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目覚め

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「おはようございます、お嬢様」
ベッドの傍らに姿勢正しく立っているのは、執事のセバスチャン・ミカエリス。仕事はいつも完璧にこなし、常に落ち着いているから大人びて見えるけれど、年齢はまだ20代半ばと若い。そんな端正な顔立ちで仕事のできる彼が、私の命令に従順に従い忠誠を尽くしてくれている。

まるで、夢のよう…

美男子好きの望月ひかりは、好きなる男はいつも決まって大の女好きで最低な男という、典型的なダメンズウォーカーだった。ひかりはこの春、高校を卒業して上京したばかり。大学入学を直前に控え、今度こそはその負のスパイラルから抜け出して、幸せになれる恋人と結ばれたいと願っていた。それほどまでに、”良い男”とは縁遠い人生を歩んできていたのだった。

それなのに、目の前では超絶イケメンの執事が、心をとろけさせるような爽やかな笑顔で優しく起こしてくれている。

現実世界の私は、執事やお手伝いさんなどという上流階級の家にいるような人たちなど雇えるはずがなかった。決して貧乏な家庭だったわけじゃないけれど、裕福とは”良い男”と同じくらい縁遠いごく普通の一般的な家庭で育った。

…夢? それにしては、この部屋に見覚えもあるし、執事のセバスチャンと出会ってからの記憶もしっかりある。物心がついた時から、ここイギリスロンドンの裕福な家庭で育った記憶が、脳内にはしっかり残っているのだった。

これは…どういうこと? 夢じゃなくて、異世界転生? それとも、突然前世の記憶がよみがえったとか、それ系? でも、それにしては現実的すぎるというか…私は貴族の娘でもなければ、この世界は乙女ゲームの世界観でもない。もちろん、私は小説に出てくるような悪役令嬢でもない。

痛む頭を両手で抑え、必死に混乱する頭を整理しようとしていると…
「大丈夫ですか、ヒカリお嬢様」
セバスチャンが、そう言ってやさしく頭を撫でてくれた。間近に迫ったセバスチャンの美しい顔にドキリとして、顔が急速で火照り始めた。

「最近、頭痛の頻度が狭まっているように感じますね。すぐに医者を手配しましょう」
セバスチャンはそう言って、手際よくお付きのメイドに指示を出していった。

「昨夜は、ちゃんと眠れましたでしょうか?」
「うん、寝れた気がする… 多分」
「それは、よかった。さてアーリー・モーニング・ティの準備ができましたので、どうぞ」
「ラベンダーの良い匂いがする… ありがとう」

本来の私の記憶は、21世紀の現代で田舎の高校を卒業し東京都渋谷区に引っ越したばかりの女子大生。でも、ここは… 19世紀末のイギリスロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスターという場所だった。年齢も体格も顔立ちも東京の私とほとんど違ってないけれど、名前は「望月ひかり」ではなく、「ヒカリ・エヴァンスハム (Hikari Evansham)」という名前だし、身にまとっている服装や装飾品もこちらの時代と場所相応の物になっている。

痛む頭に、優しいセバスチャンの声が撫でるような心地よさで聞こえてくる。
「早速ですが本日の予定をお知らせします。この後、7:30より朝食。本日は日曜日ですので、9:00から教会へ。その後、11時からイレヴンズィズ。11時から12時まで依頼人との面談。12時からランチ。その後、先ほどの頭痛の件で、ドクターが往診可能であればこちらで、難しそうであれば聖バーソロミュー病院へ赴いて検査を受けていただきたいと思います。
「うん、わかった…」
「検査終了後、16:00までは、自由にティータイム。帰宅後、17:30からご家族でのディナーとなります」
「そう、ありがとう」
「その他、何かご希望があれば、いつでも申し付けてください。お嬢様が快適で幸せだと思える1日を過ごせるように、尽力させて頂きます」

こんな私のために、これほどのハイレベルな美青年が身の回りの世話をして尽くしてくれるなんて… 尊い、尊すぎるよ。セバスチャン…

良い男と縁遠い人生を過ごしてきた私にとって、仕事とはいえ私に尽くしてくれるセバスチャンのようなイケメンで優秀な男性とお近づきになれているこの人生は、まさに憧れていた日々そのものだった。

セバスチャンがいてくれるだけでも最高に幸せな毎日なのに、信じられないことにこっちの人生では、今世紀最大クラスのイケメン運?が訪れているような状況なのだった。

その日、セバスチャンと教会に礼拝をしに向かう最中のこと、少し時間に余裕があったために近くの店で紅茶でも飲んで行こうと提案をしようとしたところ、突然また強烈な頭痛に襲われたのだった。

