修仙人妖伝にて、悪役の光堕ちを希望します!

汐味ぽてち

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第一章『転生』

第五話:俺ってばめっちゃ強くね!?チート無双じゃ!

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    余楽清ユイルゥチンたちは、仙城から去ってしまった洛星宇ルオシンユーたちを追うために敷地内にある森の中を探し始めた。
 しかし、妖王である洛星宇ルオシンユーの瞬足には追い付けなかったらしい。
 とんと気配すらなさそうな森の様子に、それでも諦めまいと余楽清ユイルゥチン高雨桐ガオユートンは辺りをキョロキョロと探し廻る。
 草木を分け、大木の陰に隠れていないか目を凝らし、時には登山客のように『やっほー!』と叫んでみるも、何かが返ってくる事などあるわけがなかった。
(ちくしょー、俺のせいだ……何とか無事でいてくれよ~……)
 焦燥と罪悪感を携えながら、それでもあの二人を助けたい一心で余楽清ユイルゥチンはただひたすらに走り続けるのであった。




  
 一方、その頃。
 未だ眠る妹を抱き抱えながら、洛星宇ルオシンユーはどうにかしてこの状況を打破できないかと模索していた。
 洛林杏ルオリンシンを連れて仙城を出たはいいが、森を抜けてその先へ行こうと足を踏み入れた矢先、突如として大木の陰に隠れていた狼の群れに取り囲まれたのだ。
 しかも、ただの狼ではない。正しくは、狼の姿をした妖怪だ。
 猪のような大きさの身体に、鋭い牙を持ち、まるで鉄骨を鋭く磨いだかのように鋭利な爪を持つその妖怪は、ざっと数えても二十体程はいる。
 知能指数はあまり高くはないが、縄張り意識が強く、群れで獲物を取り囲む習性があるのが特徴だ。
 そのあまりの獰猛さから余楽清ユイルゥチンの弟子たちも怯え果て、修行以外ではあまりこの森には近づかない程である。
 妖王として君臨する洛星宇ルオシンユーであれば、こんな有象無象なぞ一瞬にして蹴散らす事なぞ容易いはずであったが……。
「……普段だったら、こんな低級妖怪、一捻りだというのに……この枷が外れれば……」
 余楽清ユイルゥチンが外さない限り、びくともしないこの首枷にとても歯が立たず、この枷の力のせいで目の前の相手を殴る事すらできない。洛星宇ルオシンユーは途方に暮れていた。
 悩んでいる間にも、狼妖怪はじりじりとこちらへ迫ってくる。
 もうここまでかと、洛星宇ルオシンユーは腕の中の妹を慈しむかのような色を携えて見つめた。
 ルオ兄妹は、半仙半妖のために二人とも不老不死である。故にどんな悲惨な目に合っても死ぬことはない。
 しかし、だからといって大切な妹にだけは痛くて苦しい思いはさせたくはなかった。
 せめて、洛林杏ルオリンシンだけでも苦痛を味合わせたくないと思う一心で、洛星宇ルオシンユーは抱き締める腕に少しだけ力を込める。
「……林杏リンシン……」
 狼妖怪が牙を剥いてこちらに襲いかかってくるのを、洛星宇ルオシンユーは至って冷静な瞳で見つめた。
 その黄金の瞳には、微かに諦めの色が帯びているように見える。
 覚悟を決め、妹を守るように身を縮こませた洛星宇ルオシンユー
 しかし、その頭上をふと何かが物凄いスピードで飛躍していった。
「どぉりゃあああ!俺の林杏リンシンちゃんに汚ねぇ手で触んなぁぁ!」
 その飛躍した何か――余楽清ユイルゥチンは、ありったけの大声で威嚇しながら、一頭の狼妖怪の頭上に思いっきり飛び蹴りを食らわせる。その様はまるで、白熱したプロレスの中継を見ているかのような見事なフォームである。
 突如として自身を助けに入ってきた余楽清ユイルゥチンの姿に、洛星宇ルオシンユーは目を丸くする他なかった。
「っ……」
 何故、あれだけ酷い事を言ってのけたのに、助けに来たのか。
 何故、半仙半妖で忌み子である自分を助けるのか。
 ぐるぐると頭を回す洛星宇ルオシンユーのその呆けたかのような姿に、後から駆けつけてきた高雨桐ガオユートンがそっと伺うかのように話しかけた。
「……星宇シンユー、大丈夫ですか?」
 高雨桐ガオユートンの声掛けでようやく意識が戻ってきた洛星宇ルオシンユーが、頭にハテナを浮かべながらもゆっくりと高雨桐ガオユートンの方へと振り返る。
 小麦色の健康的な肌に浮かぶ、極上の端整な顔面を近くで拝む事ができた高雨桐ガオユートンは、そのあまりの顔面の眩しさに思わず目眩を起こした。
 (くぅ~!星宇シンユー様イケメンすぎて失明しそう!)
