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恋をした人 その2
しおりを挟む屋敷に戻るとみんなで集まった。棗ちゃんが入れてくれた紅茶を前に、わたしは俯く。
誰もがわたしの口の開くのを待っている。だけどわたしはみんなに何を言えば良いのか分からない。
やがて痺れを切らしたのか、戒夜が静かに口を開く。
「何があったのですか、姫。……空鬼は姫に『覚えてる?』と言っていましたね。何を思い出したのですか?」
その言葉にギクリとする。……やっぱり戒夜は鋭い。
だけどわたしはどう答えたらいいのか分からない。
「透見は? 空鬼を見て〈唯一の人〉として何か思い出した?」
答えないわたしの代わりに今度は透見に園比が問う。
「……いえ。特には。小鬼とは比べものにならないくらいの嫌悪感は覚えましたが」
眉間に皺を寄せる透見。いつもにこやかな透見がこんな風に嫌悪感を露わにするのは、彼が空鬼だから? それともわたしが透見を〈唯一の人〉に選んだせい?
「なあ姫さん。空鬼が言ってた『すべき事』って、何?」
剛毅の顔にも笑顔がない。みんながわたしを見ている。
わたしは目を閉じ、大きく深呼吸をしてから目を開いた。そしてゆっくりと、告げる。
「わたしがすべき事は……空鬼を、倒す事だよ」
ゲーム、ううん、この夢の設定上、それは当たり前の事。当たり前の事なんだけど……。
倒せるわけないじゃない。どうしてわたしが大好きなあの人に害を加えなければならないの? そもそもわたしが見ている夢の筈なのに、なんでそんな設定になっちゃってるの?
考えたらまた涙が出てきた。
敵として設定されている彼。〈唯一の人〉を選んだ後でなければ現れない彼。つまりこの夢の中では絶対に、彼と結ばれる事はない。そして彼を倒さなければ、この夢は終わらない。
「姫君、泣かないで下さい」
隣りに座っていた透見がわたしの手を取り握りしめる。
透見。ごめんね、透見。
申し訳なくて更に涙が出る。
〈唯一の人〉に選んだのに、透見よりも彼の方が好きだなんて裏切りもいいとこだ。こんな風に気を使ってもらう資格なんてない。
そんなわたしの気持ちに気づいたのか、戒夜が深いため息をついた。
「少なくとも空鬼を倒さなければならないという事は分かっているのですね?」
冷たく、確認するようにわたしを見る。
「どういう意味ですか? 戒夜さん」
わたしをかばうように透見が戒夜を睨みつける。
「言った通りの意味だ。先程透見が空鬼に向けて攻撃しようとしたのを姫が止めたのは皆も見ていただろう」
戒夜の言葉に誰もが息を飲む。
「でもそれは、何か理由があるからなんじゃねーの?」
呟くように言って剛毅がわたしを見る。
「そーだよ。僕達には分からない深い理由が何かあるんだよ」
園比はまだ、わたしの事を信じ、かばってくれようとしている。
だけど、戒夜の言ってる事の方が正しい。わたしは……。
「彼を倒すなんて、出来ないよ」
ボロボロと涙を流しながら、告げる。
「姫君?」
驚いたような、でも優しい透見の声が聞こえる。
「出来ないとはどういう意味です?」
透見とは反対に戒夜の声は冷たい。もしかして戒夜は気づいているのだろうか?
理由を言ったところで理解なんてしてもらえないだろう。けどこのまま黙っててみんなを騙すよりはと口を開く。
けど、いざ説明しようとすると、どう言えば良いのか分からない。
これはわたしの見てる夢だって言っても良いのだろうか。彼はこの夢では敵だけど、一番好きなゲームのキャラなんだって言ってもいいんだろうか。
……言えないよ。あなた達もゲームのキャラで夢の登場人物だなんて。
だけど黙ったままでいるわけにもいかない。
ぐしゃぐしゃな頭の中のまま、わたしは何とか言葉を紡いだ。
「彼は、空鬼は……。彼の目的は、この島を脅かす事じゃないよ」
彼がそんな事を望む人でないことは知っている。そんな事を望む理由なんて何もない。
「何を言っているのですか? では何の目的で奴らはこの島にやって来て荒らすというのですか」
「それは……」
そう訊かれるとわたしも困る。まだ、思い出せてない事があるのだろうか。彼がそんな事をする人じゃない事は分かっているのに、彼がそんな事をしてしまう理由が分からない。だけど……。
「空鬼は、悪い人なんかじゃないの。だって彼は…わたしは……」
言葉が詰まる。どう伝えたらみんなに分かってもらえるだろうか。分かってもらおうなんてのは、わたしのワガママなんだろうか……。
不意に透見がわたしの肩を優しく撫でるのを感じ、顔を上げた。そこにはいつもの優しい笑みを浮かべた透見。
「姫君、貴女は初めて空鬼と邂逅して混乱しているのでしょう。ひとまず部屋で休まれてはいかがですか?」
