15 / 17
春子の願い
しおりを挟む
春子の元へその手紙が届いたのは、彼女が十八の誕生日を迎える一月ほど前のことだった。
手紙の差し出し人は、婚約者であるアレン・ブルストロード侯爵だ。ここ十年近く顔を合わせていない婚約者からの突然の手紙。
来月で十八の誕生日を迎え、法的な婚姻可能年齢に達する彼女への祝いの手紙だろうか。否、そうではないことは春子自身が一番よくわかっていた。
(あの男、いけすかないけれど見る目だけは確かだもの。今も昔もずっと、お兄様のことしか眼中にないのよね)
端から愛のない政略結婚だ。アレンに他に想い人がいようがどうでも良かったが、相手が実兄ともなれば話は変わってくる。
「ようやく決心がついたのかしら。十年以上も音信不通だなんて腰抜けにもほどがあるわ」
ふんと鼻を鳴らしながら二つ折りの手紙を開く。
そこには、生真面目そうな字でたった一言だけ書かれていた。
『計画を実行に移す』
アレンの言う計画。それは、幼い頃に二人で企てた、愛する兄の救済計画だった。
時は遡ること十五年前、その日春子は人生で初めて同志を見つけた。
「ぶっ、ブス!」
「へ?」
「っ……お前なんか嫌いだ!」
真っ赤な顔をした婚約者が脱兎の如く駆け出した。
残された肇とアレンの母は突然のことにポカンとして固まっていたが、春子だけはキラリと瞳を輝かせた。
(あの男、もしかしなくてもお兄様のことが好きなのかしら)
それならばと、春子は固まる二人を残してアレンの後を追いかけた。
背後で肇が呼び止める声がしたが、「二人きりでお話しがしたいの」と甘えた声で言えばそれ以上咎められなかった。
「ねぇ貴方、私のお兄様に気があるの?」
「……あっち行けよ」
「自分がダサい真似したからって私に当たらないでくれる?」
腕組みして冷めた眼差しを向ける春子に、「お前……」とアレンが怪訝そうに眉を寄せた。
「さっきまでのは演技だったのか」
「女の子はみんな女優なのよ」
「……」
「貴方お兄様に気があるんでしょ」
「だったらなんだ」
「貴方が本気でお兄様のことを好きなら、協力してあげてもいいわよ」
「協力? ……お前は僕のフィアンセだろ」
「ええ、そうよ。でもお互いに初対面の相手といきなり結婚しろって言われても納得できないでしょ。だったら、好きな人と結婚できるように知恵を働かせればいいのよ」
「……僕はハジメと結婚できるのか?」
「あんな醜態晒して結婚できると思う?」
「……」
ぐうの音も出なくなったアレンに、春子がずいっと距離を詰める。
至近距離でじっくりとその顔を見つめると、にこりと蕾が綻ぶように微笑んだ。
「知ってる? 好感度は低いほど上がり幅も大きいのよ。貴方が今から努力すれば、十年後くらいにはお兄様も貴方のことを好きになってくれるかもしれないわ」
「本当か?」
「ええ、だから私と手を組みましょう」
差し出された春子の手をじっと見つめて、アレンは訝しがるように眉間に皺を寄せた。
「僕に協力してお前にメリットがあるのか?」
「見ず知らずの男と結婚しなくて済むわ」
「なるほどな」
「ふふ、今のは冗談よ。この家に生まれた時から、自分の人生が思い通りにいかないことなんて分かりきっていたもの。本当の目的は別よ」
「さっさと言え」
せっかちなアレンに苦笑して、内緒話をするようにとんと唇に指を添えた。
「お兄様を助けたいの」
「……どういう意味だ」
「これは秘密の話なんだけど、貴方にだけは特別に教えてあげるわね。あのね、私のお兄様、お父様の本当の子供じゃないの。だからお父様はお兄様のことが嫌いでいつも意地悪してるのよ」
「……お前は、父親に不当に扱われている兄を見て見ぬふりしているのか?」
「大人からしたら馬鹿な子供でしかない私にできることなんて限られているわ。必死にお父様のご機嫌を取って、お兄様に意識が向かないようにすることくらいよ」