「…お嬢様? どうされました?」
「頭が…」
「すぐドクターに…」
「大丈夫… 心配しないで」

セバスチャンが心配そうに私の体を支えてくれていたところに、立襟の祭服を着たイケメン男性が駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか、お嬢さん?」
「神父様…」
「これは、どこの美しいお嬢様かと思ったら、あなた様でいらっしゃいましたか」
「しらじらしい… お嬢様に近づくな、軽薄神父」
普段、冷静沈着で礼儀正しい執事であるセバスチャンだったが、私に言い寄ってくる男性に対しては、決まっていつも冷たい。

「軽薄神父とは、これはまた心外な言葉を… それより今は、お嬢様の容態が心配です。
緊急事態ですので、私がここで診察をして応急処置を…」
「触るなと言っているだろう! こら、服のボタンを外そうとするな!」
「セバスチャン、貴方は私を誤解しているようですね。神に仕える私がどうして、そんな疚しいことをすると思うのですか?」
「頭の痛みを訴えていらっしゃるお嬢様のボタンを外す必要があるというのだ、変態!」
「貴方は医療に関しては素人ですから知らないと思いますが、頭痛の原因は必ずしも頭に原因があるとは限らないのですよ。腹部、胸部、背中、時には腰や足が原因で頭痛を発症していることもあるのです」
「そういう変態神父も医療に関しては素人だろう。適当なことを言うな。心配ご無用。お嬢様、教会の後、医者にかかる予定でしたが、先に病院へ参りましょう」
「少し休めば大丈夫だと思うけど…」
「いけません。お嬢様のお体に何かあったら、私は…」
いつも冷静なセバスチャンが、とても悲しそうな表情を見せている。そのギャップに萌え死にそうになってしまう。頭痛に加えてその興奮で呼吸が荒くなると、セバスチャンは、今にも取り乱しそうなほど、心配そうな表情になっていた。

「病院に運ぶのなら、私も手伝いましょう」
今度は、イケメン神父が私を抱え上げようと体を密着させてきた。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
神様、ありがとう… 現実の私は無宗教だし、先祖の墓参りだって最近行っていない罰当り者だけれど、ヒカリ・エヴァンスハムとして育ったこっちの私は、熱心な教徒だった。やはり、神に祈ることでダメンズを遠ざけ、イケメンを呼び寄せることになるのかな? よくわからないけれど、とにかくお礼を言わせて欲しい気分だった。
「ありがとう、神様」

とはいえ、イケメン好きの私にとってこれ以上ない最高な男性ではあるけれど、セバスチャンも神父様も、付き合ってみたらダメンズだったということになる可能性は十分にある。特に神父様はイケメンながら女好きという、まさにこれまでの私の男性遍歴を象徴する要素をしっかりと備えている。それでも、現実世界のダメンズと違うところは、普段は神に仕える神聖な職務をまっとうしている尊敬できる人物だというところだろう。そんな神父様がほんの少しエッチな言動をするところは、ダメンズを極めし私にとっては、可愛げのある程度の女好きとしか感じていない。……こちらの世界の私は、ダメンズばかりに囲まれていたかつての私とは違って、中身も素晴らしいイケメンと出会えているのだ。……と信じてる、うん。

「触るなと言ってるだろう! 手助けも無用だ。おいっ、どさくさに紛れてお嬢様の腰に触れるな、エロ神父!!」
セバスチャンと神父様が犬猿の仲なのは、今に始まったことじゃない。セバスチャンが執事として屋敷で働き始め、一緒に礼拝に来るようになってから何かと2人は反りが合わない様子だった。頻繁に喧嘩ばかりしているのだ。見慣れたものではあったけれど、頭の痛い今だけは、喧嘩せずに静かにしていて欲しいと願っていた。

セバスチャンに体を支えられ、スミスフィールドにある聖バーソロミュー病院へと連れて来られた。しかし、その病院では昨夜に何かあったようで、病棟の一つは警察関係者以外立ち入り禁止になっていて、診察病棟にも警察や刑事と思われる人たちが聞き込みをしたり、関係者を探したりと慌ただしく出入りしていた。

「それで、昨夜の診療が終わった後、どこで何をしていた?」
「診療の後… さて? 何をしていただろうか?」
面倒くさそうに聞き込みをしている長身のイケメンがスコットランドヤード(イギリスの警視庁)のレストレード警部。
とぼけた様子で受け答えしている変わり者のドクターは、ウィリアム・モートン(William Morton)と呼ばれる法医学医のようだった。

