生贄の娘と水神様〜厄介事も神とならば〜

沙耶味茜

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8 邪神の存在

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「名前が思い出せない………?」

 礼花れいかは眉間にシワを寄せ考え込む。記憶が飛んでしまったのか、それともなんらかの力によって名前だけが思い出せないのか。
 礼花には原因がわからなかった。
 娘にどうにかして生きる希望を持ってくれるように言葉をかけようとするが押し黙る。

「おっとうとおっかあは私の名前を覚えててくれてるかな……」
「……………」

 ナギなら何か知っているかもしれない。
 水神すいじんの中でもナギが1番力を有している。それに、儀式の時に沼から引きずり出したのはナギだ。
 突然の雷雨と沼に飛び込む大きな影に人間は叫び声をあげていたのを思い出す。
 礼花は、その日なにも予定がないと言っていたナギがいきなりどこかへ行ってしまうのでついて行ったのだ。
 そしたらあの有様だ。

「沼から助けだしたのはナギだ。その時になにかあったのかもしれない。あとでナギに聞いてみよう?」
「……ナギって、あのずぶ濡れの人?」

 ずぶ濡れの人と覚えられていることに笑いが込み上げる。

「そうそう、ずぶ濡れの人」
「原因、わかるかな……」

 礼花は娘の涙を拭って上げると少し申し訳ない顔をする。

「僕たちは人間じゃないから君に迷惑をかけちゃうかもしれない……本当にごめん…」

 国も言っていたことだ。
 娘は首を横に振った。逆に助けてくれてここまでしてくれるだなんて迷惑をかけているのは娘の方なのだ。

「全然迷惑だなんて思わない………命を救ってくださった神様なんだもの。だから、謝らないで」

 謝られる筋合いなんてないのだから、運良く生き延びた卑怯な娘だと。

娘の瞳が儚げに揺れていた。儚さは時に魅惑的に見える。村で1番うっつくな娘だと言われるのがわかる。
 するとどこからか音もなくくにがふっと現れた。

「礼花様。ナギ様を風呂に入れてきました」
「ありがとう。あとでこの子もお願い」
「わかりました」

 この子とは娘のことだろうか。娘は異性との接触に慣れていないので戸惑う。

「あ、あの……場所さえ教えていただければ自分で入りますので……」

 国が首を傾げる。

「お背中流しますよ?」
「だ、だって貴方……男の子でしょ?」

 国が拍子抜けしたような顔をすると、徐々に広角が上がっていき、いきなり笑い出した。

「男の子って………いいえ私は女ですよ」

 娘は驚いて国の全体を凝視してしまった。
 国は娘との距離を詰めると手を取り指を絡める。

「同じ女なのに、どこか距離があったのは私が男だと思ってたからですか?」
「それも少し…ありました」
「可愛らしいお人ですね。うちにいる女どもとは全然違う」
「他にもいらっしゃるんですか…?」
「ええ、変人ばかりですが」

 国が呆れたようにため息をつく。礼花はその様子を見ながら微笑んでいた。

「美人さん2人は絵になるね」
「何か言いましたか?」
「なんでもないです」

 部屋の中で雑談をしていると、お風呂上がりのナギがやってきた。長髪の湿った黒髪が艶かしさをだしている。後ろにあめもついてきていて、ひょっこり顔を出した。

「楽しそうだな」
「あ、ナギ。ちゃんと綺麗にした?」
「お前に殴られたところが痛む」
「それは自分でなんとかしてね」

 礼花とナギが親しげに話していた。娘はここにいる人達が人間ではなく、水神なのだと思うと恐縮した。
 少しだけ怖いと思った。国との距離感があったのはきっとこれのせいだ。
 そしてみんなに名前があるのが羨ましい。娘は名前が思い出せないためそれを思い出すたびに喪失感に襲われる。
 娘や女、君や貴方。
 呼び方が人それぞれあり、とても寂しく思う。そのうち、両親の顔も思い出せなくなってしまったらどうしたらよいのだろうか。
 不安が募って見えない何かに押しつぶされそうだった。

「私の……名前は、わかる時がきますか?」

 小さい声で呟いた。
 ナギは何かを察したような表情をし、口を開く。

「名前を覚えていないのか」

 まだ娘はなにも説明していないのにナギは名前を覚えていないことを知っているかのように言う。
 礼花に聞いてもわからなかったから、もしかしたらナギに聞いたらわかるかもしれない。娘は礼花に目線をやると彼はこちらを見て頷いていた。
 娘は勇気を振り絞ると口を開く。

「覚えていないの………あ、貴方は私の名前が思い出せないことに何か思い当たる節があるの…?その、できたら教えてほしい」

 娘は水神の青い瞳を見て話すのは何故か怖いと思い目を逸らしながら言う。
 ナギは娘が話している様子を見ながら何か考え込んでいた。

「思い当たる節か…そう言われるとたくさんあるのだが……」
「あ、あるんですね…」
「お前を沼から引き摺り出したとき本来の姿になったのを人間に見られた。記憶を消す力を使って人間から俺の存在を消したのだが…その時に誤差があったか、それとも生贄を横取りされたと邪神が何かしたか……」
「じゃ、邪神…?」
「本来あそこの村が土地神と崇めているものは邪神だ」

 衝撃の事実に娘は目を丸くする。人間に害をなす邪神。そんな神にあの村の者達は生贄を捧げていたのだ。若くて美しい娘達を。犠牲を。

「あそこの沼は浄化するのが大変だ…人間があそこまで崇め立てていれば邪神も強くなる」
「そんな……村の人に知らせないと!なんの罪もない女の子達が犠牲になるだけよ‼︎」
「昔、あの村に知らせようとした水神がいたが人間達に殺された」

 神が人間に殺されることはあってはならない異例の事態とナギは言った。

「お前が名前を覚えていないのは後者の可能性の方が大きい」

 すると突然ナギの手が娘の方へ伸び、おでこに手を当てる。瞳をじっと見られ顔に熱が登るのを感じる。

「俺の記憶を消す力の痕跡がお前にないからな」
「あ、あのっ………」
「お前はもうこの子に触れるな‼︎」

 距離感がおかしいと困惑していると礼花が気を遣ってナギの腕を叩き落とす。

「さすがです。礼花様」
「さすがナギ様」

 国と天も、褒め称える人の名前は違えど薄ら口もとが笑っている。
ナギは礼花に叩かれた腕をさすりながらしかめっ面をする。

「暴力を控えろ」
「無理」

 娘はその光景がどこかおかしくつい笑いをこぼす。水神がこんなにも愉快な人とは誰も思わないだろう。我ながらこの空気に馴染めていることがちょっとだけ怖い。

「とりあえずお前の名前探しは俺たちも協力する。協力してる間、この屋敷にいろ。ずっと居てもいいが、今後のことはお前が決めろ」

 無理に選択を問わないところがこの人の優しさなのかもしれない。相手の望みを叶えてくれるあたり、神様なのだと思い知らされる。

「ありがとうございます」

 娘は精一杯の感謝の言葉とともに頭を下げた。
 娘の名前探しの物語がここから始まろうとしていた。
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