話を打ち切ろうとするように透見が言う。
「え? 空鬼の話は?」
突然の透見の提案に黙って聞いていた園比が声をあげる。
「確かに気になるけど、姫さんも疲れてるみたいだし、ここは〈唯一の人〉である透見に任せた方がいいんじゃね?」
気遣うように剛毅がそう言ってくれる。
戒夜は自分が問い質したかったんだろうけど、渋い顔をしながらも頷いた。
「さあ、姫君」
促すように透見がわたしの背を押す。
「……後でホットミルクをお持ちしますね」
うつむくわたしを気遣って棗ちゃんもそう言ってくれる。わたしはもうどうしたら良いのか分からず、促されるまま透見に連れられ自分の部屋へと赴いた。
部屋に戻ると透見はわたしをベッドに座らせ、自分も隣りへと座った。
「みおこさん」
低い、優しい声でわたしの名を呼ぶ。みんなの前で名前を呼ばなかったのはたぶん、この名前を知る事が〈唯一の人〉である証だと分かっているからだろう。
わたしが選んだ、〈唯一の人〉。本来なら彼に名前を呼ばれたら嬉しかったりドキドキしたりするんだろう。だけど今は、申し訳なさと罪悪感でいっぱいで、また涙が出てきてしまう。
「ごめん、透見。…ごめんなさい……」
謝らずにはいられない。
「何を謝られるのですか?」
優しい声と共にわたしの頭を撫でる透見。
「泣かないで下さい姫君。私は貴女の泣き顔を見たいわけではないのです」
透見の手がわたしの頬をすべり、涙を拭う。
優しい透見。もしも空鬼があの人でない世界だったなら、あの人の出ない夢だったなら、この優しい透見にべったりと甘える事も出来ただろう。ああ楽しい夢だわって軽い気持ちでいられただろう。
だけどあの人のいる世界で、他の人を選ぶなんて出来ないよ。
ううん、そもそも選ぶって感覚が間違ってる。だってわたしはあの人が好きなんだもの。あの人に恋をしてるって言ってもいい。
二次元のゲームのキャラクターに恋してるなんて頭オカシイと思われるかもしれない。だけどわたしはこの感情の他の呼び方を知らない。
止めどなく流れる涙を再び透見が拭ってくれる。だけどそれが申し訳なくてその手をよけようとした時だった。不意に、透見の顔が近づいてきた。
「! ……やっ」
反射的に透見を突き飛ばしてしまった。見ると透見は驚いたような顔をしている。
「あ…ご、ごめん……」
反射的とは言え突き飛ばしてしまったのはあんまりかとすぐに謝る。
「いえ。……こちらこそすみません、みおこさん。驚かせるつもりはなかったのですが……」
拒絶され、傷ついた瞳の透見。透見にしてみればわたしの名前を聞き、〈唯一の人〉に選ばれちゃったんだからそういう気持ちになっても仕方がない。とういか、わたしがそうさせたんだ。
「違うの。悪いのはわたしなの。わたしが……わたしは空鬼が好きなの」
絞り出すように告げる。透見を傷つける言葉だとは分かってる。でも彼の事が好きなのに透見を好きなふりなんて出来ない。
「何を……言っているのですか?」
呟くように透見が問う。
「彼に会って思い出したの。わたしはずっと彼の事が好きだったの。倒さなきゃいけない相手だってのは分かってる。彼もそれを望んでる。でも、出来ないよ。好きな人に刃を向けるなんて、出来るわけない」
その事を考えるとまた涙が出てくる。
これは明晰夢で、わたしの思った通りに運ぶ事の出来る夢の筈なのに、何故こんな事になってしまったのか。
一番好きな人。恋してる人。なのに彼はわたしに倒される事を願ってるだなんて。
透見に酷いことをしている事は分かっていた。透見だけじゃない。みんなにも。この屋敷を出て行けって言われたら出て行こう。そんな事も考えていた。
だけど透見は首を振り、わたしの両腕を掴んで顔を覗き込んできた。
「姫君。姫君は空鬼に術をかけられてしまったのですね? なんて卑怯なんだ。貴女を苦しめ、奴を倒すことを躊躇するような術をかけるだなんて」
透見の瞳は怒りに満ち、唇を噛みしめている。
「大丈夫です、みおこさん。私が必ずその術を解いて差し上げますから」
わたしを安心させるように微笑む透見。
「違うの。そうじゃなくて……」
言いかけるわたしの体を引き寄せ、透見が抱きしめる。
「大丈夫、心配しないで。必ず空鬼を倒し、術を解きます」
きっぱりと透見が決意を述べる。
〈唯一の人〉に選ばれ〈救いの姫〉を愛し始めている透見。だけど〈救いの姫〉である筈のわたしは敵である空鬼が好きで。
そんなわたしを透見は空鬼に術を掛けられたと思ったらしい。
違うのに。そうじゃないのに。
透見の抱きしめる腕の力が強まる。
わたしはその腕を振り解こうともがき、涙を流した。
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