「いちいち、考え込まないと思い出せないのか?」
「着替えて、食事を買って、家で食べたような… いや、それは昨日か。そう言えば、パブに飲みに行って、外食して帰った気も…」
「どっちだ!?」
掴みどころのなく、飄々としているドクターに対し、レストレード警部は苛立ち、徐々にヒートアップしていた。
「忘れた。興味ないことは、いちいち覚えてない方なんでね」
「ふざけるな! 遊びじゃないんだよ!!」

警部の張り上げた声が頭に響き、頭痛がして頭を押さえると、優秀な執事であるセバスチャンは即座に2人の間に割って入って行く。
「お取込みのところ、大変申し訳ございませんが… お嬢様が、頭痛で苦しんでおられますので、もう少し、お静かにお願いしたい…」
「あぁ、これは失礼。すまなかった…」
20代後半か、30代に差し掛かったくらいの年齢だろうか、警部にしては若いレストレード警部は優秀で出世も早いエリート刑事だった。激務でいつも疲れているのが玉に瑕だけれど、よく見なくてもその外見はイケメンで格好良かった。

現実世界だったら、こんなイケメンとお近づきになりたい一心で、何か犯罪を犯してしまっていたかもしれない。それが、こちらの世界ではちょっとした親密な関係にあるのだから、いっそ東京に引っ越したばかりの望月ひかりの記憶は、何か悪い夢であり… こちらのヒカリ・エヴァンスハムの人生が現実であったらいいのにと願ったりもしている。

「それじゃあ、ボクは忙しいんで。これで、失礼させてもらうよ…」
初対面の法医学医のドクター、ウィリアム・モートンは、見るからに怪しげな雰囲気を醸し出しているドクターで、マイペースな性格なのかレストレード警部の取り調べにも飄々と答え、怒鳴られても表情一つ変えていなかった。時々、薄気味悪く笑ったりにやけたりすることもあるけれど、見方によっては彼もイケメンと言えるジャンルに属していて、どちらかと言えば、多くの女性から人気のあるタイプの男性ではなく、一部の女性から熱狂的に人気なタイプの男性だと思った。ちなみに、私はそんな怪しい法医学医タイプは嫌いじゃない。危険な匂いのするイケメンというのは、それはそれでドキドキする要素を持ち合わせていると思うのだけれど、それはあまり公には言っていない秘密の好みだった。付き合ったら苦労するとわかっていても好みのタイプには抗えないのは、ダメンズウォーカーの定めなのかもしれない。決してダメな男が好きなわけじゃないのに…

「待て、まだ取り調べが… ったく、人の話を聞かない男だ…」
「あの…取り調べって、何かあったんですか?」
「これはこれは、名探偵。さっきは体調不良なのにうるさくしてしまって悪かったね」
「いえ…」
「実は、あとで考えを聞きに行こうと思っていたんだが… 最近巷を騒がしている、連続通り魔事件がここの入院病棟で起きたんだ。それで、目撃者を探してに聞き込みをしているだがね…」
「連続通り魔事件…? 切り裂きジャックとか言われている、アレですか?」
「あぁ、お嬢さんなら大丈夫だと思うが、夜道を一人で歩いたりしないようにな。それじゃあ、まだ聞き込みが残ってるんで、これで…」
そう言うと、レストレード警部は凝った肩を自分で揉みほぐしながら、病院の奥へと去って行った。先ほど警部が、私のことを「名探偵」と呼んだことが、気になっている人もいるかもしれない。詳しいことは、後で説明するけれど、なぜかこちらの世界の私はいくつもの難事件を紐解いて、警察の犯人逮捕を何度もサポートしてきたらしく、巷ではちょっと名前と顔の知れた「お嬢様探偵」なのだった。そんなことをした記憶は、なんとなくあるのだけれど、今こっちの世界で思考を操っているのは、推理を極めたヒカリ・エヴァンスハムではなくダメンズを極めた望月ひかりであって、推理どころかなぞなぞだって苦手な普通の一般女性なのだ。事件に対する考えを聞きに来られても、何の役にも立てないのは必然だった。

切り裂きジャックという名を聞いて、セバスチャンの心配性に拍車がかかる。
「確かに、最近物騒な話をよく耳にします。夜に限らず昼間でも人気のないところに近づかないように、ご注意ください。わかりましたね。お嬢様」
「え、えぇ…」

そうこうしている間に、診察の順番になり看護師に呼び出された。
「次、エヴァンスハムさん~ 診察室にお入りください」
「呼ばれたみたいね。それじゃあ、セバスチャン。行ってくるわ」
「はい。では、私はここでお待ちしております」

夢なら覚めないで欲しいけれど… 夢ならどうして頭の痛みがこんなにリアルなんだろう?
不思議に思いながら、私は診察室へと入って行った。
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