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ヤギ飼いの水渡り
その1
しおりを挟む気持ちの良い陽射しの中、今日も外での修業にシガツは息を大きく吸い込んだ。
風使いになる為に修業していた頃は、季節を問わずほぼ塔の中での修業だった。だがこの星見の塔に来てからは、春の気候が良いからか、雨が降らない限り師匠は外での魔法の実践をしていた。
もう少し暑くなれば室内に移動になるのかもしれないが、こうやって外で修業するのは、シガツはとても好きだった。
基本、外にいる事の多いソキも、すぐ近くの樹の上から修業の様子を見ていて時折声を掛けてくる。
今日の修業も師匠の唱える魔法の呪文をマインと二人で復唱するものだった。
風使いも魔法使いの一種だから、基本は同じだ。だからすでに知っている呪文もあれば初めて聞く呪文もあった。
呪文を復唱して覚えるという修業の仕方は風の塔と同じな為、シガツは違和感無くその修業を受け入れる事が出来た。しっかりと師匠の声を聞き、発音を間違えないように真似をし、意味を考えながら覚える。
風の塔での修業と違うのは、呪文の書き取りが滅多にない事だ。全くない訳ではないけれど、あまり重点を置いていないと知り、シガツは少し戸惑った。
しかしすぐにそれにも慣れ、復唱のみで呪文を覚える事に集中した。
今日も師匠の後についてマインと二人、呪文を詠唱する。きれいに重なっていた筈の声が、ふと違う音を発した。
あ、と思うと同時にポシュッと音を立て、マインの魔法が萎むのが分かった。
師匠と共に呪文を強制解除して、慌てて彼女に声を掛ける。
「大丈夫? マイン」
シガツの声にマインは「えへへ」と誤魔化すように笑顔を見せた。
「失敗しちゃったぁ」
そんなマインにため息をつきつつ師匠が手を伸ばす。
「どうしてこの口はちゃんと呪文が言えないですかね?」
むにり、と頬をつままれ、マインが「ひゃめてよ、ひひょー」と訴えている。
「それともこの耳が聞き間違えるんですか?」
そう言って今度は耳をつまむ。
師匠は時折マインに対してそういうコミュニケーションをとる。痛いという言葉が出ないあたり、今日はそんなに強く引っ張っていないらしい。
「……わたし、才能ないのかなぁ……」
師匠の手が放れた途端、マインがほんの少し拗ねたような落ち込んだ様な顔をしてボソリと呟いた。
「そんな事ないと思うよ?」
何故彼女がそんな事を言い出すのか分からずシガツは首を傾げた。
確かにマインは呪文をうっかり間違える事は多い。けれどそれは新しい呪文を覚えている時や、なにか他に気を取られている時がほとんどだ。そのくらいのミスは誰にだってある。
「そうですね。マインの場合、才能が無いのではなくこれまでのやる気のないいい加減な勉強の仕方が今になって影響してきているのでしょう」
ため息をつきながら師匠がそんな事を言うもんだから、ますますマインがずーんと落ち込んだ。
「つまり今からがんばれば大丈夫って事じゃないか。落ち込むことないって」
今にも泣きそうなマインにシガツは慌てて優しく声を掛けた。
自分が来る前の事は分からない。だがここに来たばかりの頃のマインの態度はそういえば真面目とは言えなかった気がする。
だけどそれは、真面目に修業すれば魔法が上達する可能性があるという事だ。
ほんの少し羨ましい気持ちを抱きつつシガツはマインを見た。ここ最近は真面目に修業しているから、きっと彼女はすぐに上達すると思って。
だけどマインは浮上する事なく、恨めしそうにシガツを見た。
「……シガツって、本当に風使いの才能無かったの?」
マインが悪気無く言っているのは分かっている。分かってはいるが、シガツはずんと落ち込まずにはいられなかった。
「こら、マイン」
窘めるように師匠が言い、マインの頬を引っ張る。
「いひゃ。いひゃいよ、ひひょーっっ」
今度は先程と違いしっかりと引っ張っているらしく、マインはじたばたともがいた。
師匠が自分に気を使ってくれているんだと気づき、シガツはなんとか笑顔を作る。そしてゆっくりと言葉を発した。
「ありがとうございます。けど、大丈夫ですよ師匠。あのねマイン。オレ、あんまり器用じゃないから……」
なんとか発したその言葉はソキと友達になった今でもまだ苦しくて重かった。ソキと親しくなればなる程、風使いにならなくて良かったと思っているのに、それでも幼い頃に憧れた風使いにあんなに努力したのになれなかったという思いはシガツに重くのしかかっていた。
