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1 残りわずかの生
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ふと生ぬるい風が若い娘の頬を撫でた。向こうの空では泥水を含んだ綿のような雲が流れていて、風には少し土の匂いが混じっていた。娘は顔を上げると曇天の空を見つめてぽつりと呟く。
「雨…………」
娘は、急いで井戸から水を汲むと手桶に移し、慎重に運びながら家へと帰る。じめじめとした空気に汗が滲みでて、体力を奪ってゆく感覚がまるで永遠のように感じた。
あと少しで家というところで疲れた娘は一度地面に手桶を置き、手を休ませた。
おもてを上げ家の方角を見ると、数人の村人達が娘の両親に何か話しかけている様子が見えた。普段、村の子供達が遊びに来るあの家に何故あんなに大きい大人達が集まっているのか不思議に思い、首を傾げる。
娘は水の入った手桶を再び持ち上げると歩き出した。そして家の側まで行くと両親に声をかける。
「おとう!おかあ!どうしたの?」
手桶を持ったまま話しかけると皆一斉に娘を見た。両親に話しかけていた数人の村人からは娘のことを下から上と全身を見られる。
怖気が走り困惑して両親の方をみると、父は眉間に皺を寄せ、母は目に涙を浮かばせていた。
状況が把握できない嫌な空気が漂う中、娘は村人達に問いかける。
「あ、あの……!うちに何の御用でしょうか…?」
娘は、自分が何か両親を困らせるようなことをしてしまったのではないかという焦りと、大人の威圧感に緊張して声が掠れていた。
すると1人の村人が前に出てきてこう言った。
「この頃稲の収穫が減っているのは知っているな?」
「は、はい……」
娘の家でも十分な米が食べられないということで、干した果物や芋を食べることが多くなっていた。稲の収穫の減少がなぜ娘の両親を困らせているのだろうか。思案しているとそのまま村人は話を続ける。
「豊作を願うために土地神様に捧げる生贄が必要になったんだ」
「生贄……?一体生贄と我が家にどんな関係があるんですか…?」
次の言葉に娘は驚愕する。
「この家の娘が生贄に差し出されることになった」
聞き馴染みのないあまりの衝撃な言葉に全身から力が抜け、水の入った手桶を落としてしまう。水は娘の足元で小さな水たまりをつくり乾いた土が潤いを取り戻していた。そこだけ土の色が変色していて、まるで娘のぽっかり空いた心の内側を表現しているようだった。
村人はその様子をただ呆然と見つめ、最後の一言を振り絞って言う。
「つまりお前さんが生贄だ」
突然訪れる死と残りわずかの生。思考回路が真っ白になった。
けれど小耳に挟んだことはある。村の土地神に捧げる生贄の儀式について、田植えをしていた時に一緒にいた婆さんが言っていた。
「昔しゃあ稲の収穫が減って、土地神様に生贄を捧げにゃいけない時があったべ」
「生贄?」
「村一番の若いうっつくの娘を生贄に差し出すんだべさ」
生贄なのだから動物を差し出すのかと思っていた娘は驚く。
「人間を差し出すの⁉︎」
「んだ。生きたまま沼に沈むんだべ」
想像をしただけで体の中心から息苦しさを感じる。
「あんたも美人さんなんだから気ぃつけんだよ、この話も何年も前の話だけどな」
「もう……冗談はよしてよおばば…」
その時、幼かった娘は自分が生贄に差し出されるとは到底思っていなかった。
涙を流す母が娘に向かって歩み寄り力強く抱きしめる。血の気の引いた娘の身体に母の熱が染みる。基本無口の父は歯を食いしばり涙を堪えているようにも見えた。父は村人を睨み上げると問いかける。
「………娘を捧げるのはいつになる」
「捧げる日には条件がある。望日の夜だ」
満月の夜は縁起が良いと言われていた。
娘は普段暗い夜道を照らす希望の月が一瞬にして黒く淀んだ存在に思えた。
すると突然一粒の雫が頭のてっぺんに落ちた。それはどんどん量を増していき、久方ぶりの雨が娘達の体を濡らしていく。
「………話はそういうことだ。撤収する」
数人の村人は急ぎ足に各々どこかへと行ってしまった。娘は上を見上げ、黒く淀んだ雨雲をを見つめた。