 緊迫した雰囲気の中でオタク全開の思考を巡らせていた高雨桐ガオユートンの耳に、ぽつりと儚げなハスキーボイスが木霊する。
「……なん、で……」
 掠れた、小さな声だった。
 しかし余楽清ユイルゥチンはそれを聞き逃さなかった。
 襲ってくる狼妖怪を拳や足技でギッタギタにぶちのめしながらも、必死に声を振り絞って洛星宇ルオシンユーに言葉を届けた。
「俺がお前の首に付いてる枷外さなきゃいけなかったのに忘れてたんだよ!マジですまん!とりあえずこの妖怪どもぶちのめしたら外すから待ってろ!」
 そう言うや否や、余楽清ユイルゥチンは再び狼妖怪との戦闘に神経を注ぎ出す。
 妖怪は仙人とは違い、不老不死ではない。不老不死は、身体に仙根を持つ者だけの特権だからだ。
 妖根のみしか持たない妖怪は、治癒能力などはあるにしろ弱点となる心臓や脳を破壊すれば消滅する。
 ルオ兄妹が不老不死なのは、妖根の他に仙根も携えている特別な存在だからだ。
 故に、今こうして余楽清ユイルゥチンが狼妖怪の頭を渾身の力で殴り潰せば、血を噴き上げて死んだ妖怪は途端に身体が灰となり消滅していった。
 そのまましばらく肉弾戦のみで戦っていた余楽清ユイルゥチンだったが、いかんせん狼妖怪の数が多すぎてキリがない。
 ここは大技を使って一気に倒そうと、『修仙人妖伝』の内容を頭の中で甦らせる。
 確か、余楽清ユイルゥチンは主に神通力を具現化し、強力な氷を作って攻撃する事を得意としていたはず。その強さと美しさから、『氷柱の貴公子』なる別名まであるほどだ。
 余楽清ユイルゥチンはこれまた小説の見よう見まねで、前方に伸ばした腕に力を込めながら、ある一定の所で手の中心に熱が溜まったのを感じ取ると、それを放出するかのように一気に腕から力を抜いた。
 その途端、余楽清ユイルゥチンの手の平の中心から、細かいガラスの破片のような数多の鋭い氷が勢いよく出現し、目の前の狼妖怪の身体に突き刺さっていく。
 無限に突き刺さってくる氷の破片のせいで、狼妖怪の身体はまるで砂鉄にまみれた磁石のような有り様になってしまった。
 そして妖怪は断末魔を叫ぶ余裕すらなく、灰となって消滅してしまう。
「またできちゃった!」
 余楽清ユイルゥチンは普通に神通力を使いこなせる事に感動するや否や、今度は力の込め具合を変えてまた何か技を繰り出そうと模索する。
 すると、手の平の中から、氷でできた鋭い刀が出現した。
 遠くまで見える程に透明度の高い氷の刀に感動しながら、余楽清ユイルゥチンはさっそく剣士にでもなりきった気分で刀を使い、次々と狼妖怪をなぎ倒していった。
 背後から襲ってくる狼妖怪をひょいっと躱したかと思えば、すかさず腕を振り下ろして容赦なく斬首する。
 再び妖怪が襲ってきた際には、長い着物をまるで天女の衣のように羽ばたかせながら、軽やかに避けつつ、最後は強い力で刃を向けた。
 余楽清ユイルゥチンのその戦いぶりは、どんな妖女の艶やかな舞いよりも更に蠱惑的に映る。
『蝶のように舞い、蜂のように刺す』とはこのような事を言うのか。
 その圧倒的有利すぎる光景をぽかんと見ていた高雨桐ガオユートンは、余楽清ユイルゥチンの適応能力の高さに思わずぽろっと感想を溢してしまった。
「えー、あの人普通に強……てかめちゃくちゃ神通力使いこなしてる……」
「……」
