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朝の約束
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アリスティアとお茶を一緒に飲むため、サロンに足を踏み入れたアレクセイはいつもより多くの花に飾られた室内に目を見張った。
既に中で待っていたアリスティアは、白のドレスを身に纏って、輝かんばかりの笑顔で夫を迎えた。
「どうしたんだ、アリスティア?随分とサロンが華やかなように見えるが」
「旦那様、今日はわたくし達の結婚記念日ですわ。忘れてしまわれたのですか?」
「そうだったか…すまない」
「謝らなくてもいいのですよ。旦那様がそういった事に疎いのは、よく存じておりますわ」
特に怒った風でもなく、いつものように穏やかに微笑むアリスティアだが、何だかバツが悪くアレクセイは視線を下げた。
そんなアレクセイに向かって、アリスティアはある一言を放つ。
「今迄お世話になりました」
「何を言っている?」
やはり怒っているのだろうか?こういう時、どう言えばいいのかアレクセイは返答に悩んでいると、更なる追撃が脳天に突き刺さった。
「三年」
「え?」
「教会に白い結婚を申し立てたところ、婚姻の無効が認められました」
そう言いながらアリスティアは、それはそれは満面の笑みで書類を差し出してきた。
寝台で横になっていたアレクセイの瞼が開き、身体を起こした瞬間、アイスブルーの瞳から涙が零れ落ちていた。
夢かと安堵する気力もないほど、先程見せられた夢が心臓を槍で何度も貫ぬき、抉った程の大ダメージを与えていた。
嫌な夢を見て傷付いた心を慰めて欲しくとも、寝台を別にしている妻アリスティアは側にいない。部屋の壁に視線を移し、この一枚の冷たい壁を隔てた向こう側にいる、アリスティアに想いを馳せた。
何故夫婦なのに寝床を別にしなければいけないのか…。それは自分のせいだったと、アレクセイは結婚して以来、自問自答を何度も繰り返している。
────────────
アレクセイ(童貞21歳)の朝は早い。
いくら嫌な夢を見ようとも目覚めたからには起床し、顔を洗ってからすぐに着替え始める。
先程の夢の中ではアレクセイ(童貞24歳)になっていた。
彼が何故既婚者にも関わらず、未だ童貞なのかというと、結婚初夜に『貴女とは閨を共にする気は無い』と、新妻に向かって一生童貞宣言をかましたからだった。
生涯童貞宣言を放った彼は、初夜での事をアリスティアに謝りたいと思っている。
今迄だって謝る機会はいくらでもあったが、受け入れてもらえない事を思うと勇気が出なかった。
そしてそれとは別として、今になって思う事は、初夜で一気に経験してしまうなんて勿体無いのではないかという事。少しずつ色んな扉をアリスティアに開けて貰う現状を彼は好ましく思い、楽しんですらいた。そして寝室で毎晩、懸命に奉仕してくれる健気な妻が愛おしくて堪らなかった。
そんな彼が叙爵したシルヴェスト公爵は代々受け継がれてきた爵位ではなく、先王が崩御した後に兄王より賜ったもの。
臣籍に下れば重視されるのは、血筋よりも実力の方であり、結婚する気のなかった彼は、一代限りの公爵として真面目に国のために働いてきた。
産まれた子供が無事成人を迎える率は低く、スペアは何人いてもいい程ではあるが、この国の王子は幸いにもアレクセイ含め三人共健康に成人を迎えた。その上、兄二人共どちらも優秀だった。
そんな優秀な兄二人の後に産まれた第三王子故、子を成す義務もなく、シルヴェスト公爵としての跡取りも特に期待されてはいない。
アリスティアさえ側にいてくれさえすれば、子供はいても居なくてもどちらでもいいと思っている。それでも彼女と真の意味での夫婦になりたいと思う彼は、まずは心から妻に謝罪をして許しを請わねばならない。
◇
食事を食べ終えたアリスティアが、紅茶の入ったカップを口元に運び、音を立てることなくソーサーに置いたのを見計らってアレクセイは声をかけた。
「お茶会は何時くらいに終わるのだろうか?もし時間が合えば一緒に帰宅出来るのだが」
「旦那様の帰宅時間は不規則ですからね」
「ではせめて、帰る時には一応報告などは…」
「報告とは、どちらにすればよろしいのでしょう?旦那様のお仕事場に直接お伺いする訳にもいきませんし」
「お茶会の部屋の前に直属の騎士を向かわせるっ。終われば騎士に…グレンという騎士に声を掛けさせるから、二人で私の執務室まで来てくれないだろうか?」
「分かりましたわ」
アリスティアの返答に、アレクセイはほっと胸を撫で下ろした。
王宮へと向かう時間となり、執事のモーリスとアリスティアと少数の使用人がアレクセイを見送る。当然のようにそこに侍女の姿はない。
「アリスティア、王宮へは気を付けて行くように」