「弱い自分を変えたいのか」
「ええ、そうよ。私は無力だから、貴方に助けてほしいの。お願い、私と一緒にお兄様を助けてちょうだい」
懇願するように春子がアレンの手を握った。
「私、どうしてもお兄様に幸せになってほしいの」
「……わかった」
春子の言葉に嘘はなかった。彼女は本当に、心の底から兄のことを想っているのだ。
小刻みに震える春子の手から切実な思いを感じ取り、アレンは彼女の願いを聞き入れることにした。
こうして、二人の間に秘密協定が結ばれたのであった。
あれから十五年。想定よりも時間はかかってしまったが、ようやくこの時がやってきた。
「お兄様、待っていてください。お兄様が幸せになれるように、必ずやこの計画を成功させてみせますわ」
明石の家に生まれてから今日まで、人間の醜く薄汚い部分を嫌というほどに見てきた。
人よりも少し賢かった春子は、馬鹿なふりをすることで己を守る術を見つけた。
けれど、兄である肇は違う。いつも誰かのことを思って自分を二の次にしてしまう人なのだ。
心優しく清らかな兄を救うため、春子は決意を新にした。
計画は単純なものだった。
わざとアレンの肖像画を醜男に描き、それを見た春子がこの婚約を断固拒否する。
これまで何年もかけて、父親が自分を溺愛するように媚び諂ってきた。今の父親ならば、春子の願いを聞き入れて身代わりとして肇を嫁がせるに違いない。
ごくりと喉を鳴らして、春子は渾身の悲鳴をあげた。
「いやぁぁああぁぁあああ!!!!」
「おっ、落ち着きなさい春子。そんなに叫んではお前の愛らしい声が枯れてしまうよ」
「だってお父様ぁ、見てよこの釣書! 可愛くて美しい私の婚約者がこんな醜男だなんてあんまりだわぁ」
まんまと嘘泣きに引っかかった父親が、泣き崩れる春子の肩を抱いて慰める。
純粋な兄もまた、春子の泣き顔を見て悲しげに眉を寄せている。
(お兄様、騙してごめんなさい。でも、お兄様を助けるためには仕方のないことなんです)
心の中で愛する兄に謝罪して、春子は事前の計画の通りに振る舞った。
その結果、短絡的な父親は彼女の望む通りに行動した。
「肇、お前が春子の代わりにブルストロード公に嫁ぎなさい。可愛い妹のためを思えば、喜んで引き受けてくれるだろう?」
「いや、俺は置いておいて、先方からお断りされるに決まってるよ」
「そんなことはないさ。後継さえ産めば文句は言われまいよ。我が家からオメガが出たことを恥ずかしく思っていたが、今となって思えば運が良かった」
兄を貶す父の発言には憤りを覚えたが、ここで感情を露わにしては計画が破綻してしまう。
グッと怒りを堪えながら兄の顔色を窺った。
長年の虐待により、とっくに父親に愛想を尽かしているのだろう。兄の顔には哀しみの色はなく、そこにあるのは諦念のみだった。
「先方が、俺でもいいと言うのならお引き受けします」
(ごめんなさい、お兄様。そんな顔をさせてしまってごめんなさい。弱い私でごめんなさい。お兄様のために私にできることはこれしかないのです)
じわりと滲む涙を拭って、春子はパッと表情を明るくさせた。
「お兄様大好き! こんな醜男と結婚するだなんてお兄様も絶対に嫌だろうけど、お兄様はお優しいからきっと幸せな結婚生活を送れるわ」
「うん、ありがとう春子」
穏やかに微笑む兄の顔をもうすぐに見られなくなると思うと胸が痛んだ。
彼女の愛する兄は結婚し家を出る。そうしてようやく、地獄から解放されるのだ。
寂しいからといって、兄を引き留めてはいけない。愛する兄のため、縋りつきそうになる心を胸の奥底に押し込めた。
綿密に計画を練ってきたおかげか、婚約が決まってからは驚くほどスムーズに事が運んだ。
そしてついに、十五年前の約束が果たされる時が来た。
緊張した面持ちで息を吐く兄の手を取り、最後に渾身の演技を披露した。
