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春風の少女
来訪者 その4
しおりを挟むフウを客間のベッドに寝かして居間へ行くと、キュリンギがお茶を入れてくれていた。エルダとマインは礼を言い、椅子へと腰掛ける。
「あの子、魔物に狙われていますの?」
心配そうにキュリンギが告げる。その言葉にマインは驚いた。
「なぜ、そう思うのですか?」
マインの気持ちを代弁するように師匠が問う。
今まで何度か魔物を倒してきたエルダが狙われるのなら分かるのだが、なぜキュリンギはフウが狙われていると思ったのだろう?
キュリンギは入れたお茶を飲みながら、落ち着いた様子で語った。
「だってあの魔物、まっすぐあの子の方に向かってましたもの。それに何か話しかけてたでしょ?」
確かにあの時、魔物はまっすぐフウを見ていた。傍にマインもいたけれど、確かにフウだけを見ていた。キュリンギはそれに気づいていたのだ。
「そういえばあの魔物はなんて言ってたんですか?」
その時の事を思い出し、エルダがマインに問う。あの時彼のいた場所からでは、喋っていた事は分かってもその内容までは聞こえなかった。
マインは眉をしかめ、その時の事を思い起こした。
「わたしもよくは聞こえなかったんだけど……」
人語を操る魔物とはいえ、あれは犬のような形をしていた。言葉を喋るには不向きな造りをしている。だから少し聞き取りにくくもあった。
それでもその時聞こえた言葉を思い出し、口にする。
「何かを、探してたみたいだった。フウはそれを知ってるから狙われてるの?」
マインは不安になった。目を覚ますのを待ってフウに事情を聞こうと思っても、記憶を失っている彼女に分かるわけがない。
だけど魔物の方はフウが記憶喪失だという事を知らないのだ。だからフウに何かを尋ねた。
漠然とした不安を抱いたマインだったが、彼女を安心させるようにキュリンギがにっこりと笑った。
「でも良かったじゃありませんの。魔物は先程エルダがやっつけて下さいましたもの」
そうだった、だったらもうフウが狙われる事はないんだ。そう息をつこうとしたのもつかの間、エルダが口を開く。
「いえ、さっきの魔物は逃げました。本当に彼女が目的なら、またすぐにやって来るでしょう」
そんな、とマインは思わず立ち上がった。
「どういう事ですか!」
師匠に詰め寄ろうとしたが、それよりも早くキュリンギが「いやあんっ」と悲鳴を上げた。
「それじゃあまだ、魔物がこの辺りをウロウロしてますのね? 怖いわっ」
そう言い素早くエルダの元へと移動し、彼にしがみつく。
「家まで送ってくださる? でないと怖くて帰れませんわ」
本当に怖がっているというよりは彼に言い寄るための口実だ。そうとしか取れなくて、エルダはヒクヒクと口の端を震わせた。
「いえ、狙われているのはフウみたいですから、彼女のそばを離れるわけには……。まだ本人も気を失ったままですし」
そう言い訳をしてキュリンギから離れようとするエルダの長い髪を彼女は捕まえた。そして自分の頬へと寄せ、うっとりと呟く。
「では今晩泊めて下さる? 一人では足が震えて帰れませんもの」
先程より悪い提案に彼は青ざめ、慌てて叫ぶ。
「マインに送らせます! 未熟とはいえ弟子ですから、多少の魔法は使えますから!」
万が一彼女を家に泊めてしまったら何かと理由を付けて夜這いに来られかねない。
慌てて告げた師匠の言葉にマインは「えーっ」と不満の声をあげた。キュリンギも「そんなぁ」と残念そうにつぶやく。マインにしてみれば、気を失ったままのフウの傍を離れたくはなかったし、キュリンギは少しでも長くエルダの傍にいたかったから、彼の提案は歓迎出来なかった。
多少の抵抗を試みたものの、師匠の言葉に勝つことが出来ず結局マインはキュリンギを送って行く事になった。
「ごめんなさいね、送らせちゃって」
村へと続く道を辿りながら、キュリンギは申し訳なさそうに謝った。
「気にしないで下さい。たまには村に行くのも楽しいですから」
そう返事をしたものの、マインはフウのことが心配でたまらなかった。
もしもキュリンギさんの言う通りフウが狙われているんだとしたら、確かにわたしが傍にいるよりも師匠が傍にいた方が良いわよね。
そう自分に言い聞かせる。
マインも一応は魔法が使えるから、かなり弱い魔物ならばなんとか倒せるかもしれない。だけど少しでも力のある魔物が現れたらと考えると、確かにエルダの傍にいた方が安全だ。
でもそれでもマインはフウの傍にいてあげたかった。
まだ出会ってそんなに日もたってはいないけれど、それでもこんなに長い時間一緒に遊んで仲良くなったのは彼女が初めてだった。
だから傍にいて守ってあげたい。そう思ってしまう。
「ねぇ、さっきのえーと…フウちゃんだったかしら。エルダは事情があって預かってるって言ってたけれど、どういう事情か訊いてもいいかしら?」
この近隣に魔物を倒せる程の魔法使いはエルダしかいない。だから余所の村や街からエルダを頼って来る者は時折いた。けれどこれまでは大抵どこから来たどういう人が何の用件で来たのか、キュリンギの耳に入ってきた。キュリンギの父親は村長だったから、そういう話は入って来やすかったのだ。
けれど今回のフウの件は全く知らなかった。エルダの所ではないにしろ余所者がこの村に入ればそれだけでもたいていキュリンギの耳に入ってくるのに今回はそれさえもなかった。
「あ、はい。…倒れてたのを見つけたんです、わたしが。それで連れて帰ったんですけど、フウ記憶を失ってて……。あ、フウって名前はわたしが仮に付けたんです」
「そうだったの……」
キュリンギに説明しながらマインはその時の事を思い出していた。何も持たず辺鄙な場所に倒れていた彼女。魔物に狙われてるのだとしたら、逃げてる途中にあそこで気を失ってしまったんだろうか。
そんな事を考えていると、道の向こうから誰かがやって来るのが見えた。
「あら? 見かけない子ね」
キュリンギのつぶやきにマインもその人物を見た。確かに知らない人だった。村の者ではない。キュリンギが見かけないと言うのなら、近くの村の者でもないのかもしれない。
フウに続いてやって来たその余所者にキュリンギも眉をしかめた。マインより二つ三つくらい年上だろうその男は黒いマントに身を包み、暗い顔をして歩いて来る。
マインは妙な胸騒ぎがした。彼女はどちらかというと勘の鋭い方ではないけれど、それでも『彼』という存在がなんだか妙に気になった。
マイン達の方へと歩いてきていた彼は、やがて二人に気付くと無表情にこちらを見た。緊張で息が詰まり、鼓動が早くなるのをマインは感じた。
「この辺りで女の子を見かけませんでしたか? 年の頃は十五~六。細身で髪は背中くらいまである……」
唐突にそいつが話しかけてきた。暗い瞳で無表情なまま。
「それって……」
「知りません!」
問いに答えようとしたキュリンギの声を叫ぶように遮り、マインは彼を睨んだ。そしてキュリンギの手をむんずと掴み、足早にその場を立ち去る。キュリンギはマインの態度を少し不思議に思いながらも何も言わずにそれに従った。
そんな二人を何か考えるような眼で見送った後、彼は再び歩きだした。
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