今すぐ夜になって月がどのくらい満ちているのか見たい。確かめたい。
―――何故こんな時に雨が降るのだろうか。
「雨…………」
娘は、急いで井戸から水を汲むと手桶に移し、慎重に運びながら家へと帰る。じめじめとした空気に汗が滲みでて、体力を奪ってゆく感覚がまるで永遠のように感じた。
あと少しで家というところで疲れた娘は一度地面に手桶を置き、手を休ませた。
おもてを上げ家の方角を見ると、数人の村人達が娘の両親に何か話しかけている様子が見えた。普段、村の子供達が遊びに来るあの家に何故あんなに大きい大人達が集まっているのか不思議に思い、首を傾げる。
娘は水の入った手桶を再び持ち上げると歩き出した。そして家の側まで行くと両親に声をかける。
「おとう!おかあ!どうしたの?」
手桶を持ったまま話しかけると皆一斉に娘を見た。両親に話しかけていた数人の村人からは娘のことを下から上と全身を見られる。
怖気が走り困惑して両親の方をみると、父は眉間に皺を寄せ、母は目に涙を浮かばせていた。
状況が把握できない嫌な空気が漂う中、娘は村人達に問いかける。
「あ、あの……!うちに何の御用でしょうか…?」
娘は、自分が何か両親を困らせるようなことをしてしまったのではないかという焦りと、大人の威圧感に緊張して声が掠れていた。
すると1人の村人が前に出てきてこう言った。
「この頃稲の収穫が減っているのは知っているな?」
「は、はい……」
娘の家でも十分な米が食べられないということで、干した果物や芋を食べることが多くなっていた。稲の収穫の減少がなぜ娘の両親を困らせているのだろうか。思案しているとそのまま村人は話を続ける。
「豊作を願うために土地神様に捧げる生贄が必要になったんだ」
「生贄……?一体生贄と我が家にどんな関係があるんですか…?」
次の言葉に娘は驚愕する。
「この家の娘が生贄に差し出されることになった」
聞き馴染みのないあまりの衝撃な言葉に全身から力が抜け、水の入った手桶を落としてしまう。水は娘の足元で小さな水たまりをつくり乾いた土が潤いを取り戻していた。そこだけ土の色が変色していて、まるで娘のぽっかり空いた心の内側を表現しているようだった。
村人はその様子をただ呆然と見つめ、最後の一言を振り絞って言う。
「つまりお前さんが生贄だ」
突然訪れる死と残りわずかの生。思考回路が真っ白になった。
けれど小耳に挟んだことはある。村の土地神に捧げる生贄の儀式について、田植えをしていた時に一緒にいた婆さんが言っていた。
「昔しゃあ稲の収穫が減って、土地神様に生贄を捧げにゃいけない時があったべ」
「生贄?」
「村一番の若いうっつくの娘を生贄に差し出すんだべさ」
生贄なのだから動物を差し出すのかと思っていた娘は驚く。
「人間を差し出すの⁉︎」
「んだ。生きたまま沼に沈むんだべ」
想像をしただけで体の中心から息苦しさを感じる。
「あんたも美人さんなんだから気ぃつけんだよ、この話も何年も前の話だけどな」
「もう……冗談はよしてよおばば…」
その時、幼かった娘は自分が生贄に差し出されるとは到底思っていなかった。
涙を流す母が娘に向かって歩み寄り力強く抱きしめる。血の気の引いた娘の身体に母の熱が染みる。基本無口の父は歯を食いしばり涙を堪えているようにも見えた。父は村人を睨み上げると問いかける。
「………娘を捧げるのはいつになる」
「捧げる日には条件がある。望日の夜だ」
満月の夜は縁起が良いと言われていた。
娘は普段暗い夜道を照らす希望の月が一瞬にして黒く淀んだ存在に思えた。
すると突然一粒の雫が頭のてっぺんに落ちた。それはどんどん量を増していき、久方ぶりの雨が娘達の体を濡らしていく。
「………話はそういうことだ。撤収する」
数人の村人は急ぎ足に各々どこかへと行ってしまった。娘は上を見上げ、黒く淀んだ雨雲をを見つめた。
今すぐ夜になって月がどのくらい満ちているのか見たい。確かめたい。
―――何故こんな時に雨が降るのだろうか。
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