春風の中で

みにゃるき しうにゃ

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春風の少女

拾われた少女 その2

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 夕食をとり終えマインはため息をついた。記憶喪失の少女は食欲がないらしく、ほとんど食事に手をつけることはなかった。

「どうしたんですか、ため息なんてついて」

 いつも元気なマインが珍しいと言わんばかりに師匠が顔を覗き込んでくる。

「うん。記憶喪失だなんてかわいそうだなって思って……」

 自分が誰か分かんなくて思い出がなんにも無いなんて、どんなに不安だろう。

 そんな彼女を見てエルダは眉をしかめた。そして考えるように質問してくる。

「マイン、彼女について気がついた事はありませんか?」

 気づいた事?

 師匠の質問の意図がつかめず、マインは首を傾げた。

「えーと、着てたものがちょっと高級っぽかったかな。しかもちょっと薄着だったし。春って言ってもまだ肌寒いから暖めた部屋の中じゃないと、あれじゃ寒いよね。それにそう言えばあの子、見つけた時から靴履いてなかった。て、え? あの辺り、家ないよね。ていうか、この村の子じゃないし」

 思いつくまま口にしていたマインは、ここで青ざめた。

「もしかして、誘拐? お金持ちのお嬢様で誘拐されてここに連れて来られたの? そのショックで記憶を失ったとか?」

 そうだとしたら、どんなに怖かった事だろう。

 だけどそれを聞いていた師匠は大きくため息をついた。

「面白い推理ではありますが、ハズレです。それだと彼女はどうしてあそこに倒れていたんですか?」

「それは、誘拐したものの怖くなってあそこに置いていったとか」

「身代金も取らずに?」

「う……」

 確かにそんな臆病な誘拐犯ならこんな辺鄙な田舎に連れて来る前にどこかに置いてくるか、そもそも誘拐なんてしないんじゃないだろうか。

 自分の考えにつまったマインは師匠を見て、口をとがらせる。

「それじゃあ師匠は分かるの?」

「なぜあそこに倒れていたのかは分かりませんが、彼女について分かっている事もありますよ」

 にこりと笑うエルダにマインはびっくりした。

「え? 何か知ってるんですか?」

 マインとエルダがこの村に来てから、もう随分たつ。出不精のエルダがマインを置いて村の外に出る事は滅多になかったが、それでも魔物退治の依頼を受け一人で出かけた事は何度かあった。その時にどこかで見た事があるのだろうか?

 だけどマインはその考えに首を振った。それだとマインが知るはずもないから質問するわけがない。

 考えるマインに満足しながらエルダは言った。

「しばらく彼女を観察してみて考えてごらんなさい」

 必ず答えが見つかりますから。

 そう言わんばかりのエルダだったが、マインは他の事に気を取られた。

「しばらくって、彼女ここに置くの?」

 びっくりして師匠につめよる。

「ここで保護するより仕方ないでしょう」

 肯定の言葉にマインの顔に笑顔があふれる。

「うそ、やったー。お友達になれるかな? 仲良くなれるといいな」

 マインは嬉しくてたまらなかった。村にも年の近い子はいるけれど、ここは村はずれの丘の上のせいか、滅多にその子たちが遊びに来る事はなかったし、マインの方から遊びに行こうと思っても魔法の修業やらなんやらでなかなか師匠に許してもらえなかった。だけど一緒に住むんだったら修業や家事の合間にでも話したり遊んだり出来る。