「お兄様は最低よ! 私のことを騙して婚約者を奪うだなんてあんまりだわ! もう二度と顔も見たくない!」
(嘘をついてごめんなさい。でも、もう私たちのところへは帰ってこないで。どうか私たちのことは忘れて、お幸せになってください)
素直に伝えればきっと、優しい兄は春子を気遣ってくれる。
けれどそれでは駄目なのだ。父親の呪縛から兄を解放するため、春子は最低な妹を演じることを選んだ。
たとえそれで兄に嫌われようとも構わなかった。
寂しくて悲しくて苦しくても、愛する兄のためならば全て堪えられる。
「……お兄様、とても綺麗」
祭壇に立つウェディングドレス姿の兄に見惚れた春子を横目で見遣り、父親は不服そうに鼻を鳴らした。
「ふんっ、馬子にも衣装だな。ベールで顔を隠せば見れなくもないが、あんな出来損ないを嫁に貰うブルストロード公が憐れでならん」
「……お可哀想なのはお父様のほうですわ」
「なに?」
「悪いのはお兄様ではないでしょう。たとえどのような出自であったとしても、生まれてきた子に罪はありませんわ。お父様がお兄様を不当に扱い続けてきたこと、私は決して忘れません。お兄様はお優しいでしょうから、きっと貴方を許すでしょう。けれど私は違います。お兄様に代わって、私が死ぬまでずっと貴方を恨み、憎み続けます」
「な、な……っ」
両家の親族が顔を揃えた場で憤慨するわけにもいかないのだろう。ましてや、息子を長年虐待し続けてきたことを公の場で認めるわけにもいかない。
怒りにわなわなと震えながらも、父が何か反論してくることはなかった。
顔を猿の尻のように真っ赤に染め上げた父に幾分か溜飲が下がった。
今日この日のために、憎むべき父親に何も知らない馬鹿な娘を演じて媚び諂ってきた。
それも今日で終わりだ。兄が幸せへの一歩を踏み出した今、春子もまた自由になる時がきた。
「お兄様、どうかお幸せになってください」
もう二度と会うことはないだろう兄を想って、春子はようやく堪えていた涙を流すことができた。
手紙の差し出し人は、婚約者であるアレン・ブルストロード侯爵だ。ここ十年近く顔を合わせていない婚約者からの突然の手紙。
来月で十八の誕生日を迎え、法的な婚姻可能年齢に達する彼女への祝いの手紙だろうか。否、そうではないことは春子自身が一番よくわかっていた。
(あの男、いけすかないけれど見る目だけは確かだもの。今も昔もずっと、お兄様のことしか眼中にないのよね)
端から愛のない政略結婚だ。アレンに他に想い人がいようがどうでも良かったが、相手が実兄ともなれば話は変わってくる。
「ようやく決心がついたのかしら。十年以上も音信不通だなんて腰抜けにもほどがあるわ」
ふんと鼻を鳴らしながら二つ折りの手紙を開く。
そこには、生真面目そうな字でたった一言だけ書かれていた。
『計画を実行に移す』
アレンの言う計画。それは、幼い頃に二人で企てた、愛する兄の救済計画だった。
時は遡ること十五年前、その日春子は人生で初めて同志を見つけた。
「ぶっ、ブス!」
「へ?」
「っ……お前なんか嫌いだ!」
真っ赤な顔をした婚約者が脱兎の如く駆け出した。
残された肇とアレンの母は突然のことにポカンとして固まっていたが、春子だけはキラリと瞳を輝かせた。
(あの男、もしかしなくてもお兄様のことが好きなのかしら)
それならばと、春子は固まる二人を残してアレンの後を追いかけた。
背後で肇が呼び止める声がしたが、「二人きりでお話しがしたいの」と甘えた声で言えばそれ以上咎められなかった。
「ねぇ貴方、私のお兄様に気があるの?」
「……あっち行けよ」
「自分がダサい真似したからって私に当たらないでくれる?」
腕組みして冷めた眼差しを向ける春子に、「お前……」とアレンが怪訝そうに眉を寄せた。
「さっきまでのは演技だったのか」
「女の子はみんな女優なのよ」
「……」
