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会えない時間
しおりを挟む妻が帰ってくる予定の日、すっかり日が暮れた現在。アレクセイは、自身の執務室にて書類と向き合っていた。目の前には先ほど部屋を訪れた先王の弟であり自身の叔父である、ハロルドがその様子を眺めている。
この日アレクセイは、急ぎの仕事により帰宅出来ない状況となっていた。屋敷には既に、この事を知らせる手紙が届けられている。
「すまないなアレクセイ、早く新妻の元に帰りたいだろうに」
「それはそうですが、お気になさらず」
試しに言ってみたが、否定しないアレクセイにハロルドは瞠目する。宮中では、「あんなにも女嫌いだったはずの王弟殿下が、すっかり愛妻家と化している」との噂が広まっているが、どうやらこの様子を見るに真実らしい。
黙々と書類を片付けていく姿を黙って見ていると手が止まり、顔を上げた甥と目が合う。そして少し考えてから彼は言葉を発した。
「そういえば叔父上。仕事以外の件で、一つだけお聞きしたい事があるのですが」
「何かな」
「叔父上は奥方に贈り物をする際、事前に確認せずにサプライズで渡す事などはありますか?」
「……贈り物」
アレクセイから、妻への贈り物の相談をされるとは。しかしサプライズの言葉に、黙った叔父を見て、アレクセイは少し慌てて説明を継ぎ足した。
「あ、いえ……妻に何か贈ろうにも、何が欲しいのか分からなくて困っていまして。勝手にこちらが選んでいいものか、決め兼ねているのです。しかし、女性向けの気の利いた贈り物などあまり思い付かないもので……」
以前贈った物はとても喜んでくれたが、今回も喜んでくれるとは限らない。
しかも何か欲しい物はあるかと尋ねても、答えてくれない。言ってくれさえすれば、出来る限り手配しようと思っているのに。
ハロルドはまた「贈り物か……」と神妙な面持ちでポツリと呟いた。
「妻を驚かせようと、私が突発的に贈り物を渡すと、どうも気に入らないようでな。何でそんなに趣味が悪いのかやら、何故事前に何が欲しいか聞いてくれないのかと、いつも責められている。仕事で国外や地方へ赴いた時に妻へと、土産を持ち帰った時もだ」
「……」
アレクセイはハロルドの妻を思い浮かべる。
記憶にあるのは、穏やかな笑みと落ち着いた声。そして常におっとりしている温厚な姿。そんな夫人が家では、夫にズバズバ物を言っているとは。
(あの穏やかな方が信じられん……)
やはり女性は良く分からないとアレクセイは思った。
「そ、そうですか」
「参考にならなくてすまないな」
「いえ、そんな事ありません」
ハロルドが退室してしばらくすると、今度はロナンが追加の書類の束を持ってやって来た。
「そこへ置いておいてくれ」と、目の前の机に書類を一先ず置く事よう促した後、ふと思い立った。
「一応お前にも聞いておくか」
「えっ、何ですか?何か分かりませんが、絶対期待されてないやつですよね?」
「妻に贈り物をしたいのだが、何がいいか悩んでいてな。参考程度に意見を聞いてみようと思った」
「え」
唐突な難問に、ロナンは固まる。
「ちなみに以前、アリスティアに贈った髪飾りとブローチは、頻繁に付けてくれている。そんなにも気に入って使ってくれるならと、何か他の物も贈ろうと思っているのだが、どう思う?」
「え、惚気?惚気ですか?奥様お綺麗ですからね、殿下が惚気るのも分かりますとも。えっと、では髪飾りとブローチをお贈りになられたと、ならばそれ以外の首飾りや耳飾りなど、まだ贈られていない宝飾品などはどうでしょうか?」
「そんな事は分かっている。聞きたいのは最近の流行りの傾向や、宝飾品を贈るにしても、女性に人気のモチーフなどを聞いているのだが」
「え~っと……」
そうは言われても、婚約者や恋人のいないロナンはそういった事に疎く、返答に困った。むしろその手の質問なら、直接店で聞けばいいのに。
そんなロナンを見て予想通りの反応に、アレクセイは僅かに目元を和らげた。
「分かってはいたが、お前に聞いても仕方のない事だったな。悪かった、忘れてくれ」
微笑で言ってくるところを見ると、アレクセイ本人は無自覚だろうが、確実に見下されていると分かる。
そんなアレクセイの態度に、ロナンは声を荒げた。
「殿下だってつい最近までこっち側だったでしょう!しかも女嫌いのせいで、むしろ私達より一歩後ろにいらっしゃったはずですっ。これだからリア充は!」
「いつの話をしているんだ?仕事が忙しいのは分かるが、お前は長男でもあるんだから、さっさと身を固めたらどうだ」
(だから貴方にだけは言われたくないですよ!)