 素直に感心する高雨桐ガオユートンとは裏腹に、洛星宇ルオシンユーは未だ黙ったまま余楽清ユイルゥチンを訝しげに睨み付けている。
 一方、狼妖怪が僅かとなった所で、余楽清ユイルゥチンの身体に異変が起こり始めた。
「ざぶぐでじに゛ぞう゛……!」
 そう。適応能力の高さは目を見張る物がある余楽清ユイルゥチンだが、体温までは適応できなかったようであった。
 いかんせん、無数の氷にまみれながら、氷の刀を素手で持ち、その氷をブン回す事によって更に外気温が下がり……。
 余楽清ユイルゥチンの周辺は、まるで南極にいるかのような錯覚を起こさせる程に冷えきっていた。
 しかし、いつまでも寒い寒いとは言ってられない。
 氷の刀で何とか最後の一体を倒した余楽清ユイルゥチンは、凍えてぶるぶると震える身体を引き摺りながら何とか洛星宇ルオシンユーたちの元へと歩み寄っていった。
「ふぅ~、何とか倒せたぜ……」
「お疲れ様です、師尊シズン
 一応は労りの言葉をかけてくれたはいいがどこか興味なさげな高雨桐ガオユートンに苦笑いを浮かべつつ、余楽清ユイルゥチンは座り込んでいる洛星宇ルオシンユーに優しい表情を浮かべた。
「ほれ、外してやるから後ろ向け」
 仙城で怒声を上げていた者だったとは思えないくらいのその優しい笑みに、警戒心で硬直させていた洛星宇ルオシンユーの身体から自然と力が抜けていく。
 あんなにも憎しみ、殺そうと画策していた相手だったはずなのに、その柔和な雰囲気を感じ取ってしまえば後は拍子抜けするばかりだった。
 敵意のない余楽清ユイルゥチンの様子に一旦は従おうと、洛星宇ルオシンユーは素直に長い髪の毛を横に流して枷の着いた首をさらけ出す。
 案外すんなりと急所になり得る首を己に預けてくれた事に対し、余楽清ユイルゥチンはくすっと小さな笑い声を漏らしながら首枷に手を添えた。
 そしてそのまま黒化を解いた時のように手に力を込めれば、首枷は途端に壊れた玩具のようにぽろっと取れる。
「おっしゃ、取れたからもう安心しろ。あっ、でもくれぐれも俺を襲ったりしないでくれよ~」
 壊れた首枷をポイっとその辺に捨てながら余楽清ユイルゥチンがヘラヘラと笑えば、洛星宇ルオシンユーは自由になった首を擦りながら蚊の鳴くような声で呟く。
「……お前は、誰なんだ?」
「んー?」
 洛星宇ルオシンユーのその問いに、今度は余楽清ユイルゥチンが訝しげな表情を浮かべる。
 不思議そうにコテンと首を傾げるも、洛星宇ルオシンユーはその態度に対しては気にする素振りも見せずに言葉を続けた。
「お前は、俺が一緒に戦ってきたあの時の余楽清ユイルゥチンとはずいぶんと違って見える。性格も、口調も素振りも、容姿以外の何もかもが」
 そう言うや否や、洛星宇ルオシンユー洛林杏ルオリンシンを抱いている腕に少しばかり力を込める。
 同じ目的を持って共闘し、そして思いをたがえ戦ってきたからこそ、目の前の男が本来は冷静沈着で生真面目な性格だったのは誰よりも知っている。
 しかし、黒化から己を解放してから余楽清ユイルゥチンは変わってしまった。
 良く言えば天真爛漫、悪く言えば鬱陶しい性格へと変貌してしまった。
 そのあまりの変わりように、この男は本当は神通力や妖力を使用して余楽清ユイルゥチンに成り代わっている別人なのではないかと思わずにはいられない。
 あからさまに疑うような目で見つめてくる洛星宇ルオシンユーに気づかない振りをしながら、余楽清ユイルゥチンは飄々とした態度を崩す事はなかった。