「貴方お兄様に気があるんでしょ」
「だったらなんだ」
「貴方が本気でお兄様のことを好きなら、協力してあげてもいいわよ」
「協力? ……お前は僕のフィアンセだろ」
「ええ、そうよ。でもお互いに初対面の相手といきなり結婚しろって言われても納得できないでしょ。だったら、好きな人と結婚できるように知恵を働かせればいいのよ」
「……僕はハジメと結婚できるのか?」
「あんな醜態晒して結婚できると思う?」
「……」
ぐうの音も出なくなったアレンに、春子がずいっと距離を詰める。
至近距離でじっくりとその顔を見つめると、にこりと蕾が綻ぶように微笑んだ。
「知ってる? 好感度は低いほど上がり幅も大きいのよ。貴方が今から努力すれば、十年後くらいにはお兄様も貴方のことを好きになってくれるかもしれないわ」
「本当か?」
「ええ、だから私と手を組みましょう」
差し出された春子の手をじっと見つめて、アレンは訝しがるように眉間に皺を寄せた。
「僕に協力してお前にメリットがあるのか?」
「見ず知らずの男と結婚しなくて済むわ」
「なるほどな」
「ふふ、今のは冗談よ。この家に生まれた時から、自分の人生が思い通りにいかないことなんて分かりきっていたもの。本当の目的は別よ」
「さっさと言え」
せっかちなアレンに苦笑して、内緒話をするようにとんと唇に指を添えた。
「お兄様を助けたいの」
「……どういう意味だ」
「これは秘密の話なんだけど、貴方にだけは特別に教えてあげるわね。あのね、私のお兄様、お父様の本当の子供じゃないの。だからお父様はお兄様のことが嫌いでいつも意地悪してるのよ」
「……お前は、父親に不当に扱われている兄を見て見ぬふりしているのか?」
「大人からしたら馬鹿な子供でしかない私にできることなんて限られているわ。必死にお父様のご機嫌を取って、お兄様に意識が向かないようにすることくらいよ」
「弱い自分を変えたいのか」
「ええ、そうよ。私は無力だから、貴方に助けてほしいの。お願い、私と一緒にお兄様を助けてちょうだい」
懇願するように春子がアレンの手を握った。
「私、どうしてもお兄様に幸せになってほしいの」
「……わかった」
春子の言葉に嘘はなかった。彼女は本当に、心の底から兄のことを想っているのだ。
小刻みに震える春子の手から切実な思いを感じ取り、アレンは彼女の願いを聞き入れることにした。
こうして、二人の間に秘密協定が結ばれたのであった。
あれから十五年。想定よりも時間はかかってしまったが、ようやくこの時がやってきた。
「お兄様、待っていてください。お兄様が幸せになれるように、必ずやこの計画を成功させてみせますわ」
明石の家に生まれてから今日まで、人間の醜く薄汚い部分を嫌というほどに見てきた。
人よりも少し賢かった春子は、馬鹿なふりをすることで己を守る術を見つけた。
けれど、兄である肇は違う。いつも誰かのことを思って自分を二の次にしてしまう人なのだ。
心優しく清らかな兄を救うため、春子は決意を新にした。
計画は単純なものだった。
わざとアレンの肖像画を醜男に描き、それを見た春子がこの婚約を断固拒否する。
これまで何年もかけて、父親が自分を溺愛するように媚び諂ってきた。今の父親ならば、春子の願いを聞き入れて身代わりとして肇を嫁がせるに違いない。
ごくりと喉を鳴らして、春子は渾身の悲鳴をあげた。
「いやぁぁああぁぁあああ!!!!」
「おっ、落ち着きなさい春子。そんなに叫んではお前の愛らしい声が枯れてしまうよ」
「だってお父様ぁ、見てよこの釣書! 可愛くて美しい私の婚約者がこんな醜男だなんてあんまりだわぁ」
まんまと嘘泣きに引っかかった父親が、泣き崩れる春子の肩を抱いて慰める。
純粋な兄もまた、春子の泣き顔を見て悲しげに眉を寄せている。
(お兄様、騙してごめんなさい。でも、お兄様を助けるためには仕方のないことなんです)