叫んで抗議したかったが、今何を言っても負け惜しみとしか判断されず、更に虚しくなる事は安易に想定出来るので飲み込むことにした。
結婚した途端、何食わぬ顔で元からリア充でしたと言わんばかりの上から目線。そしてリア充が良く言いがちな意見をドヤ顔で言ってくるとは。
ロナンとしては、アレクセイには幸せになって欲しいとずっと願っていた。勿論今でもその思いは微塵も変わっていないが、リア充は敵という事実は揺るぎないのである。
◇
アレクセイは一人になった執務室で、ひたすら動かし続けていた手をようやく止める。
昨日はアリスティアが実家に帰り、今日は自分が屋敷ではなく王宮で夜を明かす事となった。
臣籍に降った後も、結婚する前は仕事の為、王宮に泊まる事も珍しくなかったアレクセイ。王宮内に私室もそのまま残されてあるので、仕事が立て込んだ際には王宮で寝泊まりするようにしていた。
一息ついたところで、窓の向こうに広がる景色、黄昏色に染まる庭園を眺める。
庭園を眺めながら頭に浮かぶのは、やはり妻アリスティアの事。
こんなにもアリスティアと離れている事は、結婚以来初めてだった。なにせ王宮に出仕している日は、どんなに立て込んだ仕事を抱えていたとしても、絶対にその日のうちに片付けて帰宅するよう努めていた。無論アリスティア会いたさに。
アリスティアは庭を眺めたり、散歩したりするのが好きだが、自身は長い間景色をゆっくりと眺めるような事もしなかった。アリスティアと出会うまでの自分が、どんなに張り詰めて生きていたかのか、今になってようやく気付く。
それだけではない。愛おしくて胸が熱くなる思いも、会えなくて恋しい感情も、全てアリスティアが教えてくれた。
中々思いが伝わらない切なさも、アリスティアを愛しているからこそなのだと。
初夜の件についての謝罪は勿論の事、同時にこの想いも告げるつもりだった。
ロナンから聞かされた、夜会のテラスで騎士が侍女に跪き、想いを告げた事を聞かされて驚いた。女というのは、恋物語に出てくる場面の再現に憧れるのかと。
それを聞いた後の自分でも、そのような真似が出来るとは到底思えない。
しかし自分が以前伝えようとした時は、寝室での行為の直後だった。
もしかしたらアリスティアとしては、自分の事を肉欲に負けて、縋っているようにしか見えていない可能性すらある。
いつも言いやすいと感じるのはあの時だったので、実際思われていても仕方がない。
謝って想いを告げるにはもっと誠実に向き合って、お互い話し合える状況の時にこそすべきだと、冷静な今だから思える。
その時に、いつものように流されてしまっても仕方がない。日を改めて、自分の想いを受け入れて貰えるまで何度でも伝えよう。
アリスティアが許してくれるその時まで。
◇
前日に出来る限りの書類を片付けていた事もあり、この日はまだ明るい時間に帰宅する事が叶った。帰宅後、馬車から降りて出迎えたモーリスに、すぐにアリスティアの事を尋ねる。
「アリスティアは?」
「奥様ならお庭にいらっしゃいます。それと……」
「そうか、直ぐに迎えに行く」
モーリスが何か言い掛けていたが、アリスティア会いたさに最後まで聞く事なく、急いで踵を返して足早に庭園へと向かった。
つい早足になりながら、庭園を進んで行く。二日ぶりのアリスティアに、自分の気持ちを抑えられるだろうか。
その姿を見た瞬間、抱きしめて想いを告げてしまうかもしれない。そう思うと、テラスで想い人に愛を告げた騎士の気持ちが、少しだけ分かる気がした。
だがアリスティアは、きっと侍女と行動を共にしているだろう。再開の場が二人きりならどれ程良かったか。
それでも兎に角早く、アリスティアに会いたいと、逸る気持ちを抑えられない。四阿が見える距離まで庭園を進んでいくと、陽光に照らされた、美しい黒髪の後ろ姿が目に飛び込んで来た。
その楚々とした姿を見たとたん、駆け出しかけたが、一緒にいたのは侍女ではなかった。アリスティアの隣にいたのは、金茶髪の若い見知らぬ男。
若い男と二人きりで庭いるアリスティアを目にした途端、アレクセイは足を止め、その場で立ち尽くす。微笑み合って楽しげに話す二人の姿は、アレクセイにとって余りにも眩しく映った。
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