「……俺は俺でしかない。確かにお前らが知ってる余楽清ユイルゥチンとは少し違うかもしんねぇけど、これが今の俺である事に変わりはない。だからあんま気にすんな」
 洛星宇ルオシンユーの腕の中にいる洛林杏ルオリンシンを慈しむように見つめつつ余楽清ユイルゥチンがそう呟くも、洛星宇ルオシンユーの固い表情は未だ緩和される事はない。
「……一つ、お前に聞く」
「んー?何?」
 緊迫した雰囲気を崩さずに洛星宇ルオシンユーがそう呟けば、余楽清ユイルゥチンは再びコテンと首を傾げる。
「お前が黒化を解いたのは、俺たちに幸せになってほしかったからだと言っていたな……お前たちにとって、俺は三界を滅ぼそうとした極悪非道な罪人なんじゃないのか?何で今さら……」
 洛星宇ルオシンユーは、不思議で仕方がなかったのだ。
 あんなにまで罪のない人々を傷付け、あまつさえ戦友であったはずの余楽清ユイルゥチンにも致命傷になりえるほどの怪我を負わせてしまった。
 それなのに、件の人物は何も気にしていないかのようにのんきに口笛を吹く始末だ。
 ますます意味がわからないとでも言うように、洛星宇ルオシンユーは眉間に寄せていた皺を更に深くする。
 そんな洛星宇ルオシンユーに対し、困ったかのような笑みを浮かべながら余楽清ユイルゥチンはぽそりと先ほどの問いに答え出した。
「……まあ、こっちにも色々事情はあるんだよ。でもな、今までのお前らの境遇を見てきて、何でコイツらがこんな辛い目に合って来なくちゃいけなかったんだ、コイツらにだって幸せになる権利はあるだろって思ったのも俺の本当の思いそのものなんだ」
 そう言うな否や、余楽清ユイルゥチン洛林杏ルオリンシンに向けていた優しげな瞳を、今度は目の前の洛星宇ルオシンユーへと真っ直ぐに向ける。
 曇りのないその吸い込まれそうな蒼い瞳に、洛星宇ルオシンユーは無意識に喉をコクッと鳴らした。 
「幸せになる権利は誰にでもある。俺はそれをお前らに証明してみせたい」
「……変な奴だな、お前は」
 屈託なく笑いながら、まるで当たり前のように言う余楽清ユイルゥチンに、洛星宇ルオシンユーからも自然と毒気が抜かれていく。
 己を封印した張本人が、なぜ今頃になって己に幸せになってほしいと思うのか。
 何か意図があるのだろうが、それでも邪気のないこの子供のような笑顔を見てしまえば、多少は絆されても仕方のない事なのかもしれない。
 ひとしきり小さく笑い声を漏らした後、余楽清ユイルゥチンは未だ呆けたかのように座り込む洛星宇ルオシンユーに悪戯な笑みを浮かべながら問う。
「で、どうするよ、これから」
「……幸せになるという事がどういうものなのかは、正直よくわからない。それに、数多の人々を殺してきた俺が今さらそんな事で赦されるとも思っていない……わからないから、わからないなりに模索していくしかないのかもな」
 半ば諦めたかのように、しかし未来への希望を僅ながらに滲ませるその儚い呟きに、余楽清ユイルゥチンはパァッと目を輝かせた。
 とりあえずは前向きになってくれた。だいぶいい感じに進歩した。 
「うっしゃ!とりあえず俺とお前は仲直りしたっつーことで!迷ってるんだったら決まるまで俺の仙城で暮らせばいい!」
「えっ!」