心の中で愛する兄に謝罪して、春子は事前の計画の通りに振る舞った。
その結果、短絡的な父親は彼女の望む通りに行動した。
「肇、お前が春子の代わりにブルストロード公に嫁ぎなさい。可愛い妹のためを思えば、喜んで引き受けてくれるだろう?」
「いや、俺は置いておいて、先方からお断りされるに決まってるよ」
「そんなことはないさ。後継さえ産めば文句は言われまいよ。我が家からオメガが出たことを恥ずかしく思っていたが、今となって思えば運が良かった」
兄を貶す父の発言には憤りを覚えたが、ここで感情を露わにしては計画が破綻してしまう。
グッと怒りを堪えながら兄の顔色を窺った。
長年の虐待により、とっくに父親に愛想を尽かしているのだろう。兄の顔には哀しみの色はなく、そこにあるのは諦念のみだった。
「先方が、俺でもいいと言うのならお引き受けします」
(ごめんなさい、お兄様。そんな顔をさせてしまってごめんなさい。弱い私でごめんなさい。お兄様のために私にできることはこれしかないのです)
じわりと滲む涙を拭って、春子はパッと表情を明るくさせた。
「お兄様大好き! こんな醜男と結婚するだなんてお兄様も絶対に嫌だろうけど、お兄様はお優しいからきっと幸せな結婚生活を送れるわ」
「うん、ありがとう春子」
穏やかに微笑む兄の顔をもうすぐに見られなくなると思うと胸が痛んだ。
彼女の愛する兄は結婚し家を出る。そうしてようやく、地獄から解放されるのだ。
寂しいからといって、兄を引き留めてはいけない。愛する兄のため、縋りつきそうになる心を胸の奥底に押し込めた。
綿密に計画を練ってきたおかげか、婚約が決まってからは驚くほどスムーズに事が運んだ。
そしてついに、十五年前の約束が果たされる時が来た。
緊張した面持ちで息を吐く兄の手を取り、最後に渾身の演技を披露した。
「お兄様は最低よ! 私のことを騙して婚約者を奪うだなんてあんまりだわ! もう二度と顔も見たくない!」
(嘘をついてごめんなさい。でも、もう私たちのところへは帰ってこないで。どうか私たちのことは忘れて、お幸せになってください)
素直に伝えればきっと、優しい兄は春子を気遣ってくれる。
けれどそれでは駄目なのだ。父親の呪縛から兄を解放するため、春子は最低な妹を演じることを選んだ。
たとえそれで兄に嫌われようとも構わなかった。
寂しくて悲しくて苦しくても、愛する兄のためならば全て堪えられる。
「……お兄様、とても綺麗」
祭壇に立つウェディングドレス姿の兄に見惚れた春子を横目で見遣り、父親は不服そうに鼻を鳴らした。
「ふんっ、馬子にも衣装だな。ベールで顔を隠せば見れなくもないが、あんな出来損ないを嫁に貰うブルストロード公が憐れでならん」
「……お可哀想なのはお父様のほうですわ」
「なに?」
「悪いのはお兄様ではないでしょう。たとえどのような出自であったとしても、生まれてきた子に罪はありませんわ。お父様がお兄様を不当に扱い続けてきたこと、私は決して忘れません。お兄様はお優しいでしょうから、きっと貴方を許すでしょう。けれど私は違います。お兄様に代わって、私が死ぬまでずっと貴方を恨み、憎み続けます」
「な、な……っ」
両家の親族が顔を揃えた場で憤慨するわけにもいかないのだろう。ましてや、息子を長年虐待し続けてきたことを公の場で認めるわけにもいかない。
怒りにわなわなと震えながらも、父が何か反論してくることはなかった。
顔を猿の尻のように真っ赤に染め上げた父に幾分か溜飲が下がった。
今日この日のために、憎むべき父親に何も知らない馬鹿な娘を演じて媚び諂ってきた。
それも今日で終わりだ。兄が幸せへの一歩を踏み出した今、春子もまた自由になる時がきた。
「お兄様、どうかお幸せになってください」
もう二度と会うことはないだろう兄を想って、春子はようやく堪えていた涙を流すことができた。
