上 下
8 / 52

扉一つ

しおりを挟む
シルヴェスト夫妻の晩餐はいつも静かで、今夜も室内はカトラリーの音だけが微かに響いている。

食事を食べ終え、晩餐後のデザートには切った桃と、シャーベットにされた物が出された。アレクセイは洗練された所作で新鮮な桃を口へと運こぶと、瑞々しい果汁が口の中に広がった。
元々桃は好物ではあるが、何だかやけに美味しく感じる。

そう思いながらふと、目線を上げるとアリスティアと目が合い、何故か少し微笑まれた。


(何だ…?)

いくら美味しかったり、好物だからといって口元がニヤついていた訳ではない。
氷の王子(童貞)は食事の時でも冷たい表情は崩れないのだ。
アレクセイは不思議に思いつつも完食すると、既に食べ終えていたアリスティアは、いつも通りさっさと部屋に戻ってしまった。





アレクセイは確かに、アリスティアに足で慰めて貰う事に嵌っていた。

だが部屋以外の場所で見かけるアリスティアは、大抵侍女達と会話に花を咲かせている。そんな楽しげな女達の輪の中心にいるアリスティアに話しかけるなど、アレクセイには憚られた。
女嫌いのアレクセイは、侍女などもなるべく避けて生活している。

そんな事もあって使用人達は、夫妻が会話らしい会話をしているところなど、婚姻後あまり見ていない。
きっと今現在も、アリスティアに対して安定の女嫌いを発動中だと思われているに違いない。

それ故にアレクセイが唯一アリスティアに構って貰える時間とは、足で股間を踏まれている時だった。
ただし終われば直ぐに追い出される。


私室に戻り、執務をこなしていると資料を持ってきてくれた執事のモーリスが、アレクセイに尋ねた。

「本日のデザートの桃は如何でしたか?奥様が旦那様のために、ご実家の領地から取り寄せて下さった物です」

「アリスティアが…?美味しかったが、私の好物をお前が教えたのか?」
「いいえ。私は何も」

食の好みを予め伝えてあるモーリスが教えたのかと思ったら、違ったらしい。一瞬兄や義姉が浮んだが、その二人もアレクセイが桃が好きなどとは知らないだろう。


アリスティアとはまだ新婚であり、あまり二人の思い出などないので、記憶を遡る事は容易だった。そういえば婚姻後の二日目の晩餐にて、桃が出されていた。

あの時、自分の細かな反応を見て気付いてくれたのだろうか?
アリスティアはちゃんと、自分の事を見ていてくれているのかも知れない。偶然なのかもしれないが、もしそうだとしたらそれはとても……。


そんなアレクセイに対し、またモーリスが憂を伴った表情を向けてくる。

「旦那様……奥様はとても、健気でお優しい方とは思われませんか?」

(その表情は止めろ…)

アレクセイはモーリスのこの、悲し気な目を見る度にイラっとしていた。


「フン、ちゃんと毎晩夫婦の寝室には行っている」

(モーリスは毎晩私がアリスティアに、股間を踏まれているなど思うまい)

思うわけが無かった。


「純潔の証明もなされず結婚以来、衣服やお身体の汚れもないと聞きます。それに閨事が行われるにしては、旦那様が寝室を訪れてから出ていかれるまでが早過ぎる、との報告もされています」


(早過ぎるとか言うな!)

アレクセイはちょっと傷付いた。

しかも出て行っているのではない。追い出されているのだ。
アリスティアに至っては、行為が終われば浴室で足のみを洗えばいいだけだ。


「分かっている…。お礼に何か贈ろうと思うが…何を贈ったらいいだろうか」

「旦那様、それは素晴らしいお考えです!ですがそういう事こそ直接ご本人にお聞きになられては?」

直接。そう言われると、直ぐにアリスティアの元へ行きたいと思った。そういえば、結婚してから贈り物をした事が無かった。

「そうだなっ」

その前にモーリスを部屋から追い出すと、廊下に出たモーリスが、部屋から離れて行ったのを足音で確認した。アレクセイの私室と、夫婦の寝室は壁一枚で塞がれており隣り合っているが、その壁の隅に存在する寝室への扉へと足早に向かった。

今までは廊下に出てから、寝室の扉をノックしていたが、この扉一つでアリスティアの元へ行く事が出来る。

そう思うとノックも忘れて直ぐにドアノブに手を掛けて扉を開き、足を踏み出してしまった。

「アリスティアっ」

バン!!!

衝撃音が部屋に響いた。
足に何か固い物が当たった。靴のお陰でそこまで痛くは無かったが、急いで踏み出したため相当な衝撃と音だった。

「何だ!?」

何かと思えば、扉の向こうは高さのある家具がこちらに背を向けて配置されており、アレクセイが夫婦の寝室に行く事を阻んでいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

誰にも言えないあなたへ

天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。 マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。 年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。

望むとか、望まないとか

さくりふぁいす
恋愛
「望まない婚約」「真実の愛」「白い結婚」「親の望み」……それ、いったいどういうこと? 常識に疑問を感じたとある伯爵令嬢の、メイドに向けたぼやきの物語。 それと、その伯爵令嬢の玉の輿。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃

紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。 【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。

どうせ去るなら爪痕を。

ぽんぽこ狸
恋愛
 実家が没落してしまい、婚約者の屋敷で生活の面倒を見てもらっているエミーリエは、日の当たらない角部屋から義妹に当たる無邪気な少女ロッテを見つめていた。  彼女は婚約者エトヴィンの歳の離れた兄妹で、末っ子の彼女は家族から溺愛されていた。  ロッテが自信を持てるようにと、ロッテ以上の技術を持っているものをエミーリエは禁止されている。なので彼女が興味のない仕事だけに精を出す日々が続いている。  そしていつか結婚して自分が子供を持つ日を夢に見ていた。  跡継ぎを産むことが出来れば、自分もきっとこの家の一員として尊重してもらえる。そう考えていた。  しかし儚くその夢は崩れて、婚約破棄を言い渡され、愛人としてならばこの屋敷にいることだけは許してやるとエトヴィンに宣言されてしまう。  希望が持てなくなったエミーリエは、この場所を去ることを決意するが長年、いろいろなものを奪われてきたからにはその爪痕を残して去ろうと考えたのだった。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

処理中です...