しかしマインは何故器用でないと風使いになれないのかが分からないのだろう、きょとんと首を傾げている。
そんな二人を見て師匠はふむと頷いた。
「それでは今日は、精霊と精霊使いについて学びましょうか」
にこりと笑いかけられ、シガツは嫌な予感がした。
なんだか可笑しな事になってしまったなとシガツは思った。
習う立場である筈の弟子である自分が何故か教える方になりそうな雰囲気だ。せめて師匠に訊かれた事を答える程度なら良いのだが、と師匠の様子を見る。
「マインは精霊使いについて知ってる事はどのくらいありますか?」
まずはマインに矛先がいった事にシガツはほっとした。
「え? えーと……。風と火と水の三種類あって、風は指、火は首、水は足に契約のリングを付けるんだよね?」
以前軽く習った内容を思い出しつつ告げるマイン。
「他には?」
師匠に問われ、マインは口をへの字にする。
「他にはって、そのくらいしか習った覚えないけど……」
言いながらも『他にも何か習ったっけ』とマインは必死に考えているようだ。
そんなマインに満足するようにエルダは笑みを浮かべ、頷いている。そしておさらいをするような口振りで話し始める。
「精霊使いとは精霊を使役する事に特化した魔法使い達の事です。ですから基礎的な魔法の知識は我々と同じ。そうですね、シガツ?」
「あ、はい。精霊と契約を結ぶ際にも魔法が必要となってきますから、魔法が上手く使えないと風使いにはなれません」
他の精霊使いの事は分からないけれど、たぶんその辺りは風使いと変わらないだろう。
「それよ。シガツ魔法下手じゃないのにどうして風使いになれなかったの?」
ズバリとマインに言われ、シガツは苦笑した。
「風使いになるには魔法の呪文を上手く唱えられるだけじゃダメなんだ」
シガツは肩をすくめながら困ったように答えた。
「風使いが風の精霊を使役する為には、魔法の呪文を唱える以外にも呪文を正確に書ける事と、精巧な契約のリングを作る事が必要になってくるんだ」
言いながらシガツはじっと自分の手を見た。決して器用とは言えなかったその手は風の精霊を捕らえる為の指輪を作る事は出来なかった。どんなに努力しても、そちらの才能は花開かなかった。
風の塔は風使いになりたいと希望して来る者はどんな者でも受け入れ、教えてくれる。しかし真面目に修業しない者やどう努力しても才能がないと判断された者はきっぱりとその事を告げられ風の塔から出されてしまう。そして二度と風の塔で学ぶ事は許されない。
シガツもまた何度契約の指輪を作っても力の弱い精霊にさえ使えない物しか作れなかった。その他の魔法の才能や真面目さから通常よりも長い時間チャンスを与えられたが、それでも一度も作る事が出来なかった。だからとうとうシガツは風の塔を出なければならなくなってしまった。
「契約のリング……。ソキのしてた指輪だよね? そういえばあれってなんでもう効果がないの?」
何の気なしに訊いてきたマインの質問に、師匠は感心しているようだった。専門外とはいえ、多少は師匠も精霊使いについての知識はあるだろうからソキのしている指輪の作りがとても精巧だという事に気づいているのだろう。
こんな指輪が作れていたなら風の塔を追い出される事なく今頃は優秀な風使いになれていただろう。けどその代わり、ソキと友達になる事もなかった。
そう思うと風使いになれなくて良かったんだと思う。とても憧れてはいたけれど、風使いでは知れない事も知ったのだから。
「精霊と精霊使いが契約を結ぶには、幾つか条件があるんだ」
ゆっくりとマインに理解してもらえるよう説明する。
「その条件のひとつに、精霊使い本人が作ったリングでないと契約が成立しないってのがあって、つまり他人の作ったリングで精霊と契約しようとしても出来ない。そのリングはただの装身具にしかならないんだ」
だから精霊使いになりたい者はリングを作る技術も必要となってくる。
「えーと? つまりソキの指輪は出来はよいけど作った本人が使ったわけじゃないから効果が無いの?」
半分分かったような分からないような顔をしながらマインが尋ねてくる。それにコクリとシガツは頷いた。
「そう。だけど効力があるか無いかは見ただけじゃ分からないだろ? だからソキはあれを身につけているんだ。他の精霊使いに使役されている精霊とは契約出来ないからね」
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