38
お気に入りに追加
970
あなたにおすすめの小説
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶のみ失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
この噛み痕は、無効。
ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋
α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。
いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。
千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。
そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。
その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。
「やっと見つけた」
男は誰もが見惚れる顔でそう言った。
変なαとΩに両脇を包囲されたβが、色々奪われながら頑張る話
ベポ田
BL
ヒトの性別が、雄と雌、さらにα、β、Ωの三種類のバース性に分類される世界。総人口の僅か5%しか存在しないαとΩは、フェロモンの分泌器官・受容体の発達度合いで、さらにI型、II型、Ⅲ型に分類される。
βである主人公・九条博人の通う私立帝高校高校は、αやΩ、さらにI型、II型が多く所属する伝統ある名門校だった。
そんな魔境のなかで、変なI型αとII型Ωに理不尽に執着されては、色々な物を奪われ、手に入れながら頑張る不憫なβの話。
イベントにて頒布予定の合同誌サンプルです。
3部構成のうち、1部まで公開予定です。
イラストは、漫画・イラスト担当のいぽいぽさんが描いたものです。
最新はTwitterに掲載しています。
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
誰よりも愛してるあなたのために
R(アール)
BL
公爵家の3男であるフィルは体にある痣のせいで生まれたときから家族に疎まれていた…。
ある日突然そんなフィルに騎士副団長ギルとの結婚話が舞い込む。
前に一度だけ会ったことがあり、彼だけが自分に優しくしてくれた。そのためフィルは嬉しく思っていた。
だが、彼との結婚生活初日に言われてしまったのだ。
「君と結婚したのは断れなかったからだ。好きにしていろ。俺には構うな」
それでも彼から愛される日を夢見ていたが、最後には殺害されてしまう。しかし、起きたら時間が巻き戻っていた!
すれ違いBLです。
初めて話を書くので、至らない点もあるとは思いますがよろしくお願いします。
(誤字脱字や話にズレがあってもまあ初心者だからなと温かい目で見ていただけると助かります)
【本編完結済】蓼食う旦那様は奥様がお好き
ましまろ
BL
今年で二十八歳、いまだに結婚相手の見つからない真を心配して、両親がお見合い相手を見繕ってくれた。
お相手は年下でエリートのイケメンアルファだという。冴えない自分が気に入ってもらえるだろうかと不安に思いながらも対面した相手は、真の顔を見るなりあからさまに失望した。
さらには旦那にはマコトという本命の相手がいるらしく──
旦那に嫌われていると思っている年上平凡オメガが幸せになるために頑張るお話です。
年下美形アルファ×年上平凡オメガ
【2023.4.9】本編完結済です。今後は小話などを細々と更新予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる