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 争う音が聞こえる。物がぶつかる音。壊される音。恐ろしい雄叫びや唸り声、悲鳴と共に助けを乞う声。

「姫様。今ならばまだ間に合います。こちらの抜け道から……」

 恐怖のさなか声を抑えた侍女に急かされ、薄暗い抜け穴へと誘導される。

「どうかご無事で。姫様だけがこの国の希望です。大丈夫、きっと勇者様が助けに来て下さいますから」

「待って。お父様は……」

 わたしの質問を遮るように、侍女はその場に残り、抜け穴を塞いだ。同時に何者かが部屋の中へと入り、唸り声をあげる気配を暗闇の中で感じた。

 このままここにいちゃ、いけない。

 本能で悟り、手探りで抜け道を進む。しばらくすると目が慣れてきたのか、ほんの少しの漏れている光で抜け道を早足で歩けるくらいにはなった。

 その間にも、壁の向こう側で戦う音が時々聞こえてくる。

 怖くて震える足を抑えつつ、わたしはなんとか抜け道を通り抜けた。



 辿り着いた先は城の外の、見覚えのある森の外れだった。この辺りならば平和だった頃に何度かピクニックに連れて来てもらった事がある。

 だけどわたしは途方に暮れかけた。

 これまではずっと、姫として召し使いや騎士達が守るようにわたしの傍にいてくれた。だけど今は、わたし独り。

 振り返り見上げた城の中では、未だ戦いの音が聞こえてくる。

 わたしはこれから、どうしたらいいの?

 突然魔王が現れ、ついにはこの王国を支配するべく城へと攻撃を仕掛けてきた。侍女は勇者様が助けに来て下さると言ったけれど、それはいつなの?

 流れ落ちそうな涙を拭き、森の木々を見つめた時、ふと思い出した。

 あれ? ちょっと待って。わたしの中に、二つの記憶がある?

 深呼吸して、頬をつねってみる。痛い。夢じゃない。

 混乱しながらも、落ち着いて思い出してみる。

 ひとつめの記憶は、わたしはこの国の姫で、今まさに魔王に攻められた城から逃げ出している。

 だけどもうひとつの記憶は。

 わたしは平凡な、日本の女子高生だ。



 日本の記憶が頭を駆け巡る。もしかしてネット小説で流行りの転生ものってやつだろうか?

 だけど何度思い出してみても、死んだ記憶がない。思い出せる日本の記憶の一番新しいものは、バーガーショップでポテトを食べている記憶。

 死ぬ記憶がないくらい、即死だったの?

 わからない……。

 それとも召喚もの?

 いや、これは違う。こっちの世界で、ちゃんとわたしは産まれ育ってる……はず。

 はずってなってしまったのは、日本の鮮明な記憶に対してこちらの記憶が随分曖昧だと気付いたからだ。

 物心ついた時からあの城で育ったという記憶はある。だけどお父様やお母様とどんな話をしたとか、どんな人だったとか、そういう細かい部分があやふやなのだ。

 跡取りであるお兄様がいたはずなのに、その年齢や名前さえ思い出せない。

 という事は、これは夢?

 そんな事を考えていたら突然、城から魔物たちの雄叫びが聞こえてきた。

 その恐ろしい声は、恐怖ではなく歓喜から出たもののように聞こえた。それはつまり……。

「お父様、お兄様……」

 二人の命はもうないのだろう。たぶん、お母様も。その事が予測出来たから、あの侍女もわたしを『最後の希望』と言ったのだろう。

 悲しみと同時にわたしに襲い掛かってきたのは焦りと恐怖だった。このままここにいたら、魔物に捕まり、殺されてしまう。とにかく逃げなくちゃ。

 日本のわたしが本当でこの世界は夢だと思っているのに、名前も思い出せない家族を失って悲しいなんてなんだか変な気もする。それでもわたしは今『ここ』にいて『この世界の人間』としてここにいる。だから悲しいし、たとえここが夢の中だろうが魔物に捕まって殺されるなんて嫌。

 だからわたしは森の中へと走り出した。



 走りやすい街道に出るという選択肢もあった。だけど見通しの良い道に出ればすぐに見つかってしまう気がして森の中を選んだ。

 ピクニックで来た時はそんなに森の奥までは入らなかったから道に迷って遭難する危険性もあった。それでも魔物に捕まるよりはマシだと思った。

 追手の気配の無いまましばらく走ると、緩やかな流れの川へと出た。綺麗な水の流れだったから、そこでカラカラになった喉を潤した。

 そうして人心地ついてふと、昔読んだ小説を思い出した。狼だったか熊だったか忘れたけれど、鼻の良い動物に追いかけられ匂いを消す為に川に入って逃げるというお話。

 魔物の中に鼻の良い魔物はいるんだろうか。わたしの匂いを辿って、少しずつ近づいてるんだろうか。

 そう思うと小説の様にしばらく川の中を歩くのが良いような気がした。幸い川の流れは緩やかだし、浅い場所もありそうだ。

 ドレスの裾を手繰ってふと、このドレスも目立つんじゃないかと思った。

 デザイン的にはそんなに派手ではないし、色だって華美ではない。それでもお姫様のドレスだから一目ですべてが絹で作られていると分かる。

 わたしがお姫様だと知れれば、怯えた村人がスケープゴートとして魔物に差し出すかもしれない。

 そう考えたわたしはドレスを脱ぎ、下着姿になった。

 恥ずかしくないわけじゃない。もちろん下着姿なんて恥ずかしい。だけど魔物に殺されるよりはマシだったし、『日本のわたし』の感覚で言うならその下着は真夏に着るサンドレスとかに近くて、そういう意味では『ちょっと恥ずかしい』けれど耐えられない程ではなかった。

 ひとまず脱いだドレスを片手にわたしは川の中を歩き始めた。このドレスをどこに隠すか。

 最初はこのまま川に流してしまおうかと思った。けど、誰かが川でドレスを見つけてしまえば服を着ずに川の近くを歩いていたわたしがドレスの持ち主だと、お姫様だとバレてしまうかもしれない。

 だったら出来るだけ見つかりにくい場所に隠してしまったほうがいい。

 歩きながら途中で見つけたぬかるみで、ドレスをドロドロに汚した。これで少なくとも見た目でお姫様のドレスに見えない。今着ている下着にも泥が付いてしまったけれど、このくらいは洗ってしまえばいい。

 ドロドロのドレスを抱えたままもう少し川を歩くと、すぐ傍に大きな木が倒れていた。倒れて何年かたつのか、半分くらい苔むしている。そしてその木の下は木の葉と濡れた土だった。

 ここなら隠しやすいし掘り起こす人もいないだろう。

 そう思ってわたしは木の葉をよけ、土を手で掘った。上の方は腐葉土だったから、わたしの手でもなんとかなった。そしてドレスを押し込み土で埋め、分からないように木の葉をかぶせる。

 少なくとも見た目ではもう、どこに隠したか自分でも分からない。

 再び川に戻ったわたしは手や下着についた泥を洗い流しながら歩き始めた。


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