「はい、旦那様もお気を付けて。いってらっしゃいませ」
馬車へと向かう前に、アレクセイは手の平で妻の頬を愛おしげに撫でると、アリスティアもキラキラとした瞳で夫を見つめ返した。
既に中で待っていたアリスティアは、白のドレスを身に纏って、輝かんばかりの笑顔で夫を迎えた。
「どうしたんだ、アリスティア?随分とサロンが華やかなように見えるが」
「旦那様、今日はわたくし達の結婚記念日ですわ。忘れてしまわれたのですか?」
「そうだったか…すまない」
「謝らなくてもいいのですよ。旦那様がそういった事に疎いのは、よく存じておりますわ」
特に怒った風でもなく、いつものように穏やかに微笑むアリスティアだが、何だかバツが悪くアレクセイは視線を下げた。
そんなアレクセイに向かって、アリスティアはある一言を放つ。
「今迄お世話になりました」
「何を言っている?」
やはり怒っているのだろうか?こういう時、どう言えばいいのかアレクセイは返答に悩んでいると、更なる追撃が脳天に突き刺さった。
「三年」
「え?」
「教会に白い結婚を申し立てたところ、婚姻の無効が認められました」
そう言いながらアリスティアは、それはそれは満面の笑みで書類を差し出してきた。
寝台で横になっていたアレクセイの瞼が開き、身体を起こした瞬間、アイスブルーの瞳から涙が零れ落ちていた。
夢かと安堵する気力もないほど、先程見せられた夢が心臓を槍で何度も貫ぬき、抉った程の大ダメージを与えていた。
嫌な夢を見て傷付いた心を慰めて欲しくとも、寝台を別にしている妻アリスティアは側にいない。部屋の壁に視線を移し、この一枚の冷たい壁を隔てた向こう側にいる、アリスティアに想いを馳せた。
何故夫婦なのに寝床を別にしなければいけないのか…。それは自分のせいだったと、アレクセイは結婚して以来、自問自答を何度も繰り返している。
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アレクセイ(童貞21歳)の朝は早い。
いくら嫌な夢を見ようとも目覚めたからには起床し、顔を洗ってからすぐに着替え始める。
先程の夢の中ではアレクセイ(童貞24歳)になっていた。
彼が何故既婚者にも関わらず、未だ童貞なのかというと、結婚初夜に『貴女とは閨を共にする気は無い』と、新妻に向かって一生童貞宣言をかましたからだった。
生涯童貞宣言を放った彼は、初夜での事をアリスティアに謝りたいと思っている。
今迄だって謝る機会はいくらでもあったが、受け入れてもらえない事を思うと勇気が出なかった。
そしてそれとは別として、今になって思う事は、初夜で一気に経験してしまうなんて勿体無いのではないかという事。少しずつ色んな扉をアリスティアに開けて貰う現状を彼は好ましく思い、楽しんですらいた。そして寝室で毎晩、懸命に奉仕してくれる健気な妻が愛おしくて堪らなかった。
そんな彼が叙爵したシルヴェスト公爵は代々受け継がれてきた爵位ではなく、先王が崩御した後に兄王より賜ったもの。
臣籍に下れば重視されるのは、血筋よりも実力の方であり、結婚する気のなかった彼は、一代限りの公爵として真面目に国のために働いてきた。
産まれた子供が無事成人を迎える率は低く、スペアは何人いてもいい程ではあるが、この国の王子は幸いにもアレクセイ含め三人共健康に成人を迎えた。その上、兄二人共どちらも優秀だった。
そんな優秀な兄二人の後に産まれた第三王子故、子を成す義務もなく、シルヴェスト公爵としての跡取りも特に期待されてはいない。
アリスティアさえ側にいてくれさえすれば、子供はいても居なくてもどちらでもいいと思っている。それでも彼女と真の意味での夫婦になりたいと思う彼は、まずは心から妻に謝罪をして許しを請わねばならない。
◇
食事を食べ終えたアリスティアが、紅茶の入ったカップを口元に運び、音を立てることなくソーサーに置いたのを見計らってアレクセイは声をかけた。
「お茶会は何時くらいに終わるのだろうか?もし時間が合えば一緒に帰宅出来るのだが」
「旦那様の帰宅時間は不規則ですからね」
「ではせめて、帰る時には一応報告などは…」
「報告とは、どちらにすればよろしいのでしょう?旦那様のお仕事場に直接お伺いする訳にもいきませんし」
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「アリスティア、王宮へは気を付けて行くように」
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馬車へと向かう前に、アレクセイは手の平で妻の頬を愛おしげに撫でると、アリスティアもキラキラとした瞳で夫を見つめ返した。
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