娘の父のことだ。
その光景を見て目頭が熱くなる。手を伸ばし「父さん」とつぶやくがその声は届かず風と共に霧散していった。ふと娘の父がこちらを見る。声が届いたのかと思った娘は目を見開き今すぐ走って行きたい衝動に駆られるが後ろから腕を引かれて我にかえる。振り返るとナギがこちらを見ていた。

「冷静になれ。今の俺たちは旅人という体でこの村に来ている」
「…そうだったね」

娘は村にきてもあまり声を出してはいけないし、両親にあって喜びを分かち合うことはできない、それがここに来る前までの約束だからだ。ナギと娘が緊張した面持ちで歩いていると遠くの方から1人の子供が駆け寄ってきた。村で見たことない人たちがきて珍しいのか、じろじろとナギと娘を見た後に元気いっぱいな声で問いかけてきた。

「お兄さん達だれ!!」

その大きな声に反応したのか家ですいかを食べていた子供達が一斉にこっちを向いたのが分かる。そして口元にすいかの種をつけた子供達がわらわらと集まってきた。

「えらいかっこいいわぁ!」
「兄ちゃん達どこからきたん??旅の方?」
「ここの村なんて何にもないわよ!いるとしたら幽霊ね!」
「こわぁ~い」

子供達の無邪気さにあやかれて娘は少しだけ笑ってしまった。それをみたナギが一度咳払いをすると子供達に説明し出した。

「俺とこいつは旅人だ。ちょうどこの村を通って行くんだが楽しそうな子供達の声が聞こえてな。どんな村なのか少しだけ見てみようと…」
「この村は変な村だから来ない方がいいよ」

先程大きな声で私達を呼び止めた1人の子供が
キッパリとそう言った。その言葉に含まれてる意味が一体なにを指しているのか言われなくても分かる。娘が冷や汗をかいて次の言葉を待っているとちょうど家の方から1人の男が小走りでこちらにやってきた。娘の父である。あんなに無口だった父が今では表情にやわからさが出ているような気がした。少し焦った様子で娘達に話しかけてくる。

「旅のお方だろうか。この村はあまり良いところではない、泊まるというのならお勧めはしない」
「いや、俺たちはここに立ち寄っただけだ。しばらくしたら直ぐに出て行く」
「作用でしたか。なら、せめてうちでお茶でも飲んで行かれますか?」

ナギが娘の方を横目で見る。娘は構わないと言うように首を縦に振った。

「お言葉に甘えて、少しだけ休ませてもらう」
「お兄ちゃんたち来るの⁇」
「あたしたちさっきまでおじちゃんの家でスイカ食ってたんだ‼︎」

子供が嬉しそうにはしゃぐのを見て娘は思わず笑ってしまった。それに娘がまだいた時の村は子供の笑い声などあまり聞こえなかった。ということはずっと家の中で息を潜めて暮らしていた可能性が高い。我が子を生贄というしがらみから守るために親も必死なのが分かる。子供達に手を引かれてやってきたのは娘の家、縁側には食べかけのスイカや土間からは昼時のいい匂いがしてくる。きっと……娘の母が土間にいるのだろう。
ナギと娘は縁側で待っていると奥から母が盆に湯呑みを乗せてやってくる。あまりの懐かしさに目を背けて顔を見ないようにした。凝視してしまったら今までの不安が全部飛んでいって泣き出してしまいそうになるからだ。

「旅のお方。この先、歩いてゆかれるのでしたら、一つお願いがあるのですが……」
「なんだ」
「…………もし、森の中で痩せ細った手ぶらの美しい娘を見ましたら知らせてほしいのです……」
「なぜだ?」
「…この村は古くから土地神様に生贄を差し出さなくてはいけないのです。若くて美しい娘を贄に儀式が行われます……」

ナギは茶を飲みながら黙って聴いていたが、娘は目を見開き足元を見つめている。そのお願いというのが今目の前にいる娘のことではないのだろうか…。

「私の娘が生贄に選ばれました……。最初は逃亡を図ったものの村の者に捕まってしまい生贄の沼に………。けれど何か、神様の縁で帰ってくるかもしれないから……だから見かけた時は知らせてくださいな」
「………あぁ、分かった」
「ありがとうございます…」

母は綺麗なお辞儀をした。ナギは湯呑みの中の茶を飲み干すと立ち上がり母に礼を言った。

「すまない、日が沈む前に山を越えたいものでね。茶をありがとう」
「とんでもない、今旦那を呼んできますね」

そう言うと母は奥の部屋へと行く。その後ろ姿を見ているとふと横から子供達の視線が気になりそちらを向いた。

「なんでこの兄ちゃん喋らないの?」
「喋れないん?舌がないの?」
「舌はちゃんとあるし喋れる。ただ人見知りなだけだ」
「難儀やなぁ~」

すかさずナギの援助が入り娘はほっとする。けれど1人の男の子供だけ娘のことをじっと見て眉根を寄せていた。その子供というのが大きな声で娘達を呼び止めた子供だ。確かに、よくよく顔をみているとどこかで見たことある顔だった。娘の家によく来ていた子供かもしれない。記憶というのはこんなに飛ぶものだろうか…。
母が父を連れてやってきた。そして子供達と全員でお見送りしてくれる。きっと娘がいなくても村の子供達が両親の心を温めてくれるだろう。とりあえず、両親の安否を確認できた娘は胸を撫で下ろし今日1日のことを決して忘れはしないだろう。
ナギと娘は深くお辞儀をすると両親に背を向けて歩き出す。けれど先程娘のことをじっと見ていた子供がやってきて袖を掴んだ。あまりにもぐっと力を入れて引っ張るものだから娘がしゃがみ込むと子供は耳元に手を当てて小さな声で呟いた。

姉ちゃん・・・・元気でね」

その子供は耳から手を離すと満面の笑みでこちらを見た。娘は今どんな表情をしているだろうか。
思い出した。
この子供は両親が都に出稼ぎに行っていてよく家で預かっていた。たくさん遊んだあの日々を娘は薄らと思い出して、涙が滲む。
娘はしゃがみ込んだまま子供に小さな声で呟いた。

「この事は母さんと父さんには秘密だよ恭之助きょうのすけ。元気でね」

そう言い残しナギの後を追った。ナギは娘を見ると「泣くな」と言い目元の涙を拭う。
また、両親に会える時がきたらそれはいつになるのだろうか。未来が見えない人生に娘は少しだけ不安になるがそれでもやっぱり今は少しだけ心が軽い。







「私ね、旅人の背の低い方の子があの子に見えてしょうがなかったの」

妻がそうぽつりと呟いた。実際私も思っていた事だった。とても娘に似ている。

「もしそうなら……きっとあの子は幸せなんでしょうね。あんな立派な男の人に見守られているもの」
「そうだな……でもあの方達は旅人だ。俺たちの娘とは限らない」
「そう、そうなのよ、知っているわ。でもやっぱりそう思い込んでしまうのは私達があの子を可愛がっていたからなのよ」

旅人の後ろ姿が見えなくなりと妻はこちらを向いて微笑んだ。

「さっ、中に入りましょう。昼飯の準備は整っているよ」
「ありがとう」

遠い昔、生贄の娘が水神様に助けられたという話しがある。水神と生贄の娘は仲睦まじく日々を過ごし、そして子供を授かったと…。
そんな奇跡があっていいのだろうかと軽く微笑むと妻の後を追って家の中へと入っていった。









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