 ふと、思い立ったかのように余楽清ユイルゥチンがパンッと手を叩けば、横で静かに話を聞いていた高雨桐ガオユートンがわかりやすくおろおろと戸惑う。
「し、師尊シズン……それは果たしていいのでしょうか?弟子たちはおろか、下手をすれば三界全てから大バッシング食らう事になりますよ?まあ私は推しと一緒に暮らせるなら大歓迎ですが……」
「だいばっしんぐ……おし……?」
 こちらの世界では聞き慣れない言葉が思わず口からポロっと出てしまった事について、高雨桐ガオユートンは珍しくも気づいていない。
 頭上にハテナを浮かべながら首を軽く傾げる洛星宇ルオシンユーをほんの少し可愛らしく思い、余楽清ユイルゥチンは思わずくすりと小さな笑い声を漏らした。
「ああごめんこっちの話。でもよー、今ここではいさよならしたって、この兄妹は、特に星宇シンユーの方はメンタリズム的なカウンセリングも必要になって来るだろうし、やっぱここにいさせた方が安心だろ?」
「めんたりずむ?かうんせりんぐ?お前たちはさっきから何語を話しているんだ?」
「ごめんこっちの話」
 先ほどの高雨桐ガオユートンよりもはるかに酷い横文字乱用に、洛星宇ルオシンユーの頭の中はますますハテナマークで溢れ返る。
 宇○猫のような表情を浮かべながら斜め上を呆けたかのように見つめる洛星宇ルオシンユーを気にする素振りも見せずに、余楽清ユイルゥチンは気を取り直してガバッと勢いよく立ち上がった。
「よし、そうと決まればさっそくお前たちの部屋を用意してやるから待っとけ!雨桐ユートンは弟子たちおよび仙界にいる道友たちに今回の事を報告。必要な時には協力を仰ぐかもしれない事も伝えるようにな!」
「……御意……胃が痛い……」
 結局大事な事はすべて一番弟子、もとい第一秘書的な役割を担っている高雨桐ガオユートンが引き受けなければいけない事に、胃がキリキリと痛む思いでいっぱいだった。
 ここに胃薬があったなら、用量用法なぞ一ミリも守らずに大量摂取していたかもしれない。
 青い顔をしながら途端に元気をなくす高雨桐ガオユートンに対してケラケラと豪快に笑い声を上げていた余楽清ユイルゥチンだったが、ひとしきり笑い終わった後、今度は借りてきた猫のように突然黙り込んでしまった。
 その変わりように何事かと、高雨桐ガオユートンのみならすわ洛星宇ルオシンユーまでもが余楽清ユイルゥチンの顔を覗き込む。
「……んで、話変わるんだけど」
 ぽそりとそう呟く余楽清ユイルゥチンの顔色は、白を通り越してまるで死人のように青い。
 おまけにこめかみや額には滲んだ汗が玉のように形を成しており、無理に笑おうとしている口角はひくひくと痙攣している。
 必死に何かを耐えているような表情を浮かべる余楽清ユイルゥチンだったが、突如としてその場にガバッと踞った事によりその表情も崩れる事となる。
「もう無理ぃ……お腹と背中痛いぃ……ヒビ入ってるんだってぇ……」
 そう。黒化の解放をした後に洛星宇ルオシンユーに殴られた身体が限界を迎えたのだ。
 洛星宇ルオシンユーを神通力で気絶させた後も何だかんだとバタバタしていたせいで、己の身体の事に構ってる暇なぞなかった。
 実はずっと痛みを我慢しながらあれやこれやと行動してきた余楽清ユイルゥチンだったが、一旦事が落ち着くとなった途端、気が抜けた拍子で再びの地獄を見る事になるのを失念していたと涙を滲ませる他ない。
「アンタ何でそんな大事な事すぐ言わないんですか!」