「師匠の事だから、村の人に預けるかと思ってた」

 そう思ったのは師匠がこの家にあまり人を近づけたがらないからだ。村の子が滅多に遊びに来ない原因の一つはそれもあるんじゃないかとマインは思っていた。

 だからてっきり彼女も明日には村の人に預けてしまうだろうと思っていたのだ。

 なのでマインの言葉に口を開きかけていたエルダの言葉を、慌ててふさぐ。

「今更村に預けるってのはなしだよ。ここで保護するって師匠が言い出したんだからっ」

 そう言いながら必死で彼を睨みつけてくるマインに、エルダは苦笑する。

「撤回はしませんよ。その代わり遊ぶのは程々に。それから、修業の一環として彼女を観察しなさい。……教えたはずなんですがねぇ……」

 最後の一言はため息まじりでマインの耳には入って来なかった。それより彼女の頭の中は、遊び相手が出来た嬉しさでいっぱいだった。



 二人が出て行った後少女はしばらくの間横になっていたが、息苦しさを感じて身を起こした。

 立ち上がり、窓辺へと行く。かけがねを外し窓を開けると心地の良い風が頬を撫でていった。

 呼吸が楽になったのを感じ、ほっと息を付く。

 だけど体の力が抜けると共に不安が忍び寄ってきた。

 外はとっくに日が暮れ、真っ暗になっている。

 吹き込んでくる夜風と共に何かが頭の中をよぎり、少女は頭を押さえた。

 怖い。

 忍び寄る喪失感と焦燥感に、知らず我が身を抱く。

 失われた記憶の中でいったい何があったのだろうと、不安でその場に立っていられなくなる。

 開け放った窓から、再び風がふわりと彼女を包み込んだ。まるで何の心配もいらないからと安心させるように。



 次の日の朝、マインは一番に少女の部屋を訪れた。

「おはよう、起きてる?」

 コツコツとノックをして扉を開ける。少女はまだベッドの中にいたが、身は起こしていた。

「気分はどう? ご飯は食べられそう?」

 話しかけながら部屋の中に入った途端、冷風がマインの体に吹き付け驚いた。

「わ、なんで窓開いてんの?」

 一応季節は春だけど、風はまだまだ冷たい。早朝ともなれば尚更だ。慌てて閉めようと窓に近づくマインに少女は声をかけた。

「待って。あの…窓、開けたままにしといてもらっていい? 閉めるとなんだか、息苦しいの」

「そう?」

 不思議に思いながらもマインは頷き窓を閉めるのをやめた。

「寒くなったらすぐに言ってね? 風邪ひいちゃうといけないから」

 マインの言葉に少女もコクンと素直に頷く。それを見て安心したマインはポンとベッドの上に座り、少女を見た。

「ね、まだ名前思い出せない?」

 問われ、少女は不安そうに頷いた。けれどマインは気にすることなくにこにこと少女に話しかける。

「じゃあ、フウって呼んでいい? 本当の名前が分かるまで名前がないと不便でしょ?」

 気に入ってもらえるかどうか、わくわくしながら少女を見る。

「フウ?」

 違和感を覚えながら呟く少女に、マインはうんと頷いて見せた。

「かわいい名前でしょ? 一所懸命考えたのよ」

 少女の軽やかなふわりとしたイメージを表したくて必死に考えた名前だった。少女は体も手足も細く、今にも風に飛ばされてしまいそうだ。背中まである髪もマインの重い髪とは違い、ほんの少しの風でふわふわと揺れている。

 有無を言わさぬマインの言葉に押されてしまったのか、少女は再びコクリと頷いた。

「良かった。しばらくここにてもらう事になったから、仲良くしようね。ここちょっと村からはずれてるから、滅多に友達と遊べなくてつまんなかったの。でも、今度からフウがいてくれるから、毎日遊べるね」

 嬉しくてマインはいっきにまくし立てた。更にお喋りを続けようとした時、ノックの音と師匠の不機嫌そうな声が聞こえてきた。

「いつまで喋ってるつもりですか? それとも朝ご飯はいらないんですか?」

 振り返ると師匠が腰に手を当て、顔をしかめて立っている。

「もちろん食べるよ」

 慌てて立ち上がり、マインは台所へ向かおうとした。ぐずぐずしていたら本当にご飯を抜きにされかねない。だけどふと立ち止まり、マインはフウを振り返った。

「フウはどうする? 今日は食欲ある?」

 問いかけられ、フウは考えるように首を傾げた後小さく首を振った。

「いいです。…特に欲しくないから……」

「そう? じゃあ後で何か簡単なもの持ってきてあげる。じゃ、またね」

 まだ具合が悪くて食欲がないのかな?

 少し心配に思いながらもフウに手を振ってみせて、マインは慌てて部屋を後にした。



 パタパタとマインが部屋から出て行くのを見送った後、フウは扉の所に魔法使いがまだ立っている事に気が付いた。

「あれから自分が何者か、思い出せましたか?」

 口元に笑みを浮かべ、エルダが問う。フウはゆっくりと首を振り、うつむいた。思い出せるのはやはり、ここで目覚めてからの事だけだった。

「まあ、害は無いようですし思い出すまでここにいらっしゃい」

 そう言い残すとエルダはマインを追って部屋を出て行ってしまった。

 ひとり残されたフウは窓から吹き抜ける風に目を閉じた。

「気持ちいい……」

 深呼吸して風を体内に取り入れる。朝の風は特別新鮮な気がして気持ちが落ち着いた。

 だけどそれでも不安は拭い去れない。

 指にはまった指輪に目をやった。反対の手でそれを触ってみる。忘れてしまった大切な何かを思い出せそうな気がして、フウはそっと目を閉じた。


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