 ひぃひぃと苦しみの声を上げる余楽清ユイルゥチンに対し、高雨桐ガオユートンは呆れ返ったかのようにため息混じりの声を上げる。
 確かにそれどころではなかった状況ではあったけど、応急処置もしないで悪化でもしたらどうするのか。
 不老不死とはいえ、痛覚などは常人と変わりはないのだ。
 あまりの痛みについに屍のように白目を向きながら気絶してしまった余楽清ユイルゥチンを見下ろしつつ、高雨桐ガオユートンは再びはぁっと深いため息を溢した。
「……ったく……これ私がおぶっていかないとダメなやつじゃないですか……って、えっ!?」
 仕方がないと、地面に伏せる余楽清ユイルゥチンに手を伸ばしかけた高雨桐ガオユートンに、突如として洛星宇ルオシンユーが何かを半ば強引に手渡してきた。
 思わず反射で受け取ってしまうが、洛星宇ルオシンユーが己に手渡してきたのがまだ深い眠りに落ちている洛林杏ルオリンシンである事に、高雨桐ガオユートンは驚きを隠せないで目を大きく見開く。
 華奢で柔らかい身体を傷付けないようにそっと横抱きにしながら洛星宇ルオシンユーを見つめ続けていると、彼自身は未だ意識を取り戻さない余楽清ユイルゥチンの元にそっとしゃがみ込み、その身体に手を伸ばし始める。
 一体何をするのかと固唾を飲んで高雨桐ガオユートンが見守る中、洛星宇ルオシンユー余楽清ユイルゥチンを仰向けにひっくり返し、華奢な背中とほっそりとした膝裏に手を添え、そのまま軽々と横抱きにしながら持ち上げた。
 その手つきが、先ほどまで洛林杏ルオリンシンを抱き締めていた時と同じくらいに優しさの籠った物である事に、高雨桐ガオユートンは信じられないとばかりに口を半開きにしてしまう。
「ちょ、星宇シンユー……?」
「……元はと言えば、俺が拳を打ち込んだせいだからな。本意ではないが、少しばかりの詫びだ」
 まるでお伽噺の王子が姫を抱き上げるかのように、スマートに所作をこなす洛星宇ルオシンユーに対し、高雨桐ガオユートンは内心で思わず涙を溢した。
 推しがイケメンすぎる。スパダリ万歳と。
 一方、その王子の腕に抱き締められているお姫様の立場のはずの余楽清ユイルゥチンと言えば、無意識に痛みを堪えているのかまるでクエン酸をそのまま口の中に突っ込まれたかのような渋い顔をしている。
 ムードもへったくれもない。何だそのじいさんのような顔は。美青年設定はどこへ行ったのか。
 己の主に対して不躾な思いを抱く高雨桐ガオユートンを、ふと洛星宇ルオシンユーが振り向いたと思えば、途端に射るような視線をぶつけてきた。
「……おい、俺の妹に少しでも傷をつけたら承知しないぞ」
「は、はひぃっ!?」
 ギロッと鋭い眼光で睨まれ、高雨桐ガオユートンは思わず洛林杏ルオリンシンを抱き上げている腕に力を籠めた。
 そう。今ここで彼女の身体に擦り傷の一本でも付けてしまえば、己の命はここで終わりを告げるだろう。
 何せ、高雨桐ガオユートンはまだ修仙の修行中の身であるため、ただの人間にしかすぎない。普通に死ぬ事になる。
 洛星宇ルオシンユーの腕の中で青い顔をしながら魘される余楽清ユイルゥチンを見つめながら、高雨桐ガオユートンは先が思いやられるとばかりに本日何度目かのため息